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マリー・エヴァンスの身の上に起こる理不尽な出来事

作者: 神崎みこ

マリー・エヴァンスは、とりたてて特徴のない少女である。

健康で、快活で、それなりにかわいくて。

田舎で牧畜が盛んな家の、第二子で長女。周囲から愛され、ゆくゆくは牧場を任せている一家へと嫁ぐことが望まれている。そんな、平凡で普通の少女だ。

そんな彼女が見るからに高級そうな茶器を手に持ち、ぴしりと体を固まらせていた。

目の前には、この世のものとは思えないほどの美貌を持った青年が、出会った瞬間とはおよそ違う表情を浮かべながら、話し続けている。


 マリーの座っているこの場は、いわゆる見合いの席である。

遠い、ほんとうに遠い縁戚から持ち込まれたこの見合いは、本人も家族も、周囲ですら成立しないことを前提に行われていた。

なにせ、相手がこの国筆頭貴族であるヴィンセント・ウィンスレット、だからだ。

そんな天上人とも言える男との見合いが持ち込まれたのには、もちろん理由がある。

このヴィンセントという男、いや、この家には非常に厄介な噂が付きまとっているのだ。それこそ、田舎で牧歌的に生活をしているマリーの家にも届くほどに。


 ひとつは、ヴィンセントは妖精の取り替え子、である、という非常に現実味の薄い噂。そして、ヴィンセントの実母が第一子を出産して儚くなってから、次々といなくなっている後妻たち、という現実的な噂。そのどちらもがおもしろおかしく、そして恐ろしげに伝播していった。

もちろん、マリー自身も、妖精云々、という噂は信じてはいなかった。だが、ヴィンセントの類いまれなる美貌は、確かにそう言われてもしかたがないものかも、と、ある意味納得してしまった。

肖像画にある実母とも、最初に挨拶をした実父ともまるで似ていない。精巧な人形といった方がしっくりくるその容姿。感情をまるで見せない表情。

ただ、晴れた空の色を閉じ込めたような、輝度の高い水色の宝石のような色の瞳だけは実母由来なのかも、と思わせてはいた。

着席を促され、香り高い茶が二人の前に供された。

緊張しながらもそれを一口含んだとたん、美貌の男が顔色を変えたのだ。


「味が、する」


謎の言葉とともに、マリーはヴィンセントの婚約者になることが決定してしまった。


「私は人間ではないからね、子供はできない。まあ、そんな些末なことはどうでもいいことなんだけどね」


興味なさそうに、ヴィンセントが伝える。

あっという間に花嫁にされ、主寝室へと促されたマリーは、開口一番の夫の言葉に、呆然とする。

貴族家への輿入れは、当然血を繋ぐことを主目的としている。家を盛り立てるため、という目的もあるにはあるが、もっとも大切なのは次世代を産み育てることにある。

そんなことは末端貴族であるマリーですら理解している。

かわいく、将来の夢はお嫁さん、と思っていたとしても、だ。

だが、それが最も強く認識されているはずの貴族家の長男が、まるで意に介していない風に言ってのけたのだ。

初々しい花嫁に相応しい部屋着に着替えさせられ、うろうろと寝台付近を歩いていたマリーは完全に固まってしまった。

後半部分だけでマリーの思考は停止してしまい、人間ではない、という部分にまで思いが至らなかった。

混乱したままのマリーは、夫に促され、二人仲良く寝台に横たわった。

そして、すぐさま眠りに落ちた夫と、身じろぎもできずに朝まで一睡もしなかった妻の二人は次の日の朝を迎えた。


「ん、おいしい」


食堂で、大きな食卓用のテーブルにもかかわらず、わざわざマリーのすぐ横に席を設け、座ってしまった夫は上機嫌に朝食を食べている。

確かに、マリーの実家に比べればその質や種類は確かなものだ。

だが、生まれついてずっとその生活を送っているはずのヴィンセントが言うには違和感がある。

食欲のないマリーは、少々の果物を口にして食事を終える。

そんな彼女のことなど気にしていない夫は、上機嫌でマリーに挨拶をして出仕していった。





「申し訳なく、思ってはいるんだ」


見合いの席で少し顔合わせをして以来、会えていなかった義父が頭を下げる。

この家にふさわしく、非常に優秀な人間だと伝え聞いた義父は疲れた表情をみせていた。夫、実の息子がそばにいても視線すら合わせず、ただひたすら時が過ぎるのを待つように過ごしていたことをマリーは覚えている。

