第24話 貴族のクリスマスは鍋の音
月島屋に着くと、偉そうにかなめを先頭に縄のれんをくぐる。鶏の油のはぜる音とタレの甘い匂いがむわりと頬を撫でた。外気で白んだ窓ガラスに、湯気がゆっくり渦を巻く。氷を落とす音、箸袋を裂く乾いた紙の音。席に腰を落とすといつものように春子と小夏が突き出しを運んでくる。いつも通りに飲み会は始まるが、その話題は当然、カウラの誕生日に流れた。
ただ、特にすることが決まっている訳ではないので、話題はいつもの『大正ロマンあふれる国』甲武国の一番の貴族であるかなめの実家の話になっていった。
「あら、西園寺さんのおうちの話?素敵だわ、甲武一の貴族の家のクリスマスって興味津々よね。是非聞かせてくださいな。私も新さんが好きそうなところしかクリスマスをしないこの東和から出たことがないんだもの。少し興味があるわね」
そう言って厨房から現れたのはこの店の女将の家村春子だった。その後ろでは明らかに自分の嫌いな誰とでもやたら距離が近く接するキャラのかなめに母を取られたことを悔しがるような表情を浮かべている小夏の姿があった。小夏はビール瓶をつかむ手にほんの少し力をこめ、栓抜きをカウンターにコトンと置いた。目だけが、かなめのグラスを一瞬だけ射る。
「春子さんなら知ってるでしょ?アタシの家には最近は減ったけど結構な数の居候がいること。たぶん叔父貴の事だからうちのあること無い事ペラペラしゃべってるに決まってるんだ。テメエだってうちには養子で来た身じゃねえか。居候とどこが違うんだよ」
かなめは明らかに嫌そうにそう言うとグラスを傾けラムを飲んだ。
「それは居候とは言わないでしょ?食客と言う言葉が正しいんじゃないの?」
そう言うと春子は振り向いた。彼女の弾んだ表情に誠の頬も緩んだ。
「小夏、ビール頼める?私もお付き合いしたい気分なの」
紫の着物の袖をたくし上げて隣の空いた椅子を運んできた春子が通路側に席を構えた。
「え?お母さんも飲むの?」
小夏が驚いた様子でそう言うと春子は微笑みながらうなずいた。
「いいじゃないの。どうせ西園寺さんのおごりなんでしょ?違うの?なんと言っても甲武一の貴族様なんだから」
そう言って微笑む春子になんともあいまいな笑いを浮かべた後、かなめは再び話を続けた。
「まあずいぶん前からのしきたりでね、画家や書家、作家や詩人、芸人や役者ばかりでなく政治を志す書生も主義を問わずに抱え込むのがうちの流儀なんだ。実際、当主が三人そんな政治家志望の書生に殺されているってのに本当によくまあ続いたしきたりだよ。いくら『文化の守護者西園寺家』の看板を守るためとはいえ……命を賭けてまで守る事か?そんな看板」
そう言うかなめの言葉に合わせるように小夏がビールの瓶とグラスを持ってきた。
「あら、神前君のがもう無いじゃないの。西園寺さんのおごりなんだからねえ。小夏」
春子はそう言うとビール瓶を持つと静かに自分のグラスに注いで見せる。
「気が利かねえなあ、神前」
「いいのよ西園寺さん。それで続きは?」
誠はかなめの話を黙って聞いているアメリアとカウラを見た。誠もとても想像もつかない雲の上の世界の話。それをかなめは再び続けようとした。
「まあ、甲武は独立直後は神道と仏教以外のイベントは前の戦争の時までは全面禁止だった国だってのはお前等も知っていると思うんだけど。まあ世の中、イベントと言えば飯の種だ。特に芸人や落語家を呼びたがる金持ちは東和に経済でまるで勝てっこない甲武でもあふれてるからな。実際、20年前のあのイカレタ戦争中でもなけりゃ摘発なんてやっていない事実上の解禁状態だったし」
そう言ってかなめはラムの入ったグラスを煽る。満足げに春子はかなめの言葉にうなずいていた。
「どこでもイベントは飯のタネになる。そこでうちでは食客の中でも稼ぎ時のクリスマスにお呼びのかからないような売れない連中の為にと、クリスマスと正月くらいは力のつくものを食べてもらおうって最初にやり始めたのは十五代前の当主が居候やその家族も含めて御所の人間全員がすき焼きを食べるというイベントだ」
