第6話 びびってないし……、びびってないし……。
きらきら学園の西校舎の2階、音楽室の前で逡巡している1人の女の子がいた。短めの金髪に学校制服、右肩にギターケースを背負っている。
「びびってないし……、びびってないし……」
そうして、いざ軽音楽部の横引き戸の引手に手を掛け引こうとするのだが……、
「でさ~、あ~しの元カレがうちのまえで待ち構えててさ~」
「うわっ、まじ!? ストーカー化してんじゃん!」
扉の向こうから聞こえてきた会話に開けようとした動きを止め、手を離す。
「びびってないし……、入部しようとした軽音楽部がギャルの巣窟だったくらいで……、びびってないし……!」
この音楽室の内より聞こえてくる会話から中の人物たちを推測しろという問題を出したら、100人中100人がギャルと回答するほど、その部室の中から聞こえてくる声はギャルだった。
先程から、ギターやベースやドラムの音は一切せず、ひたすらギャルの会話が音楽室から響いている。時折1人男子の声も聞こえるが、ギャルたちと会話をしっかりしている。少なくとも陰キャ男子などではない。
「今日で3日目……。私、何してるんだろ……」
どうやらその金髪少女は、入部しようとした軽音楽部の部室でギャルが楽しく会話していることにびびっているらしかった。
とても、ロックな相貌で、少しく男性的な性質で、目をギラつかせたら子犬くらいは震え上がらさせることができる様な雰囲気を持っているのに。
「部活説明会の時、姿を表さなかった時点で察すべきだった……」
軽音楽部の面々は、部活説明会の時に誰一人説明会に来なかった。ただ進行役の生徒が1枚の紙を持ってきて、遠目にその紙を新入生らに見せただけだった。
その紙は、『軽音楽部部員大歓迎~♡気軽に部室まで来てね~!待ってるよ~☆……あ、部室は音楽室だよ~』という文字がバンド演奏している学生たちのイラストともに添えられているものだった。
この金髪少女はその時、態々説明会に来て説明せず、チラシだけで部員を募るその孤高な振る舞いに痺れて入部を決意したようだが、
今考えるとその紙に描かれていたバンド演奏している学生たちの風貌はめっちゃギャルだった。
「……いや、ワンチャンいける……筈だ……」
自分はギャルではないが、ギャルの中に混ざっても別におかしくないとの驕りを持っていた彼女は再度引き戸の引手に手を掛け、開けようとしたが、
「そんなストーカー化男忘れて、次の彼氏探そうぜ~! 紹介するよ!」
「う~ん、いや、そうなんだけどね~。あ~し、そん時頭おかしかったんか感動しちゃって、そのまま元彼うちに引き入れて、一発やっちゃったんだよね……!」
「えぇ~、何してんの!?」
「引くわ~」
「あ~しもやり終わった後、何してんだろ~って思ってさ~笑」
開けようと思っていたみたいだが、この会話に彼女は軽音楽部への入部をすっぱり諦めることにした。
先ほどまでちょっぴりギャルの中に混ざっても別におかしくないと思っていた彼女の驕りは跡形もなく崩れ去っていた。
踵を返して、音楽室を後にしていく。
「……まぁ歌は家でもできるし」
とぼとぼと音楽室から離れ、もうギャルたちの声も微かに聞こえるくらいになった時、ふと、お気に入りの音楽を聞こうと思い立った彼女はスマホを取り出し、イヤホンを耳に嵌めるため立ち止まった。
その光景を、1人の桃髪少女が階段の踊り場で目撃していた。
♢
「……そろそろ部員を探しに行くかー」
私――緒川結依は、中庭で紙パックのジュースを飲み干して、きらきら学園の中へと入った。
VTuber部の部員を探して3日目、そろそろ1人目に入部してもらわないとまずいかもと思い始めていた。
部員探し初日から本気を出したら後に響くと思い1日目は休息を取り、2日目は曇り空だったから、運勢わろしとの天からのお告げだろうと思い帰宅した後の3日目だ。
木々に鳥たちがぴよぴよ囀っているこの日。私はようやく部員勧誘を始めることにした。
とはいってもどこを探すべきだろうか……、辺りを見渡してもすでに新入部員はそれぞれの部室で部活に励んでいるし、部活に入らないよって人たちはもうとっくに帰っている。
そこかしこから部活に励む生徒の声は聞こえるが、学園内は閑散としていた。
「とりあえず、まだ行ったことのない場所に行ってみよう」
そう決めた私は、ここはまだ行ったこと無いなーという場所を学園マップで確認してみると、西校舎の2階が目に付いた。うん、ここはまだ足を踏み入れたことがない場所だ。
というわけで、れっつらごー!
とっとっとっと、西校舎の2階を目指して歩みを進めていき、階段の踊り場に着いた時だ。
見上げると、1人の学生がいた。
金髪のショートカットヘアーにギターケースを抱えたその学生はイヤホンを耳にはめようとしている。その格好は、まさにミュージシャン志望って感じだった。死亡じゃないよ?