親子仲が悪い、という単純な言葉では表せられない何か。

そう、まるで義父が息子を恐れているかのような。


「あの、お義父様。ヴィンセント様は子供はできない、と」


隠していても良いことなど何一つない、とばかりにマリーが告げる。

これでマリーを放りだしてくれれば、それはそれで上々だとも。


「ああ、ああ」


だが、義父は両手で顔を覆い、マリーの望む言葉は吐き出してくれない。


「あれは……」

「人間ではない、ですか?」


昨夜告げられた夫の言葉をようやく思い出す。

彼は、自分自身を指して人ではないと。

義父は静かに首肯する。

声にならない、なにかを呟きながら。

一通りの悔恨めいた義父の独り言ののち、ようやく彼は口を開く。

思えば、貴族同士の婚姻にもかかわらず、マリーの家とウィンスレット家はあまりにもやりとりが少なかったのだと疑問が浮かぶ。

吹けば飛ぶような家と、国の中枢に根を張る極上の貴族の間には深い溝があるのだとばかり楽観的に思っていたのだ。


「あれは……あれは、本人が言う通り、人間では、ない」


途切れ途切れに伝えられる言葉は、耳には届くけれども、理解には少し時間がかかる。

神の御技や見えざるものたちのいたずら、そういったものはこの国では特殊に珍しい、というほどではない。だが、やはり一般的には自らの身には遠い出来事で、それは所詮おとぎ話といったくくりに入るものだ。

ヴィンセントにある「取り替え子」も、母親が子供に語って聞かせる架空の物語であり、それを確かな事実だと受け取っている人間はほとんどいない。

それでも、義父が語るその言葉は世迷い言を、と言い捨てるには何某かの真実を含んでいるように思えてしまう。

マリーは我が身を抱えるように抱き締める。


「長男が生まれて、けれども妻は弱ってしまっていてね」


お産はいつでも危険と隣り合わせだ、それは別に自然の出来事でもある。


「自分で迎えに行くことができずにいてね、妻は長男を手元に置きたがったんだ」

「もちろん、乳母はちゃんと控えていたけれどね」


おそらくこの家ならば、それなりの乳母を雇っていたのだろう。庶民に近いマリーの家では想像しかできないけれど。


「部屋へ入ったら、乳母が眠りこけていて、そして妻も。妻も静かに眠っていたようだったんだ」


語る義父はどこまでも辛そうな顔をする。

大切な長男と、妻、そのどちらも失ったのならば、それも当たり前のことだとマリーは彼の言葉を聞き逃さないようにする。


「妻を見て、そして長男の方に目を向けたら、もうすでにそこにはあれが替わりに置いてあった。まるで最初からそこにいたかのように」


そしてまた、義父は静かに涙を流す。


「咄嗟に長男の名を呼び、そして妻の名を……」


そこで、おそらく義母も儚くなったのだろう。

夫の声で起きてみれば、明らかに自分の子供ではない何かががある。それを知ったときの彼女の気持ちはいかほどだったろうか。現実味がなく、それでも不可思議な出来事が起こったのだと理解してしまえるほどの異質な空気。

