第五回 世界最後のネコたち
寒い……ここのところ急激に気温が下がって、身体が全く追いつきません。風が吹くと顔が痛くなるし、指先は感覚なくなるし足はしもやけになるし……『ロシア人なのに寒いの?』って聞かれることが良くあるんですけど、寒いものは寒いんです!
そういえば行ってみたい異世界があったんですけど、凄い寒いらしくて……寒いのやだなぁ……と見ないことにしていたんですが。どうせ地球も寒いんだから、いっそのこと無茶苦茶寒いところに行ってやれ! 取材なら調温装備も着られるし、むしろぬくぬくだよね! ふふふ、我ながら名案です。よし、早速プロデューサーさんに提案しよう!
「えー、あのスーツはレンタル料結構高いんだよなぁ。厚着して頑張ろ?」
う。まだ金欠問題は解決してないのですか……じゃ、じゃあこの異世界はまた次の機会に……え? もう公団に申請しちゃった? でも審査に時間がかかるし、キャンセルしても……安全度Aで審査不要? そ、そうですか……仕方がない、言い出しっぺでもありますし、ここはお家からモフモフ装備を沢山持ってきて我慢することにしましょう……
◇ ◇ ◇
うわああああ! 想像以上に寒い! 速攻で涙は出てくるし鼻の中は凍るし、息をするのも苦痛です! どこが安全度Aなんですか! と、とにかくこの吹雪では何も見えません、探検隊の地図を見て安全な所に……あっちです! あっちの方に遺跡が……とにかくダッシュで向かわなければ!
……ふぅふぅ、何とか横殴りの吹雪から逃れられました。ちょっとコンロで珈琲でも温めて一息吐きましょう。実はこの異世界、『死にゆく世界』だなんて物騒な呼ばれ方をしています。それもそのはず、ここの太陽は活動を終えつつあって、日に日に弱くなっていっています。おかげで元は温暖だったろうこの世界は、ご覧の通り氷の惑星になってしまいました。
元は相当に進歩した文明があったようです。見てください、吹雪の向こうにある影は、全て摩天楼のビル群です。そして私たちが待避してきたこのコンクリートサイロのような建物も、実はビルの最上階なんですね。ほら、下に続いている階段があって、底の方は雪と氷に埋もれてしまっています。見た感じひびも崩れもなく、置かれているソファーも埃にまみれてはいますが、まだフカフカです。せいぜい捨てられて十年程度の劣化具合に見えますが……
「コンピュータ、再起動して機能初期化!」
おお、事前学習してきたプロデューサーさんの声に従って、天井一面が明るくなりました。私たちが入ってきた窓も何らかのエネルギーフィールドで覆われ、あっというまに内部も暖かくなっていきます。そしてどこからともなく高機能ルンバのような機械が現れて、床に積もった塵を掃除し始めました。ひゃー、これは全自動メンテナンスビルディングなのですね。寒くなければここに住みたいくらいの居心地の良さです。
しかしここに住んでいた人々は、随分急いで避難したようですね。ドリンクは飲みかけで凍り付き、電子パッドのような物が無造作に放り出され、細々とした雑貨や書類が散らばっています。きっと気候変動が急激に起きて、寒冷化以前の大規模な災害があったんでしょうね。津波とか竜巻とか……
さて、こんな具合なので最初にここに訪れた探検隊は、少し探せば避難し生き残った『彼ら』に会えるだろうと期待したようです。どれ、私たちも少し暖まりましたし、吹雪を避けて街の中心部に向かうことにしましょう。
◇ ◇ ◇
ぎゃあ! 外に出た途端やっぱり寒い! 凍る! しかし前に進まなければ! ……中心部に向かうに従ってビルや遮蔽物が増えてきて、風も随分穏やかになってきました。雪の吹き込みも減ってきて、部分的には元の地表らしき場所も窺えます。当然、全部凍り付いてしまっていますが……それでもあのビルと同様、未だ稼働し続けている建物があります。見てください、ネオンサイン……というか何らかの手段で発光している看板があります。凍り付いた扉を蹴破ってみると、内部は暖かな明かりに包まれていて、沢山の机と椅子があります。きっとレストランなのでしょう。
「コンピュータ、今日のおすすめ!」
いやプロデューサーさん、さすがに食事は出てこないでしょう……ってきた! 高性能ペッパーくんのようなロボットが、トレイに載ったステーキのような物を運んできます!
