第52話 息白く、竹の音
剣術師範である薫が一家の主と言っていい神前家の朝は早い。実家に帰るとこれまでの寮生活がいかにたるんだ生活だったということに誠は気づいた。家の慣れたベッドの中、冬の遅い太陽を待たずにすでに誠はベッドで目覚めていた。実家に戻ると、寮生活がいかに気の緩んだものだったか痛感する。冬の遅い太陽を待つまでもなく、誠は目を覚ました。
そのまま昨日色をつけ終わって仕上げをどうするか考えていたドレス姿のカウラの絵を見ながら、のんびりと誠は実家での生活リズムに合わせて朝稽古に備えて剣道の剣道着に着替えた。紺色の実家では着慣れた道着。その冷たい感触で朝を感じる。その時ドアの向こうに気配を感じた。
「おーい。朝だぞー!」
間の抜けた調子のかなめの一言が聞こえてきた。どうやら今回は薫に起こされて来たらしい。気の置けない三人とあって母は自分の起床に合わせてかなめ、カウラ、アメリアの三人を起こしたらしい。
「わかりました、今行きますから……」
そう言って誠は頬を叩いて気合を入れてドアを開けた。階段を下りる白い道着姿のかなめの後姿が見えた。白い道着が暗い階段で浮き上がって見えた。
「かなめちゃん……もう少ししゃきっとなさいよ。ここは誠ちゃんの実家なの。寮じゃないのよ。もう少しお母さんにアピールしないと本当にかえでちゃんに誠ちゃんを持って行かれちゃうわよ!」
アメリアは朝まで深夜ラジオを聞く習慣があるのでこの時間でも平気な顔をしていた。誠もアメリアの深夜ラジオ好きは知っていたので、彼女が一体いつ寝ているかは完全な謎だった。
「だってよう、まだ夜じゃん。日も出てないし」
一方のかなめは酒飲みらしく朝に弱い。それは寮での共同生活で誠もよく知るところだった。
「珍しいな。低血圧のサイボーグなんて聞いたことがない」
階段を下りると同じように白い道着を着たアメリアとカウラがいた。
「じゃあ、行きますよ」
誠はいつになく気合を入れてそう言って目をこすっている三人を引き連れて長い離れの道場に向かう廊下を進んだ。
『えい!』
鋭い気合の声が響いてくる。さすがに薫の声を聞くとカウラ達もとろんとした目に気合が入ってきた。
「誠ちゃんがあの強さなら……薫さんもやっぱり強いのかしらね」
アメリアの言葉に誠は頭を掻きながら振り返った。誠も一応この剣道場の跡取りである。子供のころから竹刀を握り、小学校時代にはそれなりの大会での優勝経験もあった。
その後、嵯峨の提案で剣道を辞めるように言われた誠はどうしても剣道以外のことがしたいと小学校のリトルリーグに入って以来、試合らしい試合は経験していない。それでも部隊の剣術訓練では嵯峨親子やラン、かえでは例外としても、圧倒的に反射速度の違うサイボーグのかなめと互角に勝負できる実力者であることには違いは無かった。
「あら、皆さんも朝稽古に付き合ってくれるの?誠が軍に入ってからはいつも一人でちょっと寂しかったのよ……よろしくね」
四人を迎えた薫の手には木刀が握られていた。冷たい朝の空気の中。彼女は笑顔で四人を迎えた。
「まあそんなところです……ねえ、かなめちゃん」
アメリアに話題を振られてかなめは顔を赤らめた。誠はそれを見ておそらくかなめが言い出して三人が稽古をしようという話になったんだろうと想像していた。
「さすが『甲武の鬼姫』と呼ばれるあの康子さんの娘さんね。やる気はあるみたいじゃないの。それでは竹刀を……」
薫の言葉が終わる前にかなめは竹刀の並んでいる壁に走っていった。冷えた道場の床、全員素足で足の裏が床に張り付くような感覚が全員を襲う。感覚器官はある程度生身の人間のそれに準拠しているというサイボーグのかなめの足も冷たく凍えていることだろう。
誠は黙って竹刀を差し出してくるかなめと目を合わせた。
「なにか文句があるのか?」
いつものように不満そうなタレ目が誠を捉えた。誠は静かに竹刀を握り締めた。アメリアもカウラも慣れていて静かに竹刀を握って薫の言葉を待っていた。
「それじゃあ素振りでもしましょうか……」
そう言って誠達は一列に横に並んだ。