それは、マリーも夫であるヴィンセントと対峙しているときにつねに感じている違和感から、理解できてしまう。

一瞬で、本当に一瞬で彼は全てを失ってしまった。


「あれは、人ではない。なのに長男と目の色だけは同じだったんだ」


それは、マリーがよく聞かされたおとぎ話にもある取り替え子の話そのもので、妖精が気まぐれに自分たちの子を人間の子を取り替えるのだとか、気に入った人間の子を祝福を与えて強化するのだとか言われている。その子供が見つかったことはあまりない。幸いな例として、近所の家にきまぐれに放り投げられたその子がもどってきたと、おとぎ話の中にある。おとぎ話ですら、その程度の救いしか示してくれないのだ。どれほど残酷で、人間にとっては最悪な出来事なのだろう。

マリーは子供の立場しか経験はしていないけれど、親の気持ちは痛いほどわかる気がする。

そんな重い過去の「いたずら」も、恐らく義母由来の幼子の瞳の色が気に入ったから、というとても軽くて、相対するにはおよそ釣り合わない理由で行われたのだろう。

あれはそういう存在なのだから。


「それから先は噂通りだよ」


静かにそう言い切る。

彼らの子供ではない何か。


「マリーさんは、どういうわけかあれに気に入られてしまった」


義父いわく、長男のふりをした彼は、興味もなさそうな顔をして、それでもこのウィンスレット家を辱しめることだけはしなかったらしい。長男の仕事をこなし、そして言われるままに見合いをし、それなりの体面を保つ。

けれども、彼は決定的に「人」ではない。

周囲の感情など気にすることはないし、どれだけ冷たい視線にさらされたところで、苦にする素振りすらない。

幾度となく、この家の家長として詰め寄った義父にしても、彼はのらりくらりと、少しの感情ものせない視線でしれっとすべてに答える始末だ。


「すまない、だが、自分にはもうどうしようもできない」


義父はそう吐露し、具合をずいぶんと悪くして医師に付き添われて退室していった。

この家は、もはやヴィンセントに支配されている。

昔からいる家のものたちはそのままだ、けれども、長男であるヴィンセントに意見できるものはいない。

そのことだけがマリーに痛烈にのしかかる。

牧歌的で穏やかな実家はあてにならない。

遥かに高い立場にいる義父は頼りにならない。

そして、肝心の夫は、彼女の理解の範疇を軽く越えた何か、だった。




 マリーは平凡で普通の少女ではあるが、生活能力と生命力には長けた少女だ。

それは、もちろん貧しい生活ながらも両親に愛されて育ち、自然に恵まれた領地で健やかに育ったおかげでもある。

王都どころか最も近くにある学園にすら通えはしなかったが、地頭はよい。時おり、領民に混ざって教会で読み書きを習い、明らかに訳ありではあるが、いつのまにか領地に住み着いた学のある男に少々高度な学問の手習いを受けてもいた。それは両親にも黙っていたことだが。


「あの、旦那さま」


マリーは、まだ慣れない距離で食事をとっているヴィンセントに頼みごとをする。

婚姻した彼とは、相変わらず清い関係のままだ。

帰宅した夫はマリーを離さず、必ず隣に置く。食事も隣、仲良く寝室へ入り、隣にならんで寝る。起きればやはり、必ずマリーを隣に侍らせ、食事をとる。そして渋々、といった風情で出仕していく。

だが、それだけだ。

接触もなく、会話もなく、ただそばに侍らせるだけ。

それでヴィンセントは十分満足しているようだ。

周囲はそれを恐る恐る見守っている。

マリーとしても、別に困ることはない。

食事も出るし、着るものにも困らない。まあ、割合と快適だ。

だが、決定的に自由がない。

ヴィンセントは彼女が外へ出ることを厭う。それは彼が屋敷にいない時にも適用される。すっかりヴィンセントに支配されている屋敷の人間は、きっちりとマリーを監視している。

