第七回 聖なる獣の山田さん
おおお、果たしてここは天国でしょうか。とにかく街の至る所にネコがいます。駅前のちょっとした広場には十匹くらいが集会しているし、塀の上には点々と香箱座りしているし、道路やビルの隙間をテクテクと散歩しています。見渡す限りネコだらけ!
ここはわりと私たちの世界と近い発展度合いで、住民は人類、見かける建物や移動手段なんかもほとんど一緒です。ビルがあり、アスファルトの道路があり、電車があってバスが走る。わりと違和感のない光景です。それでも私たちの世界と微妙に科学技術の長短があるらしく、こういう世界は調査するにはうってつけらしいですね。ほら、あんまり相手の発展度合いが凄すぎると、調べてもよくわかんないですから。そんなこともあり各国の学者や調査団が数多く滞在しているんですが、彼らを困惑させている点が幾つかあります。
例えば男性の正装が上半身全裸にスカートで足にはサンダルとか、首から凄い豪勢なネックレスをしなきゃいけないとか、そんな文化的な部分もありますが、やはり一番は、このネコの多さでしょう! ヤマネコっぽいの、アメショっぽいの、シャムっぽいの、何でもいます。この世界ではネコは聖なる獣とされていて、害することが一切禁じられているだけじゃなく、積極的に扶養・介護する義務があるっぽいです。なので公園には普通にネコベースがあって、係員さんがネコに餌を与え、落とし物を片付けています。
結構お金がかかってそうですねぇ……何でそんなことになったんでしょう? 当然不思議になります。歴史を知りたくなります。でもね、各国の調査団はどうやら、そこに何か微妙なラインを感じているようです。タブーまでは行かないまでも、ネコについて尋ねるのは失礼にあたりそうだと。
せっかくベンチマークになりそうな世界です。友好関係を壊しては元も子もありません。なので彼らは膨大なネコに辟易しつつも、知らないふりを決め込んでると。そういう具合みたいです。
しかし! 私たちは異世界ネコ歩き取材班! いわばこの手の問題の専門家でもあります! 誰に頼まれた訳でもありませんが、ここは積極的に謎の解明に当たるとしましょう!
◇ ◇ ◇
この世界にはビアトレン(異世界人)のための交流施設のようなものがあり、基本的にそこから出ることはありません。長崎の出島みたいなもんですね。何で閉じ込めるの? 何か隠してるの? 外に出たい! そう思いますよね? でも、別に閉じ込められてる訳じゃないんです。申請すれば外に出られるんです。けど調査団はむしろ、面倒に関わりたくないといった具合で、彼らの文化は積極的に知ろうとしません。まぁ彼らの目的は科学技術ですからね……
さて、科学技術に全然興味がない私たちは、さくっと申請して外出を許可されました。楽勝楽勝。ターミナス管理調整局から「面倒は起こすなよ」って釘を刺されてますが、大丈夫大丈夫、何とかなります。
しかしほんと、適当に散歩しているだけで楽しい世界です。なにしろいろんな種類のネコが一同に集まってますからね。ここで一年分くらいネコ歩きの取材が出来てしまいそうです。
とはいえ一応、何か目的らしきものがないと目線が付きません。あ、あそこに鉢割れの親子がいますね! ぼってりとした鉢割れお母さんと、生まれて数ヶ月くらいのチョコチョコあるく子ネコちゃん。よし、とりあえずあの親子を追跡してみることにしましょう。
さぁ、連れだって駅前広場を抜け出した鉢割れ親子。何処に行くのかな。歩道に出てテクテクと歩きますが、凄いです、行き交うサラリーマンらしき腰布の人たちは速攻で道を空けます。鉢割れ親子は、うむ、ご苦労、といった感じで、悠々と歩いて行きます。
街並みなんですが、ビルのデザインはどことなく異なっていて、エジプトっぽい方形の大型建造物が多いんですね。色も赤と緑のストライプ、みたいなどぎついのが普通にあります。壁面は日照権の関係もあるかもですがジグラッド的な段々になっているものが多くて、そこにネコがずらっと並んでいたりします。凄い。
