五月七日
Ⅱ
翌、五月七日。
夜明けと共に、徳川方の将兵が、城へと攻め寄せてきた。その数、約十二万。
この日出陣した豊臣方諸隊は、各方面で優勢に戦いを進めていた。天王寺口、岡山口、それぞれで徳川方の軍団を破り、複数の武将を討ち取っている。本多忠朝、小笠原忠脩は即死、忠脩の父である小笠原秀政も重傷を受け、この日の夕刻没している。
これは、大坂方の将兵がみな死を決していたためである。この前日、つまり六日の戦闘では後藤又兵衛や薄田兼相といった猛将たちを失っていた。このうち後藤又兵衛は、この大坂夏の陣においては総大将のような役割を担っていた。総大将を失った軍が、戦に勝てるわけがない。将兵たちは、だからこそ、決死の覚悟で戦っていた。死兵は強い。徳川方は押しに押されたのである。
信繁はこの日、茶臼山に陣を敷き、紅蓮の鎧を着て采配を取っていた。家康が、ここに陣を敷くという情報を得たためである。
このとき信繁は、自らの部下の将兵三千、総てにこの紅蓮の鎧を配布し着せていた。この赤備の集団こそ、
真田の赤備
として後世に語り継がれる軍団である。赤備はもともと武田二十四将の一人であった山県昌景のものであった。武田家の滅亡後、その部下の生き残りが徳川四天王・井伊直政の配下に取り込まれ、「井伊の赤備」と呼ばれるようになった。だがその赤備も、この時の真田隊ほど徹底してはいなかったと云われている。
赤備三千が茶臼山に布陣。その姿は、壮観であったといっていい。
徳川連合軍実質の総大将である時の大御所徳川家康は、茶臼山に向かう行軍の馬上、これを見た。
「大阪にも赤備があったか?」
そう呟くと、傍に侍する孫兵衛という老人が、遠望鏡を伸ばし茶臼山に向ける。
「赤旗、六文銭です。」
「真田か。」家康は感嘆した。「素晴らしい。まるで紅葉のようだ。」
「この季節に紅葉を見るとは思いませんで。」
孫兵衛はそう呟く。
「うむ。」家康も頷いて、「じゃが、孫兵衛。あの紅葉は強いぞ。これから散りゆくものは、まごうことなく強い。」
「いかがしましょうか。」孫兵衛は家康に尋ねる。
「いかがもせぬわ。戦は呑まれれば負けじゃ。」家康は頷き、大声を上げた。「真田を迎え撃つ!構えて怯むな!」
一方の信繁も、家康の軍勢四万の異様を目の当たりにしていた。
「どういたしますか、殿。」手飼いの忍びの一人、海野六郎が信繁に尋ねる。
「思っていたよりも多い。」信繁は冷静な目で家康の本陣を眺めている。この戦の天才の強みは、単純な判断力だけでなく戦略的な分析の的確さで古来類を見ぬ才能であった。「やむを得ぬ。軍勢の隙間を遮二無二突き破り、本陣に突っ込むほかあるまい。」
信繁は振り返ると咆えた。
「又兵衛が死んだ今、豊家を救い出すことは相成らん!もはや如何に死なんや!幾ばくか供をつくらんや!」
信繁はそれからひらりと乗馬し、馬首を返して槍を掲げた。一度陽にかざした穂先を、ビュッと振り下ろす。そして今度は、まっすぐに家康の軍勢へと向けた。
「狙うはただ家康が首のみ!かかれぇッ!」
ワァッ!と閧の声があがり、赤い奔流が斜面を駆け下っていく。その先頭に信繁。鉄砲の弾すら、信繁を恐れて逸れていくようでもある。槍を振るって馬防柵を一瞬にして叩き壊すと、鉄砲隊を馬の勢いで蹴り散らした。
「寄る敵は容赦なく斬り殺せ!」信繁は咆えた。「轢き殺せ!殴り殺せ!家康の本陣を穿つまでは、一歩も退くでないッ!」
鐙をふんばり、両手で朱槍を頭上旋回させ、その勢いのまま振り下ろす。血が飛ぶ。信繁はちらりと旗印を探した。本陣はまだ遠い。陣幕の中、床几に座った、異常に肥えた狸顔の老将。
内府公徳川家康である。
(内府…)
信繁は駆ける。目前の敵兵たちは、その血風甚だしい穂先を逃れようと慌てて、とうとう同士討ちを始める始末である。
(まだ距離がある…!)
