第4話 翅人の脅威
彼女が再び口を開いたのはそれからどれくらいたってからだったか。
現実の時間ではそれほど長くはないだろう。
だが、体感では気が遠くなるような何十秒かの後にセキはぽつりぽつりと話し始めた。
「私の住んでいた国。お父さまが、お母さまが、兄上が、姉上が、たくさんの人々が暮らしていたグレディオン。グレディオン王国は、たった一夜。一夜にして滅ぼされました」
ぽたり、ぽたりと彼女の涙が布団に落ちてシミを作る。
話を聞いていた自分も、あまりの衝撃に言葉を失った。
グレディオン王国といえばこの周辺国家ではかなり大きな国だったはずだ。国力も十分過ぎるほどにあり、軍隊も精鋭揃い。特に、グレディオン王国の王国騎士団の7人の騎士団長は一人で何千何万もの兵士に匹敵するとも言われるほど強いともっぱらの噂だった。
そんな大国が、まさかたった一夜で滅んだ?
冗談も大概にしてくれと言いたくなるような話だったが、そのグレディオン王国の姫本人が言っているのだ。
処理が追いつかない脳で、国が滅んだとはいったいどういうことなのかともう一度問い掛ける。
「正直、その話は信じ難いが……その話が真実だったとして、どの国に滅ぼされた? それとも強大な魔物か? よほどの事が起きない限り、グレディオンは滅ぶような国では無かったはずだ」
彼女に問いかけている自分の声も、気がつけば震えていた。
大国を一夜で滅ぼした存在が今もなおこの世界に存在している。それだけの情報がただただ恐ろしい。
「国では、ありません。あの軍勢は、彼らは、自らを『翅人』、と名乗りました」
「『翅人』……?」
「え、え。物語の中に、登場するような……羽の生えた美しい天使のような姿をして、かっ、彼らは遠い空の彼方から現れたのです」
ふるふると、布団のはしを握り締める彼女の手が震えていた。その『天使』のような姿をした何かによって、国が一つ滅ぼされたというのか。
「空を、覆うほどの白い彼らが……し、翅人の軍勢が、軍の抵抗も意味を成さず、またたくまに街は炎に包まれて……っ」
セキの言葉が詰まる。
俺も話を聞いて恐ろしさを感じていたが、その恐怖をぐっと飲み込んで彼女が座るベッドに自分も腰をかけると、震える手の上に自分の掌を重ねて包み込んだ。
「大丈夫だ。この村は平和だし、俺だって結構戦える方だから、さ。安心して欲しい」
「……す、すみません」
ぐすん、と彼女は鼻をすすりながら、自身の手で涙を拭おうとする。目元を手で擦るのも良くないだろうとポケットからハンカチを取り出して顔へと近付けると、意外にも彼女は拒むことなくそのまま俺に涙を拭われた。
疲弊した心と身体が拠り所を求めていたのかもしれない。彼女はそのままきゅっと重ねていた手を握り返してきた。
「まあ……いきなり辛いこと聞いて悪かったよ。それに、あんたを助けられたのは俺だけの力じゃないんだ。森を歩いていたら時に急に見たことない白い魔物が出てきてさ、気絶してたあんたのところまで連れて行ってくれたんだ」
「カーバンクルが……?」
彼女の様子が落ち着いてきたかと感じた頃、そういえばと思い彼女を発見したときの話をした瞬間、彼女は驚いた様子でこちらを見上げてじっと見つめてきた。
カーバンクル……そういえば、先程彼女がネックレスを握りしめていた時にそんな言葉を呟いていたことを思い出す。
「あの魔物、カーバンクルって言うのか?」
「正確には魔物ではなく、『召喚獣』と言うのですけれど。翅人が国を襲ったのも、グレディオンの国宝だったこの宝玉を狙っていたからです。お父さまはこの宝玉を『セフィロトの召喚獣』と呼んでいました。決して王族以外の手に渡してはならないとも」
