”事後”報告
パルスィが少女を連れ去った日から数日後、大通りは今日も賑わっている。
二人はそんな雑踏を少し離れたところから、人混みを退屈そうに眺めていた。
いつものことである。
ヤマメは今日もパルスィに呆れながら、そしてパルスィは今日も獲物を探しながら、友人として共に同じ時間を過ごしつつも、二人はすれ違い続けている。
今の関係に至るきっかけなんてはっきりとした物は無いが、最初の出会いは勇儀主催で行われた飲み会だったはずだ。
ヤマメは誰とだって仲良く出来る、対してパルスィは獲物を探す時以外は自ら他人に近づくことはしない。
どうやら当時からパルスィの悪癖は健在だったらしく、今になって思えば、彼女が飲み会で孤立していたのはそういった事情をヤマメ以外の全員が把握していたからなのだろう。
孤立と言っても全く誰にも絡まれないわけではなく、親交のある妖怪――例えば主催者であり彼女を呼んだ張本人である勇儀なんかは、ちょくちょくパルスィのことを気にかけてはいた。
しかしヤマメはそんなことを気にすることもなく、ごく普通に、当然の行いとしてパルスィに声をかけた。
もしかしたらその時、他の参加者たちはヤマメが狙われるのでは無いかとヒヤヒヤしながら見ていたのかもしれない。
だが幸いな事にヤマメはパルスィのお眼鏡にかなわなかったらしく、二人の初対面は他愛もない会話を一つ二つ交わしただけで終わり、ヤマメはまた別のところへと移動してしまった。
パルスィも興味なさげに、彼女を目で追うこともなく再び一人飲みを再開する。
始まりなんて、そんなものだ。
ただ、そんな微かな繋がりが何度も繰り返された結果、二人はいつの間にか飲み会以外でも話すようになって、そうやって話していくうちに橋の上が二人のたまり場になり――今に至るわけである。
だから”いつから”と言う問いに対しての答えは、強いて言えばおそらく初対面の飲み会の時になるのだろう。
だがそれは、はっきりときっかけであると言い切れるほど確かなものでもない、”どうして”だなんて、それこそわかるわけがない。
何せきっかけがあやふやなのだから、理由なんてわかるわけがないのだ。
ただ漠然と、一緒に過ごすのが心地よいと感じているだけであって、他に大した理由などありはしない。
狂おしく求めるわけでもなく、かと言って義務感で一緒に居るわけでもない。
ふわふわとした、理由はわからないが心が休まる時間が、あいも変わらず今日も続いている。
「で、この前の女の子はどうなったのさ。まあ聞くまでもなく成功してるんだろうけどさ」
「ええ、性交したわ」
「言うと思った」
「読まれてると思った。
ま、いつもと一緒よ。ヤマメが聞いて面白いことなんて一つもないわ」
「いつもって?」
「連絡先は手に入れたわ、恋人さんにはとても与えられないような、未知の快楽も教えてこんであげた。
ファーストコンタクトにしては及第点ってところかしら」
「なるほどね。それで、やっぱりお姉さまお姉さまって懐かれてんの?」
「まあね、やっぱり美少女にはお姉さまと呼ばれるに限るわ」
「そっか、まさにいつも通りの悪趣味っぷりだね。
じゃあそっから、好き勝手に相手の心も体も弄くり回した挙句、しばらくして飽きたらぽいっと捨てるわけだ」
「失礼ね、すぐには捨てないわ、恋人との関係がこじれるのを見届けてから捨てるの。
ああ、あの妬ましいほどに初々しかった二人の心が徐々に離れて、捻れて、歪んで、終いには壊れてしまう瞬間が待ち遠しくて仕方ないわ。
大抵の男は嫉妬に狂ってくれるしね、お腹も膨れるし、一石二鳥とはまさにこのことだわ」
パルスィはそう遠くない未来の悲劇を想像しながら、うっとりと悦に浸っている。
変わらない、何も。
例えパルスィの性格がドン引きするぐらい悪かったとしても、だ。
むしろ彼女がそうあるからこそヤマメは心地よさを感じているのかもしれない。
