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霧島百万両始末記  作者: 水前寺鯉太郎


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落ちた若殿、拾う神あり

【霧島城・庭——昼】

 城の庭が、様変わりしていた。

 普段は松の木と石灯籠しかない静かな庭に、粗末な木枠とむしろで作られた仮設の小屋が、いくつも並んでいる。かまどが三つ、焙烙が五つ、刻み台が十。煙が上がり、葉の香りが城全体に満ちていた。

「ほら、手が止まってる! 葉は均一に刻め、太さが揃わないと燃え方がバラバラになる!」

 孝四郎が仮設小屋の間を歩き回りながら、次々と声をかけていく。集まったのは、城下の失業した職人たちと、暇を持て余していた下級武士たちだ。職人は仕事があることに素直に喜び、武士たちは「なぜ拙者が葉っぱを刻まねばならんのか」という顔をしながらも、手だけはきちんと動いていた。

 飯が出るからだ。

 惣兵衛が、震える手で葉を刻みながら呻いた。

「武士が内職など……! 霧島家三百年の歴史が……!」

「惣兵衛様、夕飯は何がいいですかい」

 孝四郎が耳元で囁く。

「う……」

「昨日はめざし一本でしたよね。今日は仕事が進んだら、焼き魚に小鉢をつけようかと思って」

「……ふ、二品もつくのか」

「頑張ったら三品も夢じゃない」

 惣兵衛の手が、みるみる速くなった。

 おりんが遠くからそれを見ていた。呆れたように息をついたが、自分の手も止めなかった。

 夕暮れが城を染める頃には、初日とは思えない量のタバコが木箱に収まっていた。孝四郎は一本取り出して吸い、味を確かめてから静かに頷いた。

「悪くない。明日はもう一割、量を増やそう」

「も、もう一割!?」

 武士の一人が悲鳴を上げた。

「一ヶ月で江戸へ送る量を考えたら、これでもまだ足りねえ。でもまあ、今日はよく動いた。飯を食って寝ろ」

 ぶつぶつ言いながらも、誰も帰らなかった。

 【霧島城・庭——深夜】

 月が高く上がった頃、庭には孝四郎一人が残っていた。

 かまどの火を落とさず、いくつかのブレンドを試している。甘草の量、乾燥の加減、刻みの細さ。江戸の吉原で売るとなれば、今のものより、もう一段、香りを尖らせたい。

 煙管をくわえ、目を閉じて煙の質を確かめていると——。

 足音が、した。

 いや、足音ではない。気配だ。訓練を積んだ人間の、息を殺した、丁寧な近づき方。孝四郎は目を開けなかった。

 白刃が、月光に光った。

「……貴様が、私の席を奪った、偽物のタバコ巻きか」

 低く、よく通る声だった。

 孝四郎は目を開け、背後を振り返った。

 闇の中に立っているのは、二十代半ばほどの男だ。すらりとした体躯に、きっちりと着込んだ着物。構えは崩れていないが、刃を向ける手が、ほんのわずかに震えている。怒りか。それとも、別の何かか。

 孝四郎はその男を一瞥し、煙管をゆっくりと口から離した。

「おう。あんたが前の若殿か」

「……そうだ。霧島家の正統な後継者、鷹之介だ」

「いいところに来た」

 孝四郎は立ち上がり、近くの麻袋を顎でしゃくった。

「この葉っぱの束、あっちの倉庫に運んでくれねえか。腰が痛くてよ」

 沈黙が落ちた。

「……な、何を言っている。私は貴様を斬りに来たのだ!」

「わかってるよ」

 孝四郎は、あっさりと言った。

「でも斬るなら、このタバコを吸ってからにしてくれ」

 新しく刻んだばかりの葉を詰めた煙管を、鷹之介の方へ差し出す。鷹之介は面食らい、刃を構えたまま動けない。

「どうせあっしは五年後に打首だ。今斬られたって、五年後に斬られたって大差ねえ」

 孝四郎の声は穏やかだった。怯えた様子が、微塵もない。

「それより、職人が手間かけて作った新商品を、味見もせずに斬るのは——武士の風上にも置けねえぜ?」

 鷹之介の眉が、ぴくりと動いた。

「……武士の、風上」

「ものの良し悪しを確かめもしないで切り捨てるのは、武士じゃなくて、ただの乱暴者だ。あんた、そっちの方がいいか」

 長い沈黙があった。

 鷹之介はゆっくりと刃を収め、煙管を受け取った。火をつけ、一口、深く吸い込む。

 止まった。

 もう一口。今度は目を細めた。

「……なんだ、これは」

 声が、変わっていた。

「クズ葉のはずだ。なのに、雑味がない。この甘い香りは……」

「山の甘草と、少しの蜂蜜だ。乾燥の加減で香りが全然変わる。今夜はその配合を試してた」

 鷹之介は煙管を見つめ、また一口吸った。長く、ゆっくりと、煙を吐き出す。

「……見事だ」

 絞り出すような一言だった。プライドの高い男が、認めたくないのに認めてしまったときの声だった。

 孝四郎はそれを聞いて、にやりとした。

「なあ、鷹之介さん。あんた、統率も学問も一流なんだろ」

「……なぜ知っている」

「あっしを迎えに来た重臣の一人が、こっそり教えてくれた。本当は鷹之介様を推したかったって、目を潤ませながら」

 鷹之介の喉が、かすかに動いた。

「この工場、見てわかるだろ。無計画なんだ。人の動き方も、葉の流れも、でたらめで、あっしが目を光らせてなんとかなってるだけ。一ヶ月で江戸に送る量を作るには、軍隊みたいに人を動かす誰かが要る」

 孝四郎は鷹之介の目を見た。

「あっちの流通ルートも、あっしには設計できねえ。江戸の問屋や道中の宿場との交渉は、武家の作法を知ってる人間じゃないと舐められる。……あんた、それができるだろ」

「……」

「あっしを斬るのは、百万両をチャラにしてからでも遅くねえ。それまでの間だけ、手ぇ貸してくれ」

 月明かりの下、鷹之介は長い間、黙っていた。

 庭の松が、夜風に揺れた。

「……勘違いするなよ」

 やがて、鷹之介が低く言った。

「私は、この藩の民を救うために手を貸すだけだ。貴様を認めたわけではない」

「わかった、わかった」

「わかったではない。もう一度言う。貴様を認めたわけでは——」

「明日の朝、人員の割り振り、頼んだぞ」

「聞けッ!」

 【霧島城・庭——翌朝】

 夜明けとともに、城内に鷹之介の声が響いた。

「起きろ! 刻み組は三列に分かれて配置! 焙煎組は火の温度を均一に保て! 葉の束は左から右へ流す、逆に動かした者は腕立て五十回だ!」

 職人たちが目を白黒させながら走り回る。下級武士たちは久しぶりに聞く軍令口調に、反射的に背筋を伸ばした。惣兵衛が「なんと頼もしい……!」と目を潤ませ、おりんが「ようやくまとも人が来た」と小さく息をついた。

 孝四郎は縁側に腰かけて、その様子を眺めながら煙管をくわえた。工場が、みるみる形になっていく。昨日と同じ人数なのに、動きの無駄がない。

「……筋がいいな」

 独り言のように呟いた。

 鷹之介が振り返り、孝四郎を一瞥した。

「褒めるな、気持ち悪い」

「照れてる」

「照れていない! さっさと働け!」

 城内に、職人たちの悲鳴と鷹之介の号令と惣兵衛の嗚咽が、賑やかに混じり合った。

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