そう言ってセキは大切に握っていたネックレスを自身の首にかけて、その先できらめく透明な宝玉を手に乗せて見せてきた。
「本当はこの宝玉に眠る召喚獣を操ることも、王族である私の指名だったのですけれど。才能が無いのかどうしようもなくて、召喚獣も勝手に出てきてしまったり。おかげで助かりもしましたけれど」
宝石を指で撫でながら、どこか自嘲気味に彼女は語る。
セフィロトの召喚獣。
魔物とは違う全く別の存在。
あの時、光の粒子になって宝玉の中へと吸い込まれていった事にも合点がいった。
そもそもがこの宝玉由来の生物。いや、生物と呼ぶべきかはいささか難しいところではあるが、宝玉に依存している存在なのならば還るべき場所もまたこの宝玉の中なのだろう。
しかし――
「それにしても、そんな大事そうな話を俺にして良かったのか? 今日会ったばっかりで、しかも王侯貴族様みたいな責任とは無縁で、まあ悪く言えば粗野な平民だぞ?」
こちらから何があったのか話を切り出していたとはいえ、大事なことを少々ぺらぺらと話し過ぎではないかと心配になる。
もちろん、俺だって今ここで聞いた話をわざわざ他人に広めてまわろうだなんてこれっぽっちも考えてはいないが。
「あー……ふふふ、それもそうでしたね。でも良いんですよ。貴方は私の命の恩人ですし、それにもう……グレディオンの王族は私しか残っていませんから。宝玉の秘密を知っていてくれる人が私以外にもいた方がいいです」
だけど、そんな俺の心配とは裏腹に彼女はそう言いながら笑顔を作った。まだ緊張が残っているのか、固くぎこちない表情だが、こうしている内にいくらか安心感を得られたのだろう。
どうにか人心地つけたようでこちらも安心した。
話を聞く限りでは生きるか死ぬか、その瀬戸際をどうにかくぐり抜けてここまで来たのだろう。
翅人とやらから守らなければならない国の宝を託されて、滅びゆく国から必死に逃げてきただろう彼女の事を思うと胸が締め付けられるような感覚になる。
「……とりあえず、食事にするか。お姫様の口に合うかはわからないけどさ」
何はともあれ、話せる元気が出てきたのなら次は腹を満たすのが一番だ。飯を食って英気を養う。答えが見つからないうちは目先のことから順々に進めればいい。
すっくと立ち上がってそろそろ出来ただろう粥を取りに向かおうとすると、不意に背後から声をかけられた。
「あの……!」
「……はい?」
「『お姫様』ではなく、『セキ』で良いです」
一瞬、何を言われたのかわからず、ぽかんとその場に立ち尽くす。
なんともいえない空気が二人の間に流れた。
「あ、えっと?」
「名前で呼んで構わないと! 言っているんです!」
「あっ、はい、セキさん」
かあっと顔を赤くした彼女が布団を被ってうずくまる。
その姿がなんだかお姫様というよりは普通の女の子のようで、少し微笑ましく感じた。
「ははは、お姫様、いや、セキさんってなんだか『お姫様』って感じがしなくて良いですね」
「なっ!? それはどういう意味ですの!?」
「あははは! まあ安静にしててくださいよ。すぐご飯持ってきますから」
「ちょっと! 貴方!?」
キャンキャンと騒ぐ彼女を尻目に、キッチンへと粥を取りに向かう。最初、森で気絶していたところを見つけた時は大変なことだと急いで村に連れて帰ってきたが、案外すぐに元気になりそうでほっとした。
さて、それからセキに乾燥野菜と鶏肉の粥を食べさせてからしばらく経ったころ。セキも疲れがやはり溜まっていたのかぐっすりと寝込み、時刻は夜中。俺は村長の家を訪れていた。
村長の家を訪れていたのは俺だけじゃない。
コガラの村で発言力の強い爺さん婆さんが他にも何人か、村長の家の大テーブルを囲んで座っている。
