少女は今日も汚される
まさかヤマメが突然抱きついてくるとはパルスィも予想していなかったが、実際に触れてみると案外あっさりしたもので――それも当然と言えば当然だ、”触れてはいけない”という戒律は、所詮パルスィが自分で勝手に決めたルールでしかなかったのだから。
自分で許可を下せばそれでおしまい、幸福な結末かどうかは別として、問題は簡単に解決するだろう。
だが、それが出来るのならやはりはじめから悩んだりはしないのだ、自分を許せないからこそ迷宮に迷い込んだ今がある。
ヤマメとの接触から数時間が経過した今でも、彼女の体の感触が消えてくれない。
それどころか、温もりすらまだ残っているような気がしてしまう始末だ、こんな有り様で正常な思考など出来るわけがない。
また触れたい、もっと近くに行きたい、いっそ胸の内を全て吐き出してしまいたい、そうやって欲望のままに行動しようとする不埒な自分をどうにか押し付けるので精一杯だ。
だから言ったのに、最初から触らなければよかったのに、と案の定パルスィは強い後悔の念に苛まれていた。
昨晩のことだってそうだ、ヤマメが完全に忘れていたから良かったものの、酔っ払って前後不覚に陥った相手に無理やりキスするなど、絶交どころか牢屋にぶち込まれても文句を言えない極悪非道の所業である。
キスをした後、パルスィはヤマメをお姫様抱っこのまま家まで送り届けた。
ポケットから鍵を拝借して勝手に家に上がり、布団に寝かしてから、唇に軽くキスをするなどと余計なことを多分にして自分の家へと帰った。
その時点でも、冷静な自分は自身のあまりに身勝手な行いを叱責して止めようとしていたのだが、欲望が、本能が理性を軽く上回っていたのだ、その程度で止まるわけがなかった。
後悔したのは家に帰ってからだ、しんと静まり返った自室に戻りようやく冷静さを取り戻し、その場で頭を抱え込みながらしゃがみこんだ。
「ああ、あああ、やってしまった……ついにやってしまった……最低、最悪、弁護しようのない変態だわ私っ……」
ゴロゴロと床を転がりながら、ヤマメへの行いを悔いて悔いて、喉が枯れる程に嘆く。
それが昨日の夜の出来事。
何度も、何時間も自分に対して呪詛を吐き続けた。
夜が明けて外から人の声が聞こえてきても止めようとしない、うめき声にしか聞こえない呪いの言葉を呟き続ける。
それを数えきれないほど繰り返した後、自己嫌悪がようやく落ち着いてきた頃に、ちらりと時計へと視線を移した。
もうじき正午になろうかというタイミング。
なんと夜が明けて昼になるまでずっと自己嫌悪を続けていたらしい。
気持ちが完全に落ち着くまでまだ時間が掛かりそうではあったが、パルスィにはそれより優先するべき事項があった。
徹夜による気だるさと精神的なダメージによって上手く動かない体を引きずりながら、ゆっくりと外出の準備を進める。
義務ではないし、本来なら自重するべきということも理解している。
しかし、もしヤマメが橋に来て自分がいなかったら、万が一彼女を寂しがらせるような事があってはいけない――そんなとんちんかんな義務感がパルスィを突き動かしていた。
懲りないやつだ、と自分でも笑ってしまうほどの愚かさだ。それでもヤマメに会いたいと言う衝動は尽きることはなく、脳内では自分を罵倒しながらも着々と準備を進めていく。
後悔していた自分はどこへやら、ご丁寧に鏡をチェックして、身なりを細かくチェックしていく。
ネガティブ思考で埋め尽くされる脳内、しかしその一方で、髪は乱れていないか、服にシワはついていないか、目の下にくまは出来ていないか、ヤマメに見せても恥ずかしくない格好か、などと浮かれた事を考える脳天気な自分も居るのだ。
本能とはこうも御し難いものなのか、理性が自制を促す一方で、本能はそれを完全に無視してヤマメを求めようとする。
以前からその傾向はあったが今よりは命令を聞いていたはずだ、時間を経るごとに悪化の一途をたどっている、このままでは自分で自分をコントロールできなくなってしまう。
その証拠として、自分の意思とはあまりにかけ離れた行動をとってしまった事が何度かあったはずだ。
例えば昨晩のキス、さっきのハグだってそうだ、以前のパルスィであれば止められたはずだったのに。
後悔したのは深夜から昼にかけて、それから数時間の後にすぐにヤマメに抱きついてしまったわけだ、節操の無さで今のパルスィの右に出るものは居るまい。
