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「な、ななな、なんで、こんなのが俺に……」

「さぁな。模様の意味に気付かず買って善意で君にあげたのか、それとも知った上であげたのか……もしくは念を込めて作って君にあげたのかもしれないな。異常者の心理は俺たち常人には分からないよ。まぁ、だからそれを書くのが楽しいんだけどな」


 穂積さんは楽しげに喉の奥で笑うと、しゅるり、とエプロンの紐を解いた。

 そしてそれを俺から脱がせると、紺地に乱舞するおぞましい文字たちをしげしげと見つめた。


「すごい作り込んでるな。微かにだが独特な臭いがする。この糸、もしかすると白髪を赤く染めたものだったりするかもな」

「笑えない冗談やめてくださいよ……」

「俺は冗談なんて言わない。そんなこと考えるのも口にするのも時間と労力の無駄だ。冗談というのは馬鹿が己の低能さを誤魔化すために使うもので、俺には無用の長物だ」

「……嫌みは言うくせに」

「嫌み? 事実を述べているだけだが、それを嫌みと受け止めるということは、図星ということだ。人間、自分の本質を言い当てられると防衛反応として怒りを覚えるからな」


 この嫌みを口にする時間も無駄以外の何ものでもないと思うのだが、それでも、こういう状況ではいつもと変わらない穂積さんの悪態に安堵する。

 まさか穂積さんの嫌みにほっとする日が来るとは思いもしなかった……。


「知り合いに呪術に詳しい人間がいるから処分して貰ってやろう」


 穂積さんはエプロンを持ってスッと立ち上がった。


「……これをあげた人間の真意は分からないが、近付かないほうが賢明だな。いくら脳みそが腐りかけているとは言えそのくらいは分かるだろ?」


 穂積さんの嫌みが気にならないくらい怯えきった俺は、コクコクと何度も頷いた。その様子に満足したように目を細め歩み始めた。


「あ、そうだ」


 脱衣所を出る前に、穂積さんが振り返った。


「この後料理するんだろう? いいエプロンがあるから貸してやろう。後でここに置いておく」


 恐らくあのばあやさんが使っていたフリルのエプロンだろう。替えは持ってきていたが、ここで断ってへそを曲げられては困る。あのエプロンはプロの手で処分して欲しい。

 フリルを拒絶する男の矜持を押し殺しながら、俺は小さな声で「……お願いします」と答えるしかなかった。


 

 その日、穂積さんの嫌みは健在ではあったが、なぜか機嫌が良かった。

 どうやらこの人は機嫌の善し悪し関係なしに嫌みを口にしないと生きていけないようだ……。


 

 ****

 

 後日、穂積さんに言われた通り、櫟原さんには今後近寄らないようにしようと会社に指名解除を頼もうとしたが、その必要はなくなった。


 櫟原さんが自殺したのだ。


 鍵をかけた自室で首をナイフで切り裂くという惨たらしい死に方だったらしい。

 遺書はなかったが、首の切り裂いた傷口を掻き毟った痕や壁に残された血文字に、誰の目から見ても気が触れてしまったのは明らかだった。

 後に、穂積さんが裏で入手した部屋の写真に俺は絶句した。遺体こそなかったが、俺の見知ったその部屋は酸鼻極める光景に変貌していた。

 だが、俺が一番恐怖したのは、壁中に書かれた『死』の鏡文字だった。狂った歓喜を横溢させる踊り子のようなその癖のある文字は、忘れられるはずもなかった。


「はは、人を呪わば穴二つとはこのことだ」


 部屋の写真を震える俺の手からスッと取り上げると、穂積さんは自分の机に腰を下ろした。


「事実は小説より奇なり、と言うが、あまり独創性のない死に方だな。まぁ所詮、事実も小説も人間が作り出すものだから仕方ないことではあるか」


 そう言って、ライターで写真に火を付けると灰皿に放った。


「……穂積さん、何か、したんですか?」


 火に蝕まれていく写真を見ながら、恐る恐る訊ねる。

 穂積さんはフッと笑った。


「まさか。俺は何もしない、というかできない。俺はしがない人気ミステリー作家だからな」


 肩を竦めてみせるが、その真意は分からない。


「それに仮に俺ができたとしてもこんな陳腐なやり方は絶対にしない。君の質問は至極失礼なものだよ。プロの殺し屋に祭りであの射的を全部倒したのはお前か、と訊くようなものだ。全くプロを舐めないでもらいたい」

「……それは失礼しました」


 いつもの具合で早口に嫌みを言われはぁ、と大きく溜め息を吐いた。


「まぁ、これに懲りたらむやみに人からものを貰うのはやめとくことだな。あ、新しいエプロンは今注文してるから、届いたら即刻その安物は捨てるように」


 穂積さんはこんな安物を着ている人間の神経を疑うとでも言いたげな視線を、俺が百均で買ってきたエプロンに向けながら言った。


「……言ってることと矛盾してません?」


 むやみに人からものをもらうなと言ったその舌が乾かぬうちに言うのだから恐らく自覚はないのだろうが、一応突っ込んでおく。


「矛盾? 俺ほど整合性のある人間はいないと思うが」

「……はい、そうですね。有り難く頂戴シマス」


 下手なことを言って機嫌を損ねても厄介だ。俺は早々に話を切り上げて、家政夫の業務に戻ることにした。

 書斎を出る前に、一度だけ、引き寄せられるようなものに逆らえず振り返って灰皿の方を見ると、消えかけた火の中で何かゆらりと舞った気がした。


 ―了―


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