買い物ひとつできず、気晴らしに外へ、といったことですらさりげなく禁止されている。だからといって、マリーを伴って夜会などに参加することもない。

彼女は、嫁いできてずっと、この屋敷と庭以外の場所へ足を運んだことはない。


「家庭教師の先生を呼んではいただけませんか?」

「家庭、教師?」


ゆっくりと茶を飲みながら、瞬きを一つして疑問を返す。

ヴィンセントはもちろん王都の学園を卒業しているし、おそらく優秀な家庭教師をつけられていただろう。

だからこそ、今さらそんなことを口にすることに疑問がわいたのかもしれない。


「はい、私は残念ながらきちんと学んだことがありませんので」

「……わかった、手配させる」


根本的には彼はマリーに興味がない。態度からは相反するようではあるが。

存在しさえすればいい、そしてこの屋敷から外へ出なければよい。

だから、彼女が誰と接触しようとも仲良くなろうとも関心を示さない。ここに、いさえすればいいのだから。


だが、それだけでいい、と思えるのはヴィンセントの方だけである。



 ありがとうございます、申し訳ありませんこんなとうが立った人間で、と確かこぼしていたはずだ、と。

最初はこんな穏当でおだやかなやりとりから始まったはずだ。基礎的教養となる学園の教科書を閉じながら、ふと家庭教師の男は思い出す。

ヴィンセントが手配した教師は、学園で現役の教師をしている男だった。あまり伝手はなく、ヴィンセントの元家庭教師から紹介してもらった結果だ。別に、教師が男であろうが女であろうが、そこにはまるで興味はない。

マリーが外へ出なければ、それでいい。そのあたりは首尾一貫している。


「いいかげん、退治できませんかね、あれ」


だが、今ではこの口の悪さである。

高位貴族の夫人としては失格である。誰かの口からもれてしまえば、その座を欲する女性方のいい餌になってしまうだろう。

悲しいかなそこまでしてこの座を欲しがる人間は、この国にはいない。


「いや、退治って」


教師である男もさらりと流す。

彼女の夫、この家の若き跡取りが妖精の取り替え子である、という噂はもちろん知っていた。それは、人間離れした男の美しさと、恵まれた環境に対する嫉妬めいたものからくる噂だろう、と一笑に付していた。

だが、知れば知るほど、いや近くでみればみるほど「あの男」は、人と遠く離れていると実感する。

まだ少女とも言える年齢の夫人につける家庭教師としては、ふさわしくない年齢と性別。だが、どうしてそう判断するのかわからない、と心底不思議そうな顔をしたのち、ヴィンセントが笑顔を作った。