ヤマメの抱きついた後に自分の家に戻ってきたパルスィは、戻るやいなや深夜と同様に寝っ転がり、自分の顔を両手で覆いながら唸るように呪詛を唱え続けていた。
「自分の意思の弱さが嫌になるわ、なんで私みたいなのが存在してるのかしら、しかもよりにもよってヤマメの隣なんかにっ」
自己嫌悪の材料にしたって前に進まないことは、自分自身で証明済みだ。
現状を変えなければならない、ヤマメへの気持ちを綺麗さっぱり忘れてしまえればベスト、しかしそんな都合のいい結果を得るための方法があるわけなどない。
いっそ地上の有名な薬師にでも頼んでみるか、とも一瞬考えたが、あまりにリスクが高過ぎる。
なにより、それを実行出来るほどの行動力がパルスィにあるわけがなかった。
なにせ、捨てたい忘れたいと思いながらも、同時にヤマメへの気持ちに対する未練も多分に残っていたのだから。
そもそもそんな簡単に捨てられるのなら、最初から恋などしていない。
捨てられないから恋をしたのだ、狂おしいからこそ恋と呼ぶのだ、だったら衝動的に抱きしめてしまうのも当然の成り行きではないだろうか。
「だからって告白するわけにもいかないでしょうが……」
自分以外の誰かがヤマメの隣に居るのは嫌だ、けれど、自分がヤマメの隣に居るのは何よりも大きな間違いだ。
自己嫌悪の塊が自己評価を底辺に定めるのは当然の行いだ。
すでに答えは出ている、何度悩んだって出す結論は一緒だ、ただ行動に移す勇気が足りないだけで。
どうやったら勇気を得られるのだろう、お姫様にキスでもしてもらえれば、勇者よろしく性欲に起因するとてつもない勇気が湧いてくるのかもしれないが、これには大きな問題点がある。
その姫が、ヤマメだということだ。
やはり自分でどうにかするしかない、しかし自分ではどうにもできない、じゃあどうしろと。
悩んでも方法は思い浮かばない、そもそも最善手なんて物を探すこと自体が間違いなのではないだろうか。
ヤマメと出会って何年経った? その間何度同じことで悩んできた? 今まで何度だって切り出すチャンスはあったはずなのに。
二度と来るな、もう会わない、お前なんか友達じゃない、傷の浅いうちにそう伝えれば良かっただけの話。
ヤマメを傷つけることになったかもしれない、それでも自分のような汚らしい存在がヤマメを汚し続けるよりはずうっとマシだ。
泣き顔は見たくない、傷つけたくない、守りたい――一見してご立派な高説のように思えるが、そんな物は所詮パルスィ自身の都合に過ぎない、本を正せば自分自身が傷つきたくないと思っているだけなのだから。
フラストレーションが、パルスィを内側からパンクさせるほどに溜まっていく。
爪をカチカチと鳴らしながら、歯を食いしばり、叫びたくなる衝動をなんとか抑えこむ。
後悔の結末はいつだって一緒だ。
結局は不可能の再確認をするだけで、自分には現状を変える力など無いのだと、無力さと愚かさを確認しなおすだけの作業。
ストレスを溜めるだけの無駄な工程。
いつものことだ、だからこの後どうするのかも、パルスィにはよくわかっていた。
溜まった物は発散しなければならない、そのための方法をパルスィはたった一つしか持ち合わせていない。
顔を覆っていた両手を床に投げ出すと、むくりと上体を起こす。
「そういう自分が嫌いだって言ってるのに……まあ、今更だけど」
パルスィの汚れとは、節操無く他人の女を抱き続ける罪に他ならない。
自分自身でもその行いを悔い、嫌い、故にヤマメとの触れ合いを禁じているはずなのに、どうして止めようとしないのか。
大した快楽があるわけでもない、もちろん愛もない。
確かに相手は可愛い少女ではあるが、ヤマメに比べれば雲泥の差だ。
だから、優先するべきは明らかにヤマメの方であるにも関わらず。
パルスィにも理解できない、嫌いだと言うのなら変わればいいのに、どうして自分は変われないのか、変わろうとしないのか。
「だから、んなことわかるなら最初から悩まないっつーのっ!」
苛立ちを掛け声代わりに、パルスィは勢いをつけて立ち上がる。
悩んだって仕方ない、そう理解はしていても、理解しただけで悩まないで済むのなら苦労はしない。
悩みたくなくても悩んでしまう、自分を嫌っていても辞められない、それが生き物という物なのだ、今のところはそう納得することにした。
「……ああ、もういいや。
今だけでもいいから忘れましょう、今日のことは綺麗さっぱり!