かなめの語る言葉には伝統を感じるが、その内容が甲武で一番の貴族が必ずクリスマスにすき焼きを食べるという意味の良く分からない内容なので誠達はげんなりした表情で話を遮るわけにもいかずに話を聞いていた。
「年の瀬、肉問屋の相場表を胸に差してね、『売れ残りの端っこも全部よこせ』って言って回った。うちの庭にうんざりするほど並んでる居候が住んでる長屋に当主自ら肉を持って配って回ったそうだ。肉を配り終えた後は芸人も書生も『腹が立つほど』食わせると言って大笑いしてたそうだ。そいつが西園寺一属で群を抜いた名太閤と呼ばれてるんだ。肉を配れば名君と呼ばれるんならアタシにだってすぐできるぞ、そんなこと」
うなずきつつそう言うかなめに対し、誠はたぶんその人が名君と呼ばれるのは別の理由があるのではとツッコみたいのを我慢した。
「その結果なにかめでたい事が有るとすき焼きを食うことになったんだ。だからクリスマスにはすき焼きを食う。それが甲武一の貴族のクリスマス。だからアタシにとってはクリスマスにはすき焼きを食うのが普通の事になっている。去年も部屋で一人すき焼きセットを買ってきて食った」
かなめの口から出たあまりにも珍妙な甲武一の貴族である西園寺家のごちそう事情にこの場にいる全員がどんよりとした表情を浮かべた。
「それですき焼き?そんな理由ですき焼きを食べるの?クリスマスにすき焼きなんて聞いたことが無いわよ!すき焼きとイエス・キリストの誕生と何か関係あるの?何の関係もないじゃない!すき焼きなら別にクリスマスじゃなくても好きな時に食べるわよ!」
アメリアはそう言いながらビールを口にする。誠が中ジョッキを置いた。
「兄貴、注いで来るね」
そう言うと小夏は誠のジョッキを持って厨房に消える。カウラも納得したように頷きながらかなめの言葉が続くのを待った。
「まあ、キリスト教徒が1%もいない甲武の事だからな。その当主もまずは腹に溜まることを重視すると言うわけか。いかにもがさつな西園寺家ならではの発想だな。貴様は西園寺家の家風をそのまま体現している訳か。なんとなく理解した」
カウラはそう言いながら豚串の最後の一口をつまんだ。その隣でしばらく目をつぶっていたアメリア。ゆっくりと目を開いた。誠も牛脂が鉄鍋の上でじゅっと溶け、白ねぎの断面が透けていく……そんな音まで思い出していた。
「でも、上流貴族のレベルの肉って、結構いい肉を食べられるのよね。食客の人も大喜びだわね。羨ましいと言えば羨ましいかも」
アメリアは肉が好きなので楽しそうにそう言った。
「あのなあ、もう一年半の付き合いだろ?観察力のねえ奴だなあ。アメリア……アタシの食ってるものを見てねえのか?」
かなめが呆れたようなタレ目をアメリアに向けた。実際この目で何度も見られている誠はその独特の相手を苛立たせる感覚を理解して複雑な表情で睨み返しているアメリアのことを思っていた。
「何言うのよって……ああ……」
かなめに嘲笑のような言葉を浴びせかけられてアメリアは手を叩いて何かを悟った。そんな様子をほほえましく春子はほろ酔い加減で見守っていた。
「はい!兄貴!」
計ったようなタイミングで小夏が誠にジョッキを運んできた。かなめとアメリアの間の緊張した空気が解けた。
「貧乏舌だものね、かなめさんは」
春子に指摘されてかなめは頭を掻いた。
確かにかなめの悪食は有名だった。ともかくまずいと怒っているのは菰田が食事当番の時の味付けが崩壊した料理と、目の前のカウラとアメリア、二人の料理を出されたときだけ。後は鮮度が見るからに落ちている魚だろうが、ゴムのように硬い肉だろうが、素材で文句を言うことはまず無い。そして味付けも量の測り方がおかしくて誰もが文句をつけるところでも平気で食べているかなめをよく見かけた。
