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傷だらけの鏡

作者: 遊佐一二三

「高田くん?高田くんでしょう?」

まだらな金色の髪をした、疲れた表情の女性が立っていた。

僕よりもずっと年上に見える。

記憶をたぐり寄せて、一人の女の子を見つけだした。

あまりに変わってしまったけれど、あの頃憧れた彼女だった。


流れるような黒髪が、制服のシャツの襟の上で揺れる。

僕はそれを見つめているのが好きだった。

不自然に脱色した茶色い髪が流行している中で、

彼女の自然な黒髪は、かえって人目を引いていた。

同じ髪型、短いスカート丈、たぶついた白いソックスの群れの中で、

僕は容易に彼女を見つけることができる。

混じって埋もれることに興味のない潔さが、僕の心を惹き付けた。


一度、彼女に尋ねたことがある。

皆と同じようにしないでいても、不安になったりしないのか、と。

「私は私で、このまんまがラクだから。」

彼女の答えは、彼女の生き方そのままに、実にシンプルで潔かった。


吉岡沙希とは、高校二年の時に同じクラスになった。

女子特有の「群れる」習性を持たず、いつも独りで行動していた。

特に仲間はずれにされているというわけではなく、

ただ独りでいるほうが気楽だから、といった風だった。

クラスには、素朴な美貌を持つ彼女に想いを寄せている同級生もちらほら存在した。


僕は彼女がきれいだとかスタイルがいいとか、そういうことよりも、

彼女の存在感に興味を引かれていた。


成績は中の中、顔も十人並み(もしかしたらそれより下かもしれない)、

とくに際だった特技も個性もない僕にとって、

孤高の彼女は憧れだった。


雑誌の「もてる男」特集を読みながら、髪の色を変えた方が

いいかとか、眉毛を整えたら印象が変わるだろうかだとか、

ささいなことに気を取られてしまう自分が嫌いだった。

「私は私」と言える「自分」を、僕は持っていなかった。


沙希に彼氏がいることは知っていた。

目撃情報によると、美男美女でお似合いとはいえ、沙希とは対照的に

「今風の男」なのだそうだ。

「今」を青春時代としているはずの僕たちが「今風」というのも

なんだかおかしいが、たぶん、テレビに出ているアイドル風の

「チャラい」男なんだろう。

嫉妬の混じった想像は精神衛生上よくないので、沙希の彼氏のことは

考えないようにしている。

でも時々、沙希がその男とどんなことをしているのか、

妄想してはジタバタと藻掻いた。

卑猥なイメージが頭の中をよぎるが、経験が皆無な僕には微細なところまで

想像が及ばず、それもまた自己嫌悪の原因になるのだった。


僕の悩みはいつもくだらない。

「高田ってさ、なんかやぼったいカンジだよな。」

友達にそう指摘され、どうやったら「アカヌケた今風」に

なるのかを、夜を徹して考えた。

沙希の彼氏を参考にすれば、ちょっとは見栄えが向上するだろうか?

