第44話 油の音が家になる夜
かえでが帰ると薫は夕食の準備を始めた。それを手伝うのは気が利くことだけは誠も認めるアメリアだけだった。カウラは暇を持て余してテレビの前に座っていた。かなめはかえでを認めた薫の事が気に入らないらしく、ずっと部屋を歩き回って時間を過ごし、夕方になると勝手に風呂を入れて自分だけ先に風呂に入ってしまった。
「どうも!いらっしゃい」
風呂から上がったかなめが突然背中から声をかけられて驚いた。テレビを見ていたカウラがそれを見て笑っていた。侵入者は誠の父、本来は今日は顧問をしている高校の剣道部の合宿のためにいないはずの神前誠一だった。父の突然の帰宅に誠は驚いてテレビから目を離してそのいかつい姿を見上げた。
「いやあ、驚かせてすまなかった。実は今日は東都で高校剣道教育会の会議があったんだ。言わなくってすまなかった。連絡を入れようとしたんだが、決まったのが急だったのと電車のダイヤがタイトでね。でも、それにしてもなんだかこうして家にこんなに女の子がいると……華やかだな。誠、うれしいだろ」
誠より若干小柄でがっしりとした体形を揺らしてコートを脱ぎながら誠一はそう言った。
「いつも父さんは突然なんだから。それにそう言うのは本人達を目の前にして言わないほうがいいよ。特にこの人達には。うちは司法局や東都警察では『特殊な部隊』で通ってるんだから。その原因を作ってるのがこの人達。下手に褒めるとつけあがるよ」
誠の言葉よりも早くお勝手からいつの間にか乱入してきたアメリアが反応していた。そのまま何事もないようにかなめのところまで行くといつものかなめの黒いシャツの前の部分を引っ張って中をのぞきこんだ。
「はい、見ての通りノーブラ」
そう言った所でかなめの平手がアメリアに飛んだ。
誠一は一度だけ誠を見た。誠はそっと目をそらした。
アメリアはまったく反省する様子も無く、怪訝な表情を浮かべている誠一を面白そうな眼で眺めていた。
「貴様等、人の家に上がり込んでいると言う自覚は無いのか?ここは部隊の寮じゃないんだ。少しは遠慮くらいしろ」
またテレビから目を離してカウラはそう言って呆れたような表情を浮かべた。
突然の出来事。誠には慣れていることだが、さすがに父の誠一には一連のやり取りが理解できないらしかった。そのまま首をひねり黙って階段を上っていった。
「貴様等なじみすぎだぞ。……ここは寮じゃない」
そう言いつつカウラが座っている席が実は誠一の帰宅時の定位置であることを誠は指摘する勇気が無かった。
「カウラちゃんがよそよそしいのよ。ねえ、かなめちゃん!」
アメリアは完全になじみきった様子で誠がいつも着ていたお気に入りのアニメキャラの描かれた半纏を着込んでそのままこたつにもぐりこんだ。
「うるせえ!アタシから見てもオメエはなじみすぎだ!もっと遠慮くらいしろ!」
かなめはそう言うと三人が泊まる予定の客間に向かう廊下を歩いていった。
「無愛想ね。そんなだから血圧高いって言われるのよ」
「それ以前の問題だ。それにサイボーグに高血圧があるなんて言う話は聞いたことが無いぞ」
一言そう言ってカウラはテレビのニュース番組を眺めていた。自分にかまってくれないのが不服なのか、アメリアはしばらく誠を見て手を打った。そしてじりじりと間合いをつめてくるアメリアに誠は嫌な予感しかしなかった。
「じゃあ誠ちゃん、さっきかなめちゃんが勝手に入れたお風呂のお湯がまだ湯が熱いうちに一緒に入らない?背中流してあげるわよ♪」
ここでまたアメリアが誠にとんでもない提案をしてきた。昼間のかえでの異常性癖を聞いてからと言うもの、アメリアの調子がどこかおかしいと思っていた誠だが、そう言う展開を見せるとは思わなかった。
「え?そんなの無理に決まってるじゃないですか!お断りします!」