さて、そうした表通りを抜けた鉢割れ親子は、裏通りに入っていきます。次第に住宅地になっているようで、箱形のブロックを積み重ねたような集合住宅が増えています。簡素な2x4住宅のような感じですね。それとも地中海風と言った方がわかりいいでしょうか。道路も狭くなっていて、車に気をつけないといけません。しかし! そこは何事もネコ優先、車はネコが通り過ぎるまで一時停止です。あら、あそこでは道の真ん中で眠り込んでいるマンチカンみたいな小さいネコが。車はどうするかというと……ゆっくりとその上を走り抜けていきます。そう、こうした時のために、ここの車は全部、最低地上高が五十センチくらいあるんです。底面センサーも付いてるのかな。それでも急に反応してタイヤにひかれたら危ないですからね。ゆっくり、慎重に行きましょう。
鉢割れ親子は度胸のあるマンチカンを横目で見つつ、公園にたどり着きました。そう広くはないですが大きな木が日光を遮り、昼寝にはちょうど良さそうです。おっと、その前に、ベンチに座って昼食中のサラリーマンに歩み寄っていきます。そして彼の前にちょこんと座り込み、真っ直ぐに顔を見つめます。サラリーマンさん、仕方がなさそうにサンドイッチの一切れを差し出しました。食事を与えないと刑罰でもあるんでしょうか。さっそく食いつく鉢割れ親子。慣れてます。食料強奪に慣れてます。やっぱり凄い世界だなぁ。完全に人間が下僕です。
サンドイッチでお腹を満たした鉢割れ親子が、次に向かう先は……おや、公園の表に掲げられた何かの看板の前に座り込みましたね。何人かの大きな顔写真が貼られていますが、なんだろうこれ。すごく見覚えのあるような……あれかな? 選挙の公示板? ってちょっと待って? 何でネコの写真も貼られてるの? ディレクターさん、アレあったでしょ、文字列自動翻訳メガネ。そう、それそれ。どれ、メガネを通して見てみると……やっぱこれ、地方議会選挙の公示板だ……そして茶白ネコちゃんの写真には、こう書かれています。<人に優しい、ネコに優しい政治の実現を! 山田芳裕>……。
誰だよ山田って!
◇ ◇ ◇
ちょっと待ってください。落ち着きましょう。いや、山田というのは翻訳機がそれっぽい日本の名前に勝手に翻訳したのはわかりますし、ネコが凄く保護されてる世界なのもわかりますけど、なんで地方議会選挙に立候補してるんです? ていうかここのネコたち、みんな普通のネコに見えて、実は知的生命ネコだったりするんですかね? 鉢割れ親子も、私たちの事がわかってる? どうなんですか鉢割れお母さん!
「にゃー」
……うーん、わかってる様子はない……どう見ても普通のネコっぽい……ひょっとして単に、山田って人が冗談でネコの写真を使ってるだけなのかなぁ。
疑問の答えを求めて、私たちは選挙管理委員会までやってきました。他の世界から来たビアトレンの取材も多いらしく、委員の方は割と慣れた様子で説明してくれます。
「ネコは神聖な生き物ですからね。当然、ネコ権も国籍もありますから、立候補は可能です」
ネコ権って……何ですか……
「基本的ネコ権ですよ。ネコが生れながらにして,単にネコであるということに基づいて享有する普遍的権利です。この世界ではそれに基づいて、すべてのネコの権利が保障されています。わかるでしょう?」
いや、さっぱりわかりません……そもそも立候補には色々手続きがいるんでしょう? 山田さんはどうやって立候補したんですか?
「それは……立候補したそうだったから……」
したそう?
「雰囲気ですよ雰囲気。わかりません?」
いや、さっぱり……
「あなたネコの専門家なんでしょ? それで雰囲気がわからないなんて、一体何の専門家なんですかねぇ。まぁいい、ちょっと書類の肉球印が一つ足りなかったから、これから山田さんの所に行くんです。一緒にどうです」
書類の肉球印……もはや突っ込みどころもわからなくなってきました……
◇ ◇ ◇
選挙管理委員の方と一緒に向かったのは、住宅地の一角です。やはり四角い箱形住宅が密集していて、そこかしこにネコがいます。
「山田さーん。イエネコの山田芳裕さーん」
呼んで来るもんなんでしょうか……ていうかなんで山田……
「昔はそれは、タマとかミケばかりでしたけどね。それだと個ネコ認識が難しかったので、あるとき名字と名前を付与しました。それ以降はヒトと同じ、父方の姓を世襲します。名前はほら、法務省のネコ戸籍担当官が、雰囲気で……」
また雰囲気……一体何なんですかそれ……
「雰囲気がわからなければ、ネコ担当官は務まりませんよ。しかしいないなぁ山田さん。仕方がない、GCPS(Global Cat Positioning System)で探しましょう。こういう時のために、ネコには全て個ネコ識別チップが埋め込まれているのです。当然、基本的ネコ権には配慮していて、雰囲気のわかる担当官以外は使えないようになっています」
