15 デミリッチおじいちゃん
辺りは少しずつ暗くなり、ひんやりとした風が店の中まで入り込んできた。
「そろそろ、今日のお店はおしまいかな」
私がそんなことを考えながら、店じまいの準備を始めようとした時のことだった。
軽やかに扉が開き、一人の客が入ってきた。
「こんばんわ。おじいちゃんじゃよ。ほれ、ニーナちゃんの大好きな飴ちゃんをたくさん持ってきたぞい」
「ゼンディスおじいちゃん、こんばんは!」
私は扉から入ってきた人影を見て、元気に挨拶をした。
ゼンディスおじいちゃんは、デミリッチとかいう種族の中で、かなりえらーい人らしい。
でも、私にとっては、こうしていつも飴ちゃんをくれる、ただの優しいおじいちゃんだ。
その姿は、宝石が埋め込まれた骸骨の仮面を被り、長い黒のローブをまとっている。そして、地面から少しだけ浮いたまま、ふわりと私の前までやってきた。
私はゼンディスおじいちゃんから、あめがたくさん詰まったバスケットをそのまま受け取った。
うんとても、ずっしりと重い。
「わあ、たくさんありますね。やったー!」
飴は大好きです。甘いのがほとんどだけれど、たまにすごく辛いものや、鼻がスースーするものが入っている。あれはちょっと苦手だけれど、今日は何が入っているかなと選ぶのも楽しみの一つだった。
「ふぉふぉふぉ……いいんじゃよ。ニーナちゃんが喜ぶ顔が見られれば、それだけで十分じゃわい」
仮面を被っているから表情は分からない。
けれど、きっとその下では優しい顔で笑っているんだろうな、というのが声の響きから伝わってきた。
それから私たちは、お茶を飲みながら一緒に飴をつまんだ。
「これから寒くなるから、体を冷やして体調を崩さないようにのう」
「好き嫌いせずに、ちゃんと栄養のあるご飯を食べるんじゃよ」
おじいちゃんは、まるでお父さんか本当のおじいちゃんみたいに、あれこれと私を気遣ってくれる。
私たちはそんな和やかな会話を楽しみながら、静かな夜のひとときを過ごした。
ゼンディスおじいちゃんは、ふと思い出したように、お茶を飲む手を止めた。
「そうじゃそうじゃ。ニーナちゃん、しばらく南側には行かないことじゃよ。あのあたりは、これから少し危なくなるからのう」
おじいちゃんの声はいつも通り穏やかだったけれど、その言葉には私を本気で心配してくれているような響きがあった。
「はい、わかりました。でも私はお店があるから、もともと外にはあまり出歩かないですし、たぶん大丈夫ですよ」
私がにこっと笑ってそう答えると、おじいちゃんは「それなら安心じゃな」と言って、また満足そうに頷いた。
「うむ、それじゃあ儂はそろそろ帰るかのう。……例のいつもの、出してくれるかい?」
ゼンディスおじいちゃんは、名残惜しそうにお茶のカップを置くと、ふわりと体を浮かせた。
「はい、わかりました。シップですね? いつもの十枚セットでいいですか?」
私が手慣れた様子でカウンターの奥から包みを取り出すと、おじいちゃんは「そうじゃそうじゃ」と深く頷いた。
「やっぱ年を取ると、あちこちガタがきてのう。特に腰が痛くていかんわい」
「もう、おじいちゃん、あまり無理しちゃダメですよ。私、おじいちゃんにはまだまだ長生きしてほしいんですから」
シップを袋に入れながら私が言うと、おじいちゃんは仮面を揺らして愉快そうに笑った。
「ふぉっふぉっふぉっ。そうじゃな、可愛いニーナちゃんにそう言われては、まだまだ生きねばならんなあ」
おじいちゃんは満足そうに金貨を一枚、カウンターに置いた。シップ十枚に金貨一枚なんて、本当は多すぎるくらいなのだけれど、おじいちゃんはいつも「取っておきなさい」と言ってお釣りを取ってくれない。
「また来るでのう」
「はい、いつでもお待ちしてます!」
私は笑顔で大きく手を振って、夜の闇に消えていく黒いローブの背中を見送った。
魔王城にある、ゼンディスの私室。
先ほどまで雑貨屋でおじいちゃんを演じていたゼンディスが戻ってくると、そこには一人の女性が待ち構えていた。銀色のショートカットに、透き通るような青白い肌。
メイド服をきっちりと着こなした彼女は、冷ややかな視線をゼンディスに向ける。
「おかえりなさいませ。またあの雑貨屋に行っていたのですか? ゼンディスおじいちゃん」
わざとらしく語尾を強調した彼女の問いに、ゼンディスはふんと鼻を鳴らした。
その声は、ニーナと話していた時の柔和なものとは違い、どこか威厳と不機嫌さが混じっている。
「別にいいじゃろ。儂がどこへ行こうと、儂の勝手じゃ」
「ええ、別に構いません。ですが、『儂に孫がおったら、あんな感じかのう……』なんてうっとりと呟きながら、こっそり雑貨屋に通いつめるのは、なかなか気持ち悪いですよ。いえ、失礼しました。とても、とても気持ち悪いですよ」
メイドの女性は表情一つ変えず、淡々と、しかし容赦のない言葉をゼンディスに突きつけた。
「それに、ゼンディス様。あなた様には、そもそも『体』がありませんよね。デミリッチですし。いつもその無意味なシップを買ってくるのはやめてください。無駄な出費です」
銀髪のメイドは、表情一つ変えずに淡々と言い放った。
「うるさいわい! あの娘はお前と違って、金貨一枚をそれはそれは幸せそうに受け取るんじゃぞ。そんな顔を見せられたら、買うに決まっておるじゃろ」
ゼンディスは負けじと言い返した。仮面の奥にあるはずのない熱がこもる。
「……さすがですね。気持ち悪いを通り越して、純粋に『キショい』です」
「なんじゃあ? そのよく分からん言葉は」
メイドの辛辣な言葉をどこ吹く風と聞き流し、ゼンディスはふっと声を低くした。部屋の空気が、一瞬にして冷たく張り詰める。
「それより、南への侵攻の準備は整っておるな? ……シトリン」
「はい。ぬかりはありません」
シトリンと呼ばれたメイドは、先ほどまでの毒舌をぴたりと止め、一人の軍人として短く、深く頭を下げた。
「うむ、結構じゃ。見ておれ帝国の人間ども。儂の奪われた故郷を、この手で取り戻してやるぞい」
そこにはもう、優しい「おじいちゃん」の影はなかった。あるのは執念に燃える、強大な魔族の姿だった。
「はい。どこまでもお供いたしますよ……ゼンディス様」
シトリンは最後に少しだけ口角を上げると、影に溶けるように一礼した。




