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こどくにいけるしかばね  作者: Aprilz
孤独に往ける尸
4/5

U-57

 新緑の候。太陽も徐々に調子を出してきたのか、五月も始まって五日を迎えたばかりだというのに気温は既に33度を突破したようだ。

世間一般では気温が30度を超えると真夏日、35度を超えると猛暑日と呼ぶそうだが、俺個人としては五月を夏と呼ぶのはいささか性急に過ぎると思うのだか、その点を皆様方はどうお考えになられるのだろうか?


 縁もゆかりも無い小学校の体育館裏で、俺は草に埋もれながらも鎮座するくすんだ白箱の観音開きを興味本位で開帳して後悔した。

長らく手入れがされていなかったのか、焦げ茶色した小ぶりな徳利が箱の天板にぶら下がり、質素な内部空間で異様な存在感を醸し出している。



「よもや、百葉箱が養蜂箱と化していようとは……」


 温湿度を確認した後に矯めつ眇めつ眺め続けていたらようやく眼前に堂々と居座る異物の存在を認識して、そのまま興味本位で突き壊してようやっと正体を理解した俺は、何事も無かったかのようにそっと百葉箱の扉をして、そそくさとその場を後に。全く、蜂なんかに刺されてゲームオーバーなんてしょうもない結末、俺は認めねえからな!


 警鐘を鳴らすかのように喧しく脈打つ鼓動を落ち着かせている間に、俺は蜂たちからの追撃がやって来ない事に安堵を覚えながら暫く休む。

 蜂の活動期間はどのぐらいなのだろうとの疑問から始まり、ここのところ蜂蜜も食べた覚えが無いなと思考が脱線する頃には荒くなっていた呼吸も落ち着いたので、バールを片手に立ち上がり本日のメインイベントを俺は再開する事に。



 振り返ればすぐそこ、本日のイベント会場は此処、甘日市立日台小学校体育館の特設ステージにて行われます!ゲストにはなんと、俺こと郁江正司さんが出演するそうです。みんな〜元気かーい?


 郁江選手、バールを大きく振りかぶって……投げた!

 バール、くるりと舞って……パリーン!おっと郁江選手、いきなり建物のガラス扉二枚を破壊しての入場です。

突然のサプライズに会場のお客さん達もビックリ! 慌てふためいておりますが大丈夫でしょうか?


「つれねーじゃねえか、俺はお前達に出会えた幸運に悦びで震えているってのに」


 逃げ惑う児童を牧羊犬の様に優しく壁際に導いてあげる俺。仲良し教室へお邪魔する際に使ったバールを片手に鬼ごっこの始まりだ!

 鬼に捕まった最初の生徒は小学3年生ぐらいのぽっちゃりとした男の子だった。鬼のバトンタッチは容赦がない。男子の丸刈りを鏡割りの様にズゴッと抉ったバールの突先が、ピンク色に染まった脳漿を周囲に飛び散らせた。

 悲鳴を上げる間も、おそらく痛みを感じる間も与えられずに絶命した男の子。そんな彼を見て鬼はバトンタッチは無理だなと嘆息を漏らすも仕方ないかと気持ちを切り替えて次の獲物を探す。


 小さな女の子がズゴッ!大きな男の子もズコッ!っと乾いたような水っぽいような音を体育館に響かせる。

バールを持った鬼さんは、辺りに遊んでくれそうなお友達の姿がついに一人もいなくなってしまった事を確認すると、「つまらなーい」と愚痴をこぼして遊び終えることにしたようです。どうやらゲストには今日のイベントは物足りなかったようですね。


 床に散乱したおやつや缶詰を拾い上げて状態を確認した後、満足そうにうなずいた鬼さんは、血みどろの会場を後にします。物騒ですね、こんな危険人物が真昼間から出歩いているなんて甘日市の治安は大丈夫なのでしょうか?