いや、たぶん、間違いなく、ダメだろう。

元が違う。

僕の場合、磨けば光る原石ではなく、磨いても変化のない路傍の石。

でもここで諦めれば、「やぼったい」ままだ。

磨けば泥くらいは落ちるだろう。

僕はなけなしの貯金をつかんで、美容院に向かった。


美容院というのは、緊張する。

なぜなら、僕は子供の頃から、「男は床屋だ」と教えられて来たからだ。

美容院は女の人がおしゃれをする場所。

そして、母親でも数ヶ月に一回しか行けない、セレブの店。

子供の頃からのすり込みで、足を踏み入れるのに非常に勇気を要する。


えいやっと気合いを入れて店に入り、上手そうな年輩の美容師さんに頼んで、

「今風の」髪型を指定した。

不安でいっぱいだった僕は、帰る頃には、後悔でいっぱいになった。

この状態を正確な表現するなら、「金をかけて悪化させた」ということだろう。

年輩の人に頼んだのが悪かったのかもしれない。

オシャレの最先端は常にワカモノだ。

いや、言い訳は男らしくないか。

悪かったのは、素材なのだ。


帽子でも持ってくれば良かった。

現状より悪化するとは想像もしていなかった僕は、

そこまで頭が回らなかった。

お金を遣ってしまったから、しばらくはカラオケさえ行けない。

こんなアタマのために。

明日は学校で、間違いなく笑い者になろうだろう。

激しい後悔と絶望の渦に飲み込まれていたが、その悩み自体も

客観的に見れば実にくだらない。

さらに自己嫌悪が深まった。


今は絶対に、学校のヤツと会いたくない。

「神様どうか、知り合いに会いませんように。」

何度も心で祈ったのに、僕の神様は留守だったようだ。

一番会いたくない人に会ってしまった。

孤高の美女、吉岡沙希に。


「高田くん、そのアタマ・・・。」

「変、かな?」

「うん。失敗したジャニーズ系ってかんじ。」

さっくりと、トドメを刺された。

遠慮も気遣いもないのが、いつもながら潔い。

ここで「そんなに変じゃないよ。」と気を遣われたら、かえって

「嘘言うなよ!」とキレてしまいそうな気持ちだったので、

素直な答えに、逆に安心した。


「誰かの好みに合わせたわけ?」

「誰かのってわけじゃないけど、うーん、世間に?」

「アホだね。」

直撃。

「うん、アホだと思う。自分でも。」

しょんぼりした僕の気配を察してか、それ以上の攻撃は来なかった。

「誰かとか世間とか、そういうのにウケようとするから、つらいんじゃない?」


そんなのわかってる。

だけど、努力せずにそのままでいて、誰かに受け入れてもらえると思うほど、

僕は自分に自信が持てない。

いや、努力していたとしても、自信は全く持てないのだけれど。

つまりは、無駄な足掻きをしている方が、冷静かつ客観的に自分を分析するよりも、

気が紛れるというだけのことなのだ。


「吉岡の彼氏は、そのまんまの吉岡を認めてくれてるんだな。」

羨ましいよ、というニュアンスで行ったのに、沙希の表情は暗くなった。

「相手の好みに合わせようと思わないのは、愛情がないってことなのかな?」

「え?」

「好きだったら、相手の好みに合わせたいって思うもの?」


沙希の好みに合わせて、沙希が僕を好きになってくれるなら、僕は

力一杯努力すると思う。

でも、「努力して作った僕」を好きになってもらったところで、

それは「本当の僕」なんだろうか?

