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ジェラシー




小屋まではそう遠い距離ではなかったが、そこまで歩いて移動するのは、今のパルスィの状態ではかなりの重労働だった。

軽い脳震盪を起こしているのか、脳がぐるぐると回っているような気持ち悪さがある、視界も常にゆらゆらと揺れていた。

ヤマメが行方不明になった時間を考えると、彼女が小屋に閉じ込められてもうかなりの時間が経過しているはずだ。

ヤマメは怪我をしていない、という少女の言葉を信じるのなら緊急性のある状態ではないのだろうが、ぼろ小屋に本気で惚れた恋人を放置して平気で居られるほどパルスィは薄情ではない。

体を引きずるようにして壁伝いに歩き、ようやく小屋の近くまで辿り着いた。すでに少女と別れてから三十分近くが経過していた。


「……ふぅ」


小屋の扉、そのドアノブに手をかけて一度呼吸を整える。

少女の言葉を信じていないわけではないが、不安がないといえば嘘になる。

万が一にでも、少女が嘘を付いていた可能性。

あの手は本当にヤマメの手で、扉を開けたら愛しい彼女の死体が転がっているかもしれない。

あるいは、致命傷を負わされて衰弱死していたら、もっと早く来ていれば助かるような状況だったのなら。

悪い想像は絶えず湧き上がる。

力なく首を左右に振ってそれらを払いのけ、意を決して扉を開いた。

扉の向こうでパルスィを待っていたのは――


「ヤマメ……っ」

「パルスィ……」


床に座り込み、半笑いでパルスィの顔を見上げるヤマメの姿だった。


「ぷっ、なにその顔」

「……人が助けに来たのに、第一声がそれはないんじゃないの」

「だってパルスィが来てくれるのはわかりきってたし、それにその顔、あの子に殴られたんでしょ?」

「ええ」

「あはは、やっぱり。

 そりゃそうだよね、私が同じ立場でも絶対ぶん殴ってるもん」

「……」

「どしたの、黙っちゃって」

「……バカ」

「うわっ、ちょ、どうしたの!?」


もっと追いつめられて、焦燥した顔で待っていると思っていた。

泣きながら抱き合って、感動的な再会になると思っていた。

そんな筋書きを全部台無しにしたヤマメに本当は嫌味の一つでも言ってやるつもりだったが、一番追い詰められていたのはパルスィ自身だったようだ。

嫌味どころか、言葉が何一つ浮かんでこなかった。

色々伝えたいこと、言いたいことがあったはずなのに、もう抱きしめる以外、何も出来なかった。


「バカ、バカ、あんたなんて稀代の大バカよっ、私がどんだけ心配してたと思ってるのよっ!」

「待って、状況がよくわかんないんだけど。

 私かあの子かどっちか選べって言われただけなんだよね?

 だから私は安心してこの小屋で待ってたんだけど……違うの?」


ヤマメはパルスィと少女がどういうやり取りをしたのか知らない。

自分が勝手に死んだことにされていたことも、わざわざ死体の手首を切り取って持って行ったこともだ。

単純に自分と少女の二択を迫られただけだと、そして自分を選んだばっかりに殴られてしまったのだと思い込んでいた。


「違うわよっ! ヤマメを殺したとか、死んだとか言われて……私が、どれだけ……どれだけ心配して、苦しかったか……っ!」

「ええぇ、あいつそんなことを!?」

「死んでないって聞いても顔見るまでは不安で、不安で、実は小屋の中で死んでたらどうしようって思ってたのに!

