第四回 ネコ神様がいるクレーター
うう、随分寒いですねぇ。ご覧のように周囲は深い霧に包まれていて……というかこれ、霧じゃなく雲の中なんです。なので風もそこそこあるし、用意してきた登山服もすぐに湿ってきます。
登山服。そう、ここは山の中腹です。森林限界も超えてしまっていて、灰色の石や岩が転がる殺風景な所なんですが……もう少し登ると山小屋があるという事だったので、せっせと登っていくことにしましょう。ひいひいふうふう。
◇ ◇ ◇
もう辺りは辛うじて登り道があるだけの荒れ地、って感じで何もレポートする事がないので、私たちがこの世界に来た理由を説明することにしましょう。ここは〈7A4D09CA4E〉、通称〈超巨大クレーターの星〉と呼ばれています。超巨大クレーターってどれくらいかというと、まぁ誰も正確に測量してないからわからないんですけど、外輪山が標高五千メートルもあるということから、かなりでっかいのは確かです。で、この世界のターミナスは、その外輪山の中腹に出ちゃったと。そういうわけなんですね。
そんなクレーターが出来るくらいの衝突があったら、環境無茶苦茶で誰も住んでないんじゃないの? というお話なんですが、どうも衝突はかなり昔の出来事のようで、今では下界は森林に覆われていて、ヒトとよく似た知的生命体も存在するとのことです。科学技術はそう発展していないようですが、結構、わたしたちの世界と位相の近い異世界っぽいですね。
さて、そんな異世界に私たちが来た理由なんですが……なんとこのクレーターの中には、ネコ神様がいるっていうんです!
ネコ神様ですよネコ神様! 前に来た探検隊は外輪山の麓にある村でその噂を聞いたらしいんですが、なにしろこの五千メートルの山脈で隔てられているので、噂の真相は確かめずじまいだったそうです。ま、ネコ神様といわれたって、普通は何かの迷信か伝説としか思いませんからね……
しかしネコ神様って、どんなのでしょう? 私なんかは、ネコ神様というと呪いとか恨みで化け猫になったとか、そんなイメージしかないんですが……っと、なんか人の影が増えてきましたね。あ、見えてきました、山小屋です! 灰色の石が積み重ねられた作りで、登山客らしき人たちがいっぱいです。確かに、見かけはヒトと変わりませんね。ただ皆さん、外套としてカラフルなポンチョを着込んで、頭には耳当て付きのニット帽を被っています。いやニットなのか何なのかわかりませんけど。
そしてみなさん、何か山小屋の軒下に集まってますね……何でしょう。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、ネコ神饅頭だよー!」
ネコ神饅頭? 言われてみると、何かネコの絵が描かれた看板が掲げられてますねぇ。
「おっと、ビアトレンのお姉ちゃんか! 珍しい、饅頭食っていかねーかい?」
あら、髭の主人に呼び止められてしまいました。どーもー。饅頭って、まさか中身、ネコ肉じゃないですよね?
「まさか! &$%**@の肉だよ!」
うーん、なんか翻訳機で訳せない肉みたいなんで、止めときましょう。ところでご主人、この登山客のみなさん、みんなネコ神様の所に向かってるんですか?
「そうだよ! こっから先、往復で半日はかかるぜ? 食い物なんて何もねぇ、ここで食わなきゃ、腹減らしてぶっ倒れちまうぜ?」
それは携帯食料あるので。大丈夫です。
「ちっ、これだからビアトレンは嫌いだ、帰れ帰れ! 見世物じゃねぇぞ!」
うう、体よく追っ払われてしまいました。道もわからないし、ガイドさんでも雇えないかと思ってたんですけど……
「あ? それを早く言えよ、ガイド代は二百%&#だ」
うーん、貨幣体系がよくわからないですが、きっとディレクターさんが何とかしてくれるでしょう。こういう世界で取引するために、スタッフは色々とアナログ装置を持ち歩いているんです。あっ、アナログ時計一個で手を打ってくれたみたいですね。良かった良かった。でもこの星の自転速度とか、地球と違うと思うんだけど大丈夫かなぁ。まぁいっか。
◇ ◇ ◇
この山小屋から山頂までは十分ほどだということなので、ガイドの青年に従って黙々と登っていきましょう。そういえばガイドさん、ネコ神様って、何なんです? 像か何かがあるんですか? それとも生きてるネコ?
