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海際に沈む月  作者: 東雲カフカ
1/1

出会い1

海の見える街で僕が彼女と過ごした時をここに記そうと思う。

今まで生きてきた十五年間で一番濃い一年を。

僕一人では考えも出来なかった一年を。

彼女との最初で最後の一年を。


春。卯月。

僕の心は希望で満ち溢れていた。

桜の季節は過ぎ、微かに残っていた桜の花びらもどうやら諦めがついたように、儚げに散っていた。

空は高く澄み、雲はまるで春になって不要になったコートの中から飛び出してきた綿毛のようだった。

春風が連れてきた潮の匂いが鼻を擽る。潮の匂いなんて今まで嗅いだことなんかないけれど、多分こんな感じなのだろうと想像していた。

その時初めて、悟は実家から遠く海の見える街まで来たのだということが実感できた。

幼い頃から海を見たことがなかった。テレビ越しでなら数えきれないほどあるが、画面越しの海はいつも物足りない気がしてならなかった。父親の話によるとほんの一歳の時に家族で来たそうなのだが、幼稚園の頃の思い出もあやふやなのに、そんな小さい頃の話を覚えているわけがない。

だから、悟にとって今日が初めての海であった。

そして、彼女との出会いの日でもあった。


その日は、南杜波町に来て初めての日曜日だった。

引っ越しの手続きや、荷物の整理、ご近所回りでゆっくりと町を散策することも出来なかったから、やっと解放されたという晴れやかな気持ちとまだ知らない土地に期待するワクワクともふわふわとも言える感情が入り交じっていた。

まず最初は近くのスーパーやコンビニの下見だった。食料の確保は今も昔も変わらず大事なことだ。幸い、コンビニは徒歩四分の所にあったし、品揃えも地方都市の外れとは思えないほど豊富だった。

ただ、駅から離れたところにあるスーパーが、遠い。

独り暮らしのことを考えると自炊は必須だが、徒歩二十分は中学時代帰宅部の身としては、辛い。どこかで中古の自転車でも売っていないだろうか。

駅前はさすがに栄えていて、商店街はもちろん赤と黄色のハンバーガーショップをはじめ、色々な飲食店、雑貨店が軒を連ねていた。ステーキ屋から漏れる香ばしい香りに、引っ越し祝いに帰りにここで食べよ、自炊は明日からでいいよねと僕もまた怠惰な心が口元から漏れていた。

僕の借りている部屋は駅の北側にあり、少し上り坂になっている。ベランダから外の景色を眺めると広大な海が見える。駅から海までは緩やかな大きな一本の下り坂になっている。自転車で誰かを後ろに乗せてブレーキいっぱい握りしめて、ゆっくり下っていきたい感じがする。そんな下り坂だ。

その坂をずっと下ると、灰色と白の中間色と群青が見える。

そのちょっと手前にあるレトロチックな喫茶店で昼食を取る。この店はこの一週間で何回も訪れたことのある場所だ。朝食と昼食は大体ここで済ませていた。というのは、ボリュームもあり美味しい上に独り暮らしの学生に優しい価格だからだ。お気に入りはベーコンレタスサンドとコーヒーのセット。

店に入ると夕方近いからなのか、客はそんなにいない。カウンターにはサングラスをかけた強面イケメンのマスターが立っていて、

「おー、悟くんじゃない。いつもご贔屓に」

と、皿洗いをしながらほほえみかける。

「いえいえ、安くて早くて美味しいですから」

「うちは牛丼屋じゃないんだけどね。で、またいつもの?」

「そうですねー、またいつもので」

と、さも常連客のように言ってみる。すると、

「いやー、悟くんもうちの常連客じゃん。あの薬が効いたかな?」

え、マスターに常連客認定されるのは嬉しいけど、あの薬?ちょ、え?

「嘘だよ。嘘」といって、マスターは白い歯を見せる。

マスターはそう言って笑うが、その容姿だと笑えない!

そんな他愛ない話をしているうちに「いつもの」が出てきた。僕はそれにかぶりつく。いい感じに焼けて香ばしいベーコンと新鮮なレタスのシャキシャキ感が心地いい。

僕が食べ終わる頃、マスターが唐突に聞いてきた。

「そーいえば、荷物整理、終わった?」

「えーまぁ、生活出来るくらいには」

「あのね、うちに要らなくなった自転車があるんだけどさ。貰っちゃってくんない?ほら、意外とこっからだと、スーパーって遠いじゃん?必要かなーと思って」

願ってもない提案に飛び付く。

「ほんとですか!ちょうど、欲しかったんですよ!さっきスーパー行ってみて欲しいなぁと思ってて」

「うん、知ってた。さっき買い出しでスーパー行ってたんだけど、そん時悟くん『自転車欲しいなぁ』って言ってたでしょ?」

「え、聞こえてました?」「意外と大きい声で」

めっさ恥ずかしい~!

「それ聞いて、うちにもう使わなくなった自転車あったなぁって思い出してね、どう?貰ってくれる?」

「是非!」

「うんうん。じゃ、明日また来てね。用意しとくから。」

「ありがとうございます!」

最後の一口のコーヒーを飲み干し、お代を払って出ていく。

いやー、マスター優しいなぁ。すごい有難い。けど、最後のマスターの不敵な笑みが恐いけど。まさか、ほんとに薬が?!

そんなことを考えながら、海へ歩いていく。

砂浜へ出ると春先だからなのか人はあまりおらず、広大な海を前にして一人でいることがなんだか物悲しい気がした。

一ヶ所に留まっているのもなんなので、海際を西に向かって歩いていくことにした。

しばらくすると、ゴツゴツとした岩場になり、体より一回り大きい岩がたくさん転がっていた。

ふと時計を見ると四時半を回っていたので引き返そうとしたとき視界の端にヒラヒラと風に靡くものをみつけた。

それは一際大きな岩の上に立ち、海を見つめるひとりの女の子だった。

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