第26話 いなかったことにされる妹
誠は格納庫に立ち込める鉄粉と機械油の匂いに昨日の焼鳥屋の鶏の脂とタレの匂いを思い出し、胃の底から朝食がせり上がる感覚に、思わず口を押さえた。
「西園寺さん……」
青白い顔のまま、誠は格納庫前でかなめを見上げた。かなめ、カウラ、アメリアとの昨日の飲み会の記憶が誠の頭の中でフラッシュバックしていた。いつものようにおもちゃにされた誠はアメリアに男として想像できる最悪の醜態の記録を撮られて、いつも通勤に使っているカウラの車の中で見せびらかされていた。
「何のことかねえ。飲み過ぎはいけねえなあ……酒に弱いのは体質か?なら仕方がねえ」
「アメリア、貴様のやっていることは人として最低の事だ。せめて自分の性的なおかずとして公開せずに自分専用にとっておけ。と言うか消せ。見せられた私が迷惑だ」
とぼけるかなめに賛同するようにアメリアは肩をすくめて一目でひと笑いした後、誠から目を逸らした。カウラは鋭い一言を発した後、視線を格納庫の中に向けた。
「日野少佐、何をしているんですか?」
気がついたようにカウラが叫んだ。格納庫で呆然と中に並ぶ05式を見上げている日野かえで少佐がぼんやりと立っていた。振り向いた彼女は少し弱ったような顔で笑いかけてきた。
正直、誠は彼女には会いたくなかった。
かえでの貴族趣味とその変態性、そして何よりもかなめに対する過剰なまでのシスコンぶりからクリスマスという行事を見逃すはずはないと誠は確信していた。
かえでが主張する誠の『許婚』と言う立場も、そのどんな美女も思うがままに虜にしてしまう男装の似合うさわやかな顔立ちと遺伝子レベルで染めた短い金髪、そして25歳にして将来を嘱望された少佐と言う切れ者ぶりも、もし彼女に『ある異常性』が無ければ誠はすぐにでも彼女との結婚を決断していたことだろう。しかし、事実はあまりに残酷だった。
かなめの妹であるかえではかなめの3歳にして祖父を狙ったテロに巻き込まれたことによりサイボーグ化したフラストレーションを晴らすという目的で元々かなめにあった『女王様』気質の標的として彼女を選んだ。
かなめが得意げに語る話を聞く限りかえでは誠がどうひいき目に聞いてもドメスティックバイオレンスとしか思えない虐待を受けた。しかし、かえでは天性のマゾヒストだったため、それをかなめの『真実の至高の愛』と勘違いしたかえでは立派な『変態マゾヒスト』に成長してしまった。
これまで副隊長であるランがかえでの入隊直後からの全裸徘徊や副官であるリンとの野外での性的行為などでの軽犯罪法違反による逮捕の身元引受に出かけた回数は20回を超えていた。彼女の家の使用人をこれも全裸で『飼い犬の散歩』と称して公然わいせつの容疑でランが出かけた回数は10回を超えている。
かえでがこういった問題行動を起こすたびにランは『島田以上の問題児が来やがった。だからアタシは日野の配属には反対してたんだ』と『許婚』だという誠に愚痴るので、ランの見た目のかわいらしさに隠された真実の恐ろしさを知る誠は出来るだけかえでとは距離を置くようになっていた。
「やあ、君達はいつも仲がいいんだね……お姉さまは僕主催の夜会には出たくないって言うんだよ。クリスマスと言ったら夜会だろ?それを何で……僕の大事な『許婚』である神前曹長なら理由は知っていると思うのだが、どうだろうか?東和には夜会があまり無いと聞いていたのでお姉さまも喜んでくれると思っていたのだが……僕の気遣いは無駄になってしまったのだろうか?それとも僕より面白いおもちゃを見つけてそれを楽しんでいるんだろうか……そう思うと悔しく思えて来るね……嘘みたいだろ?僕、こういう日が怖いんだ」
