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忌血戦記  作者: お茶うけ
三人の訪問者
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C1-1 ばあちゃんは底知れない

 パリの芸術橋(ポンデザール)の欄干には恋人達が付けた南京錠がぶら下がっているという。そこで愛を誓うとみな鍵をセーヌ川に投げ捨てる為、誰にも外す事が出来ない。

 次々と永久の幸せを願うカップルたちのせいで錠前達の重みは次第に耐えがたい程になり、遂に一部が崩れ錠の多くは欄干の金網ごと撤去される運命となった。

 経済学者がどう思うか知らないけど、これも合成の誤謬の一つだよな、と思う。

 一組一組の恋人達の思いは純粋で罪の無いものだけど、それが積み重なると橋を倒壊させ、舟人を危険に晒すのだ。その中には橋の上で愛を誓った人もいるかも知れない。世界の在り方と個人の想いは切断され疎外されるのが世の常なのだ。

 それにしても橋は愛の重みに耐え兼ねたが、恋人達の愛の行方はどの様なものになったのだろう?愛は勝つのか??撤去と同時にゴミ箱行きになってくれていたらとても嬉しいです。


 と、俺がルサンチマンの籠った妄想を垂れ流したのには訳がある。目の前に広がった異様、と言ってもいい光景の為だ。

 遺品の整理の為、初めて入ったばあちゃんの部屋の壁には戸棚や箪笥がびっしりと並び、その引出しや扉の全てに南京錠が掛かっていたのだ。アンティークからダイアル付きの錠まで雑多な南京錠が部屋中の壁や家具からぶら下がっているのは何とも不思議な眺めだった。

 インターネットの画像で見た芸術橋の錠達のマッシブな迫力は無いが、自室の収納を改造して無数の戸棚と錠を取り付けると言う執念はそれに劣らない。介護調査員が発見したら間違いなく認知症か老人性の偏執狂を疑うだろう。勿論俺はそれが違う事を知っている。どういう目的かは知らないけどばあちゃんのやる事はいつもこんななのだ。でもどうしよう?



 昨日たった一人の家族であるばあちゃんが死亡し、彼女の年金頼りだった俺は窮地に陥った。年の割り、という事すら憚れるほどしっかりしていた彼女は、それ故俺に金の在り処を教える事を頑なに避けてきた。ロクデナシの孫に必要以上の金を与えれば課金やら通販であっという間にそれが消え失せる事をよく分かっていたのだ。

 だから病院から遺体が帰って来た時には悲しみとは無関係な震えが襲って来て止まらなかった。葬式や斎場と言う言葉が何度も浮かんで来るが、それと実際の行動が結び付かなかった。病院からの搬送業者も葬儀屋だった筈だけど名刺も寄こさず二万五千円の搬送料を請求し俺がなけなしの金を払うと領収書も渡さず帰って行った。

 考えてみれば可笑しなことばかりだ。彼等にとって俺はトラブルの種で客にしたく無い存在であると言うことなのか?全く間違っていない。気持ちが益々萎えてきた。

 よく親や祖父母の年金を詐取する為に遺体を家に放置する話をニュースで見るけど、実際はある種の人達にとっては人を社会的にちゃんと死なすと言う作業が想像以上の難易度を持っていると言うことじゃ無いのか?

 何処にどうしたら良いのか想像も付かない。それ以上に情報を探る気力がどこを探しても見つからないのだ。だから日常慣れた行動、入って来る年金を本人に代わって引き出すと言う作業をそのまま繰り返す。破綻は勿論来るだろうが、それはその時ではない。

 そして俺はそれ以下だった。年金口座すら知らず馬鹿正直に救急車を呼び、死亡証明書を片手にもう日常を続ける事が出来ないところで途方に暮れているのだ。



俺は部屋から部屋へうろうろとした挙句居間の床に座り込んだ。居間のソファーには葬儀屋が奥まで運ぶのをサボった為、ブランケットを掛けられただけのばあちゃんが寝ていた。闘病の末と言う訳でも無いのでやけに穏やかで幸せそうに見える顔だった。

 楽になったのか?と思った所でようやく涙が出て来た。感情が大きく動いた後の涙だったので長く続き、それとともにカタルシスが思考と感情の絡まりをほぐして行った。兎も角、メシを食おう。


 梅干し、胡麻と大葉を刻んで冷蔵庫にパックしてあったご飯と炒めると醤油をフライパンの壁に垂らして焦がして混ぜた。

 冷してあった麦茶のデキャンタを取り出して机に置く。昼食を作るのはばあちゃんが俺に課した唯一の家事分担だった。なぜ、夕でも無く朝でも無く昼だったのかは分からない。

「昼くらい作れ」

 二十代のそれ迄台所に入った事も無い男に何故か突然そう言い放ったのだ。ただ、俺は素直に従った。それまでの俺の生活から来る様々な注文や小言、泣き言、時には罵声はその時以来無くなった。

