第25話 春子の夜と、灯る日
「私ねえ……確かにああいった仕事をしているとクリスマスは稼ぎ時だしね」
かなめの言葉にうつむいて空になったグラスに少しばかりほほを朱に染めながら春子は自分でビールを注ぐ手が一瞬止まった。そのままグラスのふちを撫でながら思いにふけるようにうつむいている。
「あんまり良い思い出は無いかな……特に最初のお店に勤めていた時は……高級店なら別かもしれないけど、格安風俗店だもの。しかも違法オプションが売りなんて言う店の嬢のクリスマスなんて全くみんなの参考にならないわよ」
そう言ってすぐに春子は誠に目を向けた。東都の盛り場で育ったと言う彼女の話を人づてに聞いていた誠はしまったと思いながら手についたトリ皮串の脂を拭うと頭をかいた。
そんな誠を見ると春子は雰囲気をリセットするような笑みを浮かべた。
「あの男と流れで同棲するようになって、すぐに小夏が出来て……その頃は最悪だった。クリスマスにはあまりいい思い出は無いのよ。ただ、嫌なことが思い出されるだけ」
春子はそう言ってビールを煽った。その視線が一度、厨房の方へ向きいた。そこに小夏が居ないことに安心したような顔をすると春子は再び話し始めた。
「あの男は稼ぎが少ないと毎日殴る蹴る。そして私が稼いだ金を持っていつでもどっかに消えて私がいない間はどこかで別の女と遊んでる。そんな男と一緒に居たクリスマス。楽しいわけが無いじゃないの」
春子の言葉に誠はただ言葉に詰まっていた。
「それにね、このモテない宇宙人の星、遼州ではクリスマスってことでちょっとは思い出を作ろうと、いつもはそう言う店に来ないようなタイプの客が沢山来るのよ。それも風呂にいつ入ったか聞きたくなるような匂いの客が……その相手をするのよ。耐えきれる?」
誠は、箸を置いた。何も言えなかった。とりあえず自分を刺している事ではないことに安心して春子の話の続きを聞くことにした。
「……口で相手をして、裏のオプションまで。……あの頃はクリスマスが来ると憂鬱になったわ」
陰のある春子の暗い思い出に誠達の心は重くなった。その様子を察したかのように春子は口調を明るく変えるがそれでも重い過去が誠達の脳裏から消えることは無かった。
「確かにお手当は出るし、指名が入ることもあったんだけど……新さんに会うまではクリスマスが来るたびに憂鬱だったわ」
春子の口調が不意に明るくなったきっかけが普段隊員から『駄目人間』呼ばわりされている嵯峨であることを知って驚いた誠は思わずつくね串で喉をつくところだった。
「実は、小夏を産んで新さんのおかげであの男と別れて新さんの紹介で高級店に移ってからはクリスマスには新さんにあの時期は指名をお願いしてもらってたのよ……確かに高級店の人気の嬢にもなれて指名が毎日入るようになってからも他のお客さんとは違って新さんだけは、黙って手を握る人だったの。夜の境界線を、私に決めさせてくれた。……だからクリスマスは、漂流を止める防波堤みたいな日になったのよ」
春子が『新さん』と呼ぶ『駄目人間』嵯峨の趣味は風俗店巡りだった。春子を違法風俗から合法の店に移らせたのも嵯峨の助言のおかげだったと春子は以前言っていた。
「当時から隊長はお金持ってなかったんでしょ?弁護士なのにお金に拘らない仕事ばかり受けてていつも金欠だって春子さんが言ってたじゃないですか」
誠は春子の嬉しそうな顔を見てそう言ってしまっていた。
「実は、その頃はもうあの男とも新さんのおかげでおさらばしてたから私にはお金は有ったのよ。儲かるのよ、風俗嬢は。特に新さんの推しでランキングに出るようになってからは今のこの店の売り上げなんか馬鹿みたいに思えるくらいに。それでそのお金を新さんにあげて指名してもらってたのよ。それこそ一晩中。その店、本番禁止で結構厳しかったけど、新さんになら……」