「んなもん、見りゃあわかるよ」
……愛想の悪い青年ですねぇ。っていうか具合悪そうですけど、大丈夫です?
「帰った途端にオマエらが来るからだろ。親方には逆らえねぇし」
うーん、何か気の毒な事をしてしまったみたいです。申し訳ない。え、えっと、気を取り直して。そういえば話が途中でした。わたしたちの世界でネコ神様っていうと、だいたい麦穂や稲穂の精霊みたいな感じで崇められている例が多いみたいですね。日本でもやっぱりネズミ取りとしてのイメージが強かったみたいで、豊穣とか、そこから死と再生の象徴になって、化け猫とか付喪神の伝承が沢山作られたようです。だからネコ神様、っていう象徴的な何かを想像しようとしても、いまいちピンとこないですねぇ。強いていうと招きネコくらいでしょうか……近代だとドラえもんとか色々あるんですけど……
世界的に一番象徴的なネコ神様というと、やっぱりエジプトのバステトでしょうか。そのまんまネコの女神様で、多産や豊穣のシンボルとされます。古代エジプト人は随分猫好きだったらしく、敵対国であったペルシャはそれを利用して、盾にネコをくくりつけて戦場に出てきたらしいです。まったく、そんな相手を攻撃出来るはずがないじゃないですか! ペルシャ汚い! あくどい! 許せない!
っと、そんなことを言ってるうちに、次第に霧が晴れてきましたね。霧というか雲です。はい、雲の上に出てきました。風が強くて寒いですが二つの太陽が眩しく輝いています。そして荒涼とした登山道を上っていくと……おお、どうやらここが外輪山の頂上みたいです! ずーっとクレーターの尾根である外輪山が続いていて、僅かに湾曲しているのはわかるんですが、果ては霞の中に消えてしまっています。
そして問題のクレーターの内側なんですが……うーん、こちらも雲に覆われていて、さっぱりどうなってるのかわかりませんねぇ。
「内側はいつもそうだぜ。ずっと霧に覆われてる」
へー、そうなんですか。さて、ここからは下り道です。帰ることを考えたら憂鬱になってきますが、これもネコ神様に会うため、頑張っていきましょう!
◇ ◇ ◇
ひいひいふうふう、一時間ほど山道を下ってくると、次第に植生が出てきました。最初は背の低い高山植物、そして次第に低木が増えてきて、同時に霧も深くなってきました。こう火山灰みたいな土壌に松っぽい低木がちらほらと生えている光景も、一種独特ですねぇ。でも登山道みたいなのも完全になくなってしまって、これはガイドさんを雇わなかったら、完全に迷子になっていたでしょう。
「まぁな。ネコ神のいる場所を知ってるのはオレたちガイドだけだ。他の連中は迷って山小屋に戻って、饅頭を食って泊まってくれる。それが親方のやり方だ」
あら、そうなんですね……危ない危ない、親方のあくどい商売に引っかかるところでした。でもネコ神って呼び捨てにして。祟られても知らないんだから……って、いました! ついに発見しましたネコです! でも普通な感じのモフモフ系白ネコちゃんですね……まさかあれが、ネコ神様?
「あれはただのネコだ」
あ、そうですか。というかモフ白ちゃんの座ってる台みたいなの、一体何でしょう。灰色の岩っぽいけど、なんか妙に正方形だし……どれ、周りの灌木をなぎ払ってみましょう。おりゃ! とりゃ!
