最悪の友人(二人目)
「乾杯!」
勇儀が音頭を取ると、回りの妖怪たちも一斉に盃を掲げ高らかに乾杯と叫ぶ。
誰も彼もが上機嫌に盃に口を付けると、それを傾け一気に喉へと流しこむ。
喉を流れる熱いアルコールに、その内の何人かは思わず「くぅ~っ」と唸ってしまった。
意図したのではない、思わず漏れてしまったのだ。
一日中貯めこんできた欲望を満たす命の雫、胃袋どころか魂すら満たすほどの充足を与えるアルコールに逆らえる者など居ないのである。
勇儀主催の飲み会にヤマメが参加しないわけもなく、彼女も周囲の妖怪たちと同様に酒の魔力に酔いしれていた。
人気者の彼女の回りに人が尽きることはない。
だが一つの人影がヤマメに近づいてくると、彼女の回りに集っていた妖怪たちは蜘蛛の子を散らすようにどこかへと去ってしまった。
ヤマメは不思議そうに人影の方へと視線を向ける。
そこには、古明地さとりの姿があった。
「おやヤマメさん、今日は珍しく一人なんですね」
さとりは去っていく妖怪たちに目をくれることもなく、清酒の注がれたグラス片手にヤマメの近くへと歩み寄り、座布団の上にちょこんと腰を下ろした。
誰に対しても分け隔てなく接するヤマメは、地底の嫌われ者であるさとりでさえも受け入れていた。
確かに自分の心の中を読まれるのは良い気分はしないが、”その程度”で避けたりする必要は無いはずだ、というのがヤマメの考えだ。
そんなヤマメに対して「頭おかしいんじゃないですか」と言い放ったさとりは、もはや心を読む読まないに関係なく嫌われ者の素養があるとしか思えないのだが。
だがそれもまた、ヤマメにとっては些細な問題なのである。現にその時のさとりの暴言も「あはは」と笑って軽く流してしまったのだから。
「一人じゃないよ、さっきまで大勢に囲まれてたじゃないか」
「そういう意味ではなく……はぁ、わかってるならわざわざそういう言い回しをする必要はないんじゃありませんか。
パルスィさんと何があったんですか?」
「別に、何もなかったけど。
ただ単に、パルスィが女の子を連れ回してて忙しいから飲み会には参加できないってだけだよ」
さとり相手に隠し事をするだけ無駄だ、どうやら彼女はヤマメとパルスィの間に何か愉快な出来事があったのではないかと察して近づいてきたらしい。
いや、彼女の場合察したというよりは、心の中を覗き見て確信したからこそ近づいてきたのかもしれないが。
ヤマメにも何となくだが心当たりはあった。
おおよそ、そのネタでヤマメをからかって酒の肴にでもするつもりなのだろう。
「でも、心当たりはあるんですよね?」
「相変わらず色々手順をすっ飛ばして話すよね。
まあ心当たりっていうか、多少思う所はあるけど、そんなに私がパルスィと一緒に居ないのが珍しい?」
「ええ、私の記憶が正しければ、今までヤマメさんが参加している飲み会にパルスィさんが参加しないことは無かったと思います」
さとりが断言すると言うことは、間違いなくそうなのだろう。
ヤマメ自身に自覚はなかったが、どうやら第三者から見ると隣にパルスィが居ない状態と言うのは違和感を覚えるほど当然のことらしい。
確かに、ヤマメは今日の飲み会の中で何度か不可解な視線を向けられていた。
何かを勘ぐるような、不思議な物でも見ているような。
理由がわからないので多少気味悪さを感じていたのだが、これで合点がいった。
しかし、気づけば一緒に居ることが当たり前になっていたのを喜ぶべきなのか、はたまた悲しむべきなのか。あれで中身がまともだったら素直に喜べるのに――とヤマメは複雑な心境だった。
「良い友人じゃないですか、羨ましいです」
「わかってて言ってるんだからタチが悪いよね、さとりって」
「いえいえ、本心ですよ」
「あんなの悪友だよ」
「それが羨ましいんです、笑いながら悪友だと呼べる相手が居るなんて、きっと毎日がスリルに溢れているに違いありません」
スリルとロマン溢れるアドベンチャーに導いてくれるような素敵な友人であれば良かったのだが、生憎パルスィがヤマメに提供するのは呆れぐらいの物である。
ヤマメにとっての悪友と、さとりにとっての悪友の間には天と地の差があるに違いない。
「問題は、その悪友さんと、見てるこっちがこっ恥ずかしくなるような青春のワンシーンを演じてしまったことですよね」
「……まあ、ね」
「顔が少し紅潮しましたね、まあ私が図星を突かないわけがありませんから、間違いなく図星なんでしょうけど。
どうして私と一緒にいるの……一緒に居て気が楽だからよ……ふふふ、私も一度ぐらいは言ってみたいですね、そんな台詞」
「や、やめてよぉ」
「やめませんよ、私は他人の嫌がる顔が大好物なんですから。
