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瑞鏡王国

作者: 白崎なな

 瑞鏡王国(ずいきょうおうこく)という小さな国があった。階級社会があるものの、奴隷制度は廃止される等で住みやすい国でもある。




 この国では、大きなお屋敷に勤めることが一般階級女性の花形職業とされていた。所謂、メイド。しかし、メイドは職業であり誇り高い仕事だ。



 そして、各屋敷は国を支える役割を持つ。メイドになった場合の結婚は、実家で縁談話が持ち上がったときのみだ。基本的に、恋愛結婚は少数派。それも相まって、恋愛結婚を夢見る女性は後を絶たない。


 


 * * * *


 

 大きなお屋敷の廊下には、夕暮れの光が差し込んでいた。綺麗に磨き上げられた窓越しに見える庭の薔薇が、ゆっくりと揺れるのが見える。ノックをして、メイドの美月は執務室の中に入った。



 

「坊ちゃん、お茶のご用意ができました」



 

 美月は、優雅に見える髪を結った長いリボンとクラシックメイドの長い裾を揺らして歩く。静かに微笑む彼女は、柔和で優しさを感じさせる。彼女の言葉に恭太は視線を上げて、メガネのレンズ越しに目が細くなった。



 

「ありがとう」




 

 それだけを言って恭太は、また書類に視線を落とした。黒い髪を流して、ビシッとスーツを身につけている。第一ボタンまでしっかりと隠れるように、身につけられたネクタイは歪みなく正されている。真面目さを伺える恭太は、淡々と仕事をこなす。





 そのそばで、なるべく音を立てないように美月は心がけていた。20代と言う若さで家業を継いだ恭太と、恭太よりも歳上のメイドの美月。その関係に余計な感情など不要だった。




 しかし、恭太の心は違ったようだ。彼はずっと、彼女のことが好きだった。美月は、恭太が物心ついた頃に屋敷へやってきた。家族のような距離感ではなく、ただ主従関係として時を重ねてきたのだ。



 昔から彼女のことを『好き』だと感じていたものの、彼女の姉が恋愛結婚をして苦しい思いをしたことも知っていた。それだけに、屋敷の当主としての責任を感じて今までうまく踏み込めなかった。




 しかし恭太にとってこの感情は、単なる身近にいる人間へ対するものでは無いことを理解していた。だんだんとその気持ちも膨れ、最近ではメイドたちの中で話題に上がるようにもなっていた。



 

 書類に視線を落としていたはずの恭太は、美月の丁寧にティーカップを置く彼女の手元を見ていた。もちろんその視線に美月は気がつき、小さく咳払いをしてトレーを胸に抱いた。




 

「坊ちゃん、お仕事の時間です」



「今日は、少し話をしてもいいか?」



 

 いつもならこの言葉を聞けば、仕事をそそくさに片づけようとするのにも関わらず、今日は違うらしい。恭太は、握りしめていたペンをテーブルに置いた。



 そして、今しがた持ってきてもらった、ティーカップを口にする。黒のスーツを身にまとい、しっかり上まで閉めたネクタイ。キラリとひかるメガネ。彼の良さを引き立たせてくれる。




 

「もちろんです。何か気がかりなことでも?」



 

「僕は美月のことを、もっと知りたいんだ」




 

 なんとなくここ最近の坊ちゃんの様子が違うことに、気がついていた。それだけに、その言葉を聞いて美月は、手が僅かに震えた。彼女は冷静さを保つように、ゆっくりと一歩下がった。



 

「坊ちゃん、私たちはそういう関係では……」

「俺にとっては違う」





 恭太は、彼女の言葉に重ねるように言い放つ。その声は、真剣さがよく分かる。恭太にとっては、ただの侍従関係であることに早く終止符を打ちたいと考えていた。



 

「美月。僕はずっと特別に思っていた」



 

 その言葉に、美月は静かに息を呑んだ。彼女は、ゆるりと首を横に振った。



 

「随分と私の方が歳上ですし、何よりも身分が違いすぎます」


 

「そんなことは関係ない」



 

 恭太は、迷いなく言い切った。反して、美月の瞳は動揺と困惑で揺れている。それが迷惑だ、と言われているように感じさせた。姉のこともある、無理もない反応だろう。



 

「もし、俺の想いが迷惑なら、今すぐ忘れる努力をする。……少しでも、僕のことを考えたことがあるなら答えを聞かせてほしい」



 

 美月は、何も言えず黙ってしまう。長い間、彼の成長を見守り、屋敷での役目を果たしてきた。そして、彼が向ける視線に気づいてもいた。その恭太がくれる言葉や視線も、嬉しく感じていた。




 ふたりの間に沈黙が流れ、恭太の手にしているティーカップの紅茶の湯気は消えていた。何かを決めたようにして、美月はゆっくりと目を閉じた。




 

「私は……坊ちゃんのことを大切に思っています」


 

「本当か?」



 


 庭で赤い薔薇が咲き乱れるように、長年の想いが静かに咲いたかのようだった。嬉しさで恭太はにこやかに、冷えた紅茶に口をつけた。



 

 * * *


 

 翌日、屋敷の中はなぜかざわついていた。



 

「坊ちゃん、ようやくお伝えなさったって?」


 

「おふたりが結ばれたら、さぞ幸せでしょうね!」




 

 使用人たちは、当然のように話していた。むしろ、楽しそうにふたりをくっつけようとしているのだろう。確実な言葉にされたことはなくとも、恭太のアプローチはあからさまで誰でも分かるものだった。




