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「は? なぜそうなる? 俺は厚意で、高級品の使い所を提供してやろうと言っているのに、なぜ俺が金を払わないといけないんだ。むしろ謝礼金をもらいたいくらいだが、俺も鬼じゃない。貧乏人からボロ雑巾のような身ぐるみを剥がすような非道な真似はできないさ」


 ひどい言われようだ。鬼の金棒で痛めつけられたかのように俺の心はボロボロなんですけど……。


「というか君の頭は大丈夫か? 賞味期限切れの安物しか食べてないから頭がおかしくなっているのかもしれないな。食は大事だぞ、新田君。仕方ないから今度出掛けた時は、その腐りかけの脳みそを少しはマシにしてくれるものを食べさせてやろう。ここの掃除が終わったら、俺の書斎に来い。日程含め、計画しようじゃないか」


 穂積さんは心なしか楽しげにそう言うと踵を返して、書斎の方へ向かって行った。


 ……どういう展開だ?


 まさか穂積さんと仕事外で会うことになるとは思ってもいなかった俺は、穂積さんの鬱陶しいほど過剰にまとわりつく嫌みのせいもあり、なかなか言葉の意味を解せずにいた。


「……あ。あと、新田君。そのエプロンのことだが」


 少し離れた書斎のドアから、思い出したように半歩下がって穂積さんが言った。


「なかなかいい趣味をしていると言ったが、人から貰ったものとなると話は別だ。君のために言っておくが、そのエプロンは即刻脱いで捨てるなり燃やすなりした方が身のためだぞ」

「え? なんでですか?」


 珍しく褒めたと思ったのに、この数分でこの手の平返し。しかし、偉そうな口振りはいつも通りだが、嫌みを含まない純然たる忠告めいた言葉になんだかかえって不安になった。

 しかし、穂積さんはくすりと不安を煽るような笑いを零すだけで「鏡でじっくり見てご覧よ」と意味深な言葉を言い置いて、書斎へと入って行った。


 なんだよ、勿体ぶった言い方して……。


 首を傾げつつも、廊下の拭き掃除を再開した。

 

 ****

 

 廊下の拭き掃除を終えた俺は汗をかいていたので、シャワーを借りることにした。

 俺は脱衣所のドアを閉めて大きく溜め息を吐いた。

 穂積さんの家の廊下は長すぎる。そのせいで、体はいつも以上に疲れきっていた。いや、今日だけじゃない。ここ一週間ほど体調があまりよくない。

 三日前に仕事で入った櫟原邸でも貧血を起こしてしまった。優しい櫟原さんは心配して部屋で休ませてくれたが、穂積さんなら鞭で叩いてでも起こして働かせそうだ。

 鞭を打たれる前に、シャワーで体をリフレッシュさせて早々に仕事を終わらせよう。そんなことを考えながら服を脱ごうとして、ふと脱衣所の鏡を見て、穂積さんの言葉を思い出した。


『鏡でじっくり見てご覧よ』


 妙に意味深に寄越された言葉を思い返しながら、エプロンの裾を持ち上げじっと見つめる。

 特段変な箇所はない。静謐な雰囲気が漂う深みのある紺地に、象形文字のような細かな模様が深紅の糸で縫われているそれは、素人目で見ても洒落ていることがよく分かる。

 自分のあげたものを着ないで他の人から貰ったものを着ているのが単に気にくわないだけなのかもしれない。あの人はそういう子どもっぽいところがある。もちろん可愛らしい子どもではなく、妙に頭がいい生意気な子どもだ。

 布地から視線を上げもう一度鏡に映る自分を見る。やっぱり特段変な所は……――。


「……ッ、ぁ、あ、ぅああああああっ!」


 〝それ〟が意味を持って俺の目に映り込んだ途端、思わず叫んでしまった。

 まるで枯れ葉に擬態した虫が姿を現し、にやりと不気味な笑みを向けるようなおぞましさが戦慄と共に体を駆け巡る。

 今まで模様としか認識していなかった深紅の糸で描かれた〝それ〟は、鏡を通してみると、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死……とおびただしい〝死〟の文字が羅列されていた。

 妙な癖のあるハネ具合がまるで踊り狂うかのような躍動感を醸し出しているのがまた胸の悪さを煽った。


「ははは、やっと気付いたかい」


 腰を抜かして鏡と対面している俺の後ろに、気付けば穂積さんが立っていた。


「ほ、穂積さん……、こ、これって……」


 ガタガタと体を震わせながら、鏡に映る不気味な文字を指差す。


「見ての通り『死』だな。ああ、君には難しい漢字だったかな?」

「わ、分かりますよ、そのくらい! そうじゃなくてなんでこんな……今まで全然気付かなかった……」

「当たり前だろ。これを作った人間は気付かれないようわざわざ鏡文字で縫っている。ご丁寧なことだ」


 俺の横にしゃがむと、穂積さんはエプロンの裾を持ち上げて呆れたようにもしくは感心したように笑った。

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