ヤマメさんの今の顔なんてたまりません、お酒がぐいぐい進みますね、最高の肴ですよ」
さとりの性格の悪さは本当に心が読める力のせいなのだろうか。
ヤマメは、さとりを友人として受け入れてしまった過去の自分のうかつさを今更ながらに呪っていた。
いや、むしろ普通に生きいても嫌われてしまう彼女だからこそ、他人に嫌われることを厭わずに自由奔放に振舞っているのかもしれない。
どうせ嫌われるのなら、自分から嫌われてしまえ、と。
「パルスィさんもここに居ればもっと面白いことになったんでしょうけどね」
「悲惨の間違いでしょ?」
「立ち位置が変われば状況も変わるものです、ヤマメさんたちの不幸は私にとっての幸福ですから」
他人の不幸は蜜の味という言葉は、今のさとりの為にあるに違いない。
「ですが、進展の遅い物語はあんまり好きじゃないんですよ、私」
「物語って、何の話さ」
「もちろん、ヤマメさんとパルスィさんの物語です。
確かにもどかしさを楽しむのも一興なのかもしませんが、こう見えて私はせっかちなんです」
「だから、一体何の話をしてるの?」
「ですから、ヒントをさしあげましょう」
「人の話を聞けー!」
彼女の身勝手は今に始まったわけではないが、今日のは輪をかけて酷い。
心を読む能力を持つさとりは、こちらから話さずとも全てを理解してしまう。
わかっていることをいちいち聞くのは彼女にとって面倒なことなのだろう、しかし与えたつもりの無い情報を前提として話を進められるのは、こちらとしては非常にやり辛い。
段階を踏んで話そうと計画を立てていても、彼女はその二手先三手先の話を勝手に始めてしまうのだから。
例えば、さとりと外出する約束を取り付ける時、「ねえさとり」と話しかけるとしよう。
すると彼女はこう返事するのである、「わかったわ」と。
確かに意思の疎通は出来ているし、効率が良いと言えば良いのだが、会話をするこっちの気持ちにもなって欲しいものだ。
「原因は貴女ではない、彼女――つまりはパルスィさんにあります」
「はぁ、もういいよ、さとりが私の言葉なんて聞くつもりがないってのは十分わかったから」
「私に言葉なんて必要ありませんから」
「会話ってのはお互いを尊重しあって初めて成り立つの、さとりだけが満足したって意味ないでしょ」
「身に染み付いた習慣と言うのは中々消えないものです、今までヤマメさんにさんざん注意されましたので治そうと努力はしているつもりなのですが」
「嘘でしょ、それ」
「いえいえ、滅相もありません」
ヤマメは他人の心が読めるわけではないが、さとりが嘘をついていることだけははっきりと理解できた。
ポーカーフェイスはさとりの特技の一つと言ってもいい。
今はわざとわかるように、愉快なジョークのつもりで嘘をついたのだろう。
「で、原因がパルスィさんにあるという話ですが」
「何の原因? 私には心当たりがないんだけど」
「ヤマメさんが今まさに頭に思い浮かべている、”それ”の原因です」
ヤマメが頭に思い浮かべていたのは、つい先日に起こった出来事だった。
しかも一度や二度じゃない、一番近い記憶がその時だったというだけで、ヤマメとパルスィの二人は何度も同じやりとりを繰り返している。
「平気だ、気にしてないと言いながら、実は心の底ではとても気にしているんですよね」
「別にそういうわけじゃ……」
「ヤマメさんは土蜘蛛ですから、”触るな”だなんて言われたら傷つくに決まってるじゃないですか。
病を操る力に絡めて悪く考えてしまうことぐらい、心なんて読めなくても普通はわかると思うのですが。
パルスィさんったらデリカシーに欠けてますよね、あんなのが美少女食いまくってるって言うんだから世の中どうかしてますよ。
ですが、安心してください。
さっきも言った通り、パルスィさんが触れられるのを嫌がってるのは、ヤマメさんに原因があるわけじゃないんです」
「じゃあ何が理由なのさ」
「そこまでは言えません、だって答えになってしまいますから」
「ここまで言っておいてそれはないよ!」
「ヒントだと言ったではないですか、これ以上はダメです。
一方的に相手の気持ちを知るのはアンフェアだと私は思います」
「アンフェアの権化が何言ってるんだか。
もう、これじゃあ余計にもやもやするだけじゃん」
「土蜘蛛だから腫れ物扱いされている、と言う最悪の可能性だけは消えたのですからいいではないですか」
「そりゃそうだけど。
でも、もうちょっとヒントをくれたっていいんじゃないかな」
パルスィに原因があると言うことがわかったところで、彼女が口を開かない限りは理由はわからないままだろう。
答えを教えてもらうのが一番手っ取り早いが、心を読んで答えを知ることがアンフェアだと言うさとりの気持ちもわからないではない。