努力しなければ好きになってもらえないとしたら、それは本当に

「好き」なことにはならないのかもしれない。

僕は頭の中は、ぐるぐると混乱した。


僕には自分がないから、「作った僕」が不安なのかもしれない。

見栄えを多少いじったところで、中身は変わらない。

要するに、中身を好きになってもらえる自信がないのだ。


「吉岡の彼氏はさ、吉岡の中身が好きなわけじゃん?」

「そうなのかな・・・?」

「彼氏を僕は知らないから、わかんないけど。そうだとして。」

「うん。」

「たとえば髪型とか格好とか、そういうものを変えても、吉岡自体は

変わんないわけだからさ。彼氏の好みに合わせて、喜ばせてあげるのも

いいかもしんないよ。」

「そういうの、なんかイヤなの。このまんまで受け入れて欲しいって

思うのは、ワガママなのかな?」


僕が彼氏だったら、そうするけど。

吉岡の彼氏は、吉岡に変化することを要求できるほど、自分に自信のある

男なんだ。

「喜ばせてあげようと思えないのは、やっぱり好きじゃないからなのかな?」

沙希は、僕の答えを待っているというよりは、自問自答しているようだった。


「僕はさ、彼女とかいたことないから、よくわかんないけどさ。」

沙希が顔を上げた。

「好みに合わせるのがイヤって気持ちと、喜ばせたいって気持ち、どっちが

強いか天秤にかけてみて、自然に傾いた方でいいんじゃないか?」

「そうかな?」

「吉岡だって、相手のここがイヤってとこ、あるだろ。

変えて欲しいって思って、相手が変えたくないこともあるかもしれない。

お互いそういうの、妥協しあって、信頼関係って作るんじゃないの?」


「高田くん、意外とオトナの意見・・・。」

「まるっきり部外者だからね。冷静なの。レンアイに対して。」

深く頷かれて、それはそれでちょっとムカついたけど、

「参考になった。ありがとう。」と明るい表情で言われたから、

僕の機嫌はすぐに直ってしまった。

僕の中身は、実に単純にできているなと思う。


僕と沙希が学校以外でしゃべったのは、その時だけだった。

特にこれといった変化もなく、時だけが意味もなく恙なく流れて行き、

僕は相も変わらずやぼったいまま、受験生になった。


沙希が学校を辞めるという噂を聞いたのは、高三の夏だった。

妊娠して、結婚するという話だった。

その事実を耳にした時は、さすがにショックだったけれど、

「告白しよう」と思うほどに募ったわけでもない恋心は、

受験の忙しさに紛れて、時間とともに風化してしまった。


最後に学校で見た彼女の髪が、明るい茶色になっていて、

彼女は彼に合わせることを選んだのだと、ぼんやりと思った。


僕は中の中レベルの大学に進み、相変わらず平凡な日々を

送っている。

あの頃欲しかった自信は、今もまったくつく様子が見られない。

そして彼女は、平凡な僕とは違って波乱の時を過ごして来たのだろう。

でも、あの頃の自信も輝きも、もはや宿ってはいなかった。


彼女の手首には、白く残った傷跡が、無数に散らばっていた。

そしてその白い跡の上に、真新しい赤い筋が、幾重にも重なっていた。

「彼に合わせて自分を殺すのは、やっぱりつらかった?」

「愛されたかった。愛したかった。でもダメね。

努力でなんとかなるレンアイじゃなかったんだと思う。」

痛んだ前髪を、無造作に掻き上げながらつぶやく。

「髪・・・。」

「え?」

「黒い方が、良かった。」

彼女の瞳を、真っ直ぐにじっと見た。


「私は私、って言い切れる、強さが僕も欲しかった。」

それがあったら、あの頃僕は、君に告白できだだろう。


あの頃の僕は腰抜けで、君に好きだなんて言えなかった。

今の僕もやっぱり腰抜けで、傷だらけの君を受け止めてあげられるような

大きな器を持ち合わせていない。


彼女は僕を映す鏡。

無力な自分を思い知る。


「急に声かけてごめんね。私、高校途中で辞めちゃってるから、

昔が懐かしくって・・・。」

声がかすれる。

「あの頃からやり直せたらって、ずっと思ってて・・・。」

でも時間は戻らないのだ。

意味もなく恙なく、緩慢に流れていると思っていた時間も、

実は後になって、すごく貴重だったことに気付く。


「高校生じゃない今の吉岡が、吉岡らしく生きられればいいんだよ。」

そして、高校生じゃない僕も、僕らしい何かを、そろそろ見つけなければいけない。

自信の源になる、何かを。


「高田くん、ありがとう・・・。」

涙目になりながら去ってゆく沙希の後ろ姿を見ながら、

僕は自分を責めた。


好きな誰かに取り入るための努力なんて、しなくてもいい。

必要だったのは、好きな誰かを守るための努力だったのに。

彼女が彼女らしくいられる居場所を、僕は作ってあげられる力がなかった。

好きだと告白する勇気さえなかった。

先回りして何もかも諦めて、言い訳ばかりしていた。何もせずに。


淡い恋心の思い出が、心の傷に変わる。

君が好きだった。

君を守ってあげたかった。


心に刻まれた後悔を、繰り返さないために。

僕はこの、行き先もなく平らな日々のなかで、無為に過ごすのをやめようと思った。


変化は作るもの。革命は起こすもの。

時間の流れが、少しだけ変わった気がした。






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[一言] 始めて読ませて頂きました。とにかく、文章が好きです!あっさりしててストレートで妙な飾りが無くって…。あながち説明文で終わるところを、上手いセンスでかわして……。テンポも良くって読みやすい。 …
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