 最初は冷蔵庫の中の物から指示通りに作るだけだったが、やがて自分で適当に作れるようになった。自分が何か食べたいと思っても、素材のリクエストは利かず、買い物を任される事も無かったから此れはほとんど無意識の流れのような物だった。冷蔵庫の棚を一瞥してそれなりの物を作る、只それだけのものだ。

 それでも、ばあちゃんは長期間出掛ける事も多かったので、やがてそのスキルは三食総てに恩恵を及ぼす様になった。が、二人で食べる時に担当するのは常にお昼だった。

 ある時、一週間ほど出掛けると言うので俺が家の食糧がその間に無くなったらどうするんだ?と聞いたら、包丁があるだろ?と簡潔に答えられた。俺が何のことか分からずきょとんとしていると刃物は人類最初の道具の一つだ。どうとでも使えるんだよ、と更に意味不明なことを言われたのを思い出した。ばあちゃんは人様に迷惑を掛ける様な事は言わないので多分自決しろという事だったのだろう。

 ただ、留守にした四日目に、近所一帯にカラスの大群が現れ、家の中まで入り込んでそこらを漁りまくると言う珍事件があった。我が家の台所まで侵入してきたそいつらに家の包丁が結構役立ったのは偶然だ。カラスは食べられないしね。



 焼飯をつついている内に想像が様々な方向に及び始めた。遺品の整理が先決だなと、さっき開いた冷蔵庫の中身を思い出しながら考えた。役所や葬儀の連絡は出来るが、金が無ければ何処かで立ち往生することになる。現状を把握しなければ・・・と思い、まるでゲームの中のように冷静なんだなと思った。

 昨日までの俺だったら違っていただろう。台所での物音に気付き、ばあちゃんが勝手口の土間に倒れた姿を見て条件反射的に救急に電話を掛ける前の俺だったらどうか?

 おそらく何をするか考え始める前に結局何時ものように思考の迷宮に入り込んでいた筈だ。まずなぜこんな事になったのか?自分に責任が無い理由を探すために、それにうんざりした後、今度は全て自分のせいであると自分の過去と現在を責める為に自室に閉じこもっていただろう。

 何故だろうう?これはきっと頼る物が全て無くなり、状況がシンプルになった為だろうか。

いや、事態が変わる、変わらざるを得ない事の効果かも知れない。もし俺が野垂れ死にしなければ、なんとか一人で生きる術を見つけてしまったなら、またあの牢獄に戻ってゆくのかも知れない。


 まず、ばあちゃんの部屋だ。通帳も見付かるかも知れないし。居間に安置された遺体を一瞥してから二階の彼女の寝室に向かう。ちょっと、筋肉の緊張が解けたのか皺が目立たなくなり若返った様に見える。

 知識が無いので死後の変化がどうなるのか予測が付かない。何にせよ早く専門家のお世話になれる様にせねば。

  寝室を調べようとした俺は冒頭の有様と成っていたことに頭が空白となった。引き籠りにとっては自分の部屋以外のことは専門外なのだ。

 何とか部屋を調べ始め、早い段階で二つほど鍵が付いたホルダーを見つけたがそれが何処の鍵か分からない。総当たりで分かった結果はこの部屋にこの鍵と合う錠は無いと言う事だった。俺が金目のモノを持ち出す事が心配だったのだろうか?信用無さ過ぎだろ俺。


 捜索範囲を家中に拡げねば成らなくなった。俺が使っている元子供部屋を除いても両親の寝室、台所、居間、和室、納戸に風呂場と狭い家だったが虱潰しに調べようとすると骨が折れる。

 何とか掻き集めたヤル気が急速に低下してゆく。俺は自分の部屋と台所以外の場所はほとんど把握していなかったから、ばあちゃんが何を仕込んだかなんて全く目処が付かない。

  鍵の一つは台所の床下収納の物だった。其処には調味料などの収納品とまた鍵が一つだけ有った。その鍵は寝室の戸棚の一つのもので開けるとブザーが鳴り響いた。

 俺は慌てたがその音は中途半端で家の中には充満したが、それだけだった。何なんだこれは?その戸棚はカーディガン類の収納に使われているだけで、残念でした!などのメッセージカードすら無かった。

