10 ケルピー掃討戦
「悪いな、帰ってきて早々に」
魔王軍の軍団長ハンナを退けてから数日後。私は、王国冒険者組合のギルド長、パトックさんに呼び出されていた。
「少しは休めましたし、別に大丈夫ですよ」
私は、まだ抜けない体の重さを隠してそう答える。……まあ、本当はあと一週間くらいは泥のように眠っていたかったけれど。
「それで、呼ばれた理由って何です?」
「そうだな。戻ってきた早々で本当に悪いんだが……もう一度、前線に行ってほしい。今度は、北側になるんだが」
げ……。また戦場かぁ。
少しゆっくりしたいなぁ、という本音が、隠しようもなく顔に出ていたのかもしれない。
「済まないな。これも人命のためだと思ってほしい。今度はちゃんと休暇を取れるように陛下には言っておくから……」
パトックさんは本当に心苦しそうに、視線を落としてそう言った。
まあ……人命のため、なんて言われると弱いんだよね。これでも一応、勇者だし。困っている人を見捨てて自分だけ休むなんて、やっぱりできない。
「わかりました。じゃあ、準備してから向かいますね」
私はパトックさんにそう答える。
「ああ、頼んだ」
パトックさんは短く、噛みしめるようにそう言った。
再び戦場、人類と魔族が激突する最前線へと戻ってきた。
今回の相手はケルピーだ。そのケルピーを相手に、味方の前線がかなり押し込まれているという話だった。
ケルピーの見た目は馬のような魔物で、水の中に人をさらって食べるから危険ではあるけれど、鉄の武器さえあればそれほど脅威ではないはずだ。
「一体、何があったんだろう……」
冷たい風が吹き抜ける北側の湿地帯。ぬかるんだ地面を一歩ずつ踏みしめながら、私は少し考えていた。
鉄が効かないなんて、普通ならありえない。何か特殊な個体でも混じっているのかな。
「……ま、考えていても始まらないし。退治するしかないよね」
私は装備を軽く整え直すと、覚悟を決めて湿地の奥へと足を進めた。
前線の湿地帯に到着した。
そこでは、ケルピーの群れと人類の軍が激しい戦いを繰り広げていた。
驚いたことに、ケルピーたちは皆、鉄の武器をものともせずに突き進んでいる。それどころか、彼らは統制の取れた陣形まで組んでいた。後方からは弓や水魔法で牽制し、前方は槍を構えて人類側を圧倒しているのだ。
魔族がこんな風に徒党を組むなんて、反則でしょ。そういう組織的な戦い方は、人類側の専売特許のはずなのに。
私は一度、深く息を吸い込んだ。そして、戦場に響き渡るような大きな声で叫んだ。
「みんな、勇者エリカが来たよ! もう少しだけ、持ちこたえて!!」
私はそのまま、密集するケルピーの群れの中へと一気に突っ込んでいった。
剣を横に一閃し、まずは一匹。さらに鋭く踏み込んで、二匹目を斬り伏せた。
着実に数を減らしながら、私はぐいぐいと前線を押し返していく。
「勇者が現れたぞ! 後方は水魔法を唱えよ。前方はとにかく数で勇者を圧殺せよ!」
奥の方で、ケルピーの指揮官らしき魔物が鋭い声を張り上げた。それに合わせて、ケルピーたちが一糸乱れぬ動きで私を囲い込もうとする。
「だ・か・ら……そういうのは、人間側の十八番だって言ってるでしょ!!」
私はイラ立ちをぶつけるように、力任せに剣を振り抜いた。正面のケルピーを力ずくでなぎ倒し、無理やり陣地をこじ開けていく。
すると、湿地帯に急激に水が流れ込み、水位が上がってきた。ケルピーたちの放った水魔法だろう。
水はちょうど足のスネのあたりまで届いた。高さにして、三十センチにも満たないくらいだ。
けれど、たったこれだけの水でも足を取られて動きにくい。それなのに、ケルピーたちはそんな環境でもまったく制限されることなく、むしろ自由自在に動き回って人間たちを襲っていた。
後ろの兵士たちの間から、次々と悲鳴が上がる。
「くそっ! 足を水に取られて動きにくい……!」
「ぐああああ!」
何人もの兵士が水の中に倒れ、そのまま動かなくなる。最悪な戦況が、私の目にもはっきりと映った。
これ以上、犠牲を増やすわけにはいかない。速攻で片付ける。
私は女神の加護を全身にまとわせると、一気に高く跳び上がり、ケルピーの群れのど真ん中めがけて突っ込んだ。
そのまま空中で炎の魔法を発動し、眼下のケルピーたちに向かって放つ。
ケルピーは水に属する魔物だ。そのため炎の魔法は本来効きにくいけれど、一瞬の隙を作ってひるませることくらいはできるはず。
――私は、そう思っていた。
「ぎゃあああ! 体を覆っていたオイルが燃える!」
「オイルが焼けて、鉄の認識が戻ってしまう! 鉄が、鉄が触れてる感覚が戻ってくる!!」
「嫌だ、鉄が怖い! 鉄が痛いよぉ!!」
あちこちで、ケルピーたちの絶望に満ちた叫び声が上がった。
「え……?」
私は空中で、思わず呆然としてしまった。
ひるませるつもりで放った炎が、オイルという鉄を拒む膜を焼き払っていく。
すると、さっきまで鉄を無効化していたケルピーたちが、まるでこの世で一番恐ろしいものに触れたかのように震えだしたのだ。
どうやらこのオイル、ただ鉄を遮断するだけじゃなくて、鉄に触れているという事実そのものをなかったことにしていたみたいだ。
私は着地すると同時に、再び炎の魔法を次々と放っていった。
オイルの加護を失ったケルピーたちは、もはやただの魔物だ。維持されていた水魔法も霧散し、足元を覆っていた水が引いていく。戦場は、鉄の武器が牙を剥くただの湿地帯へと戻っていった。
私は戦場に響き渡る、ひときわ大きな声を張り上げた。
「みんな、今が勝機だよ! 一気に畳み込もう! ケルピーを全滅させるんだ!」
「おーっ!」
「うおぉぉっ!」
私の言葉に応えるように、兵士たちの士気が爆発した。
私は手当たり次第に炎の魔法をケルピーへ叩きつけながら、剣を振るった。大きく薙ぎ払い、次々とケルピーの数を削っていく。
戦場のあちこちに、キラキラと金貨や銀貨が落ちていく。それは前、デュラハンを倒したときにも見た光景だった。けれど、今の私はそんなことに構っている暇はない。
私は決して、手を緩めない!
斬って、斬り進む。炎を身にまとい、魔法を放ち、突きを繰り出し……矢のような速さでケルピーの群れを貫いていく。私は混乱する敵の中心に、大きな風穴を開けていった。
ケルピーの大部分を撃退し、生き残ったわずかな数は散り散りになって逃げていった。
人類側も決して少なくない犠牲は出たけれど、奪われていた前線を力ずくで押し返した。結果は大勝利だ。
私はまだ炎が赤々と揺らめく剣を、天高くに向けて突き上げた。
「私たちの、人間の勝利だー!」
私が力一杯叫ぶと、それに応えるように兵士たちが一斉に声を上げた。
「「「うおおおおおお!!!」」」
地鳴りのような、大地を震わせるほどの喝采が戦場に響き渡る。
泥にまみれ、傷つきながらも、生き残ったみんなの顔には勝利の喜びが溢れていた。
こうして、北の湿地帯を襲った「鉄をあざむくケルピー」の脅威は、皮肉にも彼らが自慢していたオイルによって焼き払われ、幕を閉じたのだった。