「まっ、大丈夫なわけねーよな」


 体育館を出て帰路につくことにした俺は、街路に続く壊滅した風景を見て呟く。


 焼け落ちたり倒壊した家屋。

 電柱に突っ込んで横転したバスと、そこへさらに突っ込んだ乗用車の山。

 電線は垂れ下がり、バチバチっと火花を散らして、その近くにいた人物に襲い掛かる。


 ジュウ……と肉を焦がす音と、ほのかに香りも漂ってくる。しかし、火花に焼かれた人物は表情一つ変えることなく、ボコ穴開いたレンガ通りをフラフラと歩く。


 その者の腕はしっかりと焼き爛れていた。だがなるほど、その者がそのことを気に留めなかった理由もまたハッキリとみて確認できる。

 そのモノには、顔面の半分が存在していなかった。そのモノには脇腹にポッカリと開いた大きな風穴が存在した。

 立って歩いているだけでも異常なのだ。ソレには今更表皮を炙られようとも、今更気にも留める道理がないのだろう。


 俺は、そのモノの背後に音を立てずに近寄ると、何のために忍び寄ったのやら気安く肩を叩いてよっ!と話しかけた。

 そのモノは体ごと振り返り、焼失した顔面の内無事だった顎と片目をグパァと広げると、見かけからは想像もつかない暗い俊敏な動きで両手を頭の上に挙げて、そして……


「バァァァァ――!」


 一目散に走り出した。まるで俺から逃げ出すかの如く。


「チッ、つまらねーなぁ」



 俺は、どこにでもいる普通の高校生。名は郁江正司だ。

しかしまぁ、この方書きは数年前にとうに捨てた。



 卒業することも出来なかった学生時代。……別に俺が学生だった過去に囚われて成長していない的な話ではないぜ?単に学校からのボイコット、『我々はこれ以上授業が出来ません』という斬新なお断りをされてしまったせいだ。こちらがバックレるとかでは無くよもや向こうから願い下げとはこのご時世に恐れ入ったぜ。



 まあそれも奴らが出たってんなら仕方がない。

かつては劇場スクリーンや家庭用ゲーム機などの空想世界で猛威を振るっていたりしたゾンビ達が、まさか現実に現れるだなんて誰も思いもして無かったんだろう。


 俺以外、はな。


 俺は、かつて憧れてたんだ。荒廃した世界を生き抜くかっこいい男に。

 核戦争後の何もない大地で、貴重品であるはずの水や燃料を何故か湯水の如く無駄遣い出来るモヒカンの連中から掻っ払い、孤高に生きることに夢見た5歳の夏。

 謎の洋館に閉じ込められ、ナイフ一本で異形の蔓延る屋内から脱出を妄想したり、ゾンビ溢れるショッピングモールで取材と称して様々なアイテムを合成して、どれがゾンビに一番有効な武器かを試してみたかった小学5年生の夏。



 でもまあ、俺に幻想を抱かせる事になった一番のきっかけは父方の祖父が語った武勇伝。

 なんでも昔、祖父はゾンビ溢れる研究施設から命かながら逃げ出してきた研究者の一人だったんだと。

 あの研究室から逃げ出すために一人残った勇敢な仲間や、命を懸けて守った女性の話などの話は、幼い子供だった当時の自分の心を揺さぶった。

 そのせいで、あの頃は巷じゃ変わった子として奇異の視線で見られ、親御さんに友達付き合いを断られることがちらほらあったが、一番許せないのは高校進学の際、俺が都会に引っ越す事になった際に、餞別として爺さんが話した事の真相だ。


 なんてこたない。八割がた嘘八百のデタラメだった。ただ、その研究所があったことは本当だし、内部感染で封鎖されたことも本当だが、爺さんが語ったドラマなんてありはしなかった。

 ウイルスが研究室内に漏れた直後に緊急閉鎖システムが働きコンクリートで研究室ごと固められたので、脱出も何も当時爺さんは非番で出勤してなかったんだと。おかげで、今尚死者が蠢く不気味な研究所で真相を追う謎のジャーナリストを目指していた俺の将来の夢は脆くも崩れ去ったし、その為に色々頑張って身体を鍛えて中学三年間の人間関係を棒に振ってしまった。正直こうなるまでは全部嘘っぱちだったんじゃないかと疑ってたぐらいなのだが、もしかしたら本当だったのかも。まあ今となっては確かめるすべは無いだろうな。



 そんな訳なので、夢を奪われた俺は高校では腑抜けた暮らしをしていた。

 中学三年間で得られなかった友人を得て、周囲の人間の言葉に耳を傾けて、面白くも無いのに笑って、意味も無いのに身体を鍛えて、無意味な妄想はやめられなくて。


 高校に入学して早一か月。今年のゴールデンウィークは初めて出来た友人と遊園地で遊んで、女の子とも仲良くなって、それから交友を深めて当たり前の日常を過ごしていくのだろう。

 普通の生活……ね。こんなの、何が楽しいのだろう?



