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耳かき小説

寺での出来事

作者: バスチアン


上方(かみがた)での商いを終えた道中のことだ。普段は街道沿いに帰るのであるが、良い商売を終えて気が大きくなってしまっていたのだろう。立ち寄った宿で、山を一つ越えた村で薬が入用だと聞き、ついつい足を延ばしてしまった。小さな村であったのだが豊作続きだったせいか余裕があったようで、良い値で品を買ってくれた。それですっかり油断してしまったようだった。気づけばすっかり辺りは暗くなり、予定していた宿場にはどうにも着きそうにない。月が上り始めたせいか、山犬だか、狼だかの遠吠えが聞こえる。誰に聞かせるわけではないが弱音が口をつく。

そこでふと思い出す。

商いの最中に聞いた山の中にある寺の話だ。何やら村人からはおかしな名前で呼ばれていた寺。そこなら軒先(のきした)くらいは貸してくれるだろう。

そうと決まればすぐに行動だ。踏み固められて雑草がまばらな道ではあるが、完全に日が暮れればあっさりと見失うだろう。

分かれた道を右に曲がり、六つ並んだ地蔵を通り過ぎる。どんな世間話も真面目に聞いておくものだ。記憶にあった通り、青黒い瓦の山門が夕闇の中からぬっと現れる。

その門を潜れば本堂と講堂。小さなものであるが三重の塔が見える。山中にあるが思ったよりも大きな寺なことに少し驚きを覚えた。

脇にある建物から(かまど)の煙が上がっているのを見て、私はもしと声をかける。

現れたのは作務衣を着た若い僧侶だ。彼にどうしたのかと問われ、私は迷い込んだ旨を伝えると奥へと案内される。どうやらそこは宿坊になっているらしい。

そこでふと思う。三重の塔といい、宿坊といい、山中の寺にしては不釣り合いに立派だ。こんなところに参拝客が多いのかと、失礼のない範囲で聞いたところ意外な答えが返ってきた。

昔、この藩の殿様が重度の難聴を患った際、寺の住職が見事にそれを治したらしい。殿様はそれを多いに喜び盛大に喜捨(きしゃ)し、それが塔や山門にあてがわれた。それ以来、この寺には耳の通りの悪い(つんぼ)の治療祈願に訪れる者が多いらしい。

それを聞き、私は思い出した。(ふもと)の村で呼ばれていた寺の妙な通り名。


『耳掻き寺』


確かそう呼ばれていた。今は住職は留守にしている旨を伝えると、若い僧侶は宿坊へと案内する。ゆうに10人は寝れそうな広さの部屋の隅に親子連れの母子が一組。その横には(むしろ)が山になって積まれている。それを見ると普段はもっと多くの参拝客が訪れていることが見て取れた。


幾ばくかの心づけを渡し、しばらくすると(かゆ)が運ばれてくる。粥は思ったよりも米が多く、白い沢庵漬けが添えてある。先ほどの村でも思ったが、やはりこの辺りは余裕があるらしい。普段は神仏に祈ることなどない私であるが、こういう時くらいは御仏の導きに感謝する。

沢庵漬けをポリポリと(かじ)りながら粥をすする。腹の中から温まるとすっかり心持も良くなり、うとうととしてくる。食器を下げに若い僧侶が入ってきたのはそんな時だった。

椀を片付ける僧侶に私は感謝の意を伝える。少々多めに心づけをしたからか、それとも彼の性質なのか、若い僧侶は薄く微笑みながら片づけを終える。そしてしばらくして部屋に戻ってきた。

手には浅黄色の包み。それを持って母子の方に近づいていく。腹も()ちてぼんやりと眺めていると若い僧侶は筵を敷き、その上で正座する。膝の上には童子が頭を乗せていた。

浅黄色の包みが開くと、中から細い棒が出てくる。材質は竹。囲炉裏(いろり)の煙で燻された茶色味を帯びた煤竹(すすたけ)だ。先端が薄く、(さじ)のように広がっている。それが僧侶の白い指に摘ままれると、そっと膝の上にいる童子の耳の中へと差し込まれていった。

それを見て『耳かき寺』という名を再び思い出す。なるほど、本当に耳掃除をするのだな、と変なところで感心する。

膝の上の童子は耳の穴に耳かき棒が出入りする度に心地よさそうに息を吐き、身じろぎする。その姿に右耳の奥が(かす)かに疼いた。耳の掃除など幼少のみぎりに母にしてもらった以来で、大人になってからはとんと記憶がない。耳の穴を他人に触られるなど、普段なら恐ろしいと思うものだが、童子の心地よさそうな様子を見ているとつんつんと好奇心が刺激される。


