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忌血戦記  作者: お茶うけ
三人の訪問者
5/7

C1-5 蛹化

漏れていたやり取りに関する項を挿入:「それ…」以降


結末を変更。この夜のストーリィは一章無いで解決するようにした。

 これは夢だ。と、思った。


だってばあちゃんが居るから。

家にいる時には見た事もない黒の毛皮のコートを着ていて、詰めた白髪の下の顔は此方を向き皮肉そうな何か問いたげな表情が浮かんでいる。


ここはどこだろう?

黒々とした森の中、凍えるような空気の上に夜空が広がっている。極夜と言う言葉が思い浮かぶ。

雪に埋もれたドームを持つ教会風の建物が近くに見えた。尖塔の上には星空を背景に複雑な形状をした十字架が立ち、壁に埋め込まれたイコンが闇の中にありありと浮かび上がる。

俺は・・・この視点の持ち主が俺とするならば、手に持ったナイフをばあちゃんに渡そうとしている。

ばあちゃんは眉を上げ手を振り断る。

俺は改めてナイフを鞘から外して眺める。此れはもしかして磯上さんに貰った?

ごつい片刃の刀身には北欧風の網目模様がびっしりと刻まれていてとても美しい。

星明りしか無いにも関わらずその光景ははっきりと見えて、それを見たばあちゃんが微笑むのも分かった。

「篤成、高く売れそうなもので良かったな?」やっぱり、これはあのナイフを手に入れた時の光景だ。と言う事はこの視点の人物は磯上さんなんだな。…ばあちゃんも居たのか?

「売りませぬ。ちょうどいい土産になります。」

「高価すぎるのはダメだと言った筈だぞ?」

「只で貰ったものでございます、さくら様」・・・二人の時はそう呼んでいるのか?

ばあちゃんがため息をつく。白い息が夜の冬の空気に拡がって行く。

「オーロラを見て行かれますか?ここは少し南ですが、もう少し北に参ればこの季節なら間違いなくご覧頂けます。」

「ずいぶんとご機嫌だね」

「時刻を気にせず動けるのは有難いかと…」

ばあちゃんが成る程と言う顔で頷く。暫く迷った後、

「いや、あたしは帰るよ。もう六日目だからね。篤成は見て行きなさい」微かな痛みが走る。

「・・・では、そう致します。もう一仕入れすべきとも思いますし。空港まで送らせて戴きます。」

俺は、磯上さんは振り返ってさっさと歩いて行くばあちゃんの後ろ姿を追う。

やがて闇の中に…


 目が覚める。

痛みをかばう様に両手を胸に当てた格好で俺は眠っていた。

 そしてぎょっとする。

 違和感を感じ確かめると両手にあのナイフを握っていたからだ。カーテンの外はまだ暗く、枕元の時計を確かめるとまだ四時前だった。まあ、眠りが浅いのは仕方ないよね。ナイフは寝る前に眺めたから、もしかしたらそのまま眠ってしまったのかも知れない。刃を出したままでなくて良かった。

離し難い気がしてナイフを持ったまま起き上がる。妙な夢だった。俺の想像で補強したんだろうが、ばあちゃんの厳めしいコート姿はしっくり来すぎていた。フィンランドの会社の事務所のはずがロシア正教風の教会になっていたのはなぜだろう?そっちの方が絵になるしな。そんなとこだろう。

もう眠れなかったが、灯りのスイッチを付けるのが面倒くさかった。俺は夜目が利く。だから灯りを点けなくとも大概の用は済ますことが出来るのだ。闇の中、ベッドサイドに座り込んでいた俺は小用を催し、そのまま二階のトイレに向かった。


寝室の扉が微かに開いていた。

濃密な華の香りが漏れ出し、目で確認するより先に其れで気付いた。

俺は吸い寄せられる様に扉の隙間を覗き込む。窓も灯りも無い筈なのに薄っすらと中の様子が確認出来た。

誰かが居る。闇の中、浮かび上がるように見えるばあちゃんの遺体の傍に、屈み込むように侍する人影があった。布団が一部めくられて病院で貰った検査衣のままのばあちゃんの上半身が見えていた。

「彦、入ってくれ」その声は囁くようで声色は分からなかったが、俺をこう言う呼ぶのは一人しか居ない。耐え難かった緊張が僅かに緩む。でもどうして此処に?独りで別れを惜しみたかったのか?