「それじゃあ始めましょう……えい!」
薫はそう言って素振りを始めた。
「えい!」
慣れた調子で誠も素振りをした。
思えば母とこうして素振りをするのは軍に入って以来なかったことだった。久しぶりの感触に誠は笑みを浮かべながら素振りを続けた。
「誠ちゃん……気合入ってるわね。いつもと表情がまるで違う……惚れ直しちゃったかも!」
素振りをする誠に向けてアメリアはそう言って笑いかけた。
「ええ……久しぶりなんで。東和宇宙軍の入隊式の前日以来です。その時を思い出していました」
誠は幼い頃の日常を思い出して自然と笑みがあふれて来るのを我慢できなかった。
「でも中学高校と一通り竹刀の素振りをした後は野球部の練習と言ってバットの素振りはしてたじゃないの」
薫はそう言って誠に笑いかけた。
「確かに当時はバットも振ってたけど……バットも野球部を辞めてから振ってないですし……」
少し言い訳がましく誠がつぶやくのを見て黙々と素振りをしていたカウラがその手を止めた。
「そうか……神前も久しぶりなのか……」
「そうですよ。でも母さんは毎日やってるんだろ?」
誠はカウラに向けていた視線を母に向けた。
「そうね、昔からのことだから……もう何年になるのかしら」
そう言うと薫は誠達の前でいつもの笑顔を見せた。
「じゃあ、朝食の準備をしましょう」
薫はそう言うと竹刀を置いて道場を後にした。誠達もまた竹刀を壁に立てかけると薫に続いて母屋の台所に向かった。
「おかわり!」
かなめの辞書に遠慮と言う言葉は存在しない。朝稽古をして、そのまま朝食を作る薫の邪魔ばかりしながら食堂を薫のフォローに回っていたカウラに追い出された。その上、仕事の資料をめぐり討論していたアメリアからも邪険にされた。当然のように少し機嫌が悪かったかなめもその状態は空腹前の十数分前までの話だった。もりもりとどんぶり飯を食べ終えて元気よくかなめは叫んだ。
「はい!かなめさんはよく食べるわよね。サイボーグって小食って聞いてたけどかなめさんは違うのね」
うれしそうな表情の母を見て誠は和んでいた。食卓にはアメリアの姿は無かった。なんでも東都警察からの情報提供があり、その内容をめぐって話があると言うことで客間で端末を眺めてそう長打と言うのに出勤してきている司法局本局の明石達幹部と議論しているところだった。
「アメリアが話し合っているのは、最近、東都で茜の奴を振り回している法術師の辻斬りについてか。物騒な世の中だな……東都警察の法術担当の部隊員も二名ほど殉職したらしい……相当手ごわい相手だ。嵯峨警部やあの日野ぐらいじゃないかな、この辻斬りの法術師にうちで対抗できるのは。まあ、クバルカ中佐や隊長は例外だがな。逆に逮捕すべき犯人を返り討ちにしてしまう可能性がある」
辻斬りがこの剣の規制の厳しい東和で起きていることに剣術家である薫は眉をひそめた。
すでに食事を終えて、デザートのヨーグルトまで平らげたカウラがポツリとつぶやいた。アメリア達が篭ったのを見て二人の端末にアクセスしてある程度の情報を得たのだろう。
「ここは東和だろ?官位さえあれば銃だろうが刀だろうが持ち歩いていい甲武じゃねえんだ。そんな日本刀下げて歩いてたらすぐにお巡りさんに捕まっちまうぞ」
かなめが難しそうな顔でそう言うのに誠も静かにうなずいた。
「まあ、実際のところ最近、甲武では下級士族の辻斬りが増えてるらしい。連中は『サムライ』を自称して家宝としてどんな下級士族の家にも日本刀の一本や二本は有るからな。親父の平民を人間並みに扱うという政策のおかげで『士族の特権』を奪われるってことで連中の不満は今や爆発寸前だ。同盟協調主義の名の下での軍縮で、『士族の特権』のおかげで軍人やれていた無能な士族連中は軒並み失業して、東和にも働き口を求めて甲武の元軍人の下級士族の連中が相当数流れ込んできているとか聞くからな。国を出る金のない失業した軍人崩れの士族共はうっぷんを晴らそうと素手の平民相手に一方的に斬りつけるんだ。ひでえ時代になったもんだ」
二杯目のどんぶり飯を海苔の佃煮をおかずに食べていたかなめが呆れたようにカウラを見た。