さとりは基本的に非常識だが、超えてはいけないラインは自分で理解しているようだ。
「仕方ありませんね、それではもう一つだけヒントをあげましょう」
「いいの?」
「ご期待に沿えるほどの物かわかりませんが。
まあヒントと言うよりはアドバイスですね、答えへ近づくための」
実を言えば、ヤマメがその答えを知りたがっているかと言われればそこまででも無いのだが。
友達として付き合っていく上で、必ずしも体と体の接触が必要なわけではないし、嫌なら嫌でそれなりの付き合い方をすればいいだけである。
だがそれでも、知ることができるのなら知っておくに越したことはない。
知ることでパルスィとの友人関係をもっと円滑に進めることもできるかもしれないのだから。
「いっそ触ってしまえばいいんですよ、それはもう過剰にベタベタと」
「えっ? いやいや、だからそれが出来ないから悩んでるんじゃん、パルスィってば本気で嫌がるんだって」
「でも全力で振り払ったりはしないんでしょう?」
「そりゃそうかもしれないけど、でもわざわざ嫌がることなんてできるわけ……」
やんわりと手を払われるか、距離を取られるかのどちらかだろう。
触られるのが嫌だと言われてからは、パルスィの見える範囲でじゃれあうようにして触ろうとすることはあっても、意図的にこっそりと触れようとしたことは無かったので想像の域は出ないが。
少なくとも、パルスィがヤマメが傷つくような方法で無理やりにでも手を離そうとする光景は想像できない。
「抱きついてみてもいいですし、もっと濃厚な接触でもいいんですよ。
手を手を絡めてみたり、唇と唇を重ねてみたり、おもむろに服を脱いで体と体を重ねてみても」
「無いから! 絶対にありえないから!」
「ふふふ、ヤマメさんってば今一瞬パルスィさんの裸を想像しましたね。やらしー」
「想像させたのはさとりでしょっ!?」
「なるほど、一緒に温泉に入った時の記憶ですか。つまり限りなく実物に近い裸なんですね。
パルスィさんの裸ってこんななんだー、へー、ふーん、ほほーん、さすが美人なだけあって裸も素敵ですねえ。
うわあ、おっぱい大きいしくびれも見事ですねえ、普段はそうは見えないですし着痩せするタイプなんでしょうか。
肌も絹のように滑らかで、確かに同性でもぐらっと来てしまいますね」
「や、やめてよぉっ、見るなぁっ!」
ヤマメはさとりに向けてわしゃわしゃと手を振り回して視線を遮るも、物理的な妨害に効果があるわけもない。
第三の目には全てお見通しなのだ。
顔を赤くしながらじたばたと暴れるヤマメの様子を、さとりはニヤニヤと笑いながら眺めていた。
「パルスィは私の物だ、さとりなんかには見られたくないっ! ってとこですか」
「違うって!」
「ですが心の中ではそう思って……」
「勝手に人の心をでっちあげるなー!」
さとりの表情を見れば、ただヤマメをからかいたいだけと言うのは一目瞭然だ。
一連の動きですっかり息を切らしてしまったヤマメは、ぜぇはぁと呼吸を荒くしながらジト目でさとりを睨みつけた。
もちろんその程度の反撃にさとりが怯むわけもなく、相変わらず人を挑発するような粘着質な微笑みを浮かべ続けていた。
「お、何やら楽しそうじゃないか、私も混ぜてくれよ」
二人が騒いでいると、賑やかさに引き寄せられて飲み会の主催者が盃片手にこちらへと近づいてきた。
あたりに散らばっていた座布団を引きずりながら運び、ヤマメの近くまでやってくると、その上に豪快に腰を降ろす。
「もう、勇儀ってば何言ってるのさ。
楽しくなんか無いよ、私が一方的にさとりにいじめられてるだけなんだから」
「いじめるだなんて人聞きの悪い、私はヤマメさんと愉快なお話をしていただけです。
ほら見て下さいよ、愉快すぎてお酒もぐいぐい進んでます」
「愉快なのはさとりの方だけだろー!」
「何だ、やっぱり楽しそうな話じゃないか」
「だから楽しくないって!」
人の話をまともに聞かない、と言う点においては勇儀はさとりと似ているのかもしれない。
勇儀の加勢によって、劣勢に追い込まれていたヤマメは起死回生のチャンスが到来したかと一瞬だけ希望を抱いたのだが、むしろチャンスどころかさらなるピンチを招いてしまったらしい。
すっかり野次馬モードの勇儀は、ヤマメの味方をするどころか、さとり側に付いてヤマメをさらに追い込もうとしている。
「何やら全裸とかパルスィだとか気になる言葉が聞こえてきた気がしたんだがなあ、もしかしてパルスィが来てないことと関係があるのか?」
「さすが勇儀さん、鋭いですね」
「関係無いから! 本当に関係ないから!」
「必死になってんなあ、逆に怪しいぞヤマメ。
なんだ、もしかして酒に酔った勢いでパルスィとうっかりやっちまったとか、そんな話か?