春子はそう言って戸惑う誠に向けて色気のある笑みを浮かべて見せた。
「春子さん……叔父貴の事、好きなの?」
ここで突然かなめがとんでもないことを言い出した。慌ててビールをこぼしかける春子に誠はかなめが真意を得ていたことを感じ取った。
「所詮、叶わぬ恋よ。あの人は殿上貴族。私は夜の女。身分が違いすぎるわ。それにね、あなた達にはまだ分からないかもしれないけど、大人になると色々と複雑な事情と言うものがあるのよ。それにある日突然、新さんから連絡が来なくなったの。後で聞いたんですけど、あの人は遼南内戦に出かけて行ったらしいわ。あの人にとっては女より戦場の方が魅力的なのよね。ここにいるみんなも私も知らないけど、戦場に居る新さんが本当の新さん。それ以外のみんなが『駄目人間』と呼んでいるのはかりそめの姿に過ぎないのよ。恐らくそんな戦場に立つ本当の新さんを知ってるのは『特殊な部隊』の皆さんの中では敵として新さんを苦しめたクバルカ中佐くらいなんじゃないかしら」
春子は言い聞かせるように、かなめに向ってそう言った。
「すみませんね。つまらない話をして。かなめちゃんもつまらないこと言って反省しなさいよ」
アメリアはかつての春子の境遇を聞いているだけに本心からそう言っているように誠には見えた。
「別にアタシは気にしないけどな。アタシ自身がかつて任務とは言え、夜の女をしていた訳だし。それに叔父貴ならそんなことを気にするような人間じゃありませんよ。しかも今は四大公家の当主を外れて枢密院の許可なく自由に結婚できる身分になった。狙うんなら今じゃないですか?確かに、小遣い月3万円で、部屋代2万の合計5万の金しかどうにかできない男だけど」
かなめには春子の心を揺らした反省の色はまるでなかった。
「私達の話は大人の話。かなめさんに干渉してほしくは無いわ。まあ、話を元に戻して、みんなで楽しく過ごすのは良いんじゃないかしら?私もそう言う経験はないけど、楽しんできなさいよ」
春子はそう言って落ち込んだアメリアを励ました。
「そんな人の話は良いとして神前君の話を聞きましょうよ。今回のクリスマスは神前君の家でやるんでしょ?ホストの話を聞かなきゃ話にならないじゃないの」
春子は弱り果てていた誠を見つめた。誠は照れてかなめ達に目をやってすぐに後悔した。春子に色目を使っていると誤解した三人はかなり苛立っていた。ともかくこの場を収めなければと言う義務感が誠を突き動かした。
「まずはさっきネットで地球のクリスマスを調べて知ったんですけどケーキは欠かせないらしいですね」
クリスマスというものが地球にあるらしいというくらいの知識しかない誠は少ない知識の引き出しからそんな言葉を引き出した。
「それなら私が手配するわよ。なんと言ってもカウラちゃんの誕生日なんだから!」
ようやく落ち着いてアメリアが自慢げに語るのにかなめが白い目を向ける。カウラはどうでも良いというように突き出しを突いている。
「それとチキン。まあ地球では七面鳥を食べるところもあるそうですが」
これもネットでそんなことが有るようなというような誠にとっては無縁などうでもいい知識だった。
「動物ならかえでに頼むか?ああ、アイツに頼むと山鳥とか雉とかになるな。アイツの趣味は狩猟だから」
「雉なら脂が香ばしいけど、小骨が多いから全員無口になるわよ?」
かなめの提案に春子は少し表情を曇らせた。
「クリスマスに雉の丸焼きって聞いたことが無いわよ!それと七面鳥は主にアメリカの文化よ!ゲルパルトじゃ一般的じゃない!私のいたゲルパルトはキリスト教国だけど七面鳥なんて飼ってません!」