信繁は目の前に突き出された槍を払いのけ、その敵兵を突き、そのまま振り飛ばす。それから馬首を旋回させると、咆えた。
「全軍旋回、集合!」
一旦軍が旋回し、信繁の周りで陣形を組む。それから信繁は、もう一度咆えた。
「全軍突撃ッ!決して止まるなぁッ!」
赤備が徳川の陣形に綺麗に突き刺さり、兵士達は我先にと逃げ出し始めた。
「大御所様!」使番が家康軍本陣に駆け込んできたのは、そのころである。「真田幸村隊本陣へ強襲!本陣衆が半壊!」
「さすがは真田、というべきかの。」家康は床几からすばやく立ち上がった。「すぐに撤退せよ!」
家康の天下人たりえた所以は、その忍耐力と退き際のよさにある。政治にしろ戦にしろ、その忍耐力においては信長、秀吉などの比ではない。余談ではあるが、この大阪の陣から遡ること三十一年、天正十二(1584)年、世に『小牧・長久手の戦い』と呼ばれる戦で、家康は秀吉を破っている。この戦において総大将は信長の遺児のひとりであった織田信雄であったが、秀吉はその戦況敗れると見るやすぐに信雄に和解を持ちかけ、信雄は家康に相談することなくそれを受け容れた。それでさえ、家康は何も言わず受け入れたのである。それは、秀吉亡き後に天下がどのように動くのか、それを考えそして掌握するための布石であった。
家康の下知を受けた徳川勢は手早く兵をまとめ、撤退を開始した。三里(約十二キロ)撤退し、再度陣幕を張るつもりである。
だが信繁も、戦にかけては天才である。それを知っていた。
もうすぐ三里というところまで逃げたとき、前方から銃声が起こった。後で分かったことであるが、これは大坂浪人衆明石全登が率いる鉄砲隊三百の一斉射撃であった。信繁と連携し、家康方の撤退を待って撃ちかけてきたのである。
「水野隊迎撃!本隊は前線へ向かえッ!」
家康は喚くように言った。軍勢はすぐに身を翻し、また前線へと向かう。
真田信繁はまた軍勢を旋回し、三度目の突撃を仕掛けようとしていた。本陣衆はどうにかその突撃を持ちこたえている。
「耐えろ、持ちこたえよ!」
家康は床几に坐りもせず、立ったままで兵達を激励している。
そのときである。
真田隊の伸びきった陣形の側面を突くようにして、黒鎧の軍勢が現れた。越前松平勢である。信繁隊のように縦に伸びた軍勢は、横からの突撃に弱い。対応する人数が圧倒的に少ないためである。
「よしっ!」家康は頷いた。「総攻撃じゃ!真田を討ち取れい!」
その言葉に、今の今まで押されていた本陣衆達はにわかに活気付き、真田勢を押し始めた。
赤備は鉋で削られるように減ってゆき、やがて全滅した。信繁は姿をくらまし、水野隊と戦っていた明石全登も討たれた。全登を討ち取ったのは、汀三右衛門という武士だったとされる。
「・・・終わりましたな。」
孫兵衛が肩で息をしながら、家康に向かい小さくつぶやいた。だが家康は首を振った。
「まだじゃ。」
そして、声を上げた。
「茶臼山へ上るぞ!全軍、行軍を開始せよッ!」
***
どうにか境内までたどり着くと、信繁は階段に腰を下ろし、一息ついた。左肩の傷を確かめる。
存外深い。
信繁は空を仰ぐ。騎乗にあって槍を振るっている間はそう辛くもなかったが、気力が徐々に萎えてゆくにつれ、力も抜けていくのが分かる。朱槍を階段に突き立てると、信繁はうめいた。
じりじりと陽光が肌を焼く。夏草の香り。蝉の鳴き声。大きく聞こえてくるそれらの音が、傷に染み込んでゆくような錯覚に、信繁は襲われる。
痛みに歪んでいたその表情が、ふいに締まった。ゆっくりと体を起こす。槍は取らない。いや、正確には、槍を取れるほどの体力は残っていなかった。