さーて、気分転換に仔猫ちゃんにでも会いに行きますかっ」
時間感覚が正しければ間違いはないはずだが、一応時計を確認しておく。
彼女から聞いた話が正しいのなら、そろそろ仕事が終わる時間のはずだ。
仕事場まで迎えに行けば、きっと彼女は彼氏にも見せないような可愛らしい笑顔を見せてくれるだろう。
パルスィにとって笑顔の可愛さなどはどうでもいいことだ、大事なのは”彼氏にも見せないような”と言うフレーズであって、言葉だけで満腹になってしまいそうなほどの満足感がある。
早くこの苦しみから開放されたい――その一心で、パルスィは急いで身支度を済ませ、例の場所へと向かうのであった。
少女はとある店の看板娘だった。
彼女を目当てに来店する客が居るほどの人気者で、どうやら例の彼氏もそのうちの一人だったらしい。
男の熱烈な求愛に折れ、最初は仕方なく付き合い始めたらしいのだが、実際に付き合ってみると思っていた以上に誠実な性格でそれなりに幸せにやっていたとのことだ。
パルスィに出会うまでは、だが。
少女も男も奥手だったようで、二人はまだ肉体関係を結ぶには至っていなかった。
つまりは、初物だったわけだ。
てっきりやることはやっていると思っていたパルスィにとっては思わぬ収穫であった、確かに初物は面倒な部分もあるが、彼氏に奪えなかった物を先に奪うというのは中々に気分がいい。
二人が初めて事に及ぼうとした時に、男が少女の手慣れた挙動から別の誰かの存在に気付くかもしれない、自分より先に少女の裸に触れた誰かの存在に嫉妬してくれるかもしれない。
そういった歪んだ嫉妬は特にパルスィの大好物だ、これまた想像するだけで思わず涎が垂れそうになるほどに。
店の暖簾を潜ると、フリフリのウェイトレス服を着た少女が営業スマイルでパルスィを迎えた。
「いらっしゃいませ!」
その天真爛漫な接客は、まさに看板娘と呼ぶに相応しい物だ。
今までは少女から聞いていただけだったが、こうして実際に見るとパルスィも思わず納得してしまうほどだった。
店にやってくる客限定ではあるが、アイドル扱いされてもおかしくはない。
「頑張ってるわね」
「あっ、おね……」
「駄目でしょ、人前でその呼び方しちゃ」
「そ、そうですよね……すいません」
「そろそろ上がりの時間よね? それまで店の中で待たせてもらうわ、案内してくれるかしら」
「はいっ! ふふふ、本当に来てくれるとは思いませんでした」
「どうしてもって言ってたしね、あんな可愛いらしい表情でお願いされたんじゃいくら私だって断れないわ」
「えへへ、ありがとうございます」
パルスィと会話する少女の表情は、先ほどの営業スマイルとは打って変わって、まさに恋する乙女の表情。
言い方を変えれば、雌の表情とも言えるかもしれない。
店内の男どもはそんな彼女の態度の変化に気づいたのか、落ち着かない様子でこちらをちらちらと伺っている。
どうやら話を聞く限りでは、少女は例の彼氏とのお付き合いを内密にしているらしく、ほとんどの客はそれを知らないとのこと。
あんだけ大通りで堂々と手をつないでいたのではバレるのも時間の問題だったのかもしれないが。
恋人の存在を秘密にするとは、まさにアイドル扱いだ。
そのアイドルが謎の女の前でデレデレとあられもない表情を見せるという予想外の事態に、ファンたちは慌てているのだろう。
中には露骨にパルスィに睨みつけてくる妖怪もいるほどだ。
おそらくその男は、パルスィが今までしてきた所業の数々を知っているのではないだろうか。
有名人というほど有名ではないが、勇儀やさとり、ヤマメあたりの友人のさらに友人ぐらいであれば、噂でその存在を耳にしたことはあるかもしれない。
あるいは、今までパルスィが食ってきた少女たちの”元”彼氏の一人なのかもしれない、要するに被害者というわけだ。
そう考えると憎悪に満ちた視線にも合点がいく。