「——って、おい郁江。さっきから話しかけてるのに上の空じゃねぇか、一体どうした?」

「強面でガッシリしてるのに見かけによらず結構危なっかしいよね、ふふっ面白い」

「声も渋いからてっきり怖い系の人なのかと思ったら一人称が僕だしね〜、ギャップにびっくりだよ!」


「なんだぁ?お前もしかしてヒーローショーに興味あるのか? いや別に悪く無いと思うが全然似合わねぇよ!」

「あー、私の弟も見てるんだけど、割と話がシッカリしてるから面白くてついつい見ちゃうんだよね」

「またまたぁー。イエロー役の俳優が好みで携帯の待ち受けにしてる人が今更何いってるんだか。あれーそういえばあの俳優確か正司君に——」

「ちょっとストーップ! なに本人が近くにいる側で口走っとんじゃいっ」


「おーい、生きてるかぁ?」

「……え?ああ、すみません。ボーとしてました。

えっと、今日の夕飯がまたカレーになりそうな話でしたっけ?」


「その話は一時間前に終わったでしょうがお爺ちゃん!」

「アイタッ!」



「ありゃー。アレはかなりの天然さんだわ」

「うそっ 聞かれてない? 良かったぁ……」



 これが友人と過ごす普通の高校生活……か。

もし彼らがゾンビなら俺は如何する?決まっている——


「わっ、ちょ? 悪かった、悪かったって。

そんなに怒んなよ」

「おー怖ッ?!」

「……カッコいい」


 しまった、知らぬ間にまた目付きが鋭くなってしまったようだ。

 そうだよな、普通の人間なら自らの友人を躊躇なく手にかけたりはしない。つまり今のは俺が悪い。



「えっと、別に怒ってる訳じゃあ無いですよ。ただちょっと痛かったからこの恨みをボールにぶつける日が来たとして、その先にたまたま和也君がいても僕は悪く無いかなって」

「キャプテン翼!? すまん、本当に悪かったって。

その顔で暗殺予告なんてされたら眠れない夜が続きそうだから頼むから許してくれ!」


「あはは、冗談ですって。人聞きの悪い。 僕ちょっと傷つきますよ。

目付きが悪いのは……アレですよ。痛いので涙ぐんでたら恥ずかしいじゃあないですか、高校生ですし」

「お前はピュアな中学生か!

可愛いこと言ってんじゃねえぞ、この組長先生め!

……と、さて。いい加減次のアトラクション決めるか、それとも少し歩き疲れたから休憩はさむとしますかね?

お二人さんはどうよ?」


「私は少し休みたーい」

「私も」



「それじゃ、ナイーブなお年頃の郁江クンにお詫びも兼ねて俺っちが飲み物でも買って来ますかね」

「流石にそれは悪いですよ。行くなら僕も——」


 支払いは別として、流石に一人で三人分、自分の分も含めたら四人分も持たせるのは大変だろう、せめてもう一人、いや正直な事を言えば女性二人と一緒にお前の帰りを待つのは俺には難易度が高い。と思って情けない悲鳴を上げそうになるが、その前に話に割り込まれた。


「なら私が行くわ。コンタクトが少しズレたから近くの化粧室に行きたいし、そのついでに買いましょう」

「おっ、悪いな梨深。

つーわけで、郁江はそこで有希ちゃんのボディーガードとしてどっしりしていなさい」


「またあなたは適当なことを」

「いや、どっからどう見てもお嬢様を守る厳つい護衛か何かに見えるだろう、見えるよな?」


「はいはい、バカな事を言ってないでさっさと行きましょう」

「いでで?! やめっ、頬をつねるなよ」



 やれやれ、女性二人と一緒に居残るなんて最悪な状況は避けられたみたいだ、と思いたいところだが、よく考えたら一緒に残された彼女からして見たら話し相手が関係の浅い俺しかいなくなったわけで、むしろこっちの方が気まずい気がしてきた。

 弱ったな、まさか女性に『君が好きなゾンビのタイプはなんだい?』なんて質問で会話が弾むとは思えないし。


「正司くんは……どんなタイプの女性が好きですか?」



 え、まさかの質問?!

