弐:竜胆華宵の憂慮
「いらっしゃい、昨日の今日で来てくれたんだね」
「おじゃまします」
自室に通すと彼女は不安そうにキョロキョロとし始めた。
来客用の椅子を置けるほど広くはない部屋なので、とりあえず間に合わせの座布団を敷く。彼女がその上にちょこんと正座したのを確認して私もベッドに腰掛けた。
茶菓子でも用意できればいいのだが、生憎我が家にそのようなものは無い。
「で、今日はどうしたの?」
「あ、あの、今日は竜胆さんが学校に来られていなかったので、何かあったのではないかと、し、心配になってしまって……」
「なるほど……」
彼女は私のことを思って訪問してくれたようだ。
しかし、ここで私は首を傾げる。
「なんで私が学校を休んだって知ってるの?」
「それは……だって、私と竜胆さんは、学部が、お、同じですし……」
「マジで?」
眼前の少女と私が同学部だと。すなわち、この一週間、同じ教室で同じ授業を取っていたということになるのだが。
「今更なんだけど、お名前を伺っても?」
「日野薊、です」
ひの、あざみ。頭の中で名前を反芻するが、聞き覚えが有るような無いような……。
点呼で出席確認を行う授業もあるのだが、自分と出席番号の近い人の名前しか記憶に残っていない。
級友を存じ上げないというのも大変な失礼に値すると思って、とりあえず惚けておくことにする。
「ごめんごめん。日野ちゃんね、思い出したよ」
「…………」
少女、改め日野ちゃんは何か言いたげに黙りこくっている。その目元は前髪に覆われて見ることがかなわないが、恐らくジト目をしているのだろう。
どうにも居心地が悪くなった私は、誤魔化すように口を開く。
「今日は何かあったから休んだんじゃなくて、むしろ何も無かったと言いますか。明け透けに言うと夕方まで寝てた」
「そうだったんですね……」
日野ちゃんは安堵したように胸をなでおろす。しかし一転、部屋に散乱する空き缶を視界に入れると、困ったような声音で呟いた。
「昨日買ったお酒を全部は、の、飲みすぎだと思います」
「だよね~」
先日の誕生日を機にアルコール飲料を嗜むようになった私だが、どうやら酔いには強いようで、空気のように酒が身体に収まってしまう。
「お身体に障りますから」
日野ちゃんは両の手を胸の前でそわそわさせている。
優しい子だなぁ。
この子に免じて、お酒は控えるようにしようかな。一週間に一本くらいで。
それから暫く歓談に耽った後、私のお腹の虫がぐぅーと鳴いた。そういえば起きてから何も口にしていない。
「ねえねえ日野ちゃん、どこかにご飯食べに行かない?」
「あ、それならっ」
私が夕食の誘いをかけると、日野ちゃんは持ってきていた手提げから保温されたタッパーを取り出した。
中に入っているのは────肉じゃが?
「竜胆さんが体調を崩してたら、って思って、つ、作ってきたんです」
「へぇ、美味しそう……」
香り立つ湯気が鼻腔を擽る。醤油の中に仄かに感じるのは梅だろうか?
「アレルギーとか、大丈夫ですか?」
「食べ物は無いから大丈夫。それで、いただいちゃっていいの?」
「もちろんですっ」
日野ちゃんは献上するように肉じゃがを差し出してくる。私も恭しく受け取る。
冷蔵庫に入れておいた白米を温めて食卓に並べると、日野ちゃんが何やらそわそわとし始めた。
「どうしたの?」
「私の分も、ですか?」
「うん、日野ちゃんも一緒に食べよ」
「あ、ありがとうございます!」
「いやいや、こちらこそありがとうございますだよ」
お互いにペコペコ頭を下げながら食卓を囲む。なんだか可笑しくって笑ってしまう。
口の中でほどけるほど柔らかくなったじゃがいもと肉が美味しい最高の一品だった。
私のために毎日作ってほしいなと冗談めかして言ったら、日野ちゃんは顔を真っ赤にしていた。可愛い。
日野ちゃんに手伝ってもらいながら土日を引っ越し作業に費やし、明くる月曜日。得難い友人を手に入れた私であったが、彼女がいないときは相変わらず個人行動である。
しかし、何故だろうか。今日はやけに視線を感じる。
噂話でもしているようで、声のした方へ視線を向けると黄色い悲鳴があがった。
首を傾げつつ講義室に足を踏み入れると後方端の席に見慣れた黒髪セミロングが座っていた。
「おはよう、日野ちゃん。隣いい?」
「あ、お、おはようございます。だ、ダイジョブです」
朝からあわあわとしている日野ちゃんに苦笑しつつ、彼女の隣に腰を下ろす。以前聞いた話ではあるが本当に同学部だったらしい。
予習した? 大学の講義って難しいよね、など日野ちゃんと話していると、またしても視線を感じた。
出所は教室の前方。幾人かが振り返ってこちら────厳密には私を見ている。
「なんか凄い見られてる気がする。今日の私おかしいところある?」
「い、いえ、ないですけど────」
キーンコーン。
日野ちゃんが言葉を紡ぎ終える前にチャイムが遮る。教授が登壇したことを確認して私たちは口を閉ざした。
