第5話
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
エドガーに連れて行かれたのほど『萬屋』と書かれた看板の下の、いかにも古臭い装いの店だった。
「おーい、アメト。いるか?」
エドガーが大きな声で薄い紗のカーテンの向こう側へと声をかける。
その隣で店の中を覗き込もうとひょい、とカーテンを持ち上げれば、お香だろうか、何かを焚きしめたいい匂いが漂っていた。
「大きな声出さなくても聞こえてるわよ、アンタの足音うるさいもの……アラ?」
紫色のカーテンの向こう、店の奥から出てきたのは夜色のローブに身を包んだ背の高い、額に角の生えた人だった。
その人はアガットを見るなり目を丸くしてからエドガーと交互に見やってから、深く溜息を吐いてからやれやれと頬に手を当てた。
「ちょっとエドガー。隠し子?」
「なんでそうなんだよ!」
「いやぁでも、そんな小さな子にフルフェイスメットにアーマーだなんてちょっとやりすぎよ?重戦士にでもするつもり?」
「あの」
二人のやり取りに口を挟むのは如何なものか、と思ったけれど、いつまでも話が進みそうになかったので、無作法とは知りつつも声を上げる。
「貴殿がこの店の店主であろうか」
「あらごめんなさい騒がしくて……そうね、エドガーの隠し子じゃないわね。こんなに礼儀正しいもの」
「どういう意味だゴラァ!」
がなるエドガーを放っておいて、店主はアガットに向き直る。
「それで、エドガーが連れてくるということは、あなたがこの店に用があるのよね」
フルフェイスメットにアーマーという出で立ちを上から下まで見てから、角のある店主はにっこりと微笑んだ。
「いいわ。エドガーの紹介なら信用出来るし。初めまして。あたしがこの『萬屋 リンデンバウム』の店主のアメト」
額から生えている角は綺麗な乳白色をしており、ねじれもなくつるりとした感触が窺える光沢をしていた。
髪の色は薄い銀色で、ともすれば紫にも見えるような不思議な色彩だった。前髪は角を避けて左右に流されており、形の整った柳眉の上で切り揃えられ、真っ直ぐに長い髪は背中の中ほどまで伸ばされており、先の方で緩く三つ編みにして紺色のリボンで結んである。
その前髪の下の瞳は、紫色と黄色のヘテロクロミア。
肌は雪のように白く、きめ細かいのがそんなに近付かなくてもわかる。
しかし、どんなに美しくても、この人に胸はなかった。絶壁かな、と失礼な事をアガットが思っていると、アメトがにっこりと笑いながら首を傾げたからすっと視線を額の角へと移した。
「有角人種が珍しいかしら」
「……初めて、見ました」
「あらそう、素直。…王都から来たのかしら」
「はい。僕の名前はアガット=シーデーン。陛下の命で、北海のドラゴンの退治を、命じられました」
「はぁあ?」
「竜退治って、マジかよ!?」
さっきまで、アガットに対しては丁寧な態度を崩さなかったアメトが、初めて声を荒らげた。それに乗じてエドガーも信じられない!と声を上げる。
「竜退治っていやぁ……何代か前の王の治世の時に現れた邪龍を倒した勇者様くらいしか成功してねぇんだぞ?」
「そうよ、それに北海の竜って、あんた千年は生きてるエンシェントよ?こーんな細っこい子供が挑んで勝てるはずもないわよ、……それにあんた、精霊の加護がないじゃないの」
ずい、と顔を近寄せてきてメットの目の部分をカシャン、と持ち上げられる。
「あらまぁ。綺麗な紅玉眼」
「……その、紅玉眼というのは、なんだろうか」
「知らないの?……そうね、お話するにしても立ち話だとなんだし、奥へいらっしゃい。エドガーも」
入口に立ったままだった二人を連れ立って、アメトは先に店の奥へと入っていく。
店の陳列棚には摩訶不思議なものが沢山置いてあって、場合が場合でなければアメトを捕まえてあれこれと聞いて見たかった。
それだけ、アガットには見たこともないものばかりが並んでいたのだ。
◇
店の奥のテーブルには、3つの椅子が用意してあった。
そのうちの一つにエドガーが遠慮なく腰を下ろす。アメトはお茶の用意をすると言ってさらに奥へと入っていくのを見送ってからエドガーの隣の椅子に腰掛ける。
ガシャン、と鎧が擦れる音がして、は、と気付いてから兜を脱いで無作法だろうと思いつつもテーブルの上へとそっと下ろす。
「ほー、本当にまだ子供だな、坊主」
「……あぁ。今年13になった」
「まだほんとに子供じゃねぇか…王様は何考えてんだかなぁ」
「何も考えてないのよ」
