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第57話 黒い鏡の前で

 右手の端末から目を離して柄を握った後、切っ先を見た桐野の表情が曇った。


「いいんですか?実験対象を生かして置いちゃって。確かにあそこにあの神前誠がいたのは計算外ですけど……あの若造くらい別に気にするほどのことは無いですよ。アイツ以外を全員殺せばそれで終了。それで良いじゃないですか。こう言うのは証拠を消しておかないと。後々厄介ですよ」 


 暖房の暖かさに皮のジャンバー徳利のセーターを脱いでトレードマークの赤いアロハシャツのすそを気にしながら、北川公平は手にした日本刀を持ち主である桐野孫四郎に返した。右手の端末から目を離して柄を握った後、切っ先を見た桐野の表情が曇った。


「刃が傷ついてる。コンクリでも掠めたか?」 


 その冷たい言葉に北川は背筋に寒いものを感じてすぐに頭を下げた。


「まあ……すいません。何しろとっさのことだったんで。あの神前誠が居る事だけは、実際干渉空間を展開するまで気が付かなかったもので……」


 北川は桐野の殺気を感じて下げたくもない頭を下げた。 


「借りたものは大事に使え。これは俺の命も一緒だ。それが『サムライ』。そんな事は東和生まれの貴様には理解できないか」 


 それだけ言うと桐野は手にした日本刀を鞘に収めてそのままソファーに体を横たえた。


 彼等がいる部屋はすでに夕暮れの予感を漂わせていた西向きの広い応接室だった。黄色く色づき始めた夕日の下には、中規模のオフィスビル群が行儀良く並んでいる様が窓からも見えた。そしてそれに対する圧倒的なほどの視線の高さが、彼等のいるビルの大きさを示していた。窓は鏡みたいに暗く、街と自分の顔を同時に映していた。


 ノックの後、ドアが開いた。

挿絵(By みてみん)

 現れたのは長髪の若い男と、灰色の背広姿のメガネをかけた重役風の老境に達しようとしている男だった。長髪の若い男は、部屋の空気を支配するように雇われ役員にいかにも語るに足りない愚物を見るような視線を向ける。そのおどおどとした態度で彼がどれほどの無理をして今の地位まで駆け上がったのかを想像するのは北川の楽しみの一つだった。


「ゲルパルトの狂信者達の実験は終わったようだな……結果は見えているがな」 


 北川よりも頭一つ大きい長髪の男はそう言うとそのまま窓辺までまっすぐと歩いていった。彼の真意がわからず、重役風の男は入り口近くで身を正すようなたたずまいで立ち尽くしていた。


「ああ、陛下の思ったとおり演操系の法術は普通の法術師には察知するのが難しいらしい。あの神前とか言う小僧も北川の馬鹿が手を出さなければ気づく様子も無かっただろうな」 


 そう言うと桐野は端末の画像を拡大した。そこにはデパートのレストランの警備用カメラの画像が映っていた。通り魔事件の実行犯に仕立て上げられた哀れな大学生が、ダウンジャケットを着たタレ目の若い女に銃で腕を撃ち抜かれる様が何度と無く繰り返されていた。


「でも……良いんですか?俺が手を出さなくてもゲルパルトに納品した姉ちゃんの所業は遅かれ早かれバレますよ。同盟司法局の法術特捜捜査官嵯峨茜警部は親父と同じでなかなか食えないって話ですしね」 


 北川は感情を押し殺そうと必死に入り口で耐えている老サラリーマン役員の様子をちらちらと観察していた。そんな中、再び音も無く扉が開き、恰幅のいい老人が現れた。


 老人の表情はすべてを理解していると言うようすで満足げな笑みを浮かべていた。


 そのまるで遠慮も無い尊大な態度を一瞥した桐野は、苦い顔をして視線を目の前の端末に戻した。北川もその余裕のありすぎる老人への嫌悪感を隠すことなく桐野の隣のソファーにふんぞり返ってみせた。


「実に素敵な結果が得られたようではないですか。力を持たないネオナチの方々が少ないながらも力を持つに至った。これは一つの時代の変革期に立ち会えたと言うことですかな?」 


 窓辺に立つ長髪の男の声に老人は満足げにうなずいた。それは桐野にも北川にも不愉快な表情だった。どこまで何を知っているのかと言うことをまるで覆い隠す穏やかな笑顔が老人に浮かんでいた。