パルスィはそんな刺のある視線を浴びながら、心地よい嫉妬に満足しつつ、上機嫌に悪女めいた笑顔を浮かべた。
「こんなんじゃ、注文する前にお腹がいっぱいになっちゃうわね」
「へ?」
「ふふ、貴女の制服姿が可愛いからそれだけでお腹がいっぱいになりそうってことよ」
「も、もうっ、おね……パルスィさんったらいつもそんなことばっかり言うんですから」
「仕方ないじゃない、恥ずかしがる貴女が愛おしくて仕方ないのよ」
「ううぅ……」
パルスィを目の前にしてほんのり染まっていた少女の頬は、ますます火照っていく。
まるで妹に接する優しい姉のようなパルスィの振る舞いは、言うまでもなく演技である。
基本的に少女と接するときは柔和な笑顔で、可能な限り相手が警戒を解くような表情を作ることを心がけている。
一見して恥ずかしがる少女を優しく見守っているようにみえるかもしれない。
しかしよく観察してみると、先ほどの嫉妬の視線に対して浮かべた悪い笑みのように、時折隠し切れない邪な表情が漏れ出てしまっている。
彼女とて完璧ではない、ただその穴がヤマメでもなければ気付け無いほどに小さいだけだ。
だが、少女に対して微笑みかけるパルスィの表情に関しては、完全に演技とは言い切れない。
本心から笑っているからだ、問題はその正体なのだが。
その笑顔の正体とは、”少女が可愛い”からではなく、”少女が彼氏ではなく自分の前で女の表情になっている”ことに対する愉悦なのである。
純粋すぎる少女はもちろん気付いていないし、第三者が傍から見ても、パルスィの人間性を知る者以外はその歪みに感づく者は居ないだろう。
カウンター席に腰掛けたパルスィは、注文を聞こうとする少女に向かって「貴女のおすすめをお願い」と悪びれもせず無茶ぶりをしてみせた。
断るに断りきれず、少女は困った顔をしたまま厨房の前で立ち止まってしまった。
しばし考え込んだ後、何か思い当たる節があったのか、調理担当へとあるメニュー名を伝えた。
遠くからそれを聞いていたパルスィは、再び性悪そうににやりと笑った。
以前に一緒に出かけた時、それとなく好みを伝えておいたのだ、抹茶を使った甘味が好きなのだ、と。
ちなみに本当にパルスィが抹茶が好きなのかと聞かれれば実際はそんなことはなく、これはいわば少女に対するテストのような物だった。
何の意味もなく思い立ったわけではない、パルスィが試すような真似をしたのには理由がある。
それは、少女がバツが悪そうに語った例の彼氏の話に起因する。
彼は店の常連だったにも関わらず、その彼好みのメニューを覚えられない、得意気に”いつもの”と注文された時も、何がいつものかわからずに間違えてしまった、そんな微笑ましいエピソードである。
その話を聞いた時、パルスィには、だったら自分ならどうなるのだろう、とちょっとした興味が湧いたのである。
彼氏のことは覚えられないのに、自分のことなら覚えてくれるだなんて、ああなんて素敵なのだろう――気づかないうちにまんまと謀略に乗った少女の姿を見て、パルスィは実に満たされた気分だった。
こうして満たされている間は、悪女である自分になりきっている間だけは、後悔にも嫌悪にも苛まれずに済む。
現実逃避と言えばその通りだ、しかし嫉妬を糧とする妖怪としては実に理にかなっている。
やろうがやるまいが、どうせ自己嫌悪は消えないのだから、だったら徹底的に汚れてしまった方が気が楽だ、気分が乗っている今はそう楽観することが出来る。
嫉妬というネガティブな感情を好む妖怪とはいえ、自身がいつまでも沈んでいたのでは、いつか心が壊れてしまう。
要するに、これはパルスィにとっての必要悪なのだ。
しばらく待っていると、自信有り気な表情で少女は甘味を運んできた。
運ばれてきたメニューは、予想した通り抹茶パフェである。
「よく覚えてたわね、私の好み」
「あっ、もしかして試してたんですかっ!?」