「まあ、否定はしねえよ。西園寺の家は代々そうなんだ。爺さんも食い物に文句をつけたことが無いって言うし、親父もおんなじ。まあ遼帝国貴族の出のお袋やかえでなんかは結構舌が肥えてて、いろいろ文句を言うけどな。そもそも御所の中の遠く離れた立派なお屋敷で暮らしてて一緒に食事をする事なんか年に何回もないし。ああ、かえでは飯を食った後にアタシに虐められるために待ち針を乳房に刺してもらいたいとか言って走って来たな……マゾを舐めちゃいけねえや。当然アタシは血を見るプレイはNGだから拒否したがな」
さらりとそう言ってかなめはグラスの酒を飲み干した。誠はなんとなく納得ができたと言うように出されたビールを飲み干した。
「でも結構な量なんじゃないのか?何万人っているんだろ?食客」
カウラは安い肉とは言え、人造肉しか食えない平民しか住んでいない甲武の西園寺家の出費が気になってそう言っていた。
「まあな……数えたことねえから何人いるか分かんねえけどその食客の子弟専門で中等学校や高校が出来るくらいだからそれなりの数いるんじゃねえの?それより芸人なんて言うのはほとんどが稼ぎ時でも寄席なんかに呼ばれずに暇を持て余しているのがほとんどだからな。でもお祝い事の季節に最下等の肉ばかり買いあさる貴族なんて他にいねえよ。その時期は安い肉は結構余るからさらに安く買いたたけるんだ。書生連中もコネがあるから流れ作業で何とかなるみてえだったぞ」
かなめはそう言うと今度は自分で酒を注いだ。
「わかったことがあるわ!」
突然アメリアが叫ぶ。いかにも面倒だと言うような顔でかなめがアメリアを見つめた。
「なんだ?」
アメリアをにらみつけるかなめの目をじっと見つめた後、アメリアが口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「かなめちゃんの話は全く参考にならないということよ!そんなクリスマス嫌!絶対お断り!」
大きく目の前でバツ印を作りながらアメリアはそう叫んだ。
「だったらしゃべらせるんじゃねえ!無駄な労力を使わせやがって!アタシは別にそれでも良いの!アタシはキリスト教徒じゃねえ!」
かなめが大声で怒鳴りつけた。さすがにその大きな声に誠は驚き、カウラと春子は顔をしかめた。
「だから外道って言うんだよ」
厨房の入り口の柱に寄りかかっていた小夏は少し引き気味にそう言うと奥へと消えていった。
「あんまり大きな声出さないでよ……」
そう言うとアメリアはビールを口に運んだ。その様子をにらみつけるかなめの手が怒りに震えている。誠はできるだけ穏便にことが済むようにと願いながら様子をうかがう。
「でも確かに参考にはならないわね。アメリアさん達は普通のクリスマスの過ごし方をしたいんでしょ?」
春子の微笑みにカウラは苦笑いを浮かべていた。それを見て誠も頭を掻きながら周りを見回した。春子はグラスの縁を指で一周なぞってから、やわらかく笑った。
「……でも、ツリーの灯りと温かい皿、それだけでもう十分よね。本当は地球人ならやっぱり恋人と二人っきりって言うのが定番なんでしょうけど。特にこのモテない宇宙人の星である遼州ではファンタジーの世界と言われるくらいのあこがれだわ……」
それほど飲んでいないはずなのに春子は頬を赤らめながら遠い目をしてそんなことをつぶやいた。
「あの、春子さん……」
誠は三人の脅迫するような視線を浴びて情けなく声をかける。春子は笑顔で手にしたグラスの中のビールを一息で飲み干した。
「それに至るには私達の経験値が足りないのよ。だから、とりあえず家族や仲間でのクリスマスの過ごし方を体験しようと……」
珍しく焦った調子でアメリアは取り繕いの言葉を並べる。隣で大きくカウラがうなずいてみせた。
「そういうことなんで春子さん、何か『普通』の案を……」
ようやくタイミングが見付かり誠が声をかけた。その後ろではグラスにラムを注ぎながら威圧してくるかなめの姿があった。




