黄金の煙と、黒いお触れ書き
【霧島城・大広間——朝】
そこには、まばゆいばかりの「黄金の山」があった。
江戸の丸屋から届いた、第一回「チャバコ・出荷分」の売上金である。千両箱が三つ。さらに、今後の予約注文を記した帳面が、うずたかく積まれていた。
「……ゆ、夢ではあるまいな」
惣兵衛が、震える指で小判に触れた。あまりの衝撃に、長年彼を苦しめてきた胃痛が、驚きのあまりどこかへ消え去っていた。
「夢じゃねえよ。丸屋の旦那が言ってた通りだ。江戸の連中は、新しいものに目がねえからな」
孝四郎は、縁側に腰掛けて、のんびりと煙管をくゆらせていた。
茎を使った「チャバコ」は、その独特の香ばしさと安さが受け、江戸の長屋から武家屋敷まで、空前のブームを巻き起こしていた。捨てられるはずだった「茎」が、今や小判に化けて戻ってきたのだ。
「これで、今月分の借金返済どころか、藩の蓄えもできましょう! 殿、まさに霧島三五〇年の奇跡にございます!」
惣兵衛が畳に頭をこすりつけ、むせび泣く。
鷹之介は腕を組み、金貨の山を冷めた目で見ていたが、その口元には、隠しきれない誇らしさが浮かんでいた。
「……フン、ゴミを売ってこれほどの金を得るとは。貴様の浅ましさ、もはや天晴と言わざるを得んな」
「照れてるのか、鷹之介さん」
「照れていない! ……だが、これでようやく、領民にひもじい思いをさせずに済む」
城内が、祭りのような喜びに包まれていた、その時だった。
【霧島城・正門】
馬のいななきと共に、数人の役人が城内になだれ込んできた。
先頭に立つのは、知覧藩の宮地紋太夫ではない。幕府の紋所を背負った、長崎奉行所の役人たちだった。
宮地はその陰で、毒蛇のような笑みを浮かべて立っていた。
「霧島藩主、孝四郎殿。……神妙にいたせ」
先頭の役人が、冷徹な声で一枚の紙を突きつけた。
【対面の間】
広間に、重苦しい沈黙が流れていた。
役人が突きつけたのは、**「混合物禁止の厳命」**と記された、墨の色も新しいお触れ書きだった。
「……混合物、禁止?」
孝四郎が眉を寄せ、宮地を睨みつけた。
「左様」
宮地が、扇子で口元を隠しながら、勝ち誇ったように言った。
「近頃、江戸にて流行る『チャバコ』とやら。あれはタバコでもなく、お茶でもない。幕府が許可していない、正体不明の混ぜ物である。……お上は、民の健康を損なう恐れのある、このような出所の分からぬ吸い物を、本日付で『禁制品』と定められた」
「な、何を馬鹿な……!」
惣兵衛が、再び胃を押さえて叫んだ。
「毒など入っておりませぬ! 拙者も毎日吸っておりますが、これほどまでに健やかで——」
「黙れ、下級役人風ぜいが。お上が『毒の疑いあり』と仰せなのだ」
宮地の目が、冷酷に光った。
「よって、現在霧島藩にあるすべてのチャバコ、および原料となるタバコの茎、さらに知覧から流出している茶葉……これらをすべて没収し、その場で焼却処分とする。……抵抗すれば、霧島家は幕府への反逆とみなす」
【工房の庭】
庭では、役人たちが職人たちを突き飛ばし、せっかく作り上げたチャバコの箱を、次々と積み上げていた。
「やめてくれ! これは俺たちの魂だ!」
半助たちが必死に縋り付くが、役人たちは容赦なく蹴り飛ばす。
積み上げられたチャバコの山。そこに、火が放たれようとしていた。
お鶴は、震える手でその光景を見ていた。
宮地は、お鶴の耳元で冷たく囁いた。
「お鶴。お前には最後の仕事がある。……孝四郎が隠し持っている『茎を加工する秘伝の書』。あれを今すぐ奪ってこい。さもなければ、知覧にいるお前の家族は、一生、お茶を飲むことも許されぬ身分へ落とす」
「……そんな」
「行け。これは知覧藩のためだ」
【孝四郎の部屋】
孝四郎は、窓から庭で燃え上がる煙を見ていた。
何万両という利益が、一瞬にして灰になっていく。
「……悪いな、お鶴ちゃん。せっかくお前さんが名前をつけてくれたのに」
背後に立つお鶴に、孝四郎が静かに言った。
お鶴の右手には、懐剣が握られていた。
「……孝四郎さん。秘伝の書を、渡してください。それを渡せば、宮地様は火を止めると言っています」
「そうか」
「渡して! じゃないと……死んじゃう。あなたも、私も!」
お鶴の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
孝四郎はゆっくりと振り返り、お鶴の前に立った。
その瞳には、怒りも絶望もなかった。
「お鶴ちゃん。職人が一番怖いのは、火じゃない。……『誇り』を失うことだ」
孝四郎は懐から、一通の紙を取り出した。秘伝の書ではない。
「……それは?」
「お触れ書きの『穴』だ」
孝四郎の知謀が、静かに火を噴いた。
「宮地の旦那は、チャバコを『飲み物でも吸い物でもない混合物』として禁じた。……なら、こうすればいい」
孝四郎はお鶴の手から懐剣を取り、自分の髪をひと房、ぷつりと切り落とした。
「……髪?」
「ああ。これをな、チャバコと一緒に袋に詰めるんだ。……お鶴ちゃん、知ってるか? 江戸じゃあ今、**『虫除けの香』が飛ぶように売れてるんだよ」
お鶴が、あっと息を呑んだ。
「タバコの煙は虫が嫌う。お茶の香りは部屋を清める。……これは『吸い物』じゃねえ。幕府公認の、ただの『防虫・芳香剤』**だ。これなら混合物禁止のお触れ書きは、一切関係ねえ」
【庭——炎の前】
火が放たれる直前。
孝四郎が大股で庭に現れ、役人の手を掴んだ。
「待ちな、旦那。その火を付けるのは、ちょっと待ってくれ」
「退け! 禁制品を焼却するのだ!」
「禁制品? 何のことだ。これは今から江戸の『香屋』へ納める、最高級の防虫香……その名も**『霧島の露・防虫改』**だぜ?」
孝四郎が掲げた袋には、さっきまで吸い物だったチャバコが、仰々しいお札と共に詰められていた。
「……何だと?」
宮地が血相を変えて駆け寄る。
「馬鹿を言うな! これはお前たちが吸っていたものではないか!」
「へえ。職人が仕事の合間に、防虫香の効き目を『味見』してたのが、何か問題でもありますかい?」
孝四郎は、役人たちの鼻先に袋を突きつけた。
「お上のお触れ書きに、『防虫香を自ら吸ってはいけない』なんて項目、どこにもなかったはずだぜ?」
役人の言葉遊びには、職人の屁理屈で返す。
役人たちは顔を見合わせ、言葉を失った。
宮地紋太夫は、拳を握りしめ、顔を真っ赤にして震えていた。
「お、おのれ……孝四郎……ッ!!」
灰になるはずだった黄金の山が、今、新たな「商品名」を背負って、再び立ち上がろうとしていた。