子猫がしゃー! っと威嚇してくるような尖った気だてを感じさせるその学生に、私の目は惹かれた。私は階段を音を立てず駆け上り、その子に向かって、
「何してるの?」
と話しかけてみた。
「……え? ……いや、音楽……聞こうとしてるんだけど」
ちょっとだけびっくりした顔をした彼女は、しかしすぐに気取られぬよう表情を戻して無愛想に私に言った。
「もしかして、軽音楽部の子?」
この西校舎2階には音楽室がある。たしかそこが軽音楽部の部室じゃなかったっけ。部活説明会でそう見た憶えがある。
だから、ギターケースを持ちその音楽室に続いている廊下に立っていたこの子はかなり高い確率で軽音楽部の部員じゃないかって思ったんだけど。
そう私が聞くと、彼女は一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、すぐに冷静たる趣を表情に戻して、
「いや、違うけど?」
と、返したので、私は、
「じゃあ、どうして、ギターケースを背負っているの?」
と、無垢な少女の心持ちで彼女に聞いた。
……彼女は露骨にばつが悪そうな顔をした。ふと左を向くと、突き当りに、音楽室の室内札が掲示されている教室がある。
そこから、初めは聞き違いと思ったが、どう聞いても間違いなくギャルっぽい、というか100パーセントギャルの声が聞こえてくる。え、ギャルなんだけど……。
1000万円と1100万円の2つのスピーカーの微妙な音の差異をもはっきり聞き分けることができる著名なオーディオビジュアル評論家の耳を以てしてもこれはギャルの声です、と太鼓判を押す声が音楽室から響いている。
「ねぇ、ギャルが音楽室にいるよ!」
って驚きと嬉しさを混ぜ合わせた面持ちで私は、ギターケースを背負って突っ立ている金髪に話した。
「そう……みたいだな」
と、金髪はそっけなく私に返した。どうも様子がおかしい。ギャルが音楽室にいることがなんか不味いみたいな感じ。
私は音楽室から聞こえるギャルたちの談笑と、そこから距離をおいて佇んでいたギターケースを抱えたこの少女の構図を思い浮かべ、脳内でよく分析してみた。その結果が、私の脳に一つの推察を浮かばせた。
「……もしかして、軽音楽部の門戸を叩こうとしたら、中からギャルの声が聞こえてきたのでやめて帰ろうとしていたの?」
その言葉は、この少女の決め所を突いたらしい。私の何気ない言葉に物凄い攻撃をくらった顔をした。別に私は物凄い攻撃をくらわすつもりはなかったんだけど。
この、金髪ショートカットで、ギターケースを抱え、世の中に心の中で中指を立ててそうな趣の女の子が、
入部しようとした軽音楽部の部室から聞こえてきたギャルの声に怖気づいて踵を返し、むざむざと家に帰ろうとしたってことでいいのかな?
よし! それじゃ私がこの子を軽音楽部に入部させてあげよう! 軽音楽部のギャル部員がどんな人たちなのか見てみたいしね。そりゃ間違いなく、ギャルなんだろうけど、生のギャルを目にしたいのだ。私は、この中指フ☓ックガールの手を取った。
にっこりと、やさしく笑顔を浮かべ、
「それじゃ、行こっか!」
と彼女に言うと、その手を引っ張り軽音楽部の部室である音楽室の扉の方へぐいぐい前進した。この女の子を軽音楽部に入部させてあげるんだ! というしっかりとした意志をもって。
「え、いや、ちょっと……」
私に体を引っ張られた金髪少女は、最初、……え、……何なの? という感じで大人しく引っ張られていたが、自分の身体がどうやら音楽室の方向に引っ張られていることに気付き、
もしかして、部室に入ろうとしているのかという疑念を抱き、いよいよその疑念が確信になったとき、ぐっと体に力を入れ、私の引きを全力で遮断にかかった。
「おい、……いや、待って、……何しようとしてんの?」
と聞いてきたので、私はやさしい声音で、
「……入部したいんでしょ? 軽音楽部に。でも急に聞こえてきたギャルの声に、ちょっとびびっちゃったんだよね。大丈夫、任せて! 私があのギャル先輩たちにその趣旨を話してあなたを入部させてあげるから!」
「……いや、待て、……待って! ていうか、びびってないし!」
「あぁ、趣旨を伝えるって、あなたが音楽室の前でびびってたことを伝えるんじゃなくて、入部したいってことを伝えるってことだから、安心して!」
「いや、そうじゃない、……そうだけど、……いや、そうじゃなくて!!」
音楽室の扉まであと数歩。今の私の心持ちは、はじめてギャルの部屋を訪れる男子高校生のそれだ。とてもどきどきしている。はっきりいえばこの子の入部なんてギャルの部屋に入るための口実なのだ。
私はギャルの部屋に入りたい。そしてその空間の空気を思いっきり吸い込んでみたい。
きっと、富士山の山頂に到達し、空気をすいこんだ感覚と同じレベルを味わえるんじゃなかろうか。
私の手が、ギャルの部屋の扉に、いま、掛かる――その瞬間、
「!??????」
私の体が床より浮き上がる。おー、私、浮遊魔法使えたんだ! って、びっくりしていたら、そのまま私の体は向きを変え、けっこうな速さで2階から1階へとひゅいーんと飛んだ。
飛んでいる途中、私の体を誰かが抱えている感覚があることに気付き、それによって私は浮遊魔法を使っているんじゃなく、金髪のショートカット女に抱えられてギャルの部屋の前から移動させられているんだと理解した。
そしてそのまま、1階の廊下を駆け抜けて、外に通じている外廊下から中庭へ出ると、疾走していた金髪少女はそのままベンチに私を放り投げた。
いててて、怪我したらどうするの! と私が文句を言おうとした時、
「……お前、一体何のつもりなんだよ!」
って、なぜか私のほうが文句を言われた。