誠はしばらくアメリアの糸目がさらに細くなっていくのを眺めていた。そしてじりじり近づいてくるアメリアだが、すぐにその後頭部にスリッパが投げつけられた。
「くだらねえ事はやめろ!オメエもかえでみたいな露出狂になってお巡りさんのお世話になりてえのか?アタシ等警察だろ?少しは自覚を持て」
スリッパを投げたのはかなめだった。アメリアは振り向きながら表情を満面の笑みに変えた。そのいかにもうれしそうな顔にかなめは嫌な顔をして一歩下がった。
「へえ……そう言っておいて実はかなめちゃんが一緒に入ろうとか?二度風呂?のぼせるわよ」
「そんなことねえ!馬鹿も休み休み言え!」
そうしてかなめはアメリアに背を向けて客間に向かった。そこに台所にいた薫が顔を出した。
「誠!ちょっと揚げ物やるから手伝ってよ。皆さんはいいですよ、アメリアさんには下準備を手伝ってもらって早く済みそうなんで。なんと言っても大事なお客さんですから」
顔を出した薫は暇そうにしている息子の誠に声をかけた。
「あ、薫さん、そんなこと言わないで下さいよ!私何か手伝いますよ!」
誠を制するように言ったアメリアだが、薫は優しく首を横に振った。
「駄目ですよ。やっぱりお客さんですもの。下準備を手伝ってもらっただけでもう十分。……ねえ?誠、あなたが手伝いなさい。いつも手伝ってくれてるじゃないの」
息子の誠に笑いかける薫の表情にはアメリアがたぶん役に立たないだろうと悟ったようなところがあった。アメリアはしょんぼりとそのままこたつのカウラの隣に戻っていった。
「今日はてんぷらですから。うちのてんぷらはおいしいんですよ!ちょっと一工夫するだけで見違えるようにおいしくなって、まるでお店で食べてるような気分になれますよ!」
そう二人に言うと誠は張り切って台所へと向かった。
「今日はアナゴと海老とかき揚げ。それにお芋があるわね……衣をつけるから揚げてね」
母の言葉を聞きながら誠は衣にまぶされた芋を暖められた油に投じた。
揚げ物をする音を聞くとアメリアとかなめは珍しそうに台所までやってきて、作業をする誠の様子の観察を始めた。
「揚げものって良いわよねなんだか。うちの寮は揚げ物禁止令が出てるから。なんでも島田君が揚げ物をしている時に席を外して火事になりかけた事が有ったとか無かったとか。それ以来寮則に揚げ物禁止って出てるのよ。まったく寮長自身が火事を起こしかけておいて規則を変えるだなんて間違ってるわよ」
いつの間にか背中に引っ付いていたアメリアに驚いて振り向いた弾みに油の入った鍋をのぞきに来たかなめに油が飛んだ。
「痛え!アメリア!テメエは邪魔だ!引っ込んでろ!」
すぐかなめがアメリアをにらみつけた。二人がにらみ合うのを薫は笑顔で眺めていた。
「まあ、二人とも。お客さんだから静かにしてね。暴れると本当に火事になっちゃうから」
さすがに余裕の笑みでごぼうとにんじんの入ったボールをかき混ぜている薫にそう言われると仕方なく二人はカウラがじっとテレビを見ている居間に向かった。
「あの手つきと様子。二人とも料理はできないんでしょ?」
アメリア達に聞こえないように芋を揚げている誠に向けて薫がささやきかけた。
「はあ……そうだね。確かに寮の食事当番は三人とも外されてるし……まあ、アメリアさんは本当は出来るけど面倒くさいからやらないという感じかな。あの人はサボりだから」
小声で聞いてきた母に誠は苦笑いでそう言った。
「母さん、新聞は?」
帰宅時の背広から部屋着の着流しに着替えて降りてきた誠一が叫んだ。すぐに居間のカウラが立ち上がり誠一に新聞を手渡そうとした。
「いや、読んでいるならいいですよ。終わったら教えてください」
いつもの父とは違う照れたような調子を聞きながら誠はこんがりと揚がった芋を油から上げていった。
「お父さん、大根をおろすのお願いできない?」
無口に終始するカウラの相手が務まらないような夫を見かねて薫が誠一にそう頼んだ。