「探検隊も、随分ここのご飯を食べたらしいよ?」
へえ、そうなのですか……すいません、寒さに気後れして予習を怠ってしまいました……しかし食材はどうなってるんだろう。どれどれ、バックヤードを覗いてみると……ふむ、見かけは肉や野菜であっても、全部何種類かのペースト状の原料を組み合わせて加工しているようです。それにしても原料は腐ったりなくなったりしていそうなもんですが……うぉっ、急に天井がバカンと開いて冷気が流れ込んできました! 何事……おお、配送ドローンです! 大きなドローンが調理装置にタンクを落とし、去って行きます! あれはきっと近くの工場から飛んできたのでしょう、そこは未だ稼働していて、建物の要求に応じて資材を運んでいるに違いありません。ますます、この都市が捨てられたのは最近の事のように思えます。
そう探検隊も考えて、徹底的に街を捜索したそうですが、結局生きている知的生命体は見つけることが出来ませんでした。それもそのはず、これらの建物は何らかの自己生成補修機能を持った素材で作られていたんです。遺伝子コードのような設計図を全てのセルが持っていて、壁や床だけでなく、その機能までもが自動的に補修・保全されています。ほら、壁をザイルで殴って傷をつけても、見る間に治っていくでしょう? 分析の結果、この都市が捨てられたのは百年以上前ではないかと言われています。つまり住人は皆去ってしまい、生きているのはこの街の機能だけ……なんというか、空恐ろしくなる世界です。
……おっと! 異世界ネコ歩きなのに、勝手にライバル視している人気番組「異世界不思議発見」みたいになってしまいました。そう、私たちが求めているのはネコ。実はこの世界で唯一発見された生物がネコなのです。さっそくその場所に行ってみることにしましょう。
◇ ◇ ◇
ご覧ください、正面に見えるアレ。氷に覆われた世界だというのに、何故かあの一角だけが緑に包まれています! 近づいてみると、ドーム型のパワーフィールドが展開されているのがわかります。どうやらこのゲートから中には入れるようですね。幸いにして以前来た探検隊が基地にしていたため、凍り付いていません。近づくと扉が左右に分かれて、暖かい空気が流れ出てきます。
ふぅ、やっぱり温度はこれくらいじゃないと。広さはサッカーフィールドほどですが、木々が植えられ、芝生が整えられています。そして……いました! ネコです! 極普通の鯖白さんが、ベンチの上で丸まっています。
うーん、この絵だけ見ると、本当に普通の公園の風景だなぁ……しかし外は極寒の世界。そして木々は想定以上に成長してしまったようで、パワーフィールドの天井で遮られ、奇妙に歪んでしまっています。公園は二メートルほどの壁で覆われており、光と熱はそこから提供されているようです。そしてやっぱり、ロボットが……来ました。メンテナンスロボットです。保守作業に特化し余計な機能は付いていないようで、私たちの呼びかけにも全く応じません。ただただ彼らは芝を整え、ネコの落とし物を片付け、壁の奥へと戻っていきます。
別にここのネコたちは勝手に入り込んだわけではなく、ここは私たちの世界で言うところの「ふれあい動物園」のような所だったらしいんですね。ロボットたちにはネコに餌を与える機能もあり、さすがに健康診断までは出来ないようですが、死んでしまったネコを拾い上げ、壁の奥へと運んでいく様子が確認されています。そこには物質分解装置のような物があり、肥料として転換されているようです。
与える食事の量が一定なため、個体数はそれほど増えずに済んでいるのでしょう。『彼ら』が去ってから何世代目なのかな……ん? この壁のディスプレイに書かれているのは、何かのメッセージでしょうか。翻訳装置を通して見てみると……ふむ、ネコたちには全て名前が付けられ、その行動が全て表示されるような仕組みになっているようです。写真はあの鯖白さんと似ていますね。あの子の先祖でしょうか。
1136(恐らくタイムコード) 運営:公園に新しいお友達が増えました! 鯖白のとても可愛い女の子、(恐らく"アル"と読む固有名詞)ちゃんです。まだお母さんの元を離れられない小さな子ですから、みなさん無理に触れたりしないでくださいね!