かなめの言葉にアメリアが大きく首を横に振った。
確かに狩猟が趣味でそちらの人脈もあるかえでなら話を聞いてくれそうだった。時にはかえでは姉が世話になっているという理由でこの月島屋にもイノシシや山鳥などの猟で取れた肉や、どこから手に入れたのかわからない珍しい鶏の卵などを持ってくることもある。
「普通の肉屋で売ってる鶏肉で良いんじゃないのか?そんな珍しいものは必要ないだろ」
烏龍茶を飲みながらカウラがつぶやいた。アメリアはその言葉に納得するように頷くと誠の次の言葉を待った。
「ツリーとかはどうします?あれって東和で手に入ります?それともクリスマスのあるゲルパルトから取り寄せます?」
誠も久しくクリスマスらしいものとは無縁なので、そう言ってアメリアを見た。アメリアはぐっと右手の親指を上げて任せろと目を向けた。
「勝手にしろ!カウラの誕生日なんだろ?ツリーなんていらねえだろうが!」
そう言うとかなめはグラスを口に運んだ。
「他にシャンパンは……」
「スパークリングワインでしょ?」
「どっちでもいいよ。でもテメエ等は飲むな。後片付けが面倒だ」
かなめが誠とアメリアに目を向けながらそう言った。自分の酒癖を自覚している誠とアメリアは苦笑いでそれに答えた。
「なんだか愉しそうね。うちも店を閉めて神前君のところお邪魔しようかしら」
そう言って微笑む春子にかなめがタレ目で空気を読んでくれと哀願するようなサインを送る。
「冗談よ、冗談。うちが店を閉めたら島田君や西君達まで押し寄せるわよ。たぶんこの前、店で西君が『甲武のキリスト教徒は今の時期にパーティーをする』とか島田君に吹き込んで島田君とサラちゃんが二人してノリノリだったから当然クリスマスパーティーをするつもりでしょうし。特に島田君とサラちゃんが乱入したりしてあの二人の『青春ごっこ』を一晩中見せつけられるなんて見せられるのは皆さんも嫌でしょ?」
島田は日中で『青春ごっこ』をサラと済ませて西達整備班を引き連れてここ月島屋を訪れることになるだろう。そう計算する春子の顔はすでに商売人のそれになっていた。
「それはちょっと勘弁してもらいたいですね。特に島田先輩は私有財産の概念が無いんで僕の実家でオークションで売れそうなものを見つけて、僕の作ったフィギュアとかプラモとかレアものの漫画とかを勝手に持っていったりするので迷惑なんで」
誠はその騒動を思い浮かべて愛想笑いを浮かべた。そんな彼の視線に一人で腕の端末に何かを入力しているアメリアの姿が目に入った。
「何をしてるんですか?アメリアさん」
「ん?」
誠の言葉にアメリアの行動を見つけたカウラが端末の画面を覗きこむ。そこでアメリアはメモ帳のアプリに熱心に何かを打ち込んでいた。
「クリスマスを愉しく過ごす100ヶ条。お前、本当にイベントごとを仕切るのが好きだな。あれだけ馬鹿にされてもまだ作る気なのか……そのマメさを仕事にも生かしてもらいたいものだ」
呆れたようにカウラは烏龍茶を口に運ぶ。アメリアは覗き見るカウラを見て満面の笑顔を浮かべた。
「そうよ!イベントは楽しむのが常識。違うの?まず1条!ケーキは『主役の好物優先』!カウラちゃんは生クリーム少なめにメロンを用意すること!ケーキ係!ちゃんと覚えておくのよ!」
そう言うとアメリアは葉巻に火をつけようとしていたかなめを指さした。
「はいはい、で?2条は?」
明らかに覚える気は無いという投げやりな態度でかなめはお気に入りの葉巻のコイーバロブストの煙を吐いた。
「続いて2条!写真は食べる前に3枚だけ!パーティーは食べる為であって写真会場じゃないの!誠ちゃん!調子に乗って端末で写真を撮りまくったりしちゃだめよ!以後は手を休めない!ちゃんとケーキを味わって食べる!」