「ああ、任せておけ!丁度、そんな声がかかるんじゃないかと待っていたところなんだ」
着流し姿の誠一はそのままテーブルに置かれた大根の切れ端をおろし始めた。
「私も……」
誠一が立ち上がるのを見ると、カウラも新聞を置いて一緒に誠達を手伝おうと立ち上がった。
「クラウゼさんいいですよ。お客さんなんですから。誠!揚がったのはあるだろ?先に食べてもらっていたらどうだ?」
そう誠一に言われてすぐに立ち上がったのはかなめだった。無言で食卓に置かれた椅子を手に取るとすとんと座ってしまった。
「まったくかなめちゃんには自発的に手伝うとかそういう発想は無いの?ああ、私は汁作りますよ」
アメリアはそう言うとなぜか手馴れた調子で冷蔵庫を開いてめんつゆとミネラルウォーターを取り出した。
「なんでそんなにあっさり見つけるんだ?」
食卓に座ったままかなめは冷蔵庫を漁るアメリアに向けて不審そうな顔を向けた。
「かなめちゃんと違って色々見ているわけ。伊達にこの中で一番階級が高いわけじゃ無いの。さっき水を飲みに来た時見たんだから」
そう言うとアメリアはガラスの容器にめんつゆとミネラルウォーターを注いだ。
「ごめんなさいね。誠!次はこれをお願い」
薫はそう言うと粘り気のある衣にまみれたごぼうとにんじんのかき揚げを手渡した。
「じゃあレンジで少し温めますね」
アメリアは大根をすっている誠一に一声かけると汁を温め始めた。
「なんだか……これが家族なのか?」
うれしいようなどこか入っていけないような複雑な表情のカウラが居間から台所を覗き込んでいた。かなめはもうテーブルに置かれていた芋を手に取るとそのまま塩をかけて食べ始めていた。
「かなめちゃん。ビールを取ってくるとかすることあるんじゃないの?まったくお姫様は下々のやってくれることに依存してばかり。役に立たないわね」
アメリアは厭味ったらしくかなめに皮肉を言った。
「分かったよ。取ってくりゃ良いんだろ?廊下に有ったケースの中ので良いんだな?こんだけ冷えるんだ。冷蔵庫なんて必要ねえだろ」
渋々かなめが立ち上がった。それを見てカウラも戸棚に向かって行って皿やグラスをテーブルに並べ始めた。
「ごめんなさいカウラさん。ご飯が炊けたと思うから盛ってくれない?」
薫の言葉にカウラは珍しく仕事を頼まれたと目を輝かせた。そのまま茶碗を手に取るとすぐに炊飯器に向かっていった。
「どう?」
かき揚げが揚がったのを皿においていく息子に薫が声をかけた。
「これで終わり。次はアナゴですね」
「汁は温まりました!お父様、大根はいかがでしょうか?」
アメリアは色気のある声で戸惑う誠一に語り掛けた。
「え?……もうすぐだけど」
突然アメリアにお父様と呼ばれて困惑しながら誠一はすり終えた大根をアメリアに渡した。
「汁の濃さは自分で調節してね」
そう言うとアメリアはテーブルに汁を置いた。かなめはすぐに飛びついてそれを自分の皿に注いだ。そこにビールを持って戻って来たかなめは大瓶三本をテーブルに置くと、また座って芋のてんぷらを食べ始めた。
「食べるだけなのね、かなめちゃんは」
呆れた様子で糸目をさらに細めて威嚇するアメリアを無視してかなめはサツマイモを口に運んだ。
「余計なお世話だ。てんぷらは揚げたてを食うから旨いんだ。オメエも食え。さっきから見てるとオメエは邪魔ばかりしてる」
そう言いながらかなめはアメリアをにらみ続けた。誠は目の前のアナゴの色がついてくるのを見ながらそれを皿に盛り始めた。
「薫さん。ご飯……普通でいいですか?」
「ええ、皆さん結構食べるみたいですから」
不器用にご飯を茶碗に盛るカウラを見ながら薫はにこやかにそう答えた。
「アナゴできましたよ」
皿に盛ったアナゴを見るとすでに食べる体勢に入ったアメリアが満面の笑みで迎え入れる。まるで彼女達も家族になったような感じ、誠はそう思いながら部屋を見回していた。