俺は扉の隙間から滑り込むように中に入った。扉を開け放つのが如何してか躊躇われた。

部屋の香りはもう花と言うよりラフレシアや食虫植物をイメージさせるほどだった。息苦しいほどの濃厚さで身体を包み込む圧力めいたものまで感じさせた。チロチロと身体の奥底で疼く様な、内臓の表面を引っ掻き回される様なかすかな痛みを感じる。

「なぜ?」状況が掴めない俺は漠然と問い掛けるしか無かった。

「彦が鍵を開けておいてくれたからな」それに対する磯上さんの答えは俺を更に混乱させる物だった。

「玄関はオートロックです。」特に解除した記憶は無かった。

「この部屋だよ。」そうして人影、磯上さんは皮肉そうに微笑みながら手を翳す。其処には俺が渡した知恵の輪のようなキーホルダーがあった。それから彼はその鍵を優しくばあちゃんの手に握らせ、布団を戻す。

 なんだろう?それがそんなにばあちゃんに取って大事なものだと思っているのか?

「それ…」

「これが鍵の鍵だった。遺言が見つかったよ。彦にはこの家と預金を残すとあった。」マジか…でも、鍵の鍵って何だ?生々しい遺産の話の照れ隠しのように質問する。

「鍵の鍵?」

「そっちか…ああ、書箱の鍵は”鍵の鍵”で開けられるって聞いていたんでな。」ばあちゃんらしい。

「…でも、この部屋には鍵は無いですよ」先ほどの疑問は解決していない。

「桔梗様から聞いていないのか?」桔梗様?関係が有るのは桔梗から聞いていたが、様と呼ぶ関係なのか?夢でばあちゃんの事をさくら様と呼んでいたけど…いや、それは俺の無意識の想像だ。混乱が激しくなって行く様だった。

「そうか、ではさくら様の事も?だいぶ話されたと聞いたが」いや、忠告するとか言って全然親切じゃないんですよあいつ。ん、さくら様?ま、いいか。不思議耐性がついた俺にはへっちゃらだぜ!

「ばあちゃんや磯上さん達が何かと戦っている?としか」

「其れで信じたのか?」はは

「奇妙な事が多過ぎますから。例えばこの香りとか」桔梗の怪しげな技より、ずっとばあちゃんから感じられるこれの方が疑問だ。

「これは…蛹化の始まった徴だ。」

「蛹化?」

「落とし子が人としての生涯を終えるとある確率で通常の腐敗の過程では無く吸血鬼へと変化する蛹化の過程を辿る事が有る。」

「…」

「その時にはその血統毎に固有の香りを放つ。其れがこの香りだ。そして落とし子の蛹化を防ぐ為には特殊な埋葬をする必要がある。灰にするだけでは駄目なんだ。そもそも、火葬場の炎位では燃えなくなるしな。我々は此れからそれを行おうとして居る。」事務的と言ってもいい口調で磯上さんは答える。防ぐってばあちゃんに頼まれたやり方って奴か?落とし子?・・・それに吸血鬼?ああ、こっちの方は何と無く予想がついた。磯上さん…夜にしか現れなかったなあ。それにさっきの話。普通ではこの部屋に入れ無いって事だよな。吸血鬼がそっちの存在かは判らないけど、物語だと許されないと家に入れないって言われてるしね。ちょっと立場が分からないけど関係者だし可能性は高いと思う。

「磯上さんは?…その、人間では無いんですか?」失礼だな俺。でも、この場合これでもこの聞き方の方がソフトだと思う。

「ああ、彦。その通り、俺は人外、吸血鬼と呼ばれる種族だ。…済まない、俺はお前を…」そこで磯上さんは俺が笑いを含んだ顔で深刻な告白を聞いているのに気付く。

「いや、確かめたかっただけです。正直、磯上さんが何であっても俺にはどうでも良いです。磯上さんもそうだったでしょ?」多分、違う。でも、そう答えて欲しかった。

「そうだな。彦は…そうだ。さくら様の孫だからな…この言い方はまずいか?あの…」ばあちゃんはいくら引合いに出しても問題ない。それを差し引けば違わなかった。そうだ、俺も誰が誰であっても良いのだ。そして、それを分かってくれる人は居るのだ。

それから、磯上さんの話から来るもう一つの結論に対する疑問が膨らむ。

「だとすると分からない事が一つ有るんです。どうして吸血鬼になるのが不味いんですか?」いや、俺、99%吸血鬼に転職する気になってるんですけど。悩んで損した。

「…」

「だって磯上さんはばあちゃんや桔梗と一緒に働いてたんでしょう?ちょっと立ち位置変わるかも知れないけど、ばあちゃんが戻って来るなら問題無いでしょ?」落とし子が何か分からないけど、話的にはそうなる筈だよね?磯上さんが驚いた様に俺を見る。


「何を能天気な事を言って居るのよ。あなたは信じられない位、物事を短絡的に捉えるのね。」ついに敵が現れた!