 何よそれぇ、いきなり笑ってくれてさあ……もうっ、もぉっ!」


ヤマメの胸に顔を埋めたパルスィは、握った拳で肩のあたりをを何度も叩く。

ただでさえ殴られてボロボロの顔は、涙でさらにぐしゃぐしゃになって、本当に笑えるぐらい酷い有様だった。


「怖かったの……ヤマメが居なくなるって考えただけであんなに辛いなんて、知らなかった」

「ご、ごめんね」

「いい、謝らないで。

 悪いのはあの子と私なんだから……むしろ謝るのは私の方よ、もっと早くに別れてたらこんなことにはならなかったのに」


胸元から上目遣いでこちらを見上げるパルスィは、いつもより少し子供っぽく見えた。

立場からして甘える側ではなく甘えられる側だったパルスィの甘える姿というのは、中々に貴重なのかもしれない。

保護欲をそそられる、抱きしめて慰めてあげたくなる。

ヤマメはその衝動に抗うことなく、パルスィの頭を優しく抱きかかえた。


「まあ、パルスィがそういうとこきちんと出来ないのは知ってたからさ。

 覚悟の上で受け入れたんだから、謝らないでいいよ」

「それはそれで複雑だわ」

「これぐらいの甲斐性がなきゃ、パルスィの彼女なんてやってらんないよ。

 でも、それも今日で終わりだけどね」


恋人予備軍になってすでに二週間が経っている。

一緒に暮らしている内に友人関係に対する未練はすっかり消えていたし、今回の件でパルスィに対して抱いていた最後の不安も消えた。

もはやヤマメに予備軍である理由など無いのだ。


「だって、もう浮気なんてしないもんね?」

「もちろんよ、する理由が無いもの、ヤマメなら私の全て満たしてくれるはずだから。

 恋人としてヤマメほど完璧な妖怪はきっとこの世のどこにも居ないはずよ」

「歯の浮くような言葉ありがと。

 でも、いつの間にか恋人にランクアップしてるんだね」

「違った?」

「違わないけど、こういうのはきちんと区切りを作りたいタイプかな。

 わざわざ予備軍なんて言葉使ったんだもん、そんな言葉はもう要らないってこと、はっきりしときたいな」

「ふふ、区切りね」

「どうして笑ってるの?」

「いいえ、大したことじゃないのよ、ちょっとした思い出し笑い」


少女と同じ言葉を使うヤマメに、パルスィは思わず苦笑いしてしまう。

区切りは、確かに大切な物かもしれない。

どんなに想いが通じあっていても、言葉にしなければわからない物はやはり存在する。


「じゃあ、まずは私から告白させて頂きます」


一旦パルスィから離れ、正座で座り直す。

パルスィも釣られて正座の状態になるが、果たしてこれが告白に相応しい体勢なのかはヤマメ自身にもわかっていない。


「やけに改まるわね」

「一生思い出に残るんだから、気合い入れないとねっ」


ぐっと小さくガッツポーズ。

「よしっ」と小さくつぶやき気合を入れなおすと、まっすぐにパルスィの目を見てヤマメは告白を始める。


「好きですっ!」


たった一言。

続きがあるかと思いきやそれだけで、気合を入れた割にあっさりと告白は終わってしまった。


「どストレート……え、うそ、それで終わりなの?」

「色々考えてみたんだけど、ほら私って恋愛経験がないでしょ? だから考えた所で何が良くて何が悪いかなんてわかんないんだよね。

 だったら一番わかりやすい言葉がいいんじゃないかと思って」

「まあ、確かにね、想いだけは伝わってきたわ」


改めて言うまでもなく、二人の想いはとっくに通じあっている。

本来なら確認するまでもないあたり前の事を、念の為に確認しあっているだけなのだから、あっさりでも問題はないのだろう。


「あれ、体が揺れてるけど大丈夫?」

「きっとヤマメの言葉が心まで届いてぐらぐらしているからよ」


ヤマメと再会したからと言って脳震盪が治るわけではない。

パルスィは背筋を伸ばし姿勢よく座っているつもりなのだが、どうしても勝手に体が揺れてしまう。


「本当に大丈夫、なの?」

「問題はないわ」


幸い意識ははっきりしている、もう一度頭を揺らされるようなことがなければ大丈夫だろう。

気を取り直して次はパルスィの番。


「さて、次は私の番ね。

 私もヤマメに真似て回りくどい言葉は無しにするわ」

「えー、百戦錬磨のパルスィがどんな風に私を口説くか聞いてみたかったのに」

「口説く必要は無いでしょう、とっくに惚れてるんだから。

 それに想いはもう通じあってるんだもの、予備軍が取れた所でやることは大して変わらないわ」

