第八回 ネコ地獄
「てやんでいべらぼうめ、こちたぁ五代続いた江戸っ子でい! 宵越しの銭なんざぁ持たねぇし……あ、あと目黒のサンマとか……その、えっと、わかったかこのウスラトンカチがぁ!」
「蕎麦を食い逃げした挙げ句、反省の色が見えぬどころか不届き千万な物言い。その者、ネコ地獄送りとする! 引っ立てぃ!」
「へへん、ネコなんざぁ怖くも何ともねぇ、怖いのは……め、目黒のサンマとか、あと……餅とか……うわっ! 痛い痛い! そこ引っ張らないで!」
……ふぅ、色々危なかったですが、何とか目論見通り行きました。さらばディレクターさん、お元気で……
◇ ◇ ◇
あ、どうもこんにちは、ミニッツテイル・イワノヴァです。今日はちょっと聞き捨てならない噂を聞きつけ、ある異世界へとやってきています。ご覧ください、ここは私たちの世界と位相が近く、人類が生まれ、文明が発達し、中世末期程度の水準まで達しています。しかしその様相は……ここは江戸ですか……?
そう、まさに日光江戸村の世界です。家々は木で作られ、漆喰が塗られ、瓦が葺かれています。道行く人々も和服に草履や雪駄、頭には髷が結わえられていますが、人種的には無茶苦茶ですね。白人黒人黄色人と、金髪の髷やドレッド髷などが陽光に輝いています。これは珍しい。そして家々の向こうには、高くそびえる天守閣が……
「おう! なにぼさっとしてやがんでぃ! 邪魔だ邪魔だ~!」
うおう! アラブ人風な風貌の飛脚さん、もの凄い速度ですっ飛んでいきました。そしてムキムキの白人さんが籠を担ぎ、羽織袴の黒人さんが馬に揺られています。どういうわけか人類が存在する異世界では西洋的な文明を発達させている所が多いんですが、この世界は日本文化が中心になってしまっているようですね……さすがにそういう世界は考えた事がなかった……
まぁそんなわけでこの異世界は日本の科学者さんが調査に来ることが多いようなんですが、そこでふと、彼らは気がついたのです。
日本文明とネコは、いわばセットのようなもの。しかしここにはネコの姿を全く見かけない……これは一体どうしたことか……
まったくもって不思議です。ちょっと私も道行く人に聞いてみましょう。こんにちは!
「おう、どうしなすったお嬢さん。迷子か?」
いえいえ、ちょっとお伺いしたい事があるんですが、この辺にネコっていないんですかね?
「ネコだぁ? まったく縁起でもねぇ、ネコなら地獄に一杯いやがるぜ」
なるほど、やはりそういう反応ですか……そう、どうやらこの世界では、ネコは忌むべき存在とされているようなのです。一体どうして? ネコは見つかったら狩られて殺されちゃうの? 学者さんたちも心配になったそうですが、そこは異文化交流が第一、下手に突っ込んで気を悪くされては困ります。辛うじて聞き出せたことはただ二つ、ネコは地獄に沢山いる、罪人はネコ地獄に送られる……
そうと聞いては黙っていられません。果たしてこの世界ではネコが虐待されているのか? ネコ地獄とは一体何なのか? もはや残る手は潜入調査しかありません。いいですかディレクターさん、ネコ地獄へ入れられるよう、何か軽犯罪を犯すのです!
「えぇっ僕!? そういうのはリポーターの仕事だと思うんです!」
私が行ったら誰がリポートをするんです。ご心配なく、このハイテクコンタクトレンズは、捉えた映像を送ってくれます。もし危ないとわかったら、私たちは全力で逃げますから!
「助けに来てくれるんじゃないんだ……さみしいなぁ……」
冗談ですよ助けに行きますよ……余裕があったら……
まぁそんなわけでディレクターさんは食い逃げの罪で捕縛され、他の罪人数名と一緒に荷車に乗せられ、何処かへ運ばれようとしています。早速追跡してみましょう!