別に性格の悪い部分を好んでいるわけではなく、パルスィがパルスィであるから、変わらず彼女らしくあるからこそ、ヤマメは今日も気楽に過ごせるのだ。
被害者には悪いとは思うが、それがヤマメの慕う水橋パルスィなのだから仕方ない。
「ほんっと、性格悪いよね」
嫌悪感を抱いているのは決して嘘でも方便でもない、確かな事実だ。
でも悪い部分も含めてパルスィなわけで。
ある日突然、彼女が改心して女の子に手を出さなくなったのなら、ヤマメは無性に不安になるに違いない。
悪いものでも食べたのか、悪霊にでも取りつかれたんじゃないか、と。
「そうね、ヤマメが思う以上に自分自身でもそう思ってるわ。
でも、その引くほど性格の悪い私と一緒に居るヤマメはかなりの変わり者よね、他の連中は早々に見切りをつけて居なくなっちゃったのに。
ああ、なるほど。もしかして……私に惚れてる?」
「ないない、ありえないから」
「いや待って、言わなくてもいいわ、わかってる。
そうよね、そうなるわよね、だって私ほどの美人だもの、惚れない方がおかしいわ。常日頃からなんでヤマメは堕ちないんだろうってずっと疑問だったのよ。
なるほど、もうすでに堕ちてたのね! そう考えれば全ての疑問は綺麗さっぱりと氷解するわ!」
パルスィは自分の胸に手を当て、もう一方の手を私へ差し伸べてそう言った。
「さあヤマメ、いいのよ遠慮なんてしないで。
私の豊満な胸に飛び込んで、好きなだけまさぐりなさい!」
ヤマメは、差し伸べられた手を無言ではたき落とす。
見た目以上に力が篭っていたらしく、赤く腫れた手をパルスィは目の端に涙を浮かべながら擦っていた。
「い、痛いんだけど」
「たまにさ、私にもパルスィと同じぐらいの図太さがあれば幸せに生きられるんだろうなって、羨ましくなることがあるよ」
「過去に例が無いほど馬鹿にされてる気がするわ」
「どうかパルスィは今のパルスィのままで居てね。
大丈夫、私はいつまでも友達だよ」
「そう言いながら遠ざからないでよ! 本当に悲しくなるからっ!」
徐々にスライドしながら距離を取るヤマメを、パルスィは慌てて追いかける。
離れすぎないように、けれども触れないように。
「こっちこないでよ、たらしが伝染るから」
「伝染るわけ無いじゃないっ」
「パルスィ菌が伝染るー、あっちいけー」
「子供じゃないんだからっ!」
「別にそこまで近づかないでいいじゃんか、ちょっと距離を置きたい気分なの!
それとも何、私の体が目的なの? いやらしいことしようとしてるんでしょ!?」
「そんなわけないでしょうが、私が嫌なの!」
だだのこねあいだ。
どこからどう見ても大義名分はヤマメの方にあるのだが、友達付き合いの良いヤマメは一応パルスィの言い分を聞くことにした。
「何で嫌なのさ」
どうせおちゃらけた答えが返ってくるのだろうと思っていたのだが、パルスィは存外に真面目な顔をした答えた。
「この距離ね、すごく心地いいのよ。
正直なこと言うと、私って他の誰と一緒に居る時よりもヤマメと居る時が一番気が休まるのよね」
「急に何さ、気持ち悪い」
「人が真面目なこと言ってるのに気持ち悪いは無いんじゃないの」
「パルスィが真面目なこと言ってるから気持ち悪いって言ってるんだよ」
「容赦無いわね、かなり傷つくんだけど……」
「自分が今まで他人を傷つけてきた数に比べれば微々たるものでしょ、因果応報だよ」
真面目な話は私たちには似合わない、だから真面目な話はしない。
ヤマメはそう割り切っていた。
彼女が人付き合いに秀でているのは、そういった割り切りがあるからかもしれない。
相手によって、必要な話題しか提供しない。
ふざける相手にはふざけて、真面目な相手には真面目に接して、可能な限り相手の意見を尊重する。
相手を不快にさせないラインを見極める技術、それを無意識のうちに身につけているのだろう。
おそらくヤマメにとっての一番の友人であるパルスィでさえ、その例外ではなかった。