 かつてこの国、東和の総理大臣を務めた経験もある菱川グループ総帥の菱川重四郎と言う怪物を相手にするのは正直二人には気が乗らない話だった。


「こいつはカーンの爺さんより性質が悪いな。カーンの爺さんは自分がしたことが悪いことだと分かっているがこっちはまるでその自覚は無い」 


 北川は小声でそうつぶやくと何度も再生が繰り返されている桐野の端末に目を向けた。


「それは褒め言葉と受け取っておきましょう。それに自覚が無いと言うのは間違いですよ。我々は正しいことをしているのです」 


「地獄耳め……」 


 北川は老人に独り言を聞き取られたのが頭に来たようで、そのままいたずら盛りの子供のようにふんぞり返った。その様を微笑みながら長髪の男は眺めていた。


「私の悪口を続けていただいても結構ですよ。経営者、政治家。どちらも陰口を叩かれるのが仕事のようなものですから。いちいち気にしていたら心が壊れてしまいますからね」 


 平然とそう言うと菱川は入り口に立つ部下に出て行くように目で合図した。明らかに狼狽しながら首を横に振るサラリーマン役員の姿が滑稽に見えた。


「出て行きたまえ。これからは私の経営判断の範疇(はんちゅう)だ。君達の職権の及ぶところではない」 


 ためらう雇われ役員に向けて言う言葉の重みに桐野が初めて顔を上げて隣に立つ老人を見上げた。その態度を見てようやく菱川の部下の役員はドアから消えていった。


「命を粗末にするのは良いことじゃないですね。命は尊いものです。まあカーンさんにはまず同意してもらえない私個人の見解としての話ですがね。彼には命を大事にすると言う発想は無い。私は経営者として、政治家として命を大事にすると言う発想がある。まあどちらが優れているかは陛下のご判断にお任せしますが」 


 菱川は一言、桐野にそう言うとそのまま彼の正面のソファーに腰を下ろした。

挿絵(By みてみん)

「立派な街ですね。実にいい……これをあなたは守り続けてきた……そうですよね」 


 初めて長髪の男が口を開いた。それに驚いたように北川は振り返った。


「人はその命の数だけ価値がある。私はそう思いますよ。かつて、地球人達がまだその生まれた星に留まっていたころ。『命は地球より重い』と言ったそうですが、なかなか興味深い言葉だ。今の地球圏では忘れ去られたその言葉がこの東和共和国では生きている。それだけの話ですよ」 


 そう言って再び菱川は桐野を見つめた。重い瞳で見つめられた桐野は一度にんまりと笑った後、窓から離れようとしない彼の飼い主の方を見つめた。


「あの自分の利益の為なら何でもする地球人の言葉にしては興味深い言葉ですね。今の東和のこの窓から見下ろす街に生きる人達にはそれはある意味当てはまっていることなのかも知れませんね。彼等にとっても『命は遼州より重い』と言う言葉がしっくり来そうですから」 


 陛下と呼ばれた長髪の男は微笑を浮かべながらようやく菱川達の座るソファーに近づいてきた。


「陛下。あなたが直接お見えになるとは正直思いませんでしたよ。あなたはもう少し慎重なお方だと思っていました。しかし、会ってみると大胆さも兼ね備えているようだ。さすがに人の上に立つ生まれを持った方は違うものだ」 


 菱川の言葉に聞き飽きたと言うように北川が顔を背けた。だが、その隣に陛下と呼ばれた男が座ろうとしているのを見ると、北川は跳ね上がるようにして桐野の隣に寄っていった。


「あらゆる可能性を排除しないのが経営の極意と言うのはあなたの出された本の中だけでのお話ですか?別に生まれなど関係ない。組織を運営するのはすべて経営だと私は考えますがいかがでしょうか?そうなれば私も経営者です。経営者は常に現場の最前線に目を向けないといけない。時にはリスクを冒すことも恐れてはならない。あなたも本の中でそう書いていますよね?その言葉にはあなたの経営者としての本心がある……違いますか?」 


 陛下と呼ばれた長髪の男は静かに北川の隣の応接用のソファーに座り、長い足を組んだ。二人は黙ってお互いを観察していた。その沈黙に区切りをつけたのは大きな菱川のため息だった。