銀製のトレイを持ち、その上にいい匂いのするお茶の入ったティーポット、カップを三つにクッキーだろうか、菓子の入った籠を持ってアメトが戻ってきた。
「あら、兜を脱いだ方がいいわよ。フル装備したままだとあなたに親切にしたくても親切に出来ないわ、見た目が堅苦しくて話しかけられないし」
アガットには顔を隠したい事情があったが、王都を抜け出てしまえば自分の存在はさほど知られていないのだろう。顔を晒してもエドガーとアメトは何も反応をしない。
「さて、何から話しましょうか」
優雅に微笑むその顔は、何処と無く怒っているようにも見えて背筋がひゅっとした。
「王の、勅命により、北の海に棲みつく龍を殺せ、と」
「一人で?」
「……あぁ」
湯気を立てるカップを目の前に置かれて、アガットはそっとそのカップを持つ。
邪魔だからと篭手も外していたその手を見て、アメトは目を細める。
エドガーは慣れたもので茶菓子のクッキーを一つ手に取りぱきり、と小気味の良い音を立てて齧っていた。
「まずはドラゴンについて話しましょうか」
「お願いします」
頭を下げると、アメトは驚いたように目を丸くしてから冷え冷えとする雰囲気を引っ込めて、苦笑した。ふ、と和らぐ空気に密かに息を吐き出す。
「ドラゴンには、大まかに分類して、ワイバーン、レッサードラゴン、エルダードラゴン、エンシェントドラゴンの4種に分けられるわ。ワイバーンをドラゴンとするかは正直微妙ね。飛竜種の小型のものはあまり頭が良くないの。でも、翼竜は別物。彼らはレッサードラゴンになるわ。
レッサードラゴンになると、知能が高く鱗も頑強、種族によるけれど様々な属性のブレス攻撃は苛烈で、人間なんて骨まで残らず焼き尽くされたり芯まで凍って砕け散ったり、人智を超える力ね」
「ってー事は、氷海の主だから水と風二種の属性持ちで氷のブレスって事か」
エドガーがしたり顔で頷くのを見てアメトは眉を寄せる。
「そうね。それと……エルダードラゴンは齢千年を超えるとされている竜で、彼等の知能は賢者と同等」
「けんじゃ……」
アガットが一人呟いて、視線を落とす。
母は確か、『大賢者』の称号を得ていたはずだ。王妃に収まる前、勇者と魔王討伐へと向かい、その勅命を果たしそれから、父の妻に収まった。
共に旅をしていた勇者と恋仲であった、と伝えられていたが、真相は母が死んでしまった今、父と、その勇者しか知らない。
「人語を操る様になるのは、エルダードラゴンから。彼らは五百年を生きた竜が龍となり、更に千年を生きるとエンシェントドラゴンとなり、地方によってはそれを神と崇めるところもあったわ」
「神」
「そう。強大な力を持つエンシェントドラゴンは、総じて天変地異をも引き起こしかねない強い力を持ってるの。だから崇めて、縋る。宗教なんてそんなものよ」
「……王都では、女神教が信仰されていました」
「あの女神あたし嫌いなのよね」
「……へ?」
「お高くとまってるし男に媚びてるし。しかも美男子だけ!そういうのほんっと嫌だわ」
ばん!と机を叩いたアメトに目を丸くする。
「アメトのやつ、女神に嫌われて祝福されてないんだ」
「……祝福」
「ああ」
「エドガーはされてるわよね。顔もいいし男だから。女神の祝福って言って、与えられる『能力』が増えるのよ。13歳で祝福を受けて、その際に与えられるのだけれど…基本は男にしか与えられない。だからそうね、冒険者の詰所は見たのよね?」
「はい。登録もしようかと思ったところで、馬泥棒に遭いました」
「……あらまぁ」
「なんつーか、災難だよなぁ」
「それでほっとけなくてここに連れてくるアンタはお人好しよね」
ソーサーに置かれるカップは陶磁器で、王都でも高級品の扱いを受けているものだった。
「アメトさんは、その、祝福をされてないということは、恩恵がないのですか」
自分は嫌われたが最低限は貰えたのに、と恐る恐る聞いてみれば、アメトはその不思議な色彩の瞳を緩ませて笑った。
「別の神様から貰ったわ。あんな女神、信仰してるのは人族だけだもの」
「有角人族には、別に信仰している神様がいるんですか」
「そうよ、その話もしちゃいましょうか」
「手短に頼むぜ、アメト」
「はいはい。脳筋にも分かるように言うわね」
「あぁ!?」
くすくすと笑うアメトに、これが日常なのだろう、とアガットはこっそりと笑って出されたクッキーをひとつ摘んだ。
それは懐かしい味がして、アガットはそっと溜息を漏らした。
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