「そうやって私のこと嫌うような素振りは見せるくせに、友達をやめようとは思わないのね」
せっかくヤマメが真面目な流れを止めたというのに、パルスィはこりもせずに茶化す様子もなくそう問いかけた。
ヤマメは困ったように口をへの字に結ぶ。
好きか嫌いかで言えば、間違いなく嫌いだ。
ヤマメは常識も倫理観もしっかりとした妖怪だ、誰かれ構わず手を出すような放蕩者じゃない。
そんな彼女が、パルスィのような邪悪な妖怪を好きになれるわけがなかった。なかったはずなのに――
「好きか嫌いかで言えば、そりゃ嫌いだよ。性格は悪いし性癖は歪んでるし無駄にナルシストだし、そんなの好きになれるわけないじゃん。
パルスィだって自分でわかってるでしょ。
だけど、友達やめるとか、そんな大げさな物じゃないってだけ」
辛うじて絞り出した答えは、そんなはっきりとしない言葉だった。
だからといって、友達を止められるわけがない、一緒に居る時間が無くなるなんて嫌だ、そう思っている。
自分の意思と相反する、パルスィの行いに対して苛立ちはあるし、常識的に考えれば早く止めさせなければならない。
「大げさなことよ、嫌いな相手と一緒に居たいとは思わないわ。
現に今まではそうだったから、ヤマメ以外は私の事を知った途端に離れてしまうのよ」
そう、そのはずだった、ヤマメだって本来ならそちらのカテゴリに属していたはずなのだ。
だというのに、気づけば離れるなんて選択肢は頭から消え失せていた、そばに居て当然だと思うようになっていた。
今では、近くに居なければ不安になってしまうほどに。
「なのに、どうしてヤマメは私の傍に居てくれるのかしら」
「答えないとだめ?」
「できれば答えてほしいわね」
「真面目な話とか、私たちには似合わないって」
「たまには似合わないこともやってみていいじゃない、案外食わず嫌いなだけかもしれないわよ」
「似合わないって再確認するだけだよ、現にこうやって私は苦しんでるわけだし」
「苦しみが大きいほど快感も大きくなるわ」
「……何の話してんの?」
「やあね、邪推しすぎよ。
ヤマメの答えの話でしょ、ほらほら早く教えてよ。どうして私の傍に居てくれるのか」
答えははっきりとさせなければならない物なのか、ぼやけたままの方が楽なんじゃないか。
楽な方楽な方へと逃げようとするヤマメの思考、だがパルスィの視線が絡みついてそれを許してくれない。
答えを出せ、と無言の圧力がかかる。
「わかるわけないじゃん、そんなの」
「あ、逃げたわね」
「逃げてないって、ほんとにわかんないの!
大体パルスィだって私と一緒じゃないさ、二人でいると気が休まるって。
そんなもんだって、私もパルスィと一緒に居ると気が楽っていうか、楽しいっていうか」
「私と一緒……」
「そう、そういうこと。だから、はっきりと言葉で表せるようなもんじゃないの。わかった?」
「ふふ、そう、私と一緒なのね。
わかったわ、今日の所はそれで許してあげましょう」
「何で上から目線なの」
直接的な表現をしたわけではないが、改めて言葉にするとやはり恥ずかしいらしい。
ヤマメは顔をほんのり赤く染め、パルスィを睨みつける。
睨まれたパルスィは、それが照れ隠しだということを悟ったのかニヤニヤと笑ってみせた。
「その顔むかつく」
「別にいいじゃない、赤くなったヤマメもかわいいわよ」
「だから、それがむかつくって言ってんの!」
拳を握りしめたヤマメは、全く自重する様子を見せないパルスィに向かって右ストレートを繰り出す。
もちろん本気ではない。
多少は痛みを感じるかもしれないが、からかった代償としては到底吊り合わない程度だ。
しかしヤマメの拳は届くことなく空を切り、パルスィは金髪をはためかせながらくるりと華麗に回避した。
「避けないでよ、罰なんだから」
「甘んじて罰を受けるほど往生際は良くないわ、それが水橋パルスィという女なの」
「観念しなよ、私の怒りはパルスィに拳が届くまで収まらないよっ、しゅっしゅっ!」