1192 運営:随分大きくなって、活発に跳ね回っています! お母さんから離れて叱られることも沢山。高いところが大好きなので、木の上を探してみてくださいね。
1203 (恐らく"シーア"と読む固有人名):真ん中の木の上にいた! 呼んだけど無視されちゃったけど。好きな食べ物とかあるのかな?
1204 運営:アルちゃんは(恐らく"パグ"と読む固有名詞)が大好きですよ! 少しなら管理室からもらえるので、声をかけてみてください!
1310 シーア:パグを持って行ったら、木から飛び降りてきた! ふわふわ! この子、私と誕生日が同じなの。また来るね!
アルちゃんは、シーアという女の子と仲が良かったようです。いい施設だなぁこれ。地球にも欲しいですね。それからもシーアちゃんは度々訪れてアルちゃんと遊んでいたようです。色々と悩みを打ち明けたり、進路について相談したり……しかしアルがお母さんとなった頃から、ぱったりとメッセージが途絶えてしまいました。そこからは淡々と運営メッセージだけが続いていきますが、これはアルちゃんだけではありません。他のネコのメッセージボードにも、市民らしきものは現れなくなりました。
1684 運営:パグを食べ過ぎで戻してしまいました……本当にこの子は食いしん坊ですね。
1775 運営:(恐らく"トロア"と読む固有名詞)と喧嘩。もう何度目でしょう。大けがをしてはいけないので、子供ともども居住エリアを変更しました。南側を探してみてくださいね。
1922 運営:【システムコール】訪問者対応機能レベルを最小に変更。今後ドローンのユーザーインターフェイスは停止されます。
1922 運営:【システムコール】エネルギー循環モードをレベル6に変更。損失分は以下の順で補充を申請。591、224、61。施設からの資源の持ち出しは厳禁。
2098 運営:【システムコール】個体維持は長期モードに変更。自律稼働レベルは最大に変更。以降、コントロールパネルは使用不能となります。
明らかに何かが起きている様子です。そして最後に記されているのは、シーアちゃん……いえ、立派に成長してシーア博士となっていた彼女の物でした。
2402 シーア:ごめんなさい。本当に頑張ったの。どうしてネコの存在がジャンプエンジンに悪影響を与えるのか……でも結局、何もわからなかった。本当にごめんなさいアル。残された時間はない。もうすぐ最後のジャンプシップが飛び立つの。未だに納得出来ない。全ての動物、全ての植物の実体を新世界に運べるのに、どうしてネコだけが駄目なのか……でもあなたたちを、無為に氷の世界に残すようなことはしない。この施設の保持レベルを最大に設定したから、少なくとも38221(恐らくタイムコード、三百年程度か?)は稼働し続けるはず。きっとアル、あなたは死んでしまうでしょうね。でも私はいつか、この問題を解決して、あなたの子孫を迎えに来る。だからここで、待っていてね。
◇ ◇ ◇
私は正直、真剣に悩みました。シーアさんの残したメッセージ通りなら、あの世界でもネコたちはあと二百年、生き延びられるはずです。でも急に施設に不具合が起きたりしたら一瞬で終わりだしなぁ……やっぱり地球で里親を探した方が……けど異世界から何かを持ち込むのは結構面倒で、それなりの理由がないと認められない事が殆どなんです。凄い革新的だとか、貴重だとか……そういう評価基準からすると、残念ながらネコは……うーん。
しかし生命倫理的な問題もありますし、この世界のネコたちのことは定期的に見回ってもらえるよう、ターミナス公団にお願いしておきました。それにシーアさんの種族の寿命もわかりませんから、ひょっとしたら長年の問題を解決して迎えに来た彼女と出会えるかもしれませんしね。
死にゆく世界の夜、吹雪は少し収まって、空に輝く星々が見えるようになりました。鯖白さんが見上げるその先にはきっとシーアさんが住む新しい星があって、彼女は今でもアルの子孫たちを救うため、懸命に研究を続けていることでしょう。
ミニッツテイル・イワノヴァの異世界ネコ歩きシーズン2! 第五回は「世界最後のネコたち」をお送りしました。