何か言いたげなかえでの瞳に誠達は複雑な気持ちになった。かえでの夜会の内容が健全なものなのか、それともかえでの趣味の変態的なものなのかも気になったが、その話題を何故自分に振ってくるのかが気になった。
「それはですね……カウラさんの誕生日がたまたまクリスマスと重なりまして。なんと言っても所属する小隊の小隊長の誕生日ですし、そこは軍人として仕事を優先したのではないかと……」
かえでの前になると緊張してしまう誠は言い訳じみた事とは分かっていてもそう言うことしかできなかった。
「ああ、そうなのか……それがお姉さまは幸せなんだね……僕の主催した夜会より同僚の誕生日が優先なんだ……僕の……どこが足りないんだろう?今回の夜会は東和の各界で活躍するセレブも呼んで盛大に祝おうと思っていたのに。セレブ達も夜会の少ない東和にあって甲武国四大公家の見目麗しい女当主である僕主催の夜会とあってかなりの数が集まってくれると言うのに。お姉さまの趣味に合うという虐められることが好きだというセレブの令嬢もリンのリサーチで何人か用意したというのに。かなめお姉さまの事だから、僕の事をもっとひどい虐め方をしたいのだろうか?神前君はどう思う?」
東和のセレブと言うかえでの変態性とは無関係な第三者を呼ぶと聞いて、かえでの夜会が常識の範囲内のものだったことに安心すると同時に、かえでのその思考の異常性に気付きながらも誠はただ苦笑いしかできなかった。
「神前君。君の童貞を奪ってしまえばお姉さまの心も変わるかもしれないな……そうすればめでたく僕は神前君のものになり、お姉さまと一緒になって僕をより激しく責め立ててくれることになるだろう。お姉さまはいつも『神前を虐めるのは楽しいな』と僕に言っているからね。お姉さまと神前君の息の合った責めに悶える僕を考えると君もうれしくなるだろ?今夜あたりどうだろうか?僕の屋敷に来てくれるかな?もしも気が向いたらで構わないんだけど……」
そう言っていきなりかえでは見る人を引き付けて離さない笑みを浮かべて誠に迫ってくる。誠はあまりに突然のかえでの態度の変化にただ困惑するばかりだった。
「まず言っておきますが僕は日野少佐と違って虐められるのが好きなんじゃありません!それに二人で……なんてまだ早いです!僕達はまだそんな関係じゃありません!それに『漢』になる前にそんなことしたらクバルカ中佐に殺されます!それに僕が『漢』になる前に女性とそんな関係になったら中佐に即座に殺されます!中佐には洒落や冗談は通じません!あの人は殺すと言ったら本当に殺します!」
誠はこれ以上かえでに関わるとろくなことになりそうにないのでとりあえずその場を離れることにした。
「君も行ってしまうんだね……僕は一人だ……寂しいクリスマスになりそうだ。どんなにセレブ達にちやほやされてもお姉さまや『許婚』の居ないクリスマスなどあって無いようなものだ……僕は寂しい……孤独だ……」
立ち去る誠の背後でかえでがそう言うのを聞きながら誠はそのまま更衣室を目指した。
「まだ青い顔をしているな貴様は。昨日飲み過ぎたせいか?それとも日野少佐に何か変な要求でもされたのか?」
更衣室の前にはカウラが立っていた。その瞳は明らかに嫉妬に満ちているのだが、それを自覚していないところがいかにもカウラらしいところだと誠は思った。そして先ほどカウラの言う通りかえでにとんでもない要求をされたことを話す訳にもいかず、カウラの言葉に誠は力無く笑った。誠はそのまま近づこうとするが思い切りかなめに引っ張られてよろける。
「何するんですか!転んだらどうするんですか!」