寺の脇、草ががさごそと動いた。誰かが歩いているようだ。
やがて草の根を掻き分けてきたのは、一人の若武者であった。緋色の鎧に金飾のついた太刀を佩き、槍は漆を塗った柄が燦然と輝いている。兜は双角の前当てをしたものだ。
その武士はギョッとしたように槍を上げかけたが、信繁が戦意を持っていないことを知ると、ゆっくりと槍の穂を下ろした。
「・・・真田信繁どのとお見受けいたします。」
「いかにも。」信繁は応える。だが声にも力が入らない。「そこもとは?」
「徳川御三家越前守松平忠直が臣、西尾仁左衛門。」
「大御所の血筋の御家来か。」信繁は微笑み、鎧を脱いだ。「手をかけるが、わが介錯を頼めまいか。」
「か、介錯を?」仁左衛門は混乱した。
「わしの切腹の、な。」
「な、何を・・・!」仁左衛門は慌てた。「武将たるもの、一騎打ちにて雌雄を決すべし!拙者はそう存ずるが・・・」
「それも一理、じゃの。」信繁は悠然と鎧を置くと、佩いていた太刀と脇差の鞘を境内に置いた。「じゃがわしにはその力はもう残されておらん。わしの首を獲って、内府殿にお見せすればよい。」
信繁は立ち上がろうとしてまた座り込んだ。はっとした仁左衛門がかけより、肩を貸す。「すまぬ。」と小さな声で言った信繁は、参道を降り、仁左衛門の現れた草葉の脇に腰をおろした。腹をくつろげ、それから仁左衛門を振り返る。仁左衛門は未だ抜かずにいたが、信繁の視線にようやく諦め、腰の金柄の太刀を抜いた。懐紙を取り出し、一度刃をそっと拭う。本来の作法である水がなく、懐紙で清める他になかったのである。
「辞世の句などは?」
信繁の隣に並んだ仁左衛門が尋ねる。信繁は首を振り、それから言った。
「わしの首で、そこもとの武功も上がるであろう。貴殿のご武運をお祈りする。」
そう言ってまた信繁は微笑み、それから脇差をぐっと握りしめ、振り下ろすようにして腹に突き立てた。ぐっと真一文字に腕が動き、信繁はやや前のめりになりかける。仁左衛門はそれを確認し、その首を狙って太刀を振り下ろした。
***
「わしも歳を取ったのぉ。首実検とは、これほどに辛いものだったかの?」
家康は首をごりっと鳴らした。肩が昔よりも重い。身体の動きも、以前よりは鈍くなってきている。当然であった。もはや七十三なのである。
「あと一人でございますれば、ご容赦を。」脇に控えていた本多正純がそう諌めて、それから書類を眺めて、言った。「次の者、入れ。」
陣幕をめくり、一人の武士が入ってきた。緋の鎧に金柄の太刀を佩き、手には首桶を抱えている。
「西尾仁左衛門。越前さま(越前守松平忠直。家康の長男・結城秀康の息子で、家康の孫にあたる)の家士にございます。」
「ふむ。」正純の紹介に頷き、家康は仁左衛門に顔を向けた。
「首を。」
仁左衛門は家康の前まで進み出、桶を置くと、そのフタを開いた。
刹那、検断人の一人があっと声をあげた。
「かの首級こそ、大坂浪人衆一の武将、真田左衛門佐信繁の首にございます!」
おおっ、と一座がざわめく。正純が静めている間に、家康はその首を睨み付けた。
月代をきれいにそり上げ、ひげも切りそろえていた。その表情は驚くほど穏やかで、まるで眠っているかのような、そんな印象さえ受けた。
「この首、そちが取ったのか。」
家康が尋ねる。仁佐衛門は平伏し、「取ったとは申せませぬ。」と言った。
「それでは何ゆえにこの首をそちが持っておる?首級の盗みは武士の風上にも置けぬ行いであるぞ?」
「介錯いたしてござりまする。」
仁佐衛門の答えに、また一座がどよめいた。
「どういうことだ?」
家康が尋ねた。仁佐衛門は平伏のままでボソボソと喋り始める。