「何してんだよ。時間かかってしゃーない連中だな」
いやいやだって私ら取材班ですもん。面白そうなのはとりあえずカメラに……ってこれ、何かの機械じゃないですか!
「待て触んな! そいつは毒だ!」
毒? 毒って、随分錆びたりしてますけど、これって機械じゃないですか。しかもかなり精巧な。機械。キカイ。あれ? 翻訳されないのかな?
「何だか知らんが、そいつは急に毒を出したり雷を放ったりする。触っちゃ駄目だ」
ははぁ、彼らの科学レベルじゃ、ここまでの物は理解出来ないんでしょうね。しかしこの世界、以前は相当の文明があったのは確かです。ひょっとしたら隕石の衝突で滅んだ文明があって、彼らはその末裔だったりするんでしょうか。まぁそういう背景が好きな学者さんもいますし、帰ったら報告することにしましょう。それよりネコです。私たちが求めているのはネコ神様!
「そこだ。その岩場の下がネコ神の住処だ」
おっと、五メートルくらいの岩場を下っていくと、洞窟のようなものがあります。周りには巡礼者のお供え物が沢山ありますね。お餅みたいなの、お肉みたいなの、穀物みたいなの。そんなものに惹かれてか、ここには普通のネコが沢山住み着いているみたいです。色々いますが白ネコちゃんが多いですねぇ。ちょっと寒いのもあって、みんなモフモフしてます。ひょっとしてヒマラヤンの系統でしょうか。いや、別にヒマラヤンは山とか関係ない品種ですけどね。知ってますそれくらい!
「おーい、ネコ神-。また来たぞー」
またネコ神って呼び捨てにして……ってこの洞窟にネコ神様が住んでるんでしょうか。というかこの洞窟、明らかに普通の洞窟じゃないし! 脇には壊れた分厚い金属扉が転がってるし、シェルターか何かでしょうこれ!
「相変わらずわけのわかんねーこと言ってるな。ほら、来たぞネコ神が」
えっ。おおっ! 何か壊れたシェルターっぽい奥底から、何やら近づいてくる気配があります。ドスン、ドスンと床を踏みならすこの音は、まさか……
「おう、なんだまた来たのか。帰って寝ろって言っただろ」
霧に包まれた薄暗い荒れ地に、ぬっと現れたのは……で、でかい! 巨ネコ! 化けモフモフ白ネコです! シェルターの高さは二メートルくらいあるんですが、それをほぼほぼ塞ぐくらいの高さ! ということは全長は十メートルくらいあるでしょうか。さすがの私も、こんな巨大ネコは見たことがありません! しかも何か喋ってるし!
「そりゃ神だ、喋るくらいするだろ」
いやいやガイドさん、そういう問題じゃあ……うーん、目もおっきいなぁ。私の靴くらいのサイズがあるし、これは余裕で食べられてしまう大きさです……た、食べたりしないですよね?
「えー、不味そうだし食べない」
また喋った! え、えっと、じゃあ気を取り直して。ネコ神様? あなたネコ神様なんですか?
「そうだよ」
か、軽い……というかどうでもいいように寝転がって、毛繕いを始めてしまいました……あ、あの、神様ってことは、何か凄い力があったりするんですか?
「別にないよ」
……あー。じゃあおっきいだけ? それって別に神様って言わないんじゃあ……
「え? 何か文句あんの? ま、信じなきゃ信じないで、別にいいけど」
う、うーん……ちょっと本格的な信心のお話になってしまいそうで、これは危険です……あの、ちなみにネコ神様、お年はどれくらい?
「覚えてないなー。それより何か、美味しいの持ってない?」
え? 食べ物ですか? そうだなぁ。あ、ネコ懐柔用に煮干しを沢山持ってきてるんです! どうです煮干し! 美味しいですよ!