誠は思わずそう言い掛けて口をかなめにふさがれた。そしてささやくつもりで誠の耳にアメリアが口を寄せた。
「さっきかえでちゃんと下手な絡みかたしてたでしょ?後で面倒なことになるわよ。特に誠ちゃんはかえでちゃんの『許婚』と言うことになってるんだから。出来るだけデリケートに扱うように気を付けてね。でも誠ちゃんの童貞をあげるなんて簡単に言っちゃだめよ。そうしたら誠ちゃんはかえでちゃんの変態世界に引きずり込まれて大変なことになるから。そうなったら誠ちゃんももう正常世界には戻ってこれない立派な変態の一人になっちゃうわ……それを阻止するためにも私が誠ちゃんの童貞を奪ってあげるから。安心して良いわよ。今夜付き合いなさい、私が誠ちゃんを『漢』にしてあげる……性的な意味で」
アメリアのかえでと大して変わらない冗談を聞きながら、誠はかなめへの愛に生きるかえでの本性を思い出した。誠はそのことを思い出すと二日酔いでぼんやりした意識が次第に回復して背筋に寒いものが走るのを感じた。
背後に人の気配を感じて誠は振り返った。そこには先ほど振り切ったはずのかえでが恨みがましい視線を誠達に向けてきていた。
「いいねえ、君達は。いくら魅力的な女性達が集まる夜会でも、かなめお姉さまも『許婚』の神前曹長も居ないとなるとまるで魅力を感じないよ。折角ホテルのオーナーに無理を言って予約した大ホールも神前曹長と僕を満足させるべく集めたセレブの女性達と時を過ごすスイートルームの予約もすべては無駄だったんだ。まあ、仕方が無いか……人生すべてが思うようにはいかないと言うことなのかもしれないね」
更衣室前の廊下の冷たい空気の中、冷めた笑いを浮かべた後、かえでは大きくため息をついた。誠はそのままかなめに引きずられて着替えることもできずにそのまま奥のトイレ前まで連れて行かれた。何か声をかけようとしていたカウラだが、そちらもアメリアに耳打ちされてかえでとの会話を諦めて誠達のところに連れてこられた。
「きっついわ。マジで。どうするの?かえでちゃんは久しぶりにかなめちゃんとクリスマスが過ごせるってかなり気合入れてたみたいよ。かなめちゃん、責任取りなさいよ。かえでちゃんはかなめちゃんの言うことなら何でも聞くんでしょ?それなりに上手いこと言って誤魔化すとか出来るでしょうが!」
アメリアはそう言うと呆然と勤務服姿で整備の邪魔になっていることにも気づかずにかなめの白いシュツルム・パンツァーを見上げているかえでを指差した。
「知るかよ!アタシはまったく悪くない!アイツが勝手に開く夜会だ。先にアタシを招待してから夜会の予定を決めたんだったらアタシの責任だが、そうじゃねえだろ?むしろ『許婚』である神前が悪い。かえでと変態地獄の落ちるところまで一緒に落ちる覚悟を決めていない神前の優柔不断さが今回の事態を招いたんだ!そしたらかえでの言う通りアタシの快楽を満たすおもちゃとして二人を苛め抜いてやる!確かにアイツを真正のマゾとして開花させたのはアタシだが、そんな責任を取らないのが『女王様』の『女王様』たるゆえんだ!神前が責任を負えば全部丸く収まる!」
かなめは胸を張った。最悪の理屈を、最良の顔で言う。それこそがかなめがかなめたる何よりの証拠だった。
「全部僕のせいなんですか!なんでも人のせいにするのは西園寺さんの悪いところですよ!それに僕はドMの変態にはなりたくないです!僕はノーマルに生きたいんです!西園寺さんが『女王様』で日野少佐がそのおもちゃなのは勝手ですが僕までそんな異常空間に巻き込まないでください!」
不毛だとは分かっていてもかなめも誠もお互いにかえでの憂鬱の責任を取りたくは無かった。