声をかけたのは童子の耳掃除が終わったすぐ後だった。耳の通りが良くなったのか、母親はすっかり喜んでいる。その間を見計らって僧侶に控えめに尋ねた。自分も施術を受けることが出来ないかと言うと、僧侶は少し驚いた風であったが、すぐに快く応じてくれる。どうやらここでも心づけが効いたらしい。

促されるままに私は僧侶の膝の上に頭を乗せる。細面(ほそおもて)の優男なのだが、普段から山で過ごしているからだろう。みっちりと肉の詰まった筋肉質な足だ。その上に光沢のある敷布(しきふ)が敷かれている。私は衆道(しゅどう)の気はないのだが、意外と乗せ心地は悪くない。僧侶の施術を告げる声に返事をすると施術は始まった。


耳たぶに触れた手に力が込められ軽く引っ張られると頭の奥が微かに痺れた。帆のように張った耳介に耳かきの先端がつんと触れる。痛みを感じるのだが、不思議と不快ではない。そのまま耳の外側をぐるりと半周すると、ずるずると音をたてながら垢が掘り起こされていく。それが3回繰り返されると血流が良くなったのだろう。耳の外側がじんわりと熱を持っていくのを感じた。

それが終わると耳かきは穴の淵に触れる。入口の浅い部分に匙が(こす)られるとコリコリと音がした。時おり耳が痒くなり指を突っ込むことはあるが、その部分は自分では触ったことがない部分だ。僧侶は案外浅い部分に垢が溜まるのだと説明する。

なるほどこんな部分は自分では掻いたことがないし、太い指では掻くことが出来ない。匙が穴の浅い部分は掻くたびにカリカリと子気味の良い音がする。それが引っ掛かりを覚えたかと思うと次はバリバリと砕ける音がした。それがあまりに大きな音だったので、思わず声が出る。それに耳掃除をする僧侶も驚いたのか、どうしたものかと声をかけてきたので、少し気恥しく思いながら大丈夫だと返事をした。

僧侶はやんわりとした声で痛ければ声にして言ってくれというものの、先ほどの童子が黙って掃除されていたことを考えると、大の男が声を上げるというのはどうにも気が引ける。そもそも痛みなど全くなく、むしろ耳を触れれるという行為は存外に心地よいものなのだ。私は僧侶の心遣いにだけ感謝して首肯した。


再び耳かきの匙は私の耳孔に忍び込む。ずるりずるりという感触とともに垢が体の外へと運び出されていった。その音があまりにも大きな音なものだから、僧侶にそれほど汚れているのかと尋ねると、若い僧侶は笑って懐紙(かいし)に盛った耳垢を見せてくれた。白い懐紙の真ん中には黄色い塊がいくつも置かれている。その塊のひとつひとつが思った以上に大きなものだから、私は呆れのあまり大きなため息を吐いた。とはいえ、僧侶の言によれば、私の耳はまだまだ綺麗な部類らしい。

ならば気にするほどのこともないと自分を納得させ、私は再び耳の穴を這う感覚に身を任せる。

僧侶の手首が(ひるがえ)り、耳かきの先端がくるりと回ると、ザリザリと音が鳴り耳垢が掘り起こされていく。そうして崩れた耳垢の壁を匙の先端が丹念に撫で上げ、溜まった耳垢を刷き出していく。


そうしてあらかたの垢を搔き出したのだろう。僧侶は懐紙をもう一枚取り出すと、隅を摘まんで細長く千切り、さらにクルクルと(よじ)っていく。(ひも)のような軸の先は開かれたまま。出来上がったのは一本の紙縒(こよ)りだった。

それが私の耳穴の中にすぅっと忍び込む。紙縒りの先が耳の毛にでも触れているのだろう。チリチリとした擦過音とともに何とも言えぬもどかしさを感じた。しかしそれも最初だけだ。軸が指の腹で耳の中をかき回すと、頭から指の先まで快美感が(はし)り抜けた。砂塵が舞うような音が止むと同時に痒い部分が刺激され、もどかしさが解放されていく。耳の通りも良くなり、先ほどよりも僧侶の声が良く聞こえる。その見事な腕前に感嘆の声を上げると、若い僧侶は遠慮がちに住職と比べればまだまだだと答えた。どうにも不在の住職というのが、この藩の殿様の耳を掃除するために寺を離れているらしい。他にも堺の豪商などがこの寺に足を運ぶと聞き、私は驚嘆した。

『耳かき寺』

その名の通りの寺のようだ。


翌朝、心身ともに軽やかになった私は寺を後にした。

この辺りは裕福なようだが来年も豊作とは限らない。もう一度訪れるなら年内だろう。頭の中で算盤(そろばん)を弾きながら、私は知らず知らずの内に自分の耳を触れていた。



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