「いやらしいことするんじゃないの?」

「一緒にお風呂に入ってるくせに今更だとは思わない?」

「あ、あれはあくまで洗いっこだから!」

「恋人になったら洗いっこの名前が変わるだけよ、やることは一緒なの」


好き合う二人が同棲までして、挙げ句の果てには毎日同衾して一緒に風呂にまで入っておいて何も起きないわけがない。

予備軍なんて言葉、使い始めて三日ほどでとっくに形骸化していたのだ。

その言葉が消えることで何が変わるかと言えば、不要な言い訳をする必要が無くなることぐらいだろうか。


「というわけで、好きよヤマメ」

「いやいや、いくらなんでも適当すぎるって。

 もう少しでいいからちゃんとしようよ」


ほとんど無意味な儀式とはいえ、やるからにはきちんとして欲しいのがヤマメ。

パルスィだってわかっている、わかって上で遊んでいるのだ。


「じゃあ愛してるわ、ヤマメ」

「じゃあ!? もっとだめだよ、私の胸がときめくような言葉じゃないと」

「例えばどんなよ」

「あるでしょ、私しか知らない、パルスィらしい言葉がさ」

「……意外と無理難題を出すのね」

「経験者なんだから、多少難易度が上がったって問題は無いはずだよ」

「本気の恋はこれが初めてって何度言えば良いのかしら、私の初恋はヤマメよ?」

「だったら余計にきちんとした告白の言葉を聞きたいかな」


ヤマメしか知らない自分らしい言葉。

パルスィは頭を捻って思い出そうとするが、中々思いつかない。

告白に相応しい言葉自体がそんなに多くないのに、その中でヤマメしか知らないような言葉が果たして存在しているのだろうか。


「わかんないみたいだから、ヒントをあげようじゃないか。

 パルスィが可愛い子を見るといつも言ってる言葉です」

「私の彼女になってください?」

「そんなこと言ってたんだ……」

「冗談よ、わからないから次のヒントを頂戴」

「ヒントばっかり出してたんじゃつまんないじゃんかよぅ。

 じゃあこうしよう、ヒントその2からは有料制ってことで」

「同棲してるのにお金を取って何の意味があるのよ」

「お金じゃないよ、お代にはもっと別の、素敵なものを払ってもらうから」


そう言いながら、ヤマメはパルスィに向かって唇を突き出す。


「……あまえんぼさんめ」

「んー、払わないの?」

「払うわよ、一回と言わず何回でも、見返りを要求したことを後悔するぐらいにね」


宣言通り、パルスィは即座にヤマメの唇を奪った。

一度では飽きたらず、二度も三度も何度でも、二人は互いに唇をついばみ合う。

ヤマメの目がとろんとしてきたあたりで、これ以上続けては告白どころではなくなると判断したパルスィが唇に人差し指を当て、止めどなく続く口づけを止めた。

先ほどとは違う意味で唇を突き出し、ふてくされるヤマメ。


「これだけキスしたんですもの、さぞ素晴らしいヒントをくれるんでしょうね」

「そういえば、今のお代だったんだっけ」

「やっぱり忘れてたのね、自分から言ってきたくせに夢中になっちゃって可愛いんだから」

「余裕のあるパルスィがおかしいんですー!」


この二週間で随分とスキンシップに慣れたとはいえ、まだまだヤマメには初心な所が残っている。

玄人であるパルスィとはくぐってきた場数が違うのだ。


「たっぷりお代は貰ったから、こうなったら出血大サービス、ほぼ答えの大ヒントを教えてあげる。

 私が聞きたい言葉ってのはね、パルスィの口癖だよ」

「……ああ、そういうことね、やっとわかったわ。

 でもいいの、そんなので。

 私にはとてもじゃないけど告白にふさわしい言葉とは思えないわ」

「いいんだよ、私が言われたい言葉だったんだから。

 いつも隣で見ててさ、一度でいいから自分に向けられてみたいと思ってたの」


実は幾度と無くヤマメに向けても使われてはいるのだが、それはパルスィしか知らないことだ。

確かにヤマメに直接言ったことはなかったかもしれない、とは言え憧れるような使い方はしていないはずなのだが。


「わかんないかな、私がどうしてその言葉を聞きたいのか」

「あ……もしかして」


ヤマメから発せられる微かな嫉妬で、パルスィはなぜ彼女がその言葉を望んだのかを察する。


「わかってるよ私だって、あんまり良い意味の言葉じゃないってことぐらいはさ。

 それに、好きとか愛してるとか、パルスィが使い慣れた言葉でもきちんと気持ちが篭ってることも、大丈夫、ちゃんと伝わってるから。