「んー、そうとも言うかもしれないわね。
貴女がどれだけ私を想ってくれているか知りたかったのよ」
「パルスィさん、結構いじわるですよね」
「可愛い子はいじめたくなっちゃうタチなの、諦めなさい」
ガラスの器の真ん中には抹茶のソフトクリームが載せられ、その傍らには餡の塊がどっしりと鎮座している。
餡以外にもみかんや黄桃、パインと言ったフルーツや、白玉、寒天が散りばめられており、食後の甘味としては少々ボリュームがありすぎるほどの迫力である。
だが表面が溶けて輝くソフトクリームは、例え本当は好みではなかったとしても食欲をそそるには十分すぎるほど魅力的だったし、幸いにして今のパルスィはそれなりに空腹の状態だったので一人で食べるのに問題はなさそうだった。
早速パルスィはスプーンでソフトクリームを掬い、一緒に少量の餡を載せて口に運ぶ。
抹茶の苦味に餡の甘みが混ざり合った、絶妙な味と冷たい感触が口に広がる。
性格は悪いし趣味も悪い、だから”普通の”と言う形容詞を付けることはできないが、パルスィだって女の子だ、美味しい甘味を口にして嬉しくないわけがない。
思わず頬が緩む。
その表情だけは唯一、演技も誤魔化しもない、素の表情であった。
店の佇まいは和風ではあるが、今の地底では洋風の甘味もそう珍しいわけではない。
とは言えど、どこの店にでも抹茶パフェなんてモダンな食べ物が置いてあるわけではない。
この店は地底ではそこそこ名前が通った店なのである、流行を追う者なら一度は一度は訪れたことがあるであろう注目株なのだ。
本来なら店の席は女性で埋まっているような雰囲気なのだが、少数派とは言えない程度に男性が混じっているのは、おそらく看板娘の存在があるからだろう。
幻想郷の、とりわけ地底の食文化の進化は最近になって急速に早まっている、地上との交流が盛んになった影響なのは間違いない。
これは喫茶店に限った話ではなく、例えば居酒屋だってそうだ。
フライ系やチーズを使った料理が増えてきたし、以前はほぼ和酒だけだった酒の種類も今では洋酒の方が種類が豊富な店もあるほどになっている。
逆に以前からあったメニューが消えることもあり、少々懐古主義的な部分のある勇儀としては複雑な心境らしいが。
店員が客にずっと付き添っているわけにもいかず、パルスィは一人で抹茶パフェと平らげていた。
仕事を終えるための準備をしているのか、しばらくフロアで少女の姿を見ていない。
しかしそろそろ頃合いだ、会計を済ませて外に出ればちょうど合流出来るかもしれない。
支払いを済ませたパルスィは店の外に出ると、壁に背中を預けてぼんやりと人の流れを眺めていた。
次の獲物はどうしようかな、などと不埒なことを考えながら。
自分でも下衆い思考だと理解はしているが、こうでもしなければ余計なノイズが混じってしまう。
考えたくても頭に浮かんでくる彼女の表情が、感触が、温もりが、そしてそれに連なるようにして、後悔と嫌悪が。
それが自分の本来の姿だということはパルスィも重々理解している、歯の浮くような言葉で少女の心を掻っ攫う自分など、所詮は逃避のための仮面に過ぎないのだ。
誤魔化し続ければ、いつか綻ぶ、そして壊れる。
その日がやってくるまで、もうそんなに時間が残されていないことだって、痛いほどに理解している。
歯止めは効かない、言うことも聞かない、自分がまるで自分で無くなるような、本来の自分をちっぽけな自制心に押し付け続けたツケが。
「お待たせしました、お姉さまっ」
「駄目じゃない、まだ店の近くなんだから。他の人に聞かれたら困るでしょう?」
「本当なら聞かせたいぐらいです、私はお姉さまの物なんですから」
初めの頃は、後ろめたさから街を歩くのにもおどおどしていたというのに、少女はパルスィの手によってすっかり変えられてしまっていた。
彼を裏切る行為であったとしても、むしろそれを誇る有り様である。