子供っぽい寝巻きの上にカーディガンを羽織った桔梗は胸元を隠す様に手を重ねていた。眠いのか眇めにしていてかなり機嫌が悪そうだ。扉の前に立ちこちらを睨めつける姿は兄弟の部屋に騒音の文句を付けに来た妹のように見えた。例えになって居なかった。

「磯上さんが人間と共存出来るのは守り手として血の契約に縛られているからよ。さくらさんの死が確定すれば人外としての本性を現す事になるわ。そうでしょ?磯上さん」

「その通りです。桔梗様」磯上さんに答えを強要するなんて桔梗、悪役過ぎるだろ。

「ところで磯上さん、戻ったならどうして真っ先に私に報告して下さらないのかしら?」さらに悪役上司属性を獲得した。「それに如何してこの部屋に入れたの?」

「二つ目のご質問に関しては桔梗様の不覚に御座います。」桔梗がムッとした表情を浮かべる。行け!反撃だ、磯上さん!

「友梨彦様が昼間に錠の一つを解除為されたのです。私はそれをお聞きしましたので、そこから使いを中に…お気付きに成りませんでしたか?」あ、桔梗がこっちを睨んだ。

「確かに確認を怠ったのは私の失態だったわね」

「それほどでも…桔梗様に敵う者は現在地上には存在しません。」

「微妙な言い方はしないでもいいわ。無敵な存在なんて有り得ないし…今迄の相手が可能な手段の組み合わせを試し切っていないだけよ。」改めて厭な奴だった。つーか、あの指パッチンそんなに強いのか?ゲーム的に考えるとやっぱ時間停止系だよな。確かに強過ぎる。それにパンの枚数を憶えてるタイプにも見えない。聞いてみよう。

「桔梗、今迄食べたパンの枚数覚えているか?」

「炭水化物はなるべく摂らないようにしているのよ。…本当に察しが良いのね。」分かるらしい。しかも図星だった。無理だと思うけどなるべく怒らせないようにしよう。


 そこで、さーっと砂の流れる様な音がした。

 磯上さんが手に持った袋を開け中の砂か塩の様なものを床に落としている。まるでばあちゃにんそれを捧げるように頭を下げていた。ギョッとしたが桔梗はと見ると当然の様にそれを眺めていた。

「それがさくらさんの?」

「左様です。墓所は既にさくら様が破壊されて居りましたので、時間は掛かりませんでした。」

「成る程、それで早かったのね。」

「鏡を持っておりました。」

「それだけでさくらさんが敗れる筈は無いわ。確かに鏡の幻術阻止能力は高いけど彼女の誓言を防ぐ事は出来ない。余程油断した瞬間を狙わなければ…でも、さくらさんに限って」俺を置いてけぼりにして話が進んでいた。でも、それがばあちゃんを殺した吸血鬼?に関する会話である事は分かる。

「…老い、で御座いましょう。第4世代は決して無力な敵では有りません」磯上さんは無念そうに再び俯いた。

「…」桔梗も無言になった。

力の無い俺にはそれがどれだけ残念な事なのか分からなかった。しかし、その世界の非情さに吸血鬼に成りたいと言う妄想は急速に萎んで行った。…俺はやっぱり落伍者だ。納得してしまった。

 そしてばあちゃんが吸血鬼となって戻って来る事にも希望を持てなくなった。昨日、居間でソファーの上に適当に放り出されていたばあちゃんの顔を思い出した。戻って来て再び斃れた時、あんな顔で死ねるのだろうか?…ああ、吸血鬼は砂になるんだな。



 磯上さんが顔を上げた。その眼には俺の見た事の無い光が宿っている気がして、俺はこの晩初めて怖れを感じた。どうするつもりだろう?

