第7話 魔装解放
同時刻。
姫さまが村を出発するとあって、村の中央の噴水前広場で雑談に興じていた村人たち。
その中に居たガライは、いち早く異変を察知して村の正門に視線を向けると、いつも腰からさげているナタを鞘から抜き放った。長年、村の自警団として戦ってきた経験が、僅かな敵意と脅威の気配を感じてとっさに身体を動かしたのだ。
次の瞬間、全ての景色が淡い緑に染まる。
いや、ドーム状の結界か何かに包まれたといった方がただしいか。
雑談に興じていた村人たちも、突如として起きた異変に狼狽える。ガライの行動を見て、すぐに各々の武器を手にとってくる事が出来たのは、まだ動くことが出来る元自警団員の老人数人だけだった。
「……まさか、マジで居たなんてびっくりさせてくれるじゃねえか」
ナタを構えたガライの視線の先に降り立つのは一人の男。
背から純白の羽を生やした鎧姿の美しい男。
確かに、物語の中に現れるような天使を想起させるその姿。だが、ルヴィから共有されたセキ姫の話を知っているガライからすれば、その男がこの場にいる誰よりも強い、『怪物』そのものでしかない。
「武器を握り締めてご挨拶だなんて……ずいぶんと野蛮じゃないか。下等生物だとは思っていたけれど、人間っていうのはこんなに血の気が多い生き物だったかな?」
羽の生えた男。『翅人』は首を傾げながら、まるで警戒した様子もなく歩み寄ってくる。
まるで、武器なんて持っていたところで無駄なのだとでも言っているかのように。
「いきなり喧嘩腰になってるところ悪いけどさ。なんだっけ。ぐ……グレディオン! そう、グレディオンのお姫様、匿ってるよね。それだけ出してくれれば、君たちには何も危害加えたりしないからさ」
「いきなり結界みてえの発動しといて何言ってやがる。喧嘩腰なのはテメェも同じみたいだがなあ?」
じりじりと距離を詰めてくる男に対して、ガライは一歩も引かずに言葉を返す。長年、魔物との戦闘でくぐり抜けてきた死線の数々によって培われた胆力がガライをこの場に立たせ続けていた。
「結界……? ああ、グレディオンの魔導師が使ってきたアレか。行動を阻害したりするやつ。僕らのこれはマナフィールドっていうんだけど……これ自体は僕らを少し強くしてくれるだけなんだけどね」
男はそんな軽口を叩きながら尚も距離を詰めてくる。
村人がグレディオンの姫を出さないのならどうするべきか、彼の中では決まったようだった。
「出さないなら……死んでよ!」
「っ! お前ら、逃げろ!」
バッと羽が広がり、目にも止まらぬスピードでガライとの距離を詰めてくる翅人。
翅人の剣をガライがナタで受け止めることが出来たのは、とっさの判断によるまったくの偶然だった。
「ほお、やるじゃんお爺さん」
「こちとら……何年、魔物を相手にしてると、おもってんだ!」
翅人の持つ光り輝く直剣と、ガライの持つ無骨なナタが互いに押し付けられ、ギリギリと嫌な音を響かせる。
素材の差によるものか、それとも単純に技量の差でそうなったのか。刃こぼれ一つない翅人の直剣に対して、ガライの持つナタには刻まれたようなあとがくっきりと浮かんでいた。
「ぐぅ、ううっ『筋力増強』『速力強化』『武器硬化付与』!」
立て続けに唱えられた呪文により、ガライの肉体とナタが強化されていく。翅人により押され気味だった鍔迫り合いは段々と拮抗していき、ナタも赤い光を纏って翅人の青く輝く直剣を押し返していく。
「今度は魔法かい。良いねえ、キシダンチョー?とかいうのもそれをよく使ってたよ。小手調べの段階でみんな死んじゃったけどさあ!!」
「ぐ、ぬぉ!?」
が、翅人はまだわざと自身の力をセーブしていたのか、凄まじい膂力でガライの身体が吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたガライは噴水の石に背中をおもいきり強打し、激痛のあまり動けなくなってしまう。
「くそ、やられてたまるかぁっ!」
「ジジイの本気なめんじゃねえぞクソ天使!」
「どりゃあああぁぁぁっ!」
ガライがやられたのを見て居ても立っても居られなくなったのか、武器を持っていた元自警団員の村人たちが一斉に走り出した。
3人の得物は槍に、片手剣に、メイス。
作戦なんてものはない。
数と力に任せた特攻だ。
だが、それがあの相手に無意味な事は鍔迫り合いをしていたガライが一番良く理解していた。たとえ作戦を組んだところで、それすら意味を為さないほどの隔絶した力の差が開いている事に。
「だ、駄目だ、やめろお前ら!」
「フフ、羽虫如きがよく喚く」
ガライの叫びが届く前に、もう事は済んでいた。
瞬時に薙ぎ払われた剣によって3人の身体は吹き飛び、鮮血を撒き散らしながら宙を舞う。彼らが攻撃する隙も、防御する余裕も与えられなかったほどの一瞬の出来事。
ガライの目の前で、長年の戦友だった男たちが散っていく。野盗との戦いでは互いに背中を預け合った頼もしい仲間たちが、たった一人の男に為すすべもなく斬り捨てられていく。
彼の脳内を、どす黒い絶望が支配した。
「お前も、もうつまらないや」
そんな彼の事などいざ知らず。
どさり、と。3人の身体が地面に落ちた音がした瞬間に、翅人は剣の切っ先をガライの脳天にぴたりと向けて駆け出していた。
魔法によって強化したのかと見紛うような凄まじいスピード。戦える者はもう誰一人残っていない。
これで、終わり。
心も身体も疲れ果て、ガライがすべてを諦めて目を瞑った、その時だった。
―――ガキィン!!