ぞくり、と、何か下から這い上がってくるかのような恐れを感じてしまった。

優秀で、どちらかといえば不遜で、周囲のことを密かに見下してもいた家庭教師の男は、生まれてはじめて自分が理解し得ない不可思議な存在にぶちあたった。


「妖精ってなんなんですかね、ほんとうに」


ぞんざいな口を聞く。

マリーの本来は、こちらだ。

牧場の働き手たちと朝から晩まで働き、ときおりお気に入りの馬に跨って遠出をする。肌が焼けることなど気にせず、太陽のもと精一杯遊んで働く。

周囲もそんなマリーをかわいがり、垣根などないかのように過ごしていた。

それがどういわけか、高位貴族の夫人となって監禁生活だ。息が詰まらない方がどうかしている。


「まあ、なんだと言われると」

「幽霊じゃないから教会にも頼めないし、魔獣じゃないから討伐依頼もできないじゃないですか」

「いや、討伐はさすがに」

「人型だとためらいますかね?やっぱり」

「そうじゃなくて」


少しこめかみを押さえる。

彼のしていることは、特段悪ではない。

衣食住は十分に提供されているし、今もこうやって希望通り勉強の時間を持ててもいる。

ただ、普通に監禁されているだけだ。

なにも足枷をつけられて閉じ込められているわけではない、マリーは自由に動き回っている。それは、この屋敷の中であれば、という前提条件があるが。


「しかし、なんで私にこだわるかなぁ」


あれからずいぶん時はたつが、ヴィンセントは相変わらずマリーを離すことはない。

ある一定の距離で側におき、そして同じ寝台で眠る。

清く正しく、恋人や親子よりもは少しだけ離れた距離感で。

そして、ことさらマリーの側で何かを食べることを好む。

屋敷の古い人間に聞いてみれば、マリーが来る前の彼は、まるで食に興味がなかったそうだ。

マリーにとっての義父とともに食事につけ、といわれれば食べるし、そういう付き合いにおいてはほどほどに口につける。

だが、そこには何の感情も見られなかったのだと。

乳母を勤めていた女性に聞いてみても、色が抜け落ちたかのような表情をして淡々と、彼の特異性を説明してくれた。

乳も、離乳食も、求めない。

時間だと与えられればそれを飲み込み、嚥下する。

機械のように。

乳母は、ついぞ彼になにがしかの感情を見いだすことはできなかったのだと。


「まあ、確かにマリー様に執着しているようではありますが」


それが、あらゆる情とは関係がないところにある。

機微に疎いマリーも、あまりそういうことに興味も勘も働かない彼にしてもそれぐらいは感じとることができた。


「そもそも、妖精と呼ばれる存在が、これほど長い期間こちらの生活圏に居続ける、ということが不可思議です」


彼らは気まぐれだ。そのなかに悪意も好意もない。

おもしろそうだから、人間の子を取り替え、代わりになにかをおいていく。

おいていかれたものも、それをやった親に思うところがあるはずもなく、ただ面白ければ残り、つまらなければ帰る。

興味を引かれそうなものが無さそうにも関わらず、ヴィンセントはここに残り、そして執着するマリーを手にいれてしまった。


「お義父様にも少し尋ねてみようかしら」


ヴィンセントと最も長く付き合いがあるのは、当然実父である当主だ。母親の方は彼を産み落としてすぐに儚くなっている。


ほどなくしてマリーの義父が訪れる。

マリーがこの家へ入ると同時に、彼は別邸の方へと移り住んでいる。それは若夫婦に遠慮をして、そして代替わりを象徴するものとしてごく自然な行動だ。

ここにはマリーが学ぶべき女主人は存在しないし、そしてそのようなことは期待されていない。


「お義父様、単刀直入にお聞きしますけど。あの人ってどうしてずっとここにいたのですか?」


なんのてらいもなにもなく、直球でマリーが質問を投げつける。

流れから同席してしまっている家庭教師が手で顔を覆う。


「……わからない。すまないが。あれはいつもつまらなそうにして、けれども決してここを去ろうとはしなかった」

「つまらなそうなのは、今もあまり変わりはありませんね。噂よりももっと酷い有様でしたが」


家庭教師とヴィンセントは初日に顔を合わせている。

こちらのことなど興味はなさそうに、頷いてみせていた。そして、彼は執着している、という噂のマリーにすら根本的に興味がないのだと見てとれた。


「たぶん、私がここにいればいいのだと思う」


買い物にも出さず、茶会にも参加させず。

