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第38話 懐かしきふるさと/路地の風

 高速を降りた途端、窓から入る空気が変わった。醤油と出汁の匂い、自転車のブレーキ音、豆腐屋のラッパが遠くで鳴る。

挿絵(By みてみん)

「懐かしいだろ、神前!テメエの生まれた街だぞ。それにしてもいい街だ。アタシも気に入った!アタシが甲武貴族の接待とかで行く銀座や丸の外よりよっぽどいい街だ!」 


 かなめは嬉しそうにそう言うと隣に座る誠の肩を殴った。


「西園寺さん、テンション高すぎでしょ?そんなに懐かしいほど久しぶりじゃないです。先月だって画材取りに戻ったし……まあ、母さんには会っていないですけど」 


 高速から降りて下町の風景を見るといつもかなめはハイになった。甲武の大正ロマン風の下町とはまた一味違う二十世紀末の下町が完全再現された東和の下町がそこにあった。あちこち眺めているかなめを面倒くさそうにアメリアが見つめた。


 確かに新興住宅街が多い豊川とはまるで街の様子が違った。車はそれなりに走っているが歩いている人も多く、屋根瓦の二階家屋や柳並木など、下町の雰囲気を漂わせる光景がかなめには珍しいのだろうと思っていた。


「でもいいわよね、こういう街。豊川はおんなじ規格の家ばかりで道を覚えるのが面倒で。どこ曲がっても同じ家が建ってるんだもの。道を覚えろって言う方が無理な話なのよ」 


 アメリアはそう言って建売住宅だらけの豊川の街をこき下ろした。


「アメリア……どうでもいいがいい加減覚えてくれ。たまに貴様に運転を頼むと必ず迷子になってどこに着くか分からないから困るんだ。まあ、カーナビをつければいいのだが、それでも貴様はその指示を無視するから無駄か。それにこの車は元々定員ギリギリで乗るような車じゃないんだ。もう一度自分の車を買ってそれで通勤してくれ。それに神前と貴様の長身二人を乗せているとキャビンが狭くて鬱陶しいだけだ」 


 カウラに突っ込まれてアメリアが舌を出した。かなめは完全におのぼりさんのように左右を見回して笑顔を振りまいていた。


「西園寺。いくら『大正ロマン香る国』とはいえ、甲武の鏡都の下町も似たようなものじゃないのか?しかもあそこには『新六区』と呼ばれる隊長お気に入りの街が有ってそこでは貴様が好きな大衆演劇が多く繰り広げられているというじゃないか?あそこも元は日本の浅草を元にした設計と聞いているぞ。遼州人が20世紀末日本の『浅草』を元に作った街であるここよりよっぽどかつて存在した日本と言う国のオリジナルにより近いはずだ」 


 大理石の正門が光る工業高校の前の信号を左折させながらカウラが話題を振った。


「ああ、『新六区』ね……あそこは女学校時代に入り浸ってたな。でも、あそこはどちらかというと東都の湾岸地区みたいなところだったぜ。街を行く平民は誰も彼も痩せこけていて半飢餓状態でもっとぎすぎすしてて餓鬼のころは近づくと怒られたもんだ。それになんと言うか……アタシ等貴族を歓迎していない雰囲気がありありと見て取れるんだ。こんなフレンドリーでなじめるような街じゃねえ」 


 かなめの言葉に誠は納得した。彼女は一応は甲武一の名家のお姫様である。何度かテレビでも見た彼女が育った屋敷町は誠にも威圧感を感じるような凄味があった。


 湾岸地区や東都租界のような無法地帯はかなめが潜入工作隊員としてもぐりこんだ場所だった。こういう下町の雰囲気は体験する機会はかなめには無かったのだろう。誠の目に、屋根瓦の二階家屋や柳並木が流れていく。隣でかなめが子どもみたいに窓へ張り付いた。

挿絵(By みてみん)

「おい!駄菓子屋があるぞ。寄って行くか?」 


 かなめの言葉に誠は見慣れた古い店構えを見ていた。昔の懐かしい記憶が再生された。小学生時代から良く通っていた駄菓子屋だった。木札のアイス箱に白い霜がついている。誠は思わず、十円ガムの包み紙で船を折った指先を思い出した。子供相手ということで今ぐらいの時間に登校する子供達を目当てに店を開け、彼等がいなくなると店を閉めるという変わったおばあさんがやっている店だった。


「駄菓子屋なんて。もう子供じゃないんだから……それにもうすぐ着くんでしょ?」 


 アメリアの言葉に頬を膨らましてかなめはアメリアをにらみつけた。車はそのまま駄菓子屋を通り過ぎると狭い路地に向かって走っていった。

挿絵(By みてみん)