いつぞやのヤマメの言葉を借りるのならば、まさにこれを”調教”と呼ぶのだろう。
こうして堂々と町中を歩いているにも関わらず未だに浮気がバレていないのは、幸運と言うべきか不運と言うべきか。
パルスィとしてはバレようがバレまいがどちらにしても美味しい方へと転ぶので、全く気にしていないのだが。
二人は迷うこと無くある店へと向かっていたのだが、途中で突然少女が足を止める。
「あの、お姉さま」
「どうしたの?」
「えっと……やっぱり今日も、あの宿に行くんですよね」
「当たり前じゃない、それとも他に行きたい場所があった?」
「いえ、私も行きたいのはやまやまなんですが、その……」
少女は言い難そうにしている、出来れば厄介事だけは勘弁して欲しいのだが。
こういった関係になった以上、ある程度は恋人らしい事をしてやるつもりではあるが、面倒事に付き合うほどの愛情は無い。
万が一それが長引くようであれば、今すぐこの場で全部明かして捨ててやってもいいのだけれど――パルスィは微笑みながらも、心は冷め切ったままにそんなことを考えていた。
「風邪っぽくて、ひょっとしたらお姉さまに伝染しちゃうかもって」
「なんだ、そんなこと?」
「そんなことなんて、とんでもないことですよこれは!?
万が一にでもお姉さまが病気になったら大変ですっ、それも私のせいでなんて!」
「大げさねえ。
大丈夫よ、こう見えても私って結構丈夫にできてるんだから。
それにね、風邪を治すのにちょうどいい方法があるのよ」
もちろんそんな都合のいい方法はない。
風邪ごときで欲の発散が出来ないのは困る、それを防ぐためのただの方便だ。
「ちょうどいい、方法?」
「聞いたこと無い? 風邪を引いたら、汗をかいたほうがいいのよ」
「へっ? いや、でも、それって別にそういう意味じゃ……うわわっ、お姉さま、待ってくださいよぉっ」
「ほらほら、つべこべ言わずにさっさと行くわよ、時間は限られてるんだから。
私は貴女を早く愛したくて仕方ないの、わからないかしら?」
「うぁ、あい、あい、して……っ。
わ、わかりました、今日も、よろしくお願いします」
少女は抵抗することを止め、観念して大人しくパルスィに従う。
言われてみれば、少女の頬は通常よりもいくらか赤らんでいるような気もする。
しかし、彼女はパルスィを前にすると強弱はあれどいつも顔を赤らめていたから、パルスィはその変化に全く気付かなかった。
だが、仮に気づいてたとしてもパルスィは宿に向かうのを止めようとはしなかっただろうし、少女が頑なに拒否していたとしても強引に連れて行っていただろう。
胸の内で渦巻くどす黒い欲望が不快で仕方ない、何としても早い内にこれを消してしまいたい。
そのために、今日は少女を抱くと決めたのだ。
所詮は遊びでしか無い、それ以上でもそれ以下でもなく、結局は欲望を発散するための道具でしか無いのだ。
使えない道具に意味などあるだろうか。
少女にも意思がある、時には拒まれることだってあるだろう。
だとしても、パルスィに少女の都合などは関係ない。
自らの欲求を満たすためなら多少の強引さがあっても構わないと思っていたし、無理やりならそれはそれで、そういうプレイも悪くはない。
例え嫌われてしまったとしても、次の獲物を探せばいいだけなのだから。
そのためなら、人目につく場所でお姫様抱っこをしたって構わないと思った。
どうやら少女は姫のような扱いをされるのが苦手らしく、こんな人混みの中でお姫様抱っこなんてされた日には、恥ずかしさのあまり失神してしまうに違いない。
かくして二人は連れ込み宿へと向かい、少女は知るべきではない快楽を教えこまれる。
堕ちていく、面白いほどに。自由落下も真っ青な落下速度である。
少女が自分の名を呼びながら腕の中で果てるたび、パルスィの中の嗜虐心と自己嫌悪は膨らみ続けるのであった。