「桔梗様、さくら様の遺言…血書を見付けました。」

「山荘ね。やはり、私の言った通りでしょう?それで血書にはあなたの事も書かれて居たわよね?」

「はい」

「私の守り手になる事、そうね?」守り手?ばあちゃんとの関係みたいになることか?文脈から読むのが大分上手くなった。みそっかす技能と名付けよう。

「…違います。」桔梗は眉を顰めたが直ぐに言葉を繋いだ。

「そう?では自決せよと?通例だけど、さくらさんらしくは無いわね。」

「…それも、違います。」

「…まさか、友梨彦の守り手に?それは無理よ。反対だわ。」おいおい、いや、無理なのは分かってるけどさ。

「…残念ながら違います。」

「…」桔梗が今日二度目の沈黙を強いられた。磯上さん戦闘力、桔梗より有るじゃないですか?

「遺言にはこう書かれていました、自由にせよと」

 成る程と思ったのは俺だけだった。桔梗は考え込む表情だが心なしか呆然として居る様だった。本人である磯上さん迄、陰惨としか言えない表情を浮かべている。…あ、本性と言う奴か?でも、磯上さん以外の吸血鬼と遇ったことも無い俺には想像も付かない。

磯上さんはジャケットの懐から封筒を取り出しばあちゃんの枕元に置く。それをじっと見詰めていた桔梗が口をひらく。

「しょうが無いわね、では改めて要求するわ。磯上篤成、私の守り手に成りなさい。ファティマもそれを望んでいるわ。」ファティマ?誰だ?それにしても強気だった。俺には絶対出来ないやり方だ。

「申し訳有りませぬが…」

「篤成、それしか道は無いのよ。分かるでしょう?あなたが守り手である事を放棄すれば私は滅ぼさざるを得ないわ。それにあなたには自決の途も歩んで欲しく無いの。友梨彦がこんなでは彼が鎮め手となる可能性も無いわ。確かにさくらさんの本当の望みはそうだったんでしょうけど。」鎮め手が例によって詳細不明だったが関係性は分かる。

 でも、そうだったのか?諦めて居なかったのか?だとしたら、更にそれを皆が分かっていたなら俺が桔梗に憎まれるのも当然だった。その可能性を潰した上に磯上さんに白紙委任しなくてはならない程に俺はばあちゃんを追い詰めていたのか?…すみません、本当の悪役は此処に居ましたね。自決を選択すべきなのは俺の方です。

「あう…」情け無い声しか出なかった。当然、そんな俺の事を無視して事態は進行する。


「私はさくら様に羽化して頂きたいと存じます。」

「!」桔梗が息を飲むのがはっきりと分かった。

「そしてこの血の契約のまま再びさくら様にお仕えさせて頂きます。」俺は間違って無かったらしい。桔梗、そろそろ観念しろ。

「…それは只の吸血鬼として野に放たれるよりいけない事よ。最悪と言って良いわ。あなたは第一世代を地上に解き放つと言って居るのよ。」桔梗は諦めが悪かった。

「友梨彦、これはあなたが考えているような事じゃないの。」俺の考えが読まれた?まあ、本当にそれが正しいかなんて俺には判らない。それに何か違和感があるのも事実だ。

「私達は、私達の血統は結局それをさせない為に全てを組み立てて来たのよ。それは、磯上さん、あなたが一番分かっている事でしょう?あらゆる犠牲を払って、あなたも私もさくらさんも!それを彼女が認めるはずは無いわ!」

「その為に蘭太郎様御夫妻を殺したのですか?」焔の様な桔梗の言葉に対して磯上さんが静かに答える。って、はい?

「そう言うのね…」桔梗は直前の言葉とは打って変わって力無く答え、口をつぐんだ。第一ラウンドは磯上さんの圧勝で幕を閉じた。

それにしても、両親が死んだ時に二人の間に軋轢が有ったのか?其れとも本当にそれに近い…

 沈黙は聴覚以外の感覚に力を与える。さらに濃厚となりようやく死臭とも見紛うようになったあの香りに俺は咽そうになる。俺は手の中のナイフを確かめた。鞘のなめし皮の触り心地が俺の現実感覚を辛うじて繋ぎ止める。この二日でなんて世界は変わってしまったのだろう。闇の中に立ち尽くす二人と横たわるばあちゃんの姿を見ながら俺はそう思った。

 


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