参ったな、ブリッジした股の間から首を生やしている女性が好みでなんなら襲われても良いなんて答えようものなら、パンピーにはドン引きされる事間違いなしだし。中学の時は実際それで大失敗してる。

 さて、どうしたものかと答えを悩んでいると、ステージに連れさらわれた小さな男の子が赤いヒーロースーツを着た人と握手をしていた。


 無邪気なものだな。たしか、俺があれぐらいの年頃にはヒーローものには見向けもせずに、どこにも居やしないゾンビ達と戦いに明け暮れる日々を夢見ていたものだが、今となって何も知らなかったあの頃が一番幸せだった。

 戻れるものなら戻りたい。けれどいくら願っても時の流れは前に戻らないんだ。だから俺は、もう間違わない様に、これからは『普通』に暮らして……


「僕の好きなタイプか、なにかこそばゆい感じがするね。うーん、何だろう……」

「わ、私が好きなタイプは……少し強面で、ガッシリしてるんだけど、渋い声なのに実は大人しくて……えっと……」



 顔を真っ赤にして、少し潤んだ瞳でこちらを見つめる彼女。自惚れかも知れないけれど、対人経験の浅い俺でもここまでされたんじゃ流石に分かる。

正直、こんな短期間で、こんな俺のどこに彼女を惹きつける要素があったのかは定かではないが普通に暮らしてたら一度くらいはこの様な経験をする機会だってあるのかも知れない。

 このまま、愛の告白なんてしちゃたりして、付き合うことになって、でも案外あっさり別れたり、いやいや生涯愛し合うことになったりして。そんな普通の毎日が、もしかしたら——



「キャアアアア——!」


 耳に突き刺さるかのように飛び込んできた甲高い女性の悲鳴が思考を遮った。悲鳴は前の方の席にいる小さな女の子から発せれていた。


 あんな小さな子からこれだけ大きな声が出るなんて、とズレた考えが一瞬頭に浮かび上がったが、前方に移した視界を脳が認識した途端にまるで雷に撃たれたかのように俺の全身に衝撃が走った。


—— 男の子が、おっさんに食べられている。


 噛み付かれた。や、齧られた。などの表現では生ぬるい。

 男の子のふくらはぎや首すじの肉などが中年男性に噛みちぎられ、咀嚼され、嚥下され、また食べられる。


 その食事は、ステージに上がり込んだ30代ぐらいの女性がドロップキックとともに乱入するまで続けられ、その間にもヒーロースーツのレッドが暴れ出し、ヒーローショーのスタッフ達では収集がつかなくなっていた。


 きっと、親子だったのだろう。女性が男の子を両手に抱きしめ、天を仰ぎ涙を零しながらゆっくりステージを降りていく。

すると横合いから仲間のヒーローを押しのけ、暴れ回るレードが女性に向けて突進、それを見て俺は……俺はッ!


「いだっ?!……ッ!」


 女性は、肩を噛まれたが、そんなことは知った事ではないとばかりにレッドを力の限り蹴り飛ばす。

 その頃には、ヒーローショーを観ていた観客達は思い思いの叫び声を出してすり鉢状の客席を駆け上がり、逃げ惑っていた。



 俺は、ただずっと立ち竦んでいた。

これがこれが俺がずっと待ち望んでいた光景なのか?

だとしたら、ああ何という事だろう。こんもの、みせられたら、俺は——



「……狂い、そうだ」

「ねえ、早く逃げよう?」


 左手を見ると、袖口を引っ張りながら俺に向かって懸命に話しかける彼女の姿があった。

周囲の人々が他の人間を押し退けてまで我先にと駆け上がる中、なんて彼女は健気なんだろう。


「……泣いているの?」

「……え?」


 いつの間にか、俺の頬には涙が伝っていたようで、それを指ですくい取った彼女は、まるでぐずる子供を寝かしつけるのように俺に胸を貸して語りかける。


「大丈夫、君は死なない。

二人でこの遊園地を抜け出してまたいつもの日常に帰るまでは、私たちは死なないの」



—— 違うんだ、違うんだ有希さん。

俺が涙を流すのは、俺があの時前に踏み出せなかったのは……



「キシャァァア——!」

「え? キャッ!」


 視界の端で、襲いかかるダレかの影。

それを理解した瞬間、俺が泣くには少し狭い胸元の持ち主を両手に抱き寄せて、影を蹴り穿つ。


 ゴキッっと、何かをへし折ったような確かな感触とともに、ソレはすり鉢状の底に向かって沈み逝く。


 首があらぬ方向に曲がった人影は、血を転げて更にその在り方を生きた人間と違えることになる。それでも、ソレは止まらない。


「シャアァアァアァ——」


 ソレはもはや、意味を成さぬ音の羅列を生み出すだけの肉塊に成り下がっていた。口だけが何かを啄ばむように動くことをやめない。これが生物だとはとても思えない程に無機質で無意味な行動に、俺は……



「うっ、うう……」

「ま、正司くんは悪くない、悪くないの!」



 感動で涙が止まらなかった。

 感激に震えが止まらなかった。

 感情は抑えられなかった。


 これが、これが俺の望んだ世界!