「安居神社に入り込みたる単騎を追いて徒歩で登りましたところ、そこに真田様がおられました。某を見ると何か分かったように微笑まれて、某に介錯をお命じになり、自らの首を上様に献上せよと言い残されて、腹を召されました。」
家康はその首をじっと見た。
大坂方最後の精神的支柱。真田信繁と後藤又兵衛こそが浪人衆の中での主将格であり、この戦の策戦を総て任されていた二人である。又兵衛は昨昼に戦死し、今こうして信繁も死んだ。大坂は、もはや、終わる。
「殿。」
正純の声にはっとし、振り返る。
「なんだ?」
「かの者、もう下げてもよろしゅうございますか?」
「ああ。」家康は頷いた。「よい、下がれ。」
仁佐衛門はもう一度平伏すると、すっと体を翻し陣幕をくぐろうとした。
「待て、仁左衛門。」
家康がふいに引き止め、仁左衛門は振り返って膝を落とした。家康は立ち上がって仁左衛門に近づきながら、腰の小柄を抜き取った。
「当面の褒美だ。」家康はそれを仁左衛門に差し出した。「追って別な沙汰もあろう。待っておれ。」
仁左衛門は深く平伏し、両手でその小柄を受け取る。
「・・・ありがたき幸せにござりまする。」
声が、どこか乾いている。家康は溜息をつくと、ひざまずいて口を耳元に寄せ、小さな声で何か囁いた。仁左衛門は目を大きく見開いて、家康を振り返った。家康は、驚いたことに微笑んでいる。
「もったいなきお言葉。」
仁左衛門は震えるように平伏し、それから立ち上がって、急いで本陣を出て行った。
「・・・一体何をおっしゃったのです?」
首検断人たちが下がり、家康が床几に腰をおろしたとき、正純は尋ねた。家康は正純の差し出した水筒を受け取って、言った。
「あの男はまだ若い。しかも相当真摯なようじゃな。若いものにめずらしく、礼儀作法にとらわれておる。」
「礼儀作法?」
「さよう。幸村を殺した(、、、)のではなく介錯した(、、、、)ことがあのものを苦しめておった。」
「それは・・・どういうことでございましょう?」正純は首をかしげた。この男は根っからの吏僚派であり、戦場での槍働きの経験がない。そのため、いくさ人たちの心があまり理解できないことが多かった。
「そもそも介錯というのは武人の誉れを締めるといったもので、敵方の武士にさせる例は非常に少ない。捕虜になった罪人でも、切腹の場合には、介錯人は身内などのことが多い。それを幸村は敵方の武将にさせた。自分が介錯したことによって、幸村の死を汚したのではないかと、あの男は迷っておったのだ。」
「しかし殿は褒美をお与えになった・・・」
「あの真田の鬼がそんなことすら分からぬほど愚鈍な男だと思うか。」家康は正純に水筒を返した。「幸村は殺されるよりも、潔く自ら死ぬことを選んだ。その介錯人が他にいなければ一人で死ぬのみであろうし、そばに誰かいれば、そのものに頼むのも問題はない。むしろその場に人がいるときには、頼まぬほうがおかしかろう。断る方がおかしいと、わしはあの者に、そう言っただけだ。」
家康は床几から立ち上がると、ゆっくり陣幕の裏へ向かっていく。
「大御所さま。」
正純がその背中を呼び止め、家康は振り返った。
「幸村殿の切腹・・・私はどうも気にかかります。」正純は言った。「もしかすると大坂方は、秀頼様を落としなさるおつもりでは?そうなると我々は・・・」
「正純。」家康は陣幕をめくりながら、振り返りもせずに言った。「秀頼はわしの孫婿じゃぞ?」
正純は戦慄した。その背中から発せられる、強烈な殺気に気が付いたのである。それは秀頼に対するものではなく、間違いなく正純に向けられていた。
縫い付けられたかのように呆然と立っている正純をそこに残し、家康は陣幕の向こうへと消えていった。