「煮干し? それはもう食べ飽きたなー。みんなネコには魚って、干物ばっか持ってくるから」
あ、そうですか……ってこのネコ、ホントに神様なのかな……まぁ大きいし喋るってだけで神様っぽくはあるけど……
「もういいか? 帰るぞ?」
う、うーん、何か釈然としないけど、このネコ神様は別に神様っぽくないしなぁ……うーん……ってガイドさん、大丈夫です? わっ! ガイドさん!
た、大変です、ガイドさんがフラフラとして崖から落ちちゃいました! 具合の悪いところ寒い道を行き来して、熱を出してしまっていたのかもしれません! これは反重力装置を使って助けに行かなければ!
「止めとけ、ここは隕石のせいで磁場異常があるから、精密機器は使わない方がいい」
え? ネコ神様?
「ったく、だから帰って寝てろって言ったのに。しゃーないなぁ」
ネコ神様、一体何を……わっ! ネコ神様が凄い勢いで叫び始めました! マーオ、という雄叫びが木霊して、山びことなって木霊して……そしてこれは何でしょう、急に風が出てきて霧が晴れていきます! どうやらクレーターの中には所々に吸気口のようなものがあって、そこに霧が吸い込まれていくようです! そして……これは壮観です。あっという間にクレーターの内側の霧は晴れて、赤や白の花が咲き乱れ、所々に鬱蒼とした森が広がる光景が現れました。所々に見える白々としたのは、きっと旧文明の施設なのでしょう、殆どが樹木に覆われてしまっていますが、多少の設備はまだ生きているようで、何か電気的な光を発しています。
しかしこうして見ると凄いクレーターだなぁ。辛うじて向こう側の壁が見えるくらいなので、直径は100kmくらいありそう。こんなクレーターを作る隕石も凄いし、それでも生きてる装置がある文明を作った人たちも凄いし……
や、いかんいかん、感動してる場合じゃあありません、早くガイドさんを助けないと。カメラさんが岩場を降りて、様子を見てくれています。うん、軽く身体を打った程度で、酷い怪我じゃないようです。晴れてくれたおかげで、これなら私たちだけでも山小屋まで運んでいけますね。
でもネコ神様、あなたは一体……
「だからネコ神だって言ってんじゃん」
いや、そうですけど。特別な力は何も無いって言ってたじゃないですか!
「ネコ神なら、こんくらい誰でも出来るし。特別じゃないし」
えっ、ネコ神様は他にも?
「うーん、百年くらい前までは十匹くらいいたかなぁ。今はわかんない」
そ、そうですか……是非その辺のお話を、もう少し詳しく伺いたいんですが。
「えー。めんどくさい。今度は何か美味しい物持ってきて。そしたら考える。じゃあね」
あぁっ、ネコ神様!
……ネコ神様、ノソノソとシェルターの中に帰っていってしまいました……こうなると私たちネコ歩き取材班の力量を超えてしまっています。帰ったら専門家を派遣してもらいましょう……って今はどこの探検隊も忙しいからなぁ。ネコ神様、もっと調べてくれる所はないかなぁ。
◇ ◇ ◇
ガイドのお兄さん、山小屋の親方に怒られないか心配していたんですが、事の顛末をお話しするとそれどころではなくなりました。慌ててネコ神饅頭の量産に入っています。確かに急に晴れたクレーター、そしてそれを実現したネコ神様の御利益を得ようと、まもなく沢山の観光客が訪れることでしょう。
巨大クレーターの中のネコ神様。その正体は、旧文明の残した施設を触って遺伝子改良か何かされてしまった悪戯ネコなのかな? と思ったりもしますが、その辺については専門家の調査を待ちましょう。だいたい私たちが下手に調べて、巨人になってしまったら大変です! ミニッツテイル・イワノヴァの異世界ネコ歩き。第四回は〈7A4D09CA4E〉、通称超巨大クレーターの星〉からお届けしました!