全然雰囲気で探せてないじゃないですか……おっと、センサーに反応がありました。レーダー的な画面に従って点を追っていくと、街中にしては大きめな森に行き当たりました。神域なんでしょうか。参道には石柱が立ち並び、様々なネコの姿が彫られています。ネコ自体の数も格段に増えて、もはや眠り込んでいるネコを避けなければ前に進めないほどです。
あそこが山田さんの住処でしょうか。大きな石造りの神殿らしきものが見えてきました。体育館ほどの大きさがあって、入り口には二体の巨大ネコ像が、門番のように建ち並んでいます。
「あっ、山田さん! いたいた!」
委員の人が駆け寄っていったのは、確かにあの選挙ポスターにあった茶虎ネコさんのようです。ちょっとふてぶてしい顔をしていて、巨大ネコ像の台座の上に座り込んでいます。様子から察するに、この辺のボスネコみたいですね。周りには傷跡の多い若いネコが屯していて、近づいてこようとする他のネコたちを威嚇し、追い払っています。
うーん、これは議員というより、ヤクザの親分じゃないですかね……
「何を言ってるんです。ネコの上に立ちたい雰囲気がものすごいじゃないですか。すいません山田さん、例の立候補の件ですけど、一カ所肉球印をもらうのを忘れていて。ここに戴けません?」
いや、そんな書類を差し出したって、はいそうですかと押す訳が……ほら無視された。
「あ、オッケーですか。すいませんね。じゃあちょっと右手を拝借しますよ?」
またそんな勝手な解釈して……この手のネコはヤバいですって……下手に手を出すと速攻で……
「ギャア! 痛い! 何をするんですか山田さん! あぁっ! ちょっとその書類は駄目ですって! 困ります山田さん! あぁっ! 駄目です駄目です!」
ほら言わんこっちゃない。手に爪を立てられ書類を奪われたあげく、グシャグシャのビリビリのカミカミされてしまいました。山田さんは満足したのか、台座から飛び降り、若い衆を連れてノコノコと去って行きます。ねぇ委員さん、認めてくださいよ。ネコを保護するのはいいですけど、そんな権利を与えてヒトと同じように扱おうとしたって……
「あぁ、良かった。ちゃんと所定の場所に肉球の跡が付いてますね」
なんてポジティブな。ズタボロの委員さん、ニコニコしながら破れた書類を拾い集め、セロテープで復元し始めていました。
「ほらね、言ったでしょう。山田さんは立候補したがってるんです。わかったでしょう?」
私にわかったのは、この世界の人たちの下僕っぷりは凄い、ってことくらいですね。
◇ ◇ ◇
さぁ、いよいよ地方議会選挙の投票日となりました。近くの小学校に投票所が設けられ、朝から数多くの人とネコが訪れています。というか誘い込まれています。人に対してはポケットティッシュを配るくらいですが、ネコには特製ネコマンマが大盤振る舞いです。
「今回の選挙はネコにも凄い注目されてますね! 投票率が凄いことになりますよ!」
いや委員さん、それは匂いに誘われて来ることはあるでしょうけど、投票とか不可能でしょ……鉛筆とか持てないし。
「いえいえ、ほら、ここにちゃんとネコ用の投票所があるんです。顔写真が並んでいて、それを叩くと投票されるという仕組みです。凄いでしょう!」
……さっきから見てますけど、みんなご飯食べて帰っちゃってますね。
「気に入る顔……じゃない、立候補者がいなかったんでしょう。まぁ、ネコは孤高な生き物ですからね。なかなか誰かを押し上げようとしないんです。それがまた、ネコの素晴らしい所ですが……」
いや、そういう問題じゃあ……もういいや、私もツッコミに疲れました。
いくらなんでもネコが議員だなんて、と思っていたのですが、なんと山田さん、開票の結果当選してしまいました。なんて下僕の多い世界なんでしょう。しかし山田さんが議員になっても、あの<雰囲気>とやらを駆使する人たちの傀儡になってしまうんじゃないでしょうか。嫌な感じです。それに調べてみると、どうやらネコ国会議員もそれなりにいるようなんですね。深い闇がありそうな感じがします……くわばらくわばら、ここは調査団の人たち同様、関わらないのが得策です。
ま、沢山ご飯を食べられて、色々世話をしてもらえて、幸せに生きてそうなので、ネコたちにとっては悪い世界じゃないでしょうね。ミニッツテイル・イワノヴァの異世界ネコ歩き。第七回は〈聖なる獣の山田さん〉をお送りしました!