目を覚ましたら隣に全裸の友人が寝てたってわけか、若いなあ、羨ましいなあ。
いやあ、そうだとしたら赤飯が必要だな、この店そんな物おいてあるかな……」
「近からず遠からずですね」
「いやいや、めっちゃ遠いからね!?
パルスィは女の子連れ込んでるから来れないだけだって!」
「それでヤマメが嫉妬してるって話か。
ははっ、嫉妬はパルスィの専売特許じゃなかったのか? ずっと一緒にいるうちに伝染っちまったのかもしれないなぁ」
「ええそうなんです、パルスィさんと彼女が連れ込んだ女の子との情事を想像してたりしたんですよ。
ヤマメさんってば、やらしいですよね。むっつりすけべです、とんだ好きものです、この公然猥褻物!」
「なるほど、それが全裸でパルスィに繋がるわけだな。合点がいったよ。
しかし年頃の女なんだから全裸ぐらい想像するだろう、私もよく想像してるぞ。
誰とは言えないけどな、はっはっはっ!」
「人の話を聞けー!」
ヤマメにとって、想像しうる限り最悪の組み合わせだった。
怒鳴ってはみたものの、勇儀がヤマメの言うことを聞くわけがないし、口の勝負で心の読めるさとりに勝てる見込みは全くない。
誤魔化して酒を飲もうにも勇儀相手じゃ潰されるのがオチだし、勇儀主催の飲み会の途中で逃げられるはずもなく。
見事な八方ふさがりだった、二人から与えられる地獄をヤマメは享受するしか無いのである。
もはやヤマメに残された手はただ一つだけ。
「飲むしか、飲むしか無いのか……」
嫌なことは忘れてしまえばいい、記憶なんて綺麗さっぱり吹き飛ぶほどに飲んでしまえば、記憶にさえ残らなければ、無かったのと同じことなのだ。
ヤマメはおもむろにテーブルの上のグラスを力強く握ると、勢いに任せて注がれた日本酒をぐいっと飲み干した。
決して弱くはない酒だ、普段の彼女なら間違っても一気飲みなんて愚かな飲み方はしないだろう。
それを、あえてした。
喉が焼けるように熱い。胃袋までアルコールに冒されて滾っている。
その熱気は次第に体内だけでなく、ヤマメの体全体に広がり始め、脳にまで到達する。
まだ酔っ払うには量が足りないが、何度か繰り返して居ればじきにへべれけになれるだろう。
「お、いい呑みっぷりじゃないか。私も付き合うぞ」
「現実逃避ですか、賢い判断ですね」
二人が何か言っているが、ヤマメの耳には届いていない。
グラスの酒を飲み干したヤマメは、急いであたりを見回し店員の姿を探す。
そしてその姿を見つけるやいなや、そこそこ遠くに居る店員に向かって、それでも十分すぎるほどに聞こえるであろう音量で、やけくそ気味に叫んだ。
「店員さーん! 鬼ころし、ロックで、三杯持ってきて!」
あえてその酒を選んだのは、もちろん勇儀に対するあてつけである。
だが当の勇儀は全く気にする様子もなく、実に上機嫌そうに口角を上げながら、運ばれてきた日本酒を水のように飲み干すのであった。