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あなたのいきつけは?  作者: しまのすけ
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自身から出る花の匂いの中をかき分けるように

ほのかに香る桃の優しく控え目な匂い。


細く柔らかい毛を、くしゃりと撫でると手に絡みついては

ふわりとほどけてゆく。


『ごめんなさい』


その言葉が、こんなに寂しく響いたのは初めてだった。


この子は...とても...儚い。


いつも壊れてしまいそうな笑顔を作っているように思う。

何故なんだろうか?

計り知れない強さを感じているのに、あまりにも儚くて

それは花のようだ。


咲き誇る、その時、この子は

どんな姿をしているだろう?


________


鼻から入る強すぎる花の匂いが頭の裏側まで届いて痺れる。


強い力と、強い匂いと、強い温もり


少し大きく、だけれども細い手で頭を撫でられながら、その胸に顔を埋めている楓は自分の置かれている状況を呑み込む事で精一杯、固まった体は熱くなって爆発してしまいそうだと言うのに...


抱きしめられた状態のまま、数分を過ごした。


あの人は、どんな顔をしているのだろう?


頭を押さえられている為、覗き見る事が叶わないが...

少し冷静になった楓は、心の中で思う。


(この日の為に産まれてきたんだろう)


...と


賑わう店には誰もいない。


何故か、この人は私を抱きしめてくれている。


肩を抱く力強さと


頭を撫でる優しさと


花の香りの甘ったるさと


ほんのり濡れた服を乾かしていく温もりと


今は、全てが自分に与えられているのだ。


こんなに幸福な事って一生にそうそうないはずだ。


普段ならここで(どうかしている)と思う所だろう


(この日の為に産まれてきたんだ)


思ったのは、もう抜け出せなくなった愛の塊、そんな言葉


フッと笑顔が零れる。


それに気づいたのか、待っていたように言葉が降ってくる。


「私ね、この店に居る時が、一番自分らしく居られるの」


いつもの陽気な声ではなく、耳の奥に忍び込むような落ち着いた声。


「ここに来る人にも、そうあってほしいって...思うのよねぇ」


話しながら頭を撫でる手を休める事無く、一定のリズムで動かす。


「ここの常連客は言ってくれるわ「ここは落ち着く」ってさ」


私もそうだ...と思いつつ、話しに耳を傾け続ける。


「嬉しいわよねぇ~そぉんな事言われちゃったら」


頭の上でクスっと笑うのが分かる。


「だぁ~けど、あんったは何時まで経っても出会った日と...同じよ」


次はフゥとため息が聞こえる。


「店の隅っこに座って、ただ店内を眺めながら、チビチビ酒飲んでさ」


確かにそうだが...もしや迷惑だったのだろうか?


「通いだして結構たつのよ?待っても、待っても、花が咲かない」


通いだして...1年と4ヶ月?そのくらいになるか?


「変な事言うようだけどね」


そう言って撫でる手を止め、力を強めてギュゥと抱きしめられる。


「ほっとけないの」


涙が、出そうになった。


自分が求めている意味でない事は分かってる...

だけど、だけど...夢に思い描いていた言葉が、降ってくる日が来るなんて...

抱きしめられた、その背中に腕を回す事は許されないとしても...


「...ほっとけないのよ...」


また力が強まる。


「きっと、奇麗な花が咲くわ。なのに...」


「私は水をあげる事も、陽に当ててあげる事もできないの」


「せっかく奇麗な花が咲くのに...見守る事しか出来なくて...」


「私は...嫌よ?」


『え?』と聞き返せば、抱きしめられていた手がほどけてゆく。

瞬時に冷たい風が2人の間をフワリとすり抜け温もりを奪ってしまった。

さっきまで私を抱きしめていた、その両手でソッと顔を挟まれると...

導かれるように上を向く、相手の顔が目の前に合って


そのするどく真剣な表情が、何て綺麗なんだろう?

額に額をゴチンとぶつけられ、そして、その人は


花のように笑った。


「枯らすなんて、絶対にいっやっ」


もしかしたら、この人に見えている世界は

私達に見えている世界とはまるで違う物なのかもしれない。

価値観の違いって言葉では終わらせられないくらいに...

同じ場所に立っていたとしても、きっと

この人に見える物は、私では見ることは出来ないのかも知れない。


そう思うと、現実を突きつけられる。


初めから、そうだったじゃないか...


「ほぉら、その顔...はぁ...」


顔を挟む手が強くなり、ムッとした表情で見つめられる。


「今にも枯れそうな顔すんじゃないのっ!」


と、ビシッと額に痛みが走る。


「ほぉ~ら、立って!何時までもここで座ってる訳にいかないでしょ?」


スクッと何でも無かったように立ち上がる姿を見ていると

「さっ!」と言って笑顔と同時に手を出される。


この手をとっていいのは、私が女だからだ。


女として女の手をとるからだ。


恐る恐る、手を出すと、グッと握られ勢いよく立たされる。


よろめいた私は甘えるように、またその胸へと倒れ込みそうになる。


支えられ、真っ直ぐ立たされると無邪気に「運動音痴でしょ?」と言われてしまった。


何て事ない出来事なのかも知れないけれど...


(私は、この日の為に産まれてきたんだろう)

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