村上君のリアル
「戸田君の真実」の続編です。
昔から運動神経は悪いけど、勉強が得意なので、大学生になった今では塾講師のアルバイトなんかしちゃってる。
時給はいい方だし、生徒がかわいいから、結構楽しんでいる。
生意気な子が多いと文句を言うアルバイト仲間もいるけれど、私は生徒の発言がいちいち面白かったりする。
気が合う子が多いというか、とにかく付き合いやすい。
休憩室でミカンを食べていたら、五年生の村上君がやってきた。
村上君は、算数が得意で国語の読解が苦手だ。
一番初めの授業で文章を見ると、眠たくなると言っていた。
まだ小学生だし、読書をすすめてみたら、自宅に一冊も本がないと返事が返ってきた。
村上君が小学生なのに髪を茶色に染めているのは、彼の意志じゃなくて、アイドルグループの熱狂的なファンであるお母さんの趣味だと聞いた。
村上君の理在(リアルと読む)という名前もちょっとすごい。
子供は食事とテレビとゲームを与えておけば、育つものだと思っている親が多いと聞く。
要するにそーいうお母様のようだった。
お母さんは強烈だけど、村上君自身、意外と普通の子だ。
物覚えは悪くないし、頭の回転が速いので、優秀な生徒だと思う。
最近は図書館に通いだしたみたいだから、これから読書もするようになって、どんどん賢くなっていくはずだ。
こういう子を見ていると、すごいなと感心してしまう。
村上君は自販機でコーラを購入すると、私の前に腰を下ろした。
好奇心旺盛な村上君との会話は大抵の場合、質問から始まる。
講師として冥利に尽きるってものだ。
休憩時間だということは除けばだけど。
案の定、村上君は、ミカンが山のように盛られた段ボール箱を指差してたずねた。
「せんせー、それどーしたの?」
「人にもらったんですよ」
「せんせー、一人暮らしじゃん。段ボールごとは多すぎじゃね」
「自転車のチェーンを直してあげたんですよ。急いでいたみたいだから、すごく感謝されちゃって」
自転車の持ち主のおばさんは私のアパートからかなり離れたところに住んでいるみたいだったのに昨日わざわざ家まで段ボールいっぱいのミカン持ってきてくれた。
食べてみたら、甘くて美味しかったから、塾に持ってくることにしたのだ。
「せんせーらしいね」
私は首を傾げた。
「私らしいってどーいう意味ですか」
「地味に良い奴みたいなカンジ。せんせー、顔が暗いし声低いから、親切な人ってイメージないんだよな」
何気にひどいこと言われた気がするのだけど。
「喜ぶべきか微妙ですけど、誉めてくれたご褒美にミカンあげますよ。沢山持っていっていいですから。こたつでお母さんと食べてください。皮をむいてもらうとなおいいです」
村上君は「やった。もうけっ」とはしゃいだ。
かわいいから、多少の暴言は許してあげようっと。
帰りぎわ、ミカンが入れたビニール袋を片手に村上君は私の所にやってきた。
「せんせー、ありがと」
村上君は真剣な表情で言った。
「ミカンはおすそわけだから、私よりも自転車のおばさんに感謝して食べてください。おばさんの実家がミカン農家らしいですよ」
村上君は、プッと吹き出した。
「ミカンじゃねーよ。受験のこと、親に話してくれたんだろ。母ちゃん、いいよだってさ」
そのことだったか。
村上君には受験したい私立中学があって、そのために勉強してきた。
だけど、村上君のご両親が離婚した後、お母さんはお金がかかる中学受験をやめたいと言い出した。
塾をやめるという話が出た時、村上君はすごく悲しそうな顔をしていた。
きっと我慢してしまうんだろうなと思ったら、堪らなくなって、気が付いたら、私は村上君の家に電話していた。
直接会って、模試の成績を見せたり、理系科目が飛び抜けて優秀だということを話したら、お母さんは納得してくれた。
お母さんの賛同を得てから、村上君の成績はますます上がっている。
私は村上君にすごい期待しちゃっているんだ。
「算数のテストで10連続の満点狙ってね」
村上君は任せとけと言わんばかりにVサインをした。
「俺頑張るから、せんせーも頑張ってよ。来年までに彼氏作れよ!」
大声で爆弾発言を投げて寄越した村上君は、帰ろうとして、出入り口の扉の反対側から入ってこようとした人物にぶつかった。
体格差のせいか、尻餅をついた村上君を助け起こした後、マフラーでぐるぐるに巻いたその人は、村上君の肩を軽く叩いた。
「お前、いいこと言うじゃん」
そう言いながら、村上君を送り出した人物が目に入った瞬間、私の背筋に寒気が走った。
慌てて受付のカウンターの下に隠れた私を、戸田君はいともたやすく見つけてしまう。
しゃがみ込んで丸くなっていたら、首根っこを掴まれて、引き上げられた。
「俺にしておけば、来年どころか今日から彼氏ができるよ」
戸田君の口から悪魔の囁きが聞こえる。
どーして、いつも顔を近づけるんだ。
いつもマフラーをして顔を隠しているくせに、私の前では外すんだ。
もしかして、綺麗な顔が武器だと思っているのか。
くっそう。
どうしても顔が赤くなってしまう。
戸田君がクスクスと笑った。
「りんご病の子供だ」
「戸田君、ホントに私のこと好きなの?いつも馬鹿にされているよーな」
ん――と戸田君は考え込んだ。
「あんたは、薄紅の秋の実」
キザな奴め。
文学部の女子だからといって、詩の引用をすれば、ころりといくと思ったら大間違いだぞ。
「藤村は嫌い。奥さんを貧乏生活で死なせちゃうのに、姪と不倫したりするから、嫌い」
気が付いたら、戸田君の腕の中にいて、またしてぎゅうと抱きつぶされた。
「あんたのそういうところが好きだよ」
こいつ、全然懲りてないよ。
教訓:
子供の気持ちは子供が一番よくわかる。
バイト先まで迎えにくる戸田君はいつか私の彼氏になってしまうのでしょーか。
続編は「江戸川君の靴」です。