第四話 三年前の事件
三年前。
城西拓翼大学駅伝部に入部した矢車たち一年生は、
すでに統一感がなく全員バラバラであった。
新入部員の大多数が、
『自分さえ箱根を走れればそれでいい。』
と考えており、
周囲のことなど気にする素振りもなかった。
そのうえ、上級生の目がないと分かれば、
一年生に任された雑務などもいい加減に行い、
時には、一部の一年生が実力に劣る同期に、
雑務を丸投げすることもあった。
そのような状況で、一年生同士だけではなく、
上級生との関係も悪化していくのは
時間の問題であった。
当時一年生であった矢車は、一人、
これを何とかしようと考えていた。
(せめて…。
一年生同士のイザコザを無くしていけば、
解決の糸口になるかもしれない。
自分が繋ぎ役になって、
頑張る姿勢を示せば、
同じ箱根を目指すランナーなら、
分かってくれるはずだ。)
そう、強く信じていた。
第四話 三年前の事件
それ以降、矢車は、
誰よりも練習や雑務を真剣にこなした。
練習では、誰よりも明るく声かけをし、
積極的にコミニケーションを
とるように心がけた。
また、練習後、自分が仕事が終われば、
積極的に他の一年生のところを周り、
遅れている雑務があれば、
すぐに手伝うこともあった。
そんな矢車の真摯な姿勢に影響され、
一ノ瀬や真中といった同期が徐々に
理解を示すようになる。
首脳陣や上級生にも、
そういった頑張りを
評価されるようになっていった。
だが、他の一年生の中には、
そんな矢車を快く思わない者もいた。
「俺より遅いくせに。」
遠巻きに矢車を見下しながら
そんな陰口を吐き捨てていた。
矢車自身もそう言われていることを
理解していたが、
(最後はきっと分かってくれるはずだ。)
と希望を捨てず努力し続けた。
そして、矢車たちが入部して
半年が経とうとしていた時、
とうとう事件が起こった。
寮での生活態度について、
上級生から叱責を受けたことを理由に、
五人の一年生が
雑務を完全に放棄したのだ。
五人とも、同期の中では
指折りの実力者であり、
矢車たちのことを
疎ましく思っていたメンバーである。
当然、上級生は激怒し、
その日の夜のミーティングで、
会議室は修羅場と化した。
しらを切り、不貞腐れる五人と
怒りの収まらない上級生との間を取り持とうと、
矢車は五人、一人ひとりに説得を試みる。
しかし、返ってきたのは、
その内の一人から放たれた
心ない言葉であった。
「一生かけても箱根に出られんようなカスが
しゃしゃり出てくんな!」
矢車自身、
そう思われていたことは分かっていたが、
実際に目の前で言われてしまったことで、
遂に心が折れてしまった。
(もはや説得は無意味だな。)
今まで黙って見ていた
櫛部川(当時、コーチ)がついに大激怒した。
「周りの気持ちも考えることのできない奴に、
駅伝を走る資格はない!
自分だけ良ければいいと思っているなら、
今すぐ、荷物をまとめて出て行ってくれ!」
しばらく沈黙が続いた。
そして、五人は次々と会議室から退室し、
その日の内に退部届と退学届を置いて
黙って寮から出ていった。
その後、この出来事で嫌気がさした
一年生二人も退部し、残ったメンバーは、
矢車と一ノ瀬、真中の三人だけになった。
この『大量退部事件』が、
のちに矢車たちが『狭間の世代』と
呼ばれてしまうきっかけになったのは
言うまでもない。
そして、この事件のショックにより、
矢車は徐々に内気な性格になっていった。