それから恙なく講義は終了し、お昼を迎える。
隣に座る日野ちゃんにランチの誘いをかけようとしたところで、私の頭上に影が落ちた。
「あの、竜胆さんですよね。お昼ご飯一緒に食べないっすか?」
「……んー?」
声をかけてきたのは良くも悪くもザ・大学生といった風貌の男女混成グループ。どこかで見たことがあるような顔ぶれなので、恐らくは同学部の人たちだろう。
誰の物とも知れぬ香水の匂いが鋭く鼻を突いた。
「日野ちゃんと一緒なら行ってもいいよ」
「あっ…………」
私が日野ちゃんの名前を出すと、場が妙な沈黙に包まれた。
「日野ちゃん?」
「わ、私は用事があるので、竜胆さん行ってきてください」
「そうそう、日野もこう言ってるし、ね?」
私は日野ちゃんと一緒に食べたいんだけど。しかし、頑なに会食を勧める日野ちゃんに私が折れる形になる。
講義は午後にも入っているため彼女と会う機会はまだあるのだが、私の胸の内に蟠りが生じた。
食堂へ赴く道中。特に面白い話はなく、各々が食べたいものをトレーに乗せてテーブルを囲む。
「華宵ちゃんとご飯食べられるとかマジで光栄だわ〜」
いきなりファーストネームで呼ばれ、その距離の詰め方に瞠目する。私はまだ君たちの名前すら知らないのだが。
私の名を口にした金髪男に視線を遣ると、彼は言葉を続けた。
「華宵ちゃんに話しかけてみたいなぁって思ってたんよ」
「そうなの?」
疑問を口にすると、私の右隣に座る茶髪女子が追従する。
「そうそう。でもでも、ずっとマスク付けてたし、講義が終わったらすぐに帰っちゃうから話しかけにくかったんだよね」
「なるほどね」
マスクは花粉症対策だ。花粉の季節も終わりを迎えた今日からは外しているが。
授業が終わって早々に帰宅していたのは引越しに際する荷物の受け取りがあって出来るだけ家に居たかったから。
まさかそれらの態度が知らぬところで威圧感を与えていたとは。
「いやー近くで見るとますますヤバイわ」
「マスク取った方が美人ってズルくない?」
「あー……」
男子は興奮したように、女子は憧憬を抱くようにキラキラとした瞳を向けてくる。私は居心地が悪くなって、曖昧な笑みを浮かべながらご飯を口に運ぶ。
彼女らの言うことが事実なのであれば思い当たる節がある。今日、やたらと観衆の目を引きつけることにも起因するであろうことだ。
中学、高校と環境に変化が無かったせいで長らく忘れていたが私は世に言うところの美人であるらしい。否定する要素を持ち合わせていないため、そのことについて卑下も謙遜もしない。
しかし、私は見た目を褒められることに内心で渋面をつくる。得てして私の容姿を目当てに近づいてきた人間に碌な者はいなかった。
今も諂うように私を持ち上げる彼らを見ていると……申し訳ないが、距離を置きたくなってしまう。
私は勝手に盛り上がっていく会話に適当な相槌を入れつつ、掻き込むようにして食事を終える。
「ごめん、用事を思い出したから先に行くわ」
「えー?」
一言断って離席し、そのまま食堂をあとにする。少し気を悪くしたから逃げ出すなんて子供みたいだと自嘲しながら歩く。
次の講義まで纏まった時間がある訳では無いので先に教室に入っておくことにする。そんなことを考えながら講義棟をぼんやり眺めていると、空き教室に座る少女────日野薊の姿を認めた。
ちょっとばかし驚かせてみようと背後から足音を忍ばせて近づく。
「おーい、何してんの?」
「り、竜胆さん!?」
日野ちゃんはビクリと肩を震わせると、慌てたように何かを隠した。
振り返ってこちらを見上げる彼女の目元はやはり前髪に覆われて見えないが、口元に米粒が付いている。
わたしは自然と口が綻ぶのを感じながら、日野ちゃんに顔を近づけた。
「ひーのちゃん」
「な、なんでしょう」
「ご飯粒付いてるよ」
「ど、どこですか?」
指摘されたことに頬を紅潮させた日野ちゃんの口元に手を伸ばし、ひょいとそれをつまみあげる。私はそれを自らの口に運び────こむことなく、ポケットから取り出したティッシュに包む。
「お昼ご飯はもう食べたの?」
「は、はい。一応は……」
日野ちゃんは懐から食べかけのおにぎりを取り出した。先ほど慌てて隠していたものはそれだろうか。
「そういえば用事ってやつは終わったの?」
「えっと……その────はい」
「そっか」
日野ちゃんの頭を撫で回す。
────彼女が何かを隠していて、嘘をついていることは理解している。私を食事に誘ってきた彼らと共に居ることを嫌がって、ここで独り、ご飯を食べていたのだろう。この子は嘘が下手すぎる。
だが、彼女は何も言わない。出会って三日かそこらの私だと心を開けてはいないのだろう。
「講義室いこっか」
「は、はひ!」
日野ちゃんは口におにぎりを押し込んで元気な返事をする。
これが強がりではないことを私は祈ることしかできなかった。