「西園寺。日野少佐はお前の妹で今の状態にしたのは貴様だろ?『許婚』と言うのは親が勝手に決めたことで神前の責任ではない。だから全責任は西園寺、貴様にある。どうにかしろ。第一小隊小隊長としての命令だ」
カウラはそう言ってかなめを一睨みした。
さすがにかなめもかえでの気持ちを思い計ってか握りしめていた誠の襟首をつかむ手の力を緩めた。
「ああ、お姉さま」
この状況を遠くから見ていたかえではわざとらしくかなめに声を掛けてきたのでかなめは一目散に女子更衣室の有る下の階へと階段を駆け下りて行った。その途中にあるガラス張りの管理部の部屋ではパートのおばちゃん達が囁きあいながら悩みにふけるかえでに同情の視線を送っているのが目に入った。
「触らぬ神に祟りなしよ。いくら相手が男女ともに惹きつけてやまない魅力的なかえでちゃんとはいえ、クリスマスだけは譲れないわ。他は出来る限りかえでちゃんの希望に沿う。その線で行きましょう。ああ、誠ちゃんの童貞を差し出すと言うのは無しね。さっき言ったようにそれは私がもらうものだと決定している事項だから。軍においては階級がすべて。私は中佐で、誠ちゃんは曹長。異論は認めないわよ!」
アメリアはサラっととんでもない内容の入った言葉を言うと本気で廊下を走って運航部の自分の城へと向かって歩き出した。要するに自分も面倒なかえでに絡むくらいならば逃げるつもりなのである。
「アメリア。階級云々の問題じゃない。ここ職場なんだ。貴様の身勝手を私は認めない」
カウラがいつもの無表情に明らかに不機嫌な雰囲気をまとってアメリアをにらみつけて低くそう言ってアメリアの背後に怒りの表情で近寄っていく。
「なによ、カウラちゃん。マジになっちゃって!ちょっとした冗談じゃ無いの!」
いつものことながらアメリアには反省の色は見えない。
「貴様のその精神の強さは一種の芸だ。もはや戦闘用に作られた『ラスト・バタリオン』と言うレベルを超えているのは分かった。だが、性的冗談は寮でやれ。あそこなら島田の部下の男達が貴様を軽蔑のまなざしで迎えてくれて貴様にも自分の特殊性が理解できるようになるだろう。貴様と日野は私から言わせれば50歩100歩だ。貴様はエロゲームという妄想でそれを実現し、日野は現実にそれを実行している。思考回路は同レベルだ」
そう言い残してカウラは急いで女子更衣室を目指す。
「カウラちゃんは本当にお堅いのねえ……それに私のエロゲの注意事項として『これを実際に行ったら犯罪になります』って注意書きをを表示してからゲームが起動するようにしているわよ!それを実際に望んで実行しちゃうかえでちゃんと一緒にされるなんて心外だわ!それにその程度の常識を持ってる私の方がかえでちゃんより誠ちゃんにはちょうどいいのよねえ?」
アメリアはそう言って誠に笑いかけるとカウラに続いて去っていく。誠は時計を見て始業時間が近いことに気付いて慌ててその場から男子更衣室に急いだ。
「こらこら、廊下は走っちゃだめだよー」
いつもの抜けた表情の嵯峨の言葉も今の追い詰められた誠の耳には届かない。
「失礼します!」
そう言って誠は男子更衣室に飛び込んだ誠に先客の先輩の整備班の男子下士官たちの視線が突き刺さるのが痛かった。
「とりあえず、着替えるか……しかし……日野少佐と今日は同じ持ち場……きついぞ……」
そう言って誠はすぐに勤務服を取り出してジャンバーを脱いだ。かえでの本性についてはランが島田達には出来るだけ話さないようにしているので、誰が見ても『美女』そのものであるかえでを『許婚』としてキープしている誠への男子隊員の無言の嫉妬の視線の痛みを感じながら着替えを済ませた。