甲高い金属と金属がぶつかり合う音がして、翅人の足音が止まる。
目を開けたガライの先では――
「これ以上はさせはしない!」
「おっと、もう一匹羽虫が増えたか」
コガラの村の用心棒にして、たった一人の狩人。
ルヴィがその鉄の剣を圧し折られながらも、翅人の攻撃を押し止めていた。
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ガライが翅人と戦闘を始める少し前。
セキ姫とルヴィの視線の先には、空から音も立てずに降り立った一人の翅人の姿があった。
「あれが、『翅人』」
話に聞いたとおり、神々しさすら感じるその姿。何も知らなければ、神が人の姿をとって降臨したのかと思っても不思議では無いくらいの美しい姿に、一瞬意識を奪われた。
だが、その実態は『セフィロトの召喚獣』を求めて人々を殺し尽くす鏖殺の天使。どんな魔物よりもたちが悪い、美しい天使の皮を被った怪物。
「い、行かなきゃ、私が」
「お姫さん、駄目だよ!」
翅人の姿を確認して、このままでは村人たちが殺されると確信したセキ姫がとっさに家を飛び出そうとした。が、ドアの前に立ちふさがった必死の形相のメディ婆さんに止められる。
気の強いメディ婆さんの事だから、何を考えているのかはなんとなくわかった。
たとえこちらがセキ姫と『セフィロトの召喚獣』を差し出したところで、奴が村人の命を狙わない保証なんてどこにもない。
みすみす相手の欲しているものを渡して、そのまま大人しく殺されるだなんて馬鹿なことがあってたまるか、と。
「る、ルヴィ」
何が起こっているのかを察した村長も、ハッとした表情でこちらを振り向く。驚愕の表情の中に見え隠れしているどこかすがるような視線は、俺に救いを求めているようだった。
そうだ。今あれに対抗できるかもしれない力を持っているのは一人だけ。俺一人しかいないのだから。
「俺、『使います』って、言いましたよね」
「……ああ」
ブル爺さんが静かに、低い声で返事をした。
外では既に誰かが、おそらくはガライ爺さんが翅人と戦闘を始めたのか、激しい金属音が鳴り響いている。
話に聞いた通りなら、もう時間の余裕は無いだろう。
「セキ」
「え……ルヴィ、さん?」
突然呼びかけられて、驚いた表情の彼女がこちらを振り返る。
その彼女の両肩をがしりと掴み、逃げられないようにしてジッとその瞳を見つめた。
「俺、無理矢理にでも貴女についていきますから」
「……え、へっ!?」
かあっと顔を赤くした彼女がへなへなとその場にへたり込み、メディ婆さんに身体を支えられる。
「ルヴィの坊や、アンタってば罪な男だね」
「罪なんて、もうとっくに背負ってますから」
「昔の事じゃあないよ。まったく、鈍感な男ってのはこれだから嫌だ」
いちいち装備を整えている暇なんてない。
普段使っている鉄の剣を拾い上げて、勢いよく家を飛び出した。
外ではガライさん達の戦いが終わる寸前であり、重傷を受けた元自警団の爺さん達が三人倒れ、翅人の男が動けないガライさんを今にも殺さんと襲い掛かっていた。
駄目だ。
これ以上、誰であろうと、俺から大事なものを奪わせてたまるものか。
全身の筋肉に気合いが入る。
身体が軽い。このまま一直線に突っ込めば間に合う距離。
「おおおおおっ!」
大地を踏みしめ、蹴り上げて翅人へと迫る。
翅人の男もまたこちらに気付き、素早く剣を振り上げて攻撃を防いだ。
「これ以上はさせはしない!」
「おっと、もう一匹羽虫が増えたか」
手が衝撃でジンジンと痛み、熱を帯びている。
今の激突で、負担のかかりすぎた剣が中ほどから折れたらしい。
折れた剣先が、カランコロンと音を立てて転がった。
「ずいぶんな鈍らじゃあないか、ええ!」
「俺は、魔法が使えないからな。他の人みたく魔法で武器を強くしたりなんて出来ない」
「ふっ、なら他の羽虫にも劣る雑魚か。いいだろう下等生物。この『マナフィールド』の真髄を教えてやろう。雑魚の分際で私に刃向かった事を後悔させてやる!」
薙ぎ払われた剣による圧で吹き飛ばされるが、空中で身をひるがえして着地。相手の翅人の男を見据えれば、そちらも距離をとっていた。
あいつ、何かするつもりだ。
「ルヴィ……! 奴は、まだ本気を出してねえ!」
「わかってるよ爺さん! だから――」
「『力』を使え!」
ガライの爺さんが叫ぶ。
家を飛び出した時から使う覚悟は決めていた。
俺を苦しめた、呪われた力。
しかしただ一つ、この場において翅人に対抗しうるだろう力。
翅人は真っ直ぐにその直剣の切っ先をこちらに向けた。
俺は折れてしまった剣を捨て、丹田のあたりにぐっと力を込める。
そして、叫ぶ。
唱える言葉も、それによって引き出される力も、物心付いた時から自然と知っていた。小さな子供が自然と歩くことを覚えるのと同じように。
「魔装神将【伐折羅】!」
「魔装審判【ズメイ】!」
その瞬間、辺りはホワイトアウトするほどの極光に包まれた。
【ジュカイハト】
森林地帯に広く生息する鳥の魔物。ジャヤの大森林にも生息している。体調は25センチほど。普通にハト。木の実や虫を食べている。狩りやすいのでよく肉が市場に並ぶ。