だが、外から誰が入りこもうが気にならない。

そう、存在しさえすればいいのだと。


「あなたはまだ若いのだからと、頼んではみたのだが」


それは、マリーも聞いたことがある。

ただ閉じ込めておくだけではだめだと、義父はヴィンセントに忠告していた。だが、当のヴィンセントは「なぜ?」という顔をしてそれに応えることはなかった。

幾度かのやりとりののち、彼の雰囲気が剣呑になったところで、マリーはそれをやめてもらうように頼んだのだ。

どこか、本能的に恐怖を感じて。


「……あれが生まれてから、いや生き残ってから、幾度か妻を迎えたのだが」


その話は、ヴィンセントが取り替え子である、という噂と同じぐらい有名な話である。

この高貴な家へ嫁いできた嫁たちは、身ごもった後に儚くなるのだと。

まるで怪談のようなその話は、ヴィンセントそのものの噂よりもは密やかに人の口から口へと伝わっていった。

そして、やがてこの家そのものにそういう存在は現れることはなかった。


「消えてしまうんだ、忽然と。必ず身ごもってから。いや、最初は男児を生んでからだったろうか」


どこか遠くを見るように、義父が語る。

長男が実子ではないのだと知っている彼からすれば、この家の跡取りを残すのは必須の仕事だ。そこは、彼の判断が間違っているわけではない。

だた、想像以上の出来事がこの家にふりかかってしまっただけである。


「そうまでしてこの家にこだわる理由がわかりません。それこそ元に戻ればいいのでは?」


妖精とは自由な存在だ、別に土地にも人にもこだわらない。

だが、ヴィンセントは固執している、この家に。そして今ではマリーの存在に。


「おや?なんの密談ですか?」


今やこの家の跡取りとなったヴィンセントが三人の会話に急に入り込む。


「おかえり、なさいませ」


マリーが辛うじて笑顔を作り、夫を出迎える。


「おまえは、なぜマリーさんを外へ出してあげないんだ?」


義父が、幾度となく繰り返された質問をぶつける。


「なぜ?なぜといわれても。かごから出したら逃げちゃうでしょ?」


そして、はじめて答えのようなものが返される。


「いや、帰ってくるし」


マリーが思わず突っ込みをいれる。被っていた淑女の仮面がずれてしまっている。


「どうしてそれが信じられると?かごに入れた鳥は扉を開けたら逃げるでしょう?」

「信じられないの?」

「信じるって、何を?」


すれ違う会話は、それでも今までで一番長く続いた会話だ。


「普通は外へ出ても帰ってくるものなんですよ」

「よくわからないし、わかるつもりはない。かごも開けるつもりはないよ?」


彼にとってこの「家」はかごなのだろう、そして捕らわれているのはマリー。


「ぼくもここからは逃げられないし」


小さく呟いた言葉は、家庭教師には届いていた。

そういえば、妖精というのはその本質を当てられれば退けることも可能なのだというおとぎ話めいた話も思い出す。

それについてマリーと会話を交わした記憶も。

この国の神話でも、人ならざるものたちは、名を本質を知られることをいやがる。

そして、逃げられない、という言葉で彼がここに好きで存在しているわけではない、ということを知る。

そこまで考えて、彼はなぜこの家の後妻たちが消えていったのかを理解した。

おそらく、この場に居続けなければ、跡継ぎで居続けなければならない彼にとって、自分の立場を奪う存在はいらないもの、なのだろう。

だからこそ、その存在をなかったことにした。

方法は、わからない。わかりたくもないけれど。


マリーとヴィンセントの会話は続く。

彼女も、自分が今置かれた現状に対する鬱屈しか感じていない。思わず成された交流で、それを吐き出していく。


「跡継ぎもできないし、社交もできないって、私意味があります?ここにいる」


まるで役にはたっていない、けれどもそんな普通のことはヴィンセントに求められてはいない、そんなことはマリーも十分に理解している。


「跡継ぎ?いるの?だったら、適当なのあてがおうか?」


まるで、天気がよいですね、という風情で言い捨てる。


「ああ、ちょうどいいのがいるじゃない、彼は優秀なんだって?」


家庭教師の方を見据える。

ぞくりとしたものが下から這い上がる。

彼は、本当にマリーが存在すればいいだけなのだと。

マリーが誰とどういう風に親しくなっても、いかなる関係となっても興味がないのだと。