 でもね……憧れって言うと綺麗すぎるけど、私に向けて一度でいいから言って欲しかったんだ、だってきっかけがその言葉だったから」

「きっかけ?」

「パルスィへの想いが生まれたきっかけがさ、たぶんだけど、他人に向けられるその言葉を聞いて嫉妬したからなんだ。

 最初はチクリと針で突かれるぐらいの痛みで、友情の延長線上にあるちょっとした気まぐれなんだって思ってた、だから取り立てて意識する必要も無い感情だろうって。

 けど次第に痛みは大きくなって、意識せずにはいられなくなって、それから見て見ぬふりをしようって、そう決めたの。

 そう決めた時点で自分も気持ちなんてわかってたくせにね、私ったらどんだけ臆病だったんだか」

「それだけ私との友情を大事にしてくれてたってことでしょ」

「良く言えばね。悪く言えば、私は逃げてただけなんだけど。

 早くに想いを伝えていれば、パルスィが苦しむ時間だって短くなったはずなんだから、今思えば間違った方法だったんだよ」


全てが早くに解決していれば、あの少女が傷つく必要だってなかったのかもしれない。


「でも、今はもうヤマメは私の物で、私はヤマメの物なんだから、嫉妬する必要なんて無いはずよね?」

「それは頭ではわかってるんだけどさ、頭の片隅にちょこんと居座る厄介な奴がいるんだよね。

 無視しようと思えば無視できるし、放置しても何ら問題はないはずなんだけど、せっかくだから綺麗に消しておきたいの。

 100%万全の状態で、パルスィのことが好きだって気持ちだけで頭の中をいっぱいにして、それで恋人になりたいんだ。

 そしたら、きっと今までに無いぐらい幸せになれると思わない?」

「同時にとんでもなくバカになっちゃいそうね」

「バカ上等だよ。

 羞恥心が無くなるぐらいバカになって、みんなに見せつけてやろうよ」

「不機嫌なさとりの顔が目に浮かぶようだわ」

「違いないね」


脳内でいちゃつくだけでも苛立ちそうなのに、実際にそれを見せつけられた日には、さとりのストレスはピークに達するだろう。

人の不幸を蜜として啜る妖怪なのだ、人の幸福はさぞ毒になるに違いない。


「というわけで、いつでもどーぞ」


正座をして真っ直ぐパルスィを見つめるヤマメは、その言葉を期待してかほんのり頬を染めながらにやけている。

まだ言っても居ないのにここまで幸せそうな顔をするのなら、その言葉を聞いた時どうなってしまうのだろう。

予言通りバカになってしまうのだろうか、むしろそれで済むのだろうか。

際限のない幸福が、少し怖くもあった。

この二週間、二人で恋人予備軍として一緒に暮らしてみて、まあ予備軍という言葉はほとんど無意味ではあったが、多少はストッパーとして働いてはいたのだ。

その言葉がなければ、パルスィはとっくにヤマメに手を出して、二人して滅茶苦茶になっていただろうから。

しかしそれも今日で終わる、パルスィを抑えてくれる最後の壁はもう無い。

望むところだとヤマメは言うだろう、そして惜しげも無く全力で今まで以上に甘えてくるだろう。

パルスィも死ぬほど彼女を甘やかすだろうし、誰も止めてくれないのならどこまでも彼女を愛し続けるだろう。

求めるほど二人は幸せになって、本当に周りの目など気にしなくなっていくはずだ。

パルスィは、自分のことを胸を張って自慢出来るような恋人では無いと思っている。

ヤマメも、パルスィのことを完璧な彼女とは思ってはいない。

他人に自慢するときも、おそらく可愛いとか、優しいとか、誠実だとか、そんな聞こえのいい言葉は使わないかもしれない。

例えば、最悪のカノジョだ、とか、貶してるのか褒めてるのか分からない言葉を使って、満面の笑みで見せびらかすに違いない。

パルスィもそれでいいと思っている、それがいいと思っている。


「ヤマメ、あなたが――」


二人の関係は、長い年月で積み重ねてきた物だ、言葉の表面上の意味だけで計り知れるものではない。

他人からは、”それで褒めてるの?”と言われるだろう。

だが本人たちは知っている、その言葉に最上級の愛情が篭っていることを。

他人に伝わる必要など無い、愛の表現なんて、二人の間で伝われば十分。


「妬ましいわ」


聞き慣れた言葉。胸を満たす幸福。

その言葉の本当の意味を、ヤマメだけが知っている。




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