第3話 婚約者
私はいつも思っていることがある。
なぜ貴族には、生まれたときから婚約者がいるのかと。
*
「さて、今日の会談は確かバンデック侯爵だったか」
「その通りでございます。お嬢様、同じ東部を守護する者ですな」
バンデック侯爵は私――スェルツ侯爵と同じ、東部諸侯のリーダー的存在だった。今ではツヴァルスミュット王国の東部の唯一の重鎮と言える。
今日もまた普段は着ない、対外用のドレスを身にまとう。しかも、前回とは違うドレスだ。侯爵家たる者、大公たる者、同じドレスは着られない。スェルツ公国は金持ちなのだ。
「お似合いです、お嬢様!」
「三日前にも聞いたぞ、その言葉」
「何度でも言いましょう! お嬢様は大変美しいと!」
こいつはまったく。
後継者も育てずにそのようなことばかり言う。
クレトンと戯れていると、扉が叩かれた。
「バンデック侯爵がお見えになりました」
「客間へ」
「かしこまりました」
クレトンとの戯れはここまでのようだ。
こいつもさっさと後継者を定めてしまえばよいものを。
そうすれば隠居するなりなんなりして、ゆっくりできるのにな。私には理解できない、仕事にやりがいを見出すタイプの人間だ。
「ようこそ、バンデック侯爵……それからカイン殿」
「これはこれは、大変お美しくなられた。スェルツ公がお元気そうで、何よりだ」
バンデック侯爵が私に微笑み、カインが顔を顰める。
カインは私の婚約者だ。生まれた時から決まっており、ツヴァルスミュット王国の東部を守る者として、関係を深めるために婚約したそうだ。クレトンからそう聞いている。
「フリージア、その……」
「婚約を破棄するか? カインが望むなら、私は構わない。どうせ、その話をしに来たのだろう?」
私がそう問いかけると、カインは伏目がちに私を見た。
「その通りだ。帝国はこれから混乱する。帝国が併合していった国々も、混乱期を迎えるだろう。そして、難民が王国東部に駆け込んでくるのは目に見えている」
バンデック侯爵がため息を吐いた。
「私が、スェルツ侯爵家が公国となってしまったことで、王国の支援を受けられないまま、難民を受け入れるしかなくなってしまった。だから婚約破棄をし、これから混乱に巻き込まれるであろうスェルツ家と縁を切る」
実に合理的だ。婚約破棄をすることでバンデック侯爵家の名にも、傷が入るかもしれない。しかし単独ではないものの、スェルツ侯爵家の支援もしつつ自分の領地にも流れ込む難民の相手をするのは無理難題だ。
だから、巻き込まれる前に縁を切る。
それに、この難民の波に、スェルツ家が耐えられるかどうかわからないのだ。きっとバンデック侯爵の中では、スェルツ侯爵家はこの難民騒動で荒れに荒れてしまうと予想しているのだろう。
私がバンデック侯爵と同じ立場なら、そうしていたかもしれない。
「しかし父上! それではあまりにも――」
「お前がスェルツ公に懸想しているのは知っている。だが、こればかりは無理だ。愛で政治を歪めるなよ」
「……はい」
カインが唇を噛む。
……マジか。
カインに惚れられているのか? こんな女のどこがいいのか。私にはさっぱりだ。もっと女の子らしい、貴族の子女らしい者はほかにありふれているというのに。
「では、婚約破棄ということでよろしいですか?」
「申し訳ない。ただ見捨てるというのも後味が悪いのも確かだ」
そう言いつつ、バンデック侯爵が引き連れた執事に目線を送る。
相手の執事が前に出てくると同時に、クレトンも動いた。
「スェルツ侯爵家は魔封じの宝玉を集めているという。ただ、さすがに魔封じの宝玉は我が領地にも少ないのでな。代わりと言ってはなんだが」
2Lペットボトルが2本ほど入りそうな箱の蓋を開け、クレトンが驚愕に目を細める。
箱から出てきたのは、青色の宝玉だった。
赤色の宝玉は言わずと知れた、魔封じの宝玉だが。
青色の宝玉は精霊の宝玉という。