「下手に腹を探り合うのも時間の無駄ですね。単刀直入に言いましょう。いくつかこちらからご紹介させていただいた商品はお気に召さなかったと聞きましたが……いったい何をお望みなんですか?あなたにはカーン氏から振り込まれた相当額の資金がある。こちらの提示した金額は安すぎるくらいだと言われると私は思っていたのですが……」 

挿絵(By みてみん)

 菱川がそう言うと二人の間にあったテーブルの上に立体映像が映る。戦闘ロボットでありグループ会社の菱川重工業が誇るシュツルム・パンツァーのデモンストレーション映像、人工臓器などの埋め込み手術の画像、グループ証券会社の社章。数十の画面が選択可能状態であることを表すように点滅を始めた。


 だが、陛下と呼ばれた男は静かに首を横に振るだけだった。北川はそれを見て下品な笑みを浮かべながら口を開いた。


「そちらの提示する値段では陛下はお買い上げになるつもりは無い。そう言うことですねえ」 


 明らかに菱川のあまりに自然に自分の主君に対応する姿が気に食わないというように北川がそうつぶやく。


「ほう?こちらがあなた方の足下を見ているとおっしゃりたいのですか?それは大変な誤解ですよ。私達も東和建国以降。地道に商売をして研究資金を稼ぎ、適切な投資と技術の研鑽によって今の地位を築いたわけですから。その結果手にした技術を実績の無い新たな顧客に捨て値でものを売ると言うのは……」 

挿絵(By みてみん)

 そこまで菱川が言うと桐野が陛下の方に顔を向けた。その殺気に一瞬顔をしかめる菱川だが、すぐに平静を取り戻した。それを見て微笑みを浮かべながら陛下と呼ばれた男が目の前に下りてきた前髪を掻きあげた。


「今日は買い物に来たわけでは無いんですよ。なにしろ私は商売には疎いですから。いわゆる相場、値段。そう言うものを見極めに来たというところですね。そして場合によっては私達もあなたがたが裏で行っている取引に加えていただきたいと言うご挨拶に来たわけですよ」 


 そう言って陛下は笑った。その表情に今度は確実に驚いた表情を浮かべた後、菱川は静かにテーブルの上の画像を消した。


「ご謙遜を……あなたの長い人生でこういう場面に出会ったことは少なくないんじゃないですか?それに裏で取引とは……うちの社訓には『順法精神をもって仕事に臨むべし』という一文もあるくらいですからね」 


 菱川の言葉に陛下は静かに笑顔を浮かべるだけだった。


「なるほど、嵯峨惟基があなたを味方に引き入れたいと思っている理由が良くわかりますよ。あなたは決して無駄なことは話さない。ただ利益だけを見つめている。経営者としてはそれが正解でそれゆえに今の地位とどの勢力とも適度の距離を取ることが出来ている。結果としてあなたは利益を手にした上にどの勢力とも友好な関係を築きつつ誰からも裏切り者と憎まれることが無い。実に見事な態度です。私も見習いたいくらいだ」 


 慎重に言葉を選びながら陛下と呼ばれた男は菱川を笑顔で見つめていた。


「それも褒め言葉と取らせてもらいますよ。企業にとって利益はすべてに優先する命そのものです。それにどんなお客様とも対等に接するのは商売の基本じゃないんですかね?政治もしかり。どの国とも対等に接すれば敵を作らない。結果平和が訪れる。私も国会での答弁で気にかけていたのはそのニュアンスが答弁に乗るかどうかと言うことでしたからね」 


 見詰め合う陛下と菱川。桐野と北川は黙って二人を眺めていた。


「正直に申し上げましょう。私には手札が少ない。手持ちのカードだけでは嵯峨惟基がはじめたカジノにベットするには足りないようでしてね。来場者が一杯だと言うことで参加する資格が無いとはねられてしまう」 


 自嘲的な笑みが陛下と呼ばれた男の長い前髪の間から覗く様に、菱川はひやりとしながら笑みを絶やさないことだけを心がけていた。


「一番いい手札は嵯峨惟基の手元に揃っていますね。誰もが彼の次の動きが気になって、何とか使える手札を集めるのに必死の形相を浮かべている。そう言う私もその一人ですが」 