今度はアメリアは豚串を食べ終えた誠を指さした。
「なんで僕を指さすんです?僕が写真を撮っているところってアメリアさん見たことありますか?」
とりあえずアメリアはツッコミが欲しいらしいと察して誠はその願いに応じた。
「そしてゲームは『参加2分でルール把握』縛り!やるとしたらUNOか人狼ゲーム……まあ場を考えてライトバージョンね!」
得意げにそう言うアメリアをカウラが難しい表情を浮かべて見つめた。
「私はUNOのルールは知っているが人狼ゲームのルールなんて知らないぞ」
主役であるカウラにそう指摘されれば普通の人間なら怯むところだが、アメリアは普通ではないのでさらに話を続ける。
「これが大事!BGMは60分プレイリスト……これはかなめちゃんに任せるわ。好きに選んでいいわよ。でも会話を邪魔しないテンポの曲を選んでね♪」
完全無視を決め込んで葉巻を吹かしていたかなめがアメリアをにらみつける。
「本当にアタシの趣味で選んでいいんだな?後で文句を言って来たら射殺するからな?」
やる気が無さそうにそう言うとかなめはそのまま葉巻に集中した。
「あと、これは一番大事なことだから言っておくけど、後片付け班を最初に決める!誠ちゃんは男だから確定。そして残りは抽選で1人が選ばれます!かなめちゃん!逃げるのは禁止だからね!」
再びノリノリでそう言うアメリアにかなめも興味を失って葉巻を置いて静かに空のグラスにラム酒を注ごうとした。
「あれ?空かよ。春子さん」
「今日はいつものラムは無いわよ。先月頂いたジンなら。西園寺さんご指定の『タンカレー』が一ケース封も切らずに置いてあるけど」
「じゃあ、それで」
かなめの言葉に厨房の入り口に立っていた小夏が呆れたような顔をした後中に消えていった。
「でも、愉しそうよね。できれば写真とか撮って送ってね」
春子はそう言うとさわやかに笑いながら立ち上がり奥へと消えていった。その様を見送っていた誠の目を見てかなめは複雑な表情を浮かべた。
誠が厨房を見つめているのを幸いに懐からウィスキーの小瓶を取り出したかなめは蓋を取って誠の飲みかけのビールのジョッキに素早く中身を注ぎこんだ。
「素敵ですよね、春子さん」
うれしそうに言う誠にかなめは伏せ目がちに視線を送った。アメリアはかなめの行動を見ていたが誠がジョッキに口をつけるのを止めることはしない。
「じゃあ、クリスマスの準備はそんな感じで……」
誠はそのまま何も知らずにビールの入ったジョッキを傾けた。
「神前、ためらうんじゃねえぞ。ぐっとやれ、ぐっと」
かなめは自分の仕掛けに見事に引っかかっている誠をいつもの残忍な目で見つめていた。
誠は味に違和感を感じたものの、ビールに酔ったせいだろうと思ってそのままトリ皮に手を伸ばした。
「神前、なんともないのか?」
カウラはかなめの仕掛けを誠に教えなかったことを後悔しながらそうつぶやいた。誠は不思議に思いながら一気にジョッキを空にした。
「あれ?なんだろう……目が回るんですけど……西園寺さん。また何かやりましたね……」
急激に回る景色を見ながら誠はにやにや笑うかなめを見つめていた。
「やったよ?ウィスキーでおいしいビールをさらにおいしくしてやった。感謝しろよ、バーカ」
かなめの嘲る声を聞きながら、誠はその場にへたり込んだ。
「こら、西園寺さん!」
春子が盆を打ってパンと鳴らす。水と塩昆布を誠の前に置く。
「酔わせたいなら責任取って介抱までがセット。……飲む、息を整える、はい」
春子の叫び声と水を手にして駆け寄る小夏の顔が大写しになる。
小夏は唇を尖らせたまま、水を差し出した。その水を飲みながらゆっくりと誠は意識を失っていった。




