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通い慣れて道を今日も歩く。
時間は深夜を回り、飲み屋街は賑やかに、陽気な笑い声から、歌声までも響いていて
私は一人、すれ違う人をすり抜ける目的地を目指すだけ...。
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仕事を終え、電車に揺られ二時間と少し...自宅のある駅を見送って三駅後にホームへ降りた。
今日もまた、給料がお酒に溶けて行くのかと思うと溜息と同時に笑みがこぼれた。
いつもそう、気づけば、この駅で降り、気づけば、あの場所へ向けて足が進むのだ一日中使った足は、もう既にクタクタなはずだろうに、この道を行けば嘘のように軽くなる。
もう、これは病気だ...自分に呆れつつも向かわずにはいられない。
スーツを着たお兄さんから、何歳?と思ってしまう女の子がビラを持って駆け寄って来る、あるいは既に出来上がってるオジサン、奇麗なドレスにお姉さんまで、見た目も年齢層も幅広く、歩み寄り声を掛けられる...断るのも慣れたもので既に顔見知り(一方的だが)な人もいて「今日も駄目ですか?」と笑って声を掛けてくる私は躊躇わず「その通り」と言って笑うだけ、寄り道などしない、目指すのは一軒の小さなバー。
目的のビルに付いてエレベーターへ乗り込む、5階まであるボタンから3の数字を選んで閉ざされた空間になると次は溜息でなく大きく深呼吸をして動き出す箱に身を任す。
到着のアナウンスが静かになると同時に扉が開く、開いた扉から真っ直ぐに見える、もう一つの扉...
近づいていくと、賑やかな笑い声が聞こえて来る、ビル自体が大きい訳ではない、だから必然的にお店も広くはない。
なのに、この店はいつだって賑やかだ。
いつくも連なる飲み屋があり、一日客なしの店だって少なくないはず...
だけれども、ここは違う。
いつも、切り離されたように同じ空気、同じ安堵感を与えてくえる。
そう、訪れた者、全てに
リピーターも非常に多い、そしてその中の一人が私でもある
ただ、それだけの事なんだ...。
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ドアノブを捻ると可愛らしい鈴の音が響く、現れた世界は少しレトロな家具に数人の男性が目に入る。
鈴の音を聞いて、男達の隙間から顔を見せたのは、この店のオーナーだ
私の顔を見るなり表情は柔らかくなり、微笑んで「いらっしゃい」と発する
ここに来いと言わんばかりに、空いている椅子を指さして見つめてくる。
促されるままに、その席へ向かい上着を脱ぐと隣の男性の肘が当たりそうだなほど、引き詰められた椅子に腰を下ろす、何かを言う前に、目の前に、お酒が置かれていた
オーナーは何事も無いように別の客と話し出す。
その横顔を、ただ見つめて冷やされたグラスを片手に持ち口を付ける。
ただ、それだけの事なんだ...
いつも、ただ、それだけを求めてここへやってくる
心の中で(今日も奇麗)と呟く。
絹のような髪を束ね、ナチュラルなメイクで、可愛くも格好良くも見えるラフな格好
身長はあまり変わらないだろうに細身だからか、そこらのモデルなどでは勝ち目はないだろう。
時々聞こえる、その人の声が耳を擽る
それだけで、お酒が進む。
(どうかしている)
初めてこの店に来た時から、この人を思い出す度思う
もはや呪文のように繰り返される言葉となった。
軽く溜息を吐けば、それを逃すまいと掛けられる声
「お姉さん、一人で飲んでても詰まらないでしょ?溜息なんて吐いちゃってさ」
声を掛けてきたのは見た目だけなら若そうな青年。
何歳か前に聞いたような気がするが酔っていたため、直ぐさま忘れてしまった。
彼も私と同じように、ここへ通う常連客、いつも2、3人の友人を連れてきては陽気に飲み明かしている。
『私は一人で大丈夫です』
突き放すような口調で言ったが、慣れとは怖いものか、それとも本気なのか?
「いいじゃん、いいじゃん」と甘えた口調で擦り寄ってくる彼に少々、いや、かなり
眉間に皺を寄せ、盛大に溜息をはいてやった。
彼は私ほどひんぱんでは無かったのに、最近では会う機会が増えたように思う。
私の安らぎの時間が...
そんな事を思いながら、並べられたボトルを遠い目で眺め、しつこい口説き文句を右から左へ聞き流す
本気で拒否すれば、案外アッサリ身を引いてくれるのは知っている。
私がそれをしないには、これまた何とも下らない理由だ。
「そろそろ、その辺にしておきなさいよ~?」
そう、この瞬間の為に、明後日を見つめながら耐えたのだ。
「えっ?今日はいつもより早くないっすか?まだ全然口説けてないのにぃ」
頬を膨らます青年にオーナーはデコピンをパチンと打ち込み、席に戻れと促す「ちぇ」と言いつつ友人の元へ帰る青年、それを眺めて私はニヤリと微笑む。
「あ~んたもっ!」
と言って私の額に痛みが走る
「嫌ならズバッとさっさと断りなさいなっ!見てるとイラッとしてくんのぉ~」
少しムッとした顔で見下ろされる...オーナーのデコピンは正直、結構痛い。
額を押さえながら見上げれば、こちらを真っ直ぐ見下ろす瞳。
だらしない笑みがこぼれてしまう。
青年の行動は苦痛であるが、その変わり耐えればデコピンのご褒美が貰える
デコピンをご褒美と思うのは私だけだろうし
私は決してMではないし、マゾでもない。
しかし、デコピンくらいしか触れる事がないのだ...
カウンター越しにいる相手は、私にとって雲の上にいるようにさえ思えるのだから
「なぁ~に、だらしなく笑ってんだか?」
呆れたように目の前から立ち去る姿に寂しさを覚える、そして思うのは、いつもの呪文...
(どうかしている)
まだ少し痛む額を抱えこみ、見えないように少し笑った。
「そこまで強く打ってないわよ」と
頭を抱える私を見てオーナーに食いつく青年とのやりとりが聞こえる。
彼を羨ましく思う。
あんなふうに、何も考えず会話が出来れば...
女の私でさえ勝てっこない美しさ優雅さ可愛らしさ
何処を見ても完璧な人。
「オカマは無駄に怪力だからな~」
「今、オカマって言ったの誰かしら?」
「りゅうさん、コイツでーす」
「あらっそっ、あなた...次、オカマって言ったらボルわよ?」
「えぇ!?」
耳に入る声に顔が歪む
私はとんでもない相手に恋愛してしまった。
あぁ...
どうかしている