「甲武の話は置いておいてだ。法術師の辻斬り。法術関連で厄介な事件は全部司法局がやればいいと考えている東都警察に頼まれればここ東都に同盟機構の本部がある以上、司法局が黙っていられないのは仕方ないだろ?ここ二ヶ月で18人。全員が正面からの袈裟懸けで絶命、しかもその全員が女。さらに斬った後に性的虐待を受けた形跡がある。どの死体にも財布もカードも金目のものはすべて残ったままで放置されてたって言うんだから……。異常性癖の法術師……放置しておくわけにはいかないだろう」
カウラはそう言って難しい表情を浮かべた。カウラの誠が野球部時代に使っていた体を大きくするためだと無理に食べていた時のどんぶりからご飯を食べる様子を薫が興味深そうに眺めていた。
「一太刀で人を斬るのは相当手馴れた証拠ですわね。素人だったらどうして一太刀で致命傷を与えることなんてできませんよ。それは剣術をやっている人なら誰でも分かることです」
そんな薫の言葉にかなめはうなずいた。誠も真剣でわら束や丸太などを斬ることの難しさを知っているのでうなずかざるを得なかった。
「でもそれは警察のお仕事だろ?相手が法術師で手ごわいとなるとすぐに茜の所に話を持って行くってそんなに東都警察は法術師不足なのか?確かに連中には空を飛べる以外になんの取り柄が無いことは『同盟厚生局違法法術研究事件』で世間のさらし者になったからな。テレビの朝の報道番組ではゲストのお笑い芸人が『地球に行ってサーカスにでも行けば?』とかツッコまれたくらいだ。『近藤事件』以前も極秘に遼帝国で法術師を訓練させて来たる時に備えていたのは何だったんだよ。地球でサーカスの見世物になるためか?そもそも東都限定で起きてる事件だろ?司法局出資者の顔を立てるために手を突っ込むことなのか?アタシ等は休みなんだから気にする必要なんかねえよ」
お気楽にそう言ってどんぶり飯をかきこみながらかなめは大きなため息をついた。
「あ!もう無いの?」
とりあえずの打ち合わせを終えて戻ってきたアメリアが空のニシンの甘露煮が入っていた小鉢を見て叫んだ。
「へへーん!早いもん勝ちだ!」
かなめが得意げに叫んだ。
「ああ、まだ箱に残ってたのがあると思うから」
「いいです!おかずはちゃんとありますから」
立ち上がって冷蔵庫に向かう薫を押しとどめてアメリアはそのまま一昨日誠の父誠一が座っていた席についた。
「アメリア、辻斬りの一件はどうなったんだ?」
カウラの言葉にかなめは眉を寄せてアメリアに目をやった。
しばらくアメリアはナスの漬物を齧りながら黙ってご飯を掻きこんでいた。無視されたと思ったのか、カウラの表情が少し曇ったのを悟るとそのまま茶碗と箸を置いた。
「昨日もそんな事件があって現場に駆け付けた巡回の警察官が斬られたってことでようやく東都警察が重い腰を上げたみたいよ。ご自慢の法術対策部隊に招集をかけて各警察署の連携を密にしてすぐ対応できる体制を整えたって明石中佐が言ってたわ。そうなるとまずうちには出番は無いわね。出番があるとしたらその法術対応部隊が複数名で相手をして返り討ちになった後じゃないかしら?この前の『厚生局違法法術研究事件』での怪物退治に失敗してからは東都警察も失地挽回に必死だけど、茜ちゃんクラスの法術師は数えるほどしかいないし、かえでちゃんクラスにいたっては一人もいないもの。もし東都警察の手に余るようなら茜ちゃん達に召集がかかるかもね。でも東都警察の分析なんかを聞いた限りでは、あの辻斬りは今の誠ちゃんよりは一枚上だわ。今の誠ちゃん程度が手伝うって言い出したって、『同レベルの法術師ならうちにもいますから』とプライドだけは高い東都警察の偉い人に門前払いを食らって終わりよ。まあ、茜ちゃんやかえでちゃんが協力するという話ならあの人達も喜んで受け入れるでしょうけど」
はっきりとアメリアは断言した。しかし、かなめもカウラも納得したような顔はしていない。そこに助け舟を出すようにかなめが口を開いた。