 今度は寝室の床に座り込んだ。此れだけで半日掛かった。錠の造作は大した事無かったから泥棒相手には多分不足だ。だから俺避けだろうけど悪意あり過ぎだろう。



  小さい頃、まだ50代のばあちゃんに連れられてとある神社に遊びに連れられて行った事を思い出す。

 電車に乗って幾つか乗り継いでちょっと田舎な駅で降り、暫く歩くとかなり大きな森を持つ神社が見えた。赤い大きな鳥居が石段の上に聳えるように建ち、周りの景色をくすませる様な異様な存在感を帯びていた。

 俺は怯え、帰るように彼女に強請ったが、彼女はにっこりと笑うと断固として俺の手を牽きつづけた。


 神社の境内は綺麗で敷かれた砂利はよく均されていたし、参道には塵ひとつ落ちていなかった。俺は鳥居の中がお化けの巣ではなく意外にちゃんとしていたのに驚いて警戒心を解いていた。

 ばあちゃんにここで遊んで良いかと聞いた。再びにっこりと笑うとああ、ばあは用事を済まして来るからそれまで遊んでもいいぞ、ただ一人で神社の外に出るんじゃないぞ?と念を押して手を放してくれた。

 俺は社殿の下に蟻地獄の巣が無いか調べまわり、鳴り響く蝉の声を探りに森の奥を探索した。砂利を片端から参道に蹴上げ、誰かは知らないが清掃の努力を台無しにした後で、ばあちゃんが戻ってくるのが余りに遅いことに気付いた。

 もう日も暮れるかのように光の色が変わっていた。そこで向かった先と思われる社務所に近づくと、そこが全く使われていない廃墟に近い有様であることに気付いた。

 綺麗に手入れされた境内と放置され薄汚れた社務所、その対比の不気味さに背中の奥からこみ上げるものを感じ、俺は激しくばあちゃんの名を叫びながら彼女を探し回った。

 境内には他に人が用事を済ませるような場所が無いのは先ほどの探検で分かっていたが、それでも二度三度と社殿からトイレ、森の分社まで探し回った。恐怖が極大化した俺は耐え切れずに参道から知っている唯一の出口、赤い大鳥居に向かった。


 そこで俺は鳥居を見越す様に”それ”がこちらを眺めているのを見たのだ。


それは現実の風景に上書きされた落書きのようだった。子供の絵のような目鼻と輪郭だけで質感は全く感じられず、現実の風景に付いた滲みとしか言いようの無いモノが鳥居の上から身を乗り出して俺を見つめていた。

 それは立ち竦む俺に向かって手と思しき描線の塊を伸ばして来た。いや、遠近感は全く感じられないから視界を蔽う様に拡がって来た、と言った方が良いのか?

 青々とした緑の木々が風に揺れている光景が平板な塗り絵に覆われて行く悍しい違和感に絶叫した俺は振り返り、駈け出そうとして肩を掴まれた。激しくもがき掴んだものを剥がすとそのまま転んでしまう。途端に蝉の音が戻ってきた。

 聞く余裕が無かったのが回復したのか本当に蝉の声が聞こえる状態に世界が復帰したのかは分からない。

 俺は地面と睨めっこしながら息を切らして辺りの空間を埋め尽くす響きを聴いていた。そして可笑しそうに笑う声を背後に聞いたのだ。

 俺は傷ついて振り返り、ばあちゃんが口に手を当てて吃驚するほど若々しい声で笑っているのを眺めた。”それ”はどこにも見えなかった。

 「ねえ、ばあちゃん!あれ何?」俺は詰問する様に彼女に問いかけた。全く合理的でなかったがその時の俺は”それ”は彼女が嗾けたものと信じ込んでいた。

 「あれって何だね?」そこで俺は詰まってしまった。説明すればそれがとんでもない言い掛かりに聞こえることに気付いたのだ。不思議そうに小首を傾げながら

 「ばあが、お化けに見えたのかね?それにしてもだらしが無いねえ。男の子があんな声上げるもんじゃないよ・・・本当に残念だよ。」最後の残念という言葉が妙に気に掛った。

 「ごめんなさい、僕ダメなの?」自分の何がダメなのか分からず、しかし残念という言葉のニュアンスに反応して俺は答えていた。

 「そんな事はないさ・・・ばあこそごめんな。孫が転んでるのに笑うのはばばあの風上にも置けないよ。」彼女は優しく抱き上げる様に俺を立たせると手を握った。

 「さあ、帰ろう。用事は済んだ」

 未だにあの経験が何だったのか納まりが付いていない。そもそも、用事って何だったのだろう?なぜ孫を連れてゆく必要があったのだろう?ずっと聞ける雰囲気ではなく、聞ける可能性も無くなってしまった。

 だが、ばあちゃんは底知れないのだ。

 俺に嫌がらせか冗談か、他の目的かは知らないが家の引き出しという引き出しに錠を付けて回ることだって有り得ると俺は思った。すると家のドアフォンが鳴った。


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