◇ ◇ ◇
馬にひかれた木組み格子の荷車は、ガタンゴトンと揺れながら郊外へと出ました。のどかな田園風景ですねぇ……そこここに藁葺き屋根の農家があり、丘の上には大きな庄屋さんの屋敷があります。しかしなんだろこの臭い。ずっと気になってたんですが、この世界、何か全体的に焦げ臭いし喉がイガイガするんです。ひょっとしてあれが原因でしょうか。馬車が向かう先には大きな山があって、頂上からは噴煙が立ち上っているんです。あんまり見えないけど火山灰が舞ってるのかな……
「あ、あの、ちょっといいですか?」
お、ディレクターさんが果敢に他の罪人さんにインタビューを試みています。目の前で座り込んでるのは……やだ怖そう。無精髭だらけで、頬に刀傷がある目つきの悪いお方です。片手を懐に突っ込み、お腹の辺りをバリバリと掻く感じは、何かいかにもな博徒っぽいですねぇ……
「あぁ? 何か用か」
「あの、すいません、用ってほどではないんですが……その、これから僕らが送られるのって、何処なんですかね……」
「聞いてねえのか。ネコ地獄だよ」
「そ、その、ネコ地獄って……何なんですかね……? 僕、この辺の出身じゃないんで、聞いたこともなくて……」
「ネコ地獄を知らねぇだ? おめぇ、何処の者だ」
「う、生まれは上州笠間にて、のっぴきならねぇ事情がありやんして、長いこと辺りを彷徨った挙げ句がこの様でして」
「聞いたことねぇな上州だなんて……まぁいい、おめぇもネコくらい知ってんだろ、人の魂を食らう化け物だ」
「魂を食らう!? い、いや、そんな生き物の話は聞いたことがないですが」
「ふぅん。上州ってとこにゃぁ、ネコはいねぇのか。幸いだったな。いいか良く聞け、これは婆さんから聞いた話だがな……」
おっと、さすがディレクターさん、上手いことネコ昔話を聞き出すことに成功したようです。さて、この地には一体どんなお話が伝わっているんでしょう。
◇ ◇ ◇
昔々、ある年の瀬のこと、神様が動物たちにお達しをしたそうな。
「元旦の朝に挨拶をしに来るように。先に来た動物から十二番目までを順に、それぞれ一年の守り神として大切にしてやろう」
動物たちは自分こそが一番になるのだと、元旦を待ち受けました。しかしネコは害獣を狩るのに忙しく、神様のお触れを忘れてしまっていたのです。そんなある日、捕まりそうになったネズミがネコに、こう言いました。
「ネコよ、私を追っている場合ではないだろう? 神様のところに行く準備は出来ているのか?」
「そうだ、すっかり忘れていた。しかし行くのはいつだったろう」
「私を逃がしてくれれば、その日を教えてあげよう」
ネコは仕方がなくネズミを逃がし、神様の元に向かう準備を始めました。
さて元旦の日、牛は歩くのが遅いからと、まだ暗いうちに家を出ました。それに気づいたネズミは牛の背中に乗り、一緒に神様のところに向かいました。そして自分が先頭だと喜んだ牛の背中からぴょんと飛び降り、一番になってしまいました。それで牛は二番、続けて虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が続きましたが、ネコは現れませんでした。なんとネズミに嘘を教えられ、翌日だと勘違いしていたのです。
事実を知ったネコは怒りました。
「自分は神のため、人のため、一生懸命に害獣を退治してきた。だというのに神はネズミの暴虐を咎めるどころか最高の眷属とし、一番働いている自分を枠外とした。許せぬ。私は神を許さぬ。その神をあがめる人をも許さぬ。我は幾度死んでも蘇り、人の魂を吸い、神の血を吸い、奴らを永遠に呪おう」
すると西の山が火を噴き、草木や作物は枯れ、人々は病に倒れました。
事を憂いた公方様は国中のネコを西の山に集めさせ、祟りを鎮めるために最高にもてなすこととしたのです。しかしネコに触れる物は皆、魂を吸われ死ぬ定めでした。そこでネコの世話は罪人の役目とし、いつしか西の山はネコ地獄と呼ばれるようになったのです……
◇ ◇ ◇
なんか聞いたことがあるぞこれ。でも違う。何か違う。しかしそれが本当なら、ディレクターさんも魂を吸われてしまうことに……
「やだー! 魂吸われるのやだー!」
あら。何か馬車牢の上で暴れてますが、今更どうにもなりません。そうこうしているうちに問題の西の山が近づいてきました。結構な活火山のようですね。火山灰のおかげで木々は枯れ、黒々とした溶岩の焼走りが現れました。ここは確かにこの世の地獄……硫黄臭が立ちこめ、ゴツゴツとした岩や灰ばかりになりつつあります。
そんな荒涼とした地の先に、堂々とした石垣が現れました。門は衛兵によって固く守られています。泣き叫ぶディレクターさんを乗せた馬車はその奥へと……ここからはカメラをディレクターさんのコンタクトレンズに切り替えましょう。
衛兵さんに引きずり下ろされたディレクターさん。石垣の内部は相当広いですね。要塞らしく逆茂木が石垣に沿って並んでいます。門の近くには幾つかの番所、幾つかの寝所がありますが、その奥には……うわー、ネコが一杯!