「その茜のとこの法術特捜にもお呼びはかからねえんじゃねえの?東都警察にも法術専門の捜査部門が出来た以上、組織としての意地や面子があるってことだ。多少の犠牲が出ても東都で事件が起きる限り、はるばる千要にいる茜やかえでを呼び出すなんてまるで自分は無能ですって完全に認めるようなもんだからな。事実、あの二人に勝てる法術師なんて東都警察には一人もいないんだけど。一方、裏の情報に通じている『ビッグブラザー』の手先の公安調査庁だが、そちらはそちらでこの前の事件では同盟厚生局と東和陸軍の一部の結託を見抜けなかったことでその幹部三人が事実上の更迭された。お節介なことで知られる公安調査庁もこんな得にもならない事件に首を突っ込むとは思えねえ。ここは警察官の意地を見せてくれってところだな」
かなめは食べ終えたどんぶりに炊飯器からご飯を盛りながらそう言った。
「東和警察の面子の話だが、人体実験の材料にされた被害者が租界の難民だけじゃなくて東和全域で捜索願が出されていた人物も含まれていたことで警視総監が謝罪会見の上辞任という醜態をさらしたんだ。世間様から無能の烙印を押されたわけだからこれ以上アタシ等に弱みを見せたくないだろうな。もし今度も、アタシ等が手柄を上げてみろ。東和警察の幹部連中の全員の首もどうなるかわかったもんじゃない。そんな無様を晒せるわけがねえ」
そのままかなめは盛り終えたどんぶりに小鉢から鯛そぼろをふりかけ、その上に静かに急須から茶を注いだ。そんな突然のかなめの暴挙に誠は唖然としていた。
「司法局としては今度は邪魔しないから治安は遼州圏一だと誇る東都警察らしい手際を見せろと言う所だろうな。東和政府としても東和警察の幹部連には内々にそれなりの手際を見せないと貴君らの雇用の保証は出来ないというわけか……。それを全部知っていて見て見ぬふりとは……隊長も人が悪いな」
カウラは呆れたようにそうつぶやいた。ぐちゃぐちゃと茶碗の中の物をかき混ぜ始めたかなめをカウラが汚いものを見るような目で見つめていた。
「『租界』だとか軍の遼州人至上主義者だとか、そう言うところは私達の担当領域だけどねえ。辻斬りだの強盗だのは東和警察のお巡りさんのお仕事でしょ?頭を下げてこない限り動く理由も無いし、動けばうちに余計な経費がかかるだけ。つまらないじゃないの。そんなの自分達で何とかしてよってところよ。うちにはうちの仕事があるの……それに千要県警は自分達がやりたくない駐禁の取り締まりをやってくれる私達がそっちに出張ったら好きでもないそんな面倒な仕事を自分達でしなきゃならなくなるから県警本部長は相当東都警察幹部に圧力をかけて意地でも東都警察で事件を解決しろと言ってるみたいよ……そんなの地方警察同士の縄張り争いの勝手なお話よ。私達には関係ないわ」
アメリアはそう言って味噌汁をすすった。
「あのー……西園寺さん」
恐る恐る誠が声をかけた。
かなめはすでにご飯と鯛そぼろとお茶を混ぜた奇妙な物体が入っている茶碗にさらに醤油を注いでいた。そしてその茶碗の中のどろどろしたものを箸で思い切りかきまぜた後、一口飲み込んだ。それでもどこか味が気に入らないという顔をした後は、今度は味噌汁を注ごうとしていた。
「どこか変なことでもあるのか?」
自分をじっと観察している誠に気付いたかなめはとぼけた調子でそうつぶやいた。隣に座っている薫の頬がかなめの丼の中の訳の分からない食べ物とすら呼べない物体を見て引きつっていた。かなめはそんな薫の視線を知っているのは間違いないが、平気な顔をしてそのぐちゃぐちゃの物体を飲み下し始めた。
「ああ、かなめちゃんの奇妙な即席料理を見ていたらなんか気分が悪くなってきた……ごちそう様」
そう言うとアメリアが箸をおいて立ち上がった。カウラも薫が用意した湯飲みを手に取ると立ち上がった。
「神前。どうしたんだ?」
まるで空気を読んでいないかなめが頬にご飯粒をつけたまま、かなめの奇妙な食事風景を見ない様に急いで口に飯を詰め込んでいる誠に声をかけた。
「ええ、まあ」
それだけ言うと誠は立ち上がり、食べ終えた自分の食器を流しに運んでいった。