まず初めに、村長であるブル爺さん。
次に、元自警団員のガライ爺さん。
村の農業の指南役であるメディ婆さん。
先程もお姫様の治療の手伝いをしてくれたアリス婆さん。
そして最後に俺、ルヴィ。
「集まって貰ったのは他でもない、ルヴィ、てめえが持ち込んできた問題についての話なんだが」
ガライ爺さんの視線がぐっとこちらに向けられる。
強面な彼の鋭い目付きで威圧感は2割増しといったところか。
「持ち込んできた問題、ねえ。ガライ爺さん、なら俺は森で気絶してたあの子を見殺しにしてくるのが正解だったって言いたいのかい?」
「むぅ、いきなりやめんか二人共。集まって貰ったのは話し合いの為で喧嘩をするためじゃないんじゃぞ」
喧嘩腰で話を振ってきたガライ爺さんに負けじとこちらも喧嘩腰で返してやると、村長のブル爺さんが慌てて間に挟まってきた。
まだ小手調べ程度の段階だったのだが、ブル爺さんはすでに冷や汗を流して必死な様子である。少しばかり可哀想な事をしただろうかと肩をすくめた。
と、そこで目を瞑ってゆったりと椅子に腰掛けていたメディ婆さんが口を開く。
「……確かに問題ではあるけどねえ。どうもルヴィが話した内容によればウチの村はおろか世界中どこにいたって逃げられないような問題じゃないのかい? ねえ、ガライさん」
「むっ、そりゃあ話通りならそうなるがな。姫さんが嘘ついてる可能性ってのは考えねえのかい。もしかしたらグレディオン王国は滅んでなくて、単に姫さんが暗殺者にでも追われてただけかもしれねえぞ」
どうも村に害があるか無いかの話で進めたいガライ爺さんは、水を差されたような苦々しい表情になった。
今回の村の重役達での話し合いをするにあたって、セキから聞いた話を召喚獣云々の所を取り除いて共有しておいた。
つまり、『翅人』という羽の生えた人間の姿をした謎の勢力によって、グレディオン王国が滅ぼされたという話までが共有されている。
で、ガライ爺さんはそのグレディオン王国の生き残りを村に連れてきてしまったが為に、その『翅人』とやらにコガラの村も襲撃を受けるのではないかと危惧している訳だ。
「嘘なんてつくような感じのお姫様には見えなかったけどねえ、アタシには。あの後、ルヴィと二人で話させてどうなったか見に行ったら、まあ可愛く笑うようになってて安心したわよ」
「アリス婆さん……そりゃアンタはそっち側だろうがよ」
はあ、とガライ爺さんはため息をついてうなだれる。
しかし、彼はうなだれたまま話し続けた。
「俺はよ、いつこの村が襲撃を受けるかわからねえってんで、あの姫さんをさっさと追い出すべきだって言ってんだよ。百歩譲って、あの姫さんの話が真実だったとしてだ。翅人とか言うのにどんな理屈があってグレディオン王国を滅ぼしたか俺は知らねえけどよ、グレディオンの、それも王族が生き残ってたら殺しにくるのが普通だ。残酷な話だけどな」
確かに彼の話は一理ある。
というか、俺自身もその可能性はかなり高く見積もっているし、そのリスク込みで彼女を助けてやりたいとも思っている。
彼女がこれから何をしたいとか、どう行動するだとかはまだ何もわからないが。
「……ルヴィには悪いがのう、わしもガライの言うことには賛成じゃ。今すぐ追い出すとはいかないまでも、ある程度元気になったらすぐに行商の馬車やら定期馬車に乗せて村を出て行ってもらうのが一番じゃと思っとる」
ブル爺さんもだいぶ思案していたようだったが、結論としてはガライ爺さん寄りの考えに至ったようだ。とはいえ、ガライ爺さんの考えほど強硬ではないが。
「なあルヴィ。俺は元コガラ自警団のリーダーとして、お前さんの腕を認めてるからこそ言ってるんだぜ。若い頃の