第9話 気に入らない。とても気に入らない。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
いつの間にか隣に腰掛けていた子が、先程よりも長い溜息をつき、
「……どうしよっかなーーーーーーーー…………」
先程よりも長く懊悩を口に出した。そして、唐突に、
「私、気付いちゃったんだ……」
……私に言っているのかな? なにか返事をしたほうがいいのかと考えていると、
「昨日、木曜日だったでしょ?」
うん、確かに昨日は木曜だった。
「今日は金曜日だよね?」
そう、間違いなく今日は金曜日だ。
「明日は、土曜日でしょ? その次の日は、日曜日……。そしたら、その次の日は月曜日なんだよ……」
とても当たり前のことを口にしたかと思いきや、その背丈の小さめの子は、
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………」
と、先程よりももっと長いため息をつき、本日のため息最長記録を更新した。
「……ねぇ、あなた、転移魔法使えない? 飛ばしてほしいポイントがあるんだ……」
「……いや、わたしそんな魔法使えないけど……」
……一体何なんだろう? 本を読むふりをしながらこの子の横で、微妙な時間が過ぎてゆく……。
☆
私――緒川結依は物凄い事実に気づき、打ちのめされていた。あかりが部員となったので、次の日は休息をとることにして存分に休息したその次の日、つまり本日、金曜日の放課後。
さて、ちょちょいと3人目の部員を勧誘して、らくらくとVTuber部を発足させにかかるかと席を立った時、急に物凄い事実が私の頭に襲来してきた。
今日が金曜日なら、明日は土曜日だ。そして明日が土曜日なら、明後日は日曜日だ。そして明後日が日曜日なら、明々後日は月曜日だ。……そう、月曜日は期限の日だ。
そして私は、土日は学園が休日だということを、すっかりと忘れていた。
つまり、もう、部員勧誘を出来る日は今日だけなのである。
その事実に気づいた私は意識を失った。寧ろ気絶を飛び越え、死を体験していたかも知れない。
「え、緒川さん、突っ立ったまま死んでいるようだけど!?」
と、クラスメイトの子が死に直面している私に気付き、他の子達とともに呼び覚ましてくれたおかげで私は意識を戻すことができた。本当にありがとう。
しかし、再び意識が戻った私が最初に思い出したのは、もう本日の放課後しか部員勧誘できる時間がないという現実で、そのおかげで私はまた死にそうになった。
私は、半死のまま学園内を彷徨った。いま部活に励んでいる生徒たちは、もう私の勧誘には耳を貸さないだろう。
狙うならば、部活に入らないよーっていう所謂帰宅部の人達だが、私が死に直面していた時間が仇となったのか、学園内は閑散としている。
帰宅部の人らはもうとっくに帰路についてしまったようだ。
「まじ、どうしよう……」
時折自殺しようとしていた人を説得し、思いとどまらせ自殺を阻止した高校生が警察に表彰されたというニュースを目にすることがある。
そのニュースのコメント欄で、『自殺者にとってはいい迷惑だろw』『どうせ自殺する奴は助けられてもまた自殺を試みるのだから無駄なのに』などと書く心ない人たちもいるが、私はそういう類のコメントにはバッドボタンを連打していた。
もしかしたら、そうなのかも知れない。けれど、その人が少なくともその時には救われ、大いに元気づけられ、また生きよう! 生きなきゃ! って、思ったのは間違いなく事実だし、大変素晴らしいことだと思うから。
しかし今は、自殺するのをほっといてくれ! という人の気持ちも分かってしまう……。こんな希望が見えない現実なら、いっそ身を投げ出したほうがマシだという気持ちが……。
私は、閑散としている学園内をさまよい歩き、やがて一つの教室の扉を開け、中へと這入り、椅子に腰掛けた。
私の脳みそが『期日は休み明けの月曜日だから、部員勧誘は本日中に達成しとかないとまずいよ!』と書かれたカンペを絶えず私に見せ続けている。霊長類の頂点に立つ万能な人間様付属の脳みそなんだから、
私が今直面している事実だけを伝えるのではなく、その解決策を伝えればいいのに。本当にこれは、私の脳みそなのかな……? 今朝、登校中のどこかで、よりにもよってあまり頭がよろしくない人の脳みそとすれ違い様にすり替わってしまったのでは……との疑いを抱く。
そして、私は、大きくため息を吐いたのだ。
ふと、私の隣に腰掛けていた子に気付いた。そして、この教室内の匂いから、どうやらここは図書室らしいと知った。そして、私はこの子に、私の懊悩をぽろぽろと口からこぼしていったのだ。
☆
「そっかー、使えないかー、転移魔法……」
放課後に図書室でひとり本を読んでいたらしいその女子生徒なら、なにか不思議な魔法が使えるんじゃないかと一縷の望みにかけてみたのだが、その望みも弾けて消えた。万事休すだ。私の物語は、始まることなく終わりを迎えるのか……。
「……あなた、図書部員?」
このまま両者とも一言も発さない微妙な時間が続きそうだったので、私はその子にそう尋ねた。って、そんなの図書部員に決まりきっているよね……。
「え? ……いや、違うけど……」
うん、やっぱり。そうだよね、図書部員さんだよね。なんかそんな雰囲気出してたから。……あれ?