褐色の砂に覆われてはいますが、あちらこちらにネコ用らしき遊具が設えられています。キャットタワーにキャットウォーク、からくりで動くネズミのオモチャや、丸太の周りをクルクル回る小鳥のオモチャ……
「なんだ、普通のネコ天国じゃないこれ!」
喜び勇んだディレクターさん、真っ先にネコのそばに駆け寄りますが……あれ? どうしたのかな? 口元を抑えて……
「うー……あー……ブシュングシュン!」
きたない……思い切りクシャミを……あれ? それになんだかカメラが滲んできましたが……
「うー……あー……なんか超、目が痒くなってきた……」
「新入り共! 良く聞け!」おっと、衛兵さんの演説です。「これからおまえらは、ここのネコ様がたを徹底的におもてなしするのだ! 少しでもご機嫌を損ねてはならんぞ! 心してかかれ!」
「ブシュン! グシュン! ……あー、もてなすと言っても何すればいいんだろ。普通に遊んであげればいいのかな? わー、かわいいキジトラちゃんでちゅねー。なにちてるんでちゅかー? ……わぁっ、吐いた!」
「こらー! そこの新入りー! さっさとお片付けしろー!」
「はいはい、すぐにお片付けを……ブシュン! あー、何なのこのくしゃみ。どれお戻しになられたのを片付けて、っと……ん? なんでちゅか靴下ちゃん、僕へのプレゼントでちゅか……ってギャア! ズタズタになったネズミじゃん! グロいのやだー!」
「こらー! 新入り怖がってるんじゃないよー! 喜んで戴いて、新しいのをネズミ小屋から放ってこいー!」
こ、これがネコ地獄……なんということでしょう、囚人たちはネコのありとあらゆる仕打ちに耐え、喜んでお受けしなければならないようです。しかもこのディレクターさんの症状は何でしょう。まるでネコアレルギーのようですが……
「だ、だよね? これネコアレルギーっぽいよね? ギャア! く、黒ネコ様、爪をお立てにならないでください! 痛い痛い! ブシュン! グシュン! あー目が痒いー! 腕も痒くなってきたー! 僕ネコアレルギーなんてないのにー!」
そういえば聞いた覚えがあります。花粉症というのは花粉だけじゃなく、空気中の粉塵と一緒になることで症状が悪化するとか。つまりこのネコ地獄も、この火山灰やら火山性ガスによってアレルギー症状が強烈になってしまう状態なのではないでしょうか。
「えー、そんなのやだー!」
「こらー! 新入りー! 何ぼーっとしてるんだ! そこの白ネコ様と茶虎様がお喧嘩なされているだろー! お怪我されたらどうするんだー! さっさと仲裁しろー!」
「そ、そんなこと言われても……全力で戦われているじゃないですか……は、はいっ! そこまで! そこまで……ってギャアア! 痛い痛い! 二匹がかりは止めてー!」
何と恐ろしい。ここのネコは相当に獣の本性を残しているようです。かなりの攻撃力、瞬発力……まさに地獄と言っても過言ではありません。このままではディレクターさんも長くはないでしょう。ちょっとお城に戻って現地政府に解放してもらうよう交渉してみますので、少し辛抱していてください! では!
「えー、そんなー。置いてかないでー!」
◇ ◇ ◇
お奉行様に事情を説明しましたが、なんというか悪い意味での官僚主義、色々とたらい回しされてしまい、解放してもらうまで三日もかかってしまいました。やっぱり私、行かなくてよかった……ディレクターさんの命に別状はありませんが、身体中がひっかき傷だらけ、目も鼻も真っ赤です。
「もういい! 当分ネコは見たくない! シーズン2、完!」
いやいや、そんなこと言って。明日にはネコに会いたくなるに決まってます!
ミニッツテイル・イワノヴァの異世界ネコ歩きシーズン2! 第八回は「ネコ地獄」をお送りしました。そういえばあのネコ地獄ですが、出所しても後に戻りたがる罪人さんが結構いるとかいないとか……あれだけの仕打ちをされてもまた世話をしたくなるあたり、完全に魂を奪われてしまっているのでしょうね。それこそがネコの呪いの本性なのかな?