魔力が宿っているわけではないのだが、自然の中で極稀に発見される、魔力を持たない物質の中では一番高価な物だ。
私もこれに関しては研究を進めているのだが、中々解明が進まない。
「これを頂けると?」
美術品としては最高品。ある界隈では、魔封じの宝玉よりも高値が付くとも言われるのだ。
「そうだ。金はいくらあってもいい。買い手がいくらでもいる精霊の宝玉は、あればあるだけ安心だ」
「ありがとうございます。これだけでも、心強い」
「気にするな。それでは、これにて失礼させていただこう」
「はい。お気をつけて」
私は客間から出て行くバンデック侯爵の背中を見つめる。
婚約するほど家同士の仲は良かったのだ。これは、餞別なのだろう。
「フリージア。僕は諦めない」
それだけ言って、カインも出て行く。
「いやぁ、このクレトン、青春を思い出します。甘酸っぱいですなぁ」
遠い目をするクレトンを置いておき、私は精霊の宝玉を研究科へ持っていくよう指示を出した。サンプルはいくらあってもいい。
*
数日後、密偵から報告が上がった。
「皇帝一族の死が、帝国の支配地域すべてに行き渡ったようです。各地で国民や貴族が蜂起しており、中には王を名乗る者もいるだとか。なかなか混沌を極めておるようです」
「そうか。隣国はどうだ?」
「隣国――ガバオヴァール王国のことでしたら、すでに王族はすべて処刑されております。現在は元王国貴族たちによる議会が設置されているようです」
貴族たちによる議会制、みたいなものが生まれるのか?
もし発展し、議会制民主主義が生まれれば、この世界で初めての民主主義だ。
「難民は?」
「現在確認されておりますのが、およそ二千。現在国境のリューレン門にて足止めしているとのことです」
我が公国と元ガバオヴァール王国を行き来できるのは、一つの道しかない。
それがリューレン門だ。
東側の国境はすべて山で囲われており、唯一開かれた場所が切り立った谷なのだ。両サイドに巨大な壁があり、これを登ることは不可能と言われている。
そのため、両国を移動するにはその唯一の道を通って来なければならない。
山を踏破するという方法もあるにはあるが、訓練もされていない普通の人間が突破できるほど、自然の山は優しくないのだ。
「ふむ。確か南部にいる者たちから、土地と種と道具があるのに、人が足りなくて畑を増やせないと願いが届いていたな」
「はい。彼らの下へ向かわせますか?」
「そうだな、三百人ほど向かわせればその問題は解決するだろう。あとの者たちには、開拓団となって未開拓地を開拓してもらおう」
「かしこまりました。では、そのように手配いたします」
「頼んだぞ」
クレトンがケータイでポチポチすると、顔を上げる。
クレトン、タイピングめちゃくちゃ早いんだよ。
「では、そろそろ夕食にいたしませんか?」
外を見れば、太陽が沈みかけている。これから夜がやってくるのだ。
*
「この地がスェルツ領……」
修道服を着た老齢の男が、リューレン門を抜け、町に入って放った第一声がそれだった。
「む?」
あれはなんだ? と目を細めれば、太陽神以外の教会が多く建っている。
「なぜだ! この地は、ツヴァルスミュットは太陽神を信仰しているのではなかったのか!」
「ん? あんた、難民か?」
男の声に反応した町人が振り返った。
「いかにもそうだが」
「ならしゃーねぇ、教えてやるよ。――スェルツ公国では、何を信仰してもいいんだ。もちろん、太陽神を信仰してもいい。だが、俺は違う。俺は太陽神と愛の神を信仰している。なぜって? そりゃ、これからプロポーズするからさ! あばよ!」
身なりを整えているのはそれでか、と男は眉を顰める。
「ありえん。あの者は公国と言っていたな。スェルツは変わってしまったのか。評議会に連絡しなければ――」
またちょくちょく更新していければと思います……!