「でも……ここの一方通行はややこしいな。狭い土地に建物が集中しているから仕方ないと言えばそれまでだが、都市計画を一からやり直した方が良いんじゃないか?まあ、400年間新規の道路計画なんて立てたことが無い東都都庁にそんなことを期待するだけ無駄か」 


 何事にも合理的に取り組むカウラはそう言いながら今度は車を左折させた。歩けば二三分の距離だが、路地は狭く車がすれ違えないので一方通行になっていた。


 まだ店を開けていない八百屋の角を曲がり、金型工場の横を入ってようやく誠の実家の道場の門が目に入ってきた。黒光りする瓦と鬼瓦。ほうきを動かす音に、砂塵が朝日にきらりと舞った。


「おい……あれ」 


 かなめが指をさすまでも無く立派な瓦屋根をいただいた大きな門のところで箒で道を掃いている和服の女性が目に入った。


「ああ、皆さん!」 


 気がついて手を振るのは誠の母、神前薫(しんぜんかおる)だった。手を振る彼女に思わず誠は目をそらした。


「どうもお邪魔します」


 カウラが気を利かせて薫の手前で車を停めるとアメリアはいつものように素早く車から降りて頭を下げた。


「これ……蕎麦です。叔父貴からの土産でして……」

挿絵(By みてみん)

 トランクを開けたかなめが荷物の中から袋を出して誠の母に渡した。


「これはどうもご丁寧に……客間は片付いていますから荷物はそちらに」


 薫の言葉に甘えるようにして四人はそのまま道場の入口を兼ねた大きな玄関に上がり込んだ。


「それにしても早かったんですね、皆さん。都内は渋滞するから到着するのは昼過ぎだとばかり思ってましたのに」 


 客間のテーブルにアメリア、カウラ、かなめの順で並んで座った。畳は干した藺草の青がまだ残り、座布団は使い込まれた朱。湯気と一緒に、急須から焙じ茶の香りが立つ。アメリアは正座、カウラも形だけは正座、かなめは胡坐をかいていた。


「ええ、まあ朝早く出たのでなんとかなりました。それでもこの時間でも事故渋滞はありましたがなんとか着きました」 


 そう言って出された湯飲みに手を伸ばそうとするカウラだが、慣れない正座で安定が悪いのでふらふらと伸びた手が湯飲みを取り落としそうになった。


「そんな不安定な座り方するからだ。体育座りでもしてろ」 


 かなめはそう吐き捨てると悠々と茶をすすった。そこで突然アメリアが立ち上がった。


「すいません……座椅子ありますか?カウラちゃんは正座に慣れてないんで」 


 落語家時代に正座に慣れているはずのアメリアも久しぶりの正座に照れたようにそう言った。アメリア達に比べて薫は座るときも膝から先が音を立てない。床に『足が残らない』……剣の間合いで動く人の所作だ。誠もまた母である薫に躾けられただけあってそのように動く事には慣れていた。


「そうですね、ベルガーさんはどうも見ていて座りにくそうですし、いっそ西園寺さんも……」 


「ああ、アタシはいいですよ。あとアメリアも落語は正座でするものだから大丈夫でしょ。この中で一人……まあ正座で五分持たない誰かと違いますから」 


 そのかなめは挑発的にそう言った。にんまりと笑うかなめのタレ目はカウラを捉えていた。同じく勝ち誇った笑みを浮かべているアメリアの視線がカウラに飛んだ。だが、アメリアは元落語家と言うこともあって正座は慣れたものだった。


「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」 


 そう言うと薫は消えていった。すぐにアメリアの顔が誠の目の前に動いてきた。


「何度も言うけど、あれお姉さんじゃないの?本当にお母さん?」 


 毎回言われ続けてもう誠は飽き飽きしていた。実物を見たのは夏のコミケの前線基地にここを使ったとき。その時同じ質問を何度も受けたのでもう答えをする気力も無かった。


「ああ、叔父貴が最初に東和に大使館付武官として着任した時に撮った写真でもあの顔だったぞ。あれじゃねえか?頭を使う人間は、年をくいにくいって言うじゃん」 


 かなめは嵯峨の写真を思い出しながらなんだか良く分からない例えを出してそう言った。


「言わないわよ。そんな話聞いたことが無いわ!」 


 アメリアの一言だがかなめは黙って茶をすすった。


 かなめの叔父、司法局実働部隊隊長である嵯峨惟基が新人の甲武陸軍の東和大使館付武官時代。彼はこの道場に挑戦を仕掛けてきたという。


 その時、滅多に他流試合では剣をとらない母が彼の相手をした場面の映像は誠も目にしていた。それは一瞬であの嵯峨が倒される映像だった。


「まあ僕はそういうものだと思っていましたから。でも同級生のお母さんとか見ると確かに若く見えるような気もしますね。確かに変わらない……隊長が変わらないのは変だなあと思ってたんですが、母が変わらないのはそれが当たり前だと思っていたんで」 