 そう言って長髪の男は足を組みなおした。


「確かに自分自身が十分切り札だと言うのに茜という娘、クバルカ・ラン中佐、義娘の日野かえで少佐、そしてやり手のハッカーまで抱え込んでいる嵯峨惟基の優位はしばらく揺るぎそうには有りませんね。そして隠し玉としてあの青年……神前誠という存在まで有る……しばらくは彼のゲームでの有利は覆りそうにない……」 


 北川達が『陛下』と呼ぶ男の言葉に静かに菱川はうなずいた。その表情は現状に満足しきっていると言うような笑顔に満たされていた。


「わかってるじゃないですか?そしてその背後には最新鋭のシュツルム・パンツァーを供給している菱川ホールディングスの姿がある。つまりあんただ!あの『悪内府』がデカい面が出来るのはあんたの後ろ盾があるからだと陛下はおっしゃってるんだよ!」 


 北川の遠慮の無い言葉に菱川は頭を掻いて笑った。


「私は商売人ですよ。勝ち馬に乗るのは当然のことでしょう?なにせ、彼にはそれだけの実績がある……しかし残念ながらカーン氏にも陛下にもそんな実績は無い。となればどちらにつくべきかはおのずとわかるものですよ。これはビジネスの世界では当たり前の話ですよ?それもご存じないとは……これはまともな考えの経営者なら誰もが同じ判断をする当たり前のことだと思いますよ。違いますかな?」 


 そんな菱川の一言に北川はムッとした顔をした。しかし彼も陛下と呼ばれた男の一にらみで黙り込み、北川はむくれたようにそのままソファーにふんぞり返った。


「その勝ち馬を育てたのはあなたじゃないですか?ただ、あなたとしては勝ち馬が次第に増長してきたのが気になる。だから私と会うつもりになった……私はそう感じるのですが。そうでなければ私達はここにいない。これは私の思い違いですかね?」 


 そこまで『陛下』と呼ばれた男は言うとそのまま窓に目をやった。夕日がビルの中に沈もうとしている。その朱色の世界を表情一つ変えず見つめた。


「まあいいでしょう。今日はとりあえず私とあなたが顔を会わせたことに意味がある。それだけでも実に有意義なものでしたよ。あなたは私と会うことを拒む人間ではない。そのことが分かったことが私の今日の訪問での最大の収穫です」 


 話を切り上げようと陛下と呼ばれた男は立ち上がった。飼い主の様子を見て北川と桐野も立ち上がった。


「それはそれは陛下ほどの方に喜んでいただけるのなら時間の許す限りお会いできるように手配しますよ。ただ……できれば裏口からお帰りいただけますか?この出会いをお互いに不幸なものにしないためにも……」 


 座ったまま三人を見上げる菱川の言葉にたまりかねたように飛び出そうとする北川の肩を陛下と呼ばれた男が叩いた。北川は思わず服の下に隠した『サタデーナイトスペシャル』を取り出そうとする手を止めて大きくため息をついた。


「お気遣いありがとうございます。何しろ私達は後ろ暗いところがありますからね……邪魔者は静かに去るとしましょう。ただ、再会の約束を取り付けたことで私の今日は非常に有意義なものになりました。菱川さん、またゆっくりとお会いしましょう」 


 そう微笑むと陛下と呼ばれた男、『廃帝ハド』は呼び鈴に対応してドアを開いて現れた女性秘書の招きに応じるように菱川ホールディングスの総裁の応接室を出て行った。


 その背中の自信に満ちた様を見送ると菱川の口元には自然と笑みが浮かんできた。

挿絵(By みてみん)

「『廃帝ハド』……まだあなた方が表に出る転換点には遠いんですよ。とりあえずネオナチと『特殊な部隊』の戦いが終わってからいらっしゃい。そうしたらお安くご入用の品をお届けに伺いますよ……まあ、あなたがその時まで待つことが出来る堪え性のある人間だったらの話ですがね。貴方も経営者ならご存じですよね?待つというのも経営判断では必要なことなんですから」 


 一人になった菱川は三人の客が座っていたソファーを見つめながら、一言そう言って引き出しから葉巻セットを取り出し、葉巻の吸い口にナイフを突き立てた。



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