「まあ怖い、でもヤマメだってわかってるでしょう?」
「わかってるよ、わかってるからやってるんじゃん」
ヤマメの突き出した拳は、一見してただのパンチに見えたかもしれない。
だが実はとんでもない力の込められた必殺の一撃だった――わけでもなく、実際ただのパンチではあるのだが、ヤマメにしてみればただの殴打とはまた別の意図を含んだ拳だったのである。
もちろんパルスィもその意図を察している、だからこそ必死で避けている。
「私に触られるのが嫌だって言うんでしょ」
「わかってるならやめなさいよ、人が嫌がることをしてはいけませんって先生に教わらなかったのかしら」
「教わったよ、だからやってるの」
「とんだ反面教師ね」
そう、なぜだかパルスィはヤマメに触れられるのを極端に嫌がるのだ。
友人としてのスキンシップはもちろん、歩いている時に偶然肩が当たることすら拒むほどだ。
かといって、こうして毎日一緒に過ごしていく上で全く触れないなんてことがあるわけもなく、事故でどうしようもなく触れてしまうこともある。
そんな時は決まって、パルスィはバツが悪そうにしながらヤマメにこう言ってくる。
『ごめんなさい』、と。
「真面目な話ついでに聞いておきたいんだけど」
「答えないわよ」
「人に答えさせといてそれはないって! ていうかまだ何も言ってないよ」
「言わなくても話の流れでわかるわ、何で触れられるのを嫌うのか、でしょ?
以前も同じことを聞かれたし、同じように答えたと思うわ。
何度聞かれようと私の答えは一つよ。
ノーコメント、天変地異が起きようとも答えることはできません」
「理不尽だー! 人には無理やり言わせといて」
「理不尽で結構よ、私は嫌な女なの。誰よりもヤマメが一番良く知ってるはずよ」
「そうだけど、そうなんだけど!
くそう、ちくしょう、開き直りやがって……」
こうなってしまうと、ヤマメにパルスィの口を開かせるのはほぼ不可能。
軽い性格と裏腹にパルスィの口は鋼よりも硬い、自白剤でも無い限り答えを聞き出すことは出来ないだろう。
実を言えば、軽い性格と言うのも嘘っぱちなんじゃないかとヤマメは睨んでいる。
そもそも女の子をたぶらかしているのも、妬ましさを糧とするパルスィの妖怪としての特性があるからであって、決して純粋な性欲だけで手を出しているわけではないのだ。
全く性欲が無いとは言わないし、本人の趣味も多分に含まれてはいるのだろうが、それでも本質は別のところにある。
暗くどす黒い負の感情、それこそがパルスィの本質。
明るく振舞っている普段のパルスィとは全く異なる、緑の瞳の奥深くに沈む、おそらくヤマメ以外誰も知らないであろう本当の彼女の姿だ。
「そんなにじっと見たって答えない物は答えないから」
「……わかってるよ、こうなったパルスィはてこでも動かないからね。
でも、いつか絶対に吐かせてやるから」
「どうしてそこまで聞きたがるのよ、大したことじゃないわ、聞いたってがっかりするだけよ」
「だって、嫌だから」
「何がよ」
「友達なのに隠し事あるのは嫌だから、なんかもやもやするの!」
「ヤマメ……」
あまりに真っ直ぐ過ぎる言葉に、思わずパルスィはきょとんとしてしまう。
しかしそんなマヌケな表情も一瞬だけ、すぐに気を取り直すと自嘲気味に笑ってこう言った。
「ほんと、あんたっていい子よね、私にはちょっと眩しすぎるわ」
「馬鹿にしてる?」
「まさか、本気で褒めてるのよ。
私なんかには勿体無いぐらい素直で真っ直ぐで、ほんと眩しい」
パルスィは物憂げに目を細める。
「羨ましいわ」
そうして、二人はまたいつもの怠惰な時間へと回帰していく。
気だるげに頬杖をつきながら、人混みをじっと眺め、他愛もない会話を繰り返し。
多少らしくない会話をしてしまったが、それも雑談の域を出ない、二人の関係をかき乱すには程遠い。
いずれ、数えきれない程の無意味な会話を繰り返すうちに、記憶の砂に埋もれて消えてしまうのだろう。