 誠には母が昔から変わらないことはごく普通の事だったので特に気にしたことは無かった。


「そうだろうな。身近な人間は気づかないものだ。他の人間が見て初めて違いと言うものは分かる。そう言う物だ」 


 カウラは体育座りのままうなずいてみせた。そこに笑顔で座椅子を手にした薫が戻ってきた。


 言われて意識して見るとやはり自分の母は妙に若く見えた。高校時代あたりからそのことは誠自身も引っかかっていた。だがそんな意識していた時期も過ぎるとそういうものだと受け入れてしまっている自分がいた。

挿絵(By みてみん)

「はい、これ。カウラさん」 


 薫はそのままカウラに木製の座椅子を渡した。そしていつものようににこやかに笑う母に誠は少しばかり安心した。


「まあ、お気を使っていただいて……でも本当にお母様はお若いですね」 


 受け取りながらのアメリアの言葉ににっこりと笑う薫だが特に言葉も無くそのまま誠の隣に座った。


「嫌だわ本当にお上手で、でも、カウラさん。クリスマスが誕生日なんて素敵ですよね……で、クリスマスって何なんですか?」 


 そう言うと薫は茶をすすってうれしそうにカウラを見つめた。


「まあ、特に私の場合は関係ないですが」 


 薫の言葉にカウラは微笑を浮かべながら答えた。カウラがまんざらでもないときの表情を最近誠は覚えていた。


「でも結構広い庭で……建物も古そうですし……」 


「悪かったですね。中古住宅で」 


 誠はアメリアの言葉に思わずツッコんでしまった。


「そういう意味じゃないわよ、誠ちゃん。由緒正しいというか、風格があるというか……」 


 アメリアはごまかすようにそう言うと茶をすすった。そんなやり取りを薫はほほえましく眺めていた。


「そういえば神前一刀流の継承者は現在は薫さんじゃないですか?」 


 すっかりくつろいでかなめはそう言った。薫はにこやかに笑いながら頷いた。


「ええ、私の四代前の遼南の庶子の姫君が始めたという話ですけど」 


 真剣な表情を浮かべる薫にかなめはうなずいて見せた。


「ほう、じゃあちょっとその腕とやらを見せてもらえませんかね?アタシはこう見えても剣は多少かじってる方でして……」 


 挑発的にかなめはそう言った。


 誠は遼流剣術の達人であり、薙刀を使ってはあの嵯峨を子ども扱いしてみせるかなめの母、康子の存在を知っていた。当然、かなめも徹底して鍛えられており、とても剣術をかじっているというのは謙遜以外の何ものでもない。


 明らかに余裕のあるかなめに笑みが浮かんでいた。腕に自信のあるかなめならではの挑戦だった。


「それよりカウラさんの誕生日プレゼントはまだお買いになっていないんじゃないですか?とりあえずそちらの方を先にされては?」 


 まるでかなめの言葉を聞かなかったとでも言うように薫は立ち上がった。それを見てアメリアも立ち上がった。


「そうですね。かなめちゃん、行くわよ」 


「行くってどこに?」 


 薫に試合を断られて不愉快そうなかなめにあきれ果てたようにアメリアはため息をついた。


「決まってるでしょ?買い物よ」 


 そう言うアメリアに目をつけられてしぶしぶ誠も立ち上がった。


「こいつへのプレゼントか?いいじゃん、そこらの駄菓子屋でメロンソーダでも買ってやれば喜ぶだろ?あれなら10円で買えるぞ。粉の奴が」 


 カウラと言えばメロン味と決めてかかっているかなめは投げやりにそう言った。


「それがお前のおごりだったら私は自分で金を払う。そんなプレゼントならこちらから願い下げだ」 


 カウラは立ち上がり見下すような視線をかなめに向けた。


「そんな子供じゃないんだから。そうだ!カウラさんは私と一緒にお買い物しましょうよ。その間に三人でカウラさんへのプレゼントを買っておくって言うのはどうかしら?」 


 自分の提案に自信があるというように薫は胸を張って見せた。


「じゃあそれで。行くわよかなめちゃん」 


 アメリアに腕を引っ張られてかなめはようやく重い腰を上げた。



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