 

 以前から紅茶を飲む合間に、『美月が、淹れる紅茶が一番好きだ』と言ってくれたり。何気ない時間に『美月は、ずっと僕のそばにいてくれる?』と聞いてきたり。その度に、美月は頭を悩ませてきた。美月も心のどこかで、恭太のことを想っていたのだ。



 そんな雑念を払い、なんとか仕事をこなしていた夕方、メイド長に呼び出しをされてしまった。


 

 

「メイド長、なんでしょうか?」


 

「噂は耳にしてます。坊ちゃんは、もう大人ですからね。私は賛成ですよ」


 


 これほど頭を抱えているというのにも関わらず、メイド長までも背中を押してきた。これは、この国の女性が恋愛結婚に強い憧れを抱いているからかもしれない。美月は大きく息をついて、恭太の執務室へ向かった。



 


「坊ちゃん、少しお話をよろしいですか?」



 

 執務室では、別のメイドが新たな紅茶を出していた。恭太は書類をめくる手を止め、ゆっくりと顔を上げた。そして、気を利かせたメイドが美月にウインクをして出て行った。



 みな、ふたりが付き合うことを期待している。


 


「どんな話でも、僕は嬉しいよ」


 

「私、坊ちゃんのことが……」




 

 美月は、言葉に詰まってしまう。やや下を向き、組んだ手をいじった。そんな姿の美月を見て、恭太は微笑んだ。




 その微笑みを見て、美月の顔はみるみるうちに赤く染まった。ぎゅっと目を瞑り、必死になっている。 これだけのアプローチを今まで一度も拒まなかった。もちろん、立場を理由にしていた。



 でも、心の底から嫌で言っているわけでないことは明白だった。きっと、彼にも伝わっていることだろう。恭太はゆっくりと立ち上がって、彼女の前に寄った。覗き込むかのように、顔を傾げた。



 


「その話、聞けるのを楽しみにしているよ」




 

 その言葉は、どこまでも優しくて甘さを孕み、美しい夕焼けに溶けていきそうだ。そんな最中、廊下を歩く使用人たちの楽しそうな声が聞こえてきた。むしろ、わざと聞こえてくるように言っているのかもしれない。




 

「美月さんの心も、きっと坊ちゃんと繋がっているわよね!」


 

「ええ、本当っ!」


 


 その声に、目の前に立つ恭太が笑い出した。手の甲で口を押さえ、上品な笑いだった。そして、ズレたメガネをなおして机の方へ戻った。



 窓の外では、夕陽に照らされた薔薇が大きく揺れた。幼かった恭太は大きくなり、今や国にとっても重要人物になっている。近くにいたはずの恭太が、急にどこか遠くに感じて思わず美月は手を伸ばした。かすかに指先が、恭太の背中を掠めた。




 彼は驚きを滲ませた表情で振り向き、ゆっくりと距離を縮めてきた。もうここまできたら、腹を括るしかない。そう思い、赤い顔をさらに赤くして口を開いた。



 

「私、坊ちゃんのことを想っています!」




 

 恭太は、ふわりと優しく抱きしめた。ぎゅっと固く閉じた目を開いて、彼の腕の中の心地よさを感じた。



 

「僕も、美月のことを愛している」



 


 優しく囁く恭太の声は、美月の心を揺する。美月は、彼の腕の中でそっと息を整えた。抱きしめられる温もりと大きな腕に、戸惑いながらもどこか安心感を覚えてしまう。恭太の早い鼓動が、静かに彼女の耳元で響いた。



 抱きしめていた腕を離して、恭太は美月の肩に手を添えた。恭太に抱き寄せられて下を向いている彼女のことを覗きこむ。まっすぐに美月のことを見る瞳は、真剣さを物語っている。




 

「僕の気持ちは昔から、ずっと変わらない。ずっとそばに居てほしい」



 

 

 その言葉に、思わず美月は目を伏せてしまった。使用人たちの言葉や恭太の想いが、反芻する。自分の心に浸透してきては、たくさんの壁が目の前に高く聳え立つ。



 年齢の差に、身分の違い。かつての美月の姉が、上流階級の屋敷に嫁いでいった。しかし、その縁談はもつれてしまい大きな傷をおった。




 美月にとって、それが何よりも大きな壁となっていた。その出来事を思い起こすと、胸をしめつけられる。




 

「私も……これからも、坊ちゃんのそばにいたいです。でも……」


 

「でも?」



 

 恭太はそんな彼女の心を知ってか知らずか、静かに美月の言葉を待つ。彼女の気持ちに真摯に向き合おうとしている。



 

「私はずっと、坊ちゃんのことを支える役目でした。でも、もし私が坊ちゃんの隣に立っても良いのなら……」




 

 彼女の声は震えていたが、恭太へ想いを届けようとした。恭太は嬉しそうに微笑み、大切なものを触るかのように美月の手をそっと取った。



 窓から差し込む夕陽によって、彼のメガネの縁が光る。美月の心のティーカップに、たっぷりと彼の愛が注がれる。



 

「もちろん。僕は美月が隣にいてくれたら嬉しい」

「はいっ!」



 

 その瞬間、屋敷の廊下では、使用人たちの歓声が小さく響いた。聞き耳を立てていたのか、と美月は戸惑いながらも微笑む。この恋が、どんな未来へ進んでいくのか。それは、まだ誰にも分からない。それでも二人は確かに、大きな一歩を踏み出したのだった。

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