私の予想は外れたみたいだ。私は顔の向きを左へと動かし、よくよく観察するためにその子をまじまじと見つめた。
おや? 最初半死状態の時で入室した折にちらっと目に入ったその隣の女子生徒は、失礼だけど暗い雰囲気を出して岩波文庫の青帯を手に持っていたので、私の中では内気な文学……、いや、哲学少女と思ったわけだが、
じっくりと見た彼女は、全く内気な感じはしない、寧ろクラスでもカースト上位に入っていそうな趣だった。
驚いた、こんな子が岩波文庫の青帯を読んでいるなんて。
でも、どこか、やっぱり内気なような、自分からは1歩踏み出せないような……、うーん……、
「不思議な感じだね」
そう言ったら、彼女は微妙な笑顔をした。
私の脳みそちゃんが言っている。こういう微妙な笑顔をするやつはクラスのカースト上位には絶対入れないと。
「図書委員じゃないのなら、ここで何してるの?」
そう私は彼女に聞いたのだけど、そんなの分かりきっている。本を読んでいるのだ。きっと彼女も、『何言ってんの? 本読んでるに決まってるじゃん!』と、そう応えるはず、と思ったのだけれど……、
「え!? ……いや、えーと、……あはは。何してるんだろね……」
と、彼女は少しうろたえながら答えた。
彼女は、本を読んでいるとは答えなかった。
じゃあ、彼女が手に持っているそのセネカの『人生の短さについて』は一体何なんだろう。
私にはどう見てもセネカの『人生の短さについて』なんだけど、実はそうじゃなくて、そもそも彼女は手に本を持っていないのかも知れない。
……でも、だとすると、じゃあ手に持っているそのセネカの『人生の短さについて』は、なんなんだ……?
私が難解な?の堂々巡りに陥っていると、
「……私、ダンス部に入ろうと思ってたんだ」
多分、彼女は、はじめて心の内を発語した。
♢
ダンス部……。わたしはきらきら学園のダンス部の部室の場所を知らなかった。でも、今は知っている。
だって、先程からこの図書室の私が座っている東側方面から、『新入生ー! 気合足んないよー!』というおそらく部長の叱咤する声や、読書するのにとても気が削がれるくらいのダンスのBGMが絶えず壁を貫通してきているからだ。
ダンス部部員たちの足踏みに合わせて、ぴらっ、ぴらっと図書室内の張り紙も捲れるのをやめない。
大変読書する場に相応しくない図書室内となっている。ここの図書部員はよく抗議しないな……。この調子じゃ放課後に図書室を利用する生徒も少ないだろう。
「じゃあ、入ればいいんじゃない?」
と、隣室から響いてくるBGMにはかき消されないくらいの声量で彼女に言う。
「うん……、でも、わたし、ダンス下手だから……」
……。
「下手なら練習して上手くなるんだよ! そのための部活でしょ」
「いや、レベルが違うんだよね……。私じゃ、毎日怒られて、そのうち退部勧告出されるかも」
…………。
「そんなにうちのダンス部はレベルが高いの?」
「うーんと……、というか、私のレベルが低すぎなんだよ。現状、私じゃ小学生のダンスクラブでも話にならないって言われるんじゃないかな」
……なんか、…………なーんか、なーーんかこの子、なんというか……。
この子をじっくりと観察した時、しゅっとした大人びた顔立ちに、黒髪に青のインナーカラーを格好良く入れ、クラスのカースト上位の人間と言われても納得する雰囲気を醸し出しているのに、
そんな子が手に開いているのがセネカの『人生の短さについて』だというギャップが私を驚かせたものだが、彼女とのまだ少ない会話だけでも、この子が外見とは釣り合いが取れていない内面を持っているということに気付いた。
とてもぐずぐずしている。
私の脳みそちゃんも言っている。ぐずぐずしている奴は、クラスのカースト上位に立つことはない、と。
煮えきらない態度の子にも一定の寛容を持つ私でさえをも少しいらつかせるこの青色インナーカラー少女。……気に入らない。とても気に入らない。
私は、ばっといきなり椅子から立ちあがって、その青色インナーカラー少女の手を取り引っ張った。
な、なに……? と、振り向かなくても伝わるその子の戸惑いにも、その子が持っていたセネカの『人生の短さについて』が机に落ちた音にも構わず、ぐいぐいと進んでいき、扉を開いて図書室に失礼して、
隣室の、一段とBGMが大きく聞こえるようになった☆めちゃめちゃだんす部☆の部室前に立ち、勢いよく扉を開け、開口一番、
「たのもーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
と叫び、☆めちゃめちゃだんす部☆にかちこんでいった。