とても無残で嗜虐的で、感動的なまでに美しく、だからこそ守りたい。


 左から来たソレは蹴り飛ばした。

 右から来たソレは踏み砕いた。

 両手を広げて迎え入れてあげたソレは優しく首をくるりとへし折った。


 この瞬間、おれは確かに世界に受け入れられた気分になっていた。すぐ側にはヒロインがいて、それを守る王子となった俺は、この救いのない世界で希望を求めて戦い続ける。あるいは自分こそが希望なのかもしれない。

 ああ、なんて素晴らしいんだ、俺が求めた本当の世界!



——なんて、それは自惚れだったのだろう。

襲いかかる人の形をしたナニカは、何も成さぬまま俺に潰され、すり鉢に沈む。

 いつの間にか、有希は俺の足元近くで震え、頭を抱えていた。恐怖に耐えられなくなったのかもしれない。まあ、人の形したナニカを躊躇なく潰していく俺という異常者が近くに居るのも原因かもしれない。


 きっと、ことが終われば彼女も俺を避けるようになり、また以前のように誰とも関わらない生活がやって来るだろう。それでも構わない。たとえこの喜ばしい日が今日限りだったとしても、この感動を糧にこれからも退屈な毎日を生きていけると思えるぐらいに、俺は今日充実していた。



—— だから、足元をすくわれた。


ほぼ同時にヤツらが5体も押しかけてきた。

俺の手足は四本、直立には最低でも1本。頭突きを含めるとしてもどうしても一手足りない。


右足で素早く前の二体を潰し、続いて素早く引き戻して背後にもう一体、両手を左右に伸ばして奴らの髪を掴み引き寄せて頭蓋を砕いて、ダメだ、その間に前からまた一体……



「あぶない!」



 ガブリ!


「いっ——たぁぁぁぁぁあ!」

「くそがっ!」


 俺のヒロイン、有希に噛み付いているそいつの顎を蹴り砕き、丁寧に剥がす。


「えへへ、ごめんね。噛まれちゃった」

「なんで……俺を庇った」


「それはね……君のことが……好き、だからだよ」

「なんでだよ、人になじめず、誰の役にも立たないような俺なんかを、何で……」


「だって、変わりたくても変われない……変わり方が分からなくて悩んでいるような顔をしている人……放っておけないじゃん」



 彼女が、冷たくなっていく。

この時、俺は初めて自分の中で何か大きな喪失感を覚えていることに気が付いた。

 思い返せば、俺が高校に入って迎えた日常は、実はそれほど悪い物ではなかったのではなかろうか?


 中学時代とは違い、旧友にも恵まれ、休日にはこうして男女で遊園地になんて出かけている。

それのなにがいけなかったのだろう?ゾンビのあふれた日常?そんなの、自分が日夜のめり込んでいたゲームの中で十分こと足りていたじゃないか。

 そのゲームの中でお前は何を得られた?チャット仲間はコロッといなくなるし、一緒にプレーしていた連中からは空気の読めないヤツとしてルールに反したわけでもないのにキックを食らったりもしたな。

 そのほかの創作物や筋トレ、使うかも分からない雑学の全てが無駄だったとは言わない。しかしそれらは、本当はお前の孤独を埋める為のものだったんじゃないか?


 その証拠にどうだ。お前が恋い焦がれたゾンビ達は、果たしてお前の心の空っぽを埋め尽くしてくれるのか?目の前に待ちわびた愛しい存在がいるというのに、この空虚さはなんだ。


「僕が、俺が好きなのは、好きだったものは……」

「正司くん……元気でね」



―― 俺の心を埋めていたかもしれない少女、有希の体は抜け殻の様にグッタリとして、冷たくなり、そのまま目を覚ますことはなかった。

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