「……せめて、ウィローがいれば」


絞り出すような声は、辛うじてマリーやヴィンセントに届く。

マリーは、知識として義父の妻の名前がそれだと知っている。

微かにヴィンセントの体が固まる。

いつも人間離れしていて、それでも精一杯擬態している彼がそんな姿をみせることはなかった。

一拍をおいて、ヴィンセントが息を吐く。

その様子をマリーが注意深く見つめる。

彼がそんな風になったのはなぜだと、必死に頭を働かせる。

何が、原因なのか。

彼の最も近くにいて、そして知っているのは自分だと言い聞かせながら。

家庭教師との雑談で、妖精はその本質を言い当てれば、その存在を縛ることができるのかもしれない、と、言っていたことを思い出す。

思わず、家庭教師に視線を向ける。

言葉は出さないけれども、頷いた彼が自分の至った答えが正解であると後押ししてくれるように感じた。

そう、おそらく柳からくる義母の名前は、偶然彼の存在を明らかにしていたのではないかと。


「ウィローとはお義母様のことですよね?」


義父への問いかけを、ただヴィンセントの方を見つめながら投げつける。

嫁いだ立場としては知っていて当然の事実を疑問という形で口にする。

そして、またヴィンセントは微かに動きを止める。


「ウィロー、元に戻りなさい。そして二度とここへはこないで」


マリーが一言一言丁寧に言葉を重ねる。

動きを止めたままのヴィンセントは、彼女の言葉に、少しだけ人間らしい「悲しそうな」顔をして忽然と姿を消した。

残されたのは、彼が纏っていた衣装だけ。

小さく響く音がして、そこにはこの家の跡取りだけがつけることを許された指輪が残されていた。


「やっぱり、ウィローだったんだ」


マリーの呟きに、目の前で起こった出来事が信じられない義父が膝をつく。

偶然一致していた義母の名前と、あれの本質。誰が悪かったわけでもない、さらなるいたずらめいた要因に愕然とする。

今まで、どうあっても排除できなかった存在が、あっけなく立ち去る。

後妻たちを跡取りとなりうる存在ごとどこかへと消し去り、つまらなさそうにこの家に存在していた跡取りという名の別の生き物。

三人は放心しながら、それでもゆっくりとその意識を取り戻していく。

最後は三人でそれぞれ視線を合わせ、泣き笑いしていた。



 唐突に姿を消したウィンスレット家の跡取りは、事故として処理された。

当主があちこちとやりとりをして、遠縁ではあるがしっかりと血縁関係がある若者を養子とし、跡継ぎとすることとなった。

半分隠居をしていた彼は、今しばらくウィンスレット家を存続させるために骨を折ることになるのだろう。

マリーはといえば、実家へ帰ったとしても貧乏なのは変わりなく、兄に嫁いできてくれた奇特な女性に迷惑をかけるわけにはいかない、ということでさっさと自立すべく畜産が有名な別の領地へと旅立っていった。

家庭教師に教わった学問はそこそこ役に立ち、未亡人だというのに牧場の主人である若者と再婚することができた。

日々、顔が焼けることなど気にすることもなく、好きだった仕事をして生き生きと暮らしている。

家庭教師の男は、ウィンスレット家で起こった理不尽な出来事を、子供向けのおとぎ話として書き記した。もちろん、その対処法をちりばめながら。最初は好奇心で手にとったものたちがそれを伝え、そして細々とだけれども残っていくのだろう。


ようやく、長く続いたこの国の不可思議な現象が終わりを告げた。

幾人かの犠牲とともに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こっわ!!! 取り替え子の最後は常に理不尽…神様の名前を知れば退けられるのは世の習いとはいえ、それに翻弄された人たちの哀れなこと…。 いなくなった後妻と子供たちはある時突然骨が見つかったり…
[良い点] 理不尽であり会話が出来ても交流が出来ない異者であること。 変に絆されたりする事もなく……ある程度は絆されてはいるのか。 [一言] 寓話というか、教訓があるような無いような御伽噺というか。…
[一言] ヴィンセント(人間)は妖精(母)に連れて行かれ、ヴィンセント(妖精)は置いていかれた時にウィロー(妻)にいかないでくれと懇願する父親の言葉に偶々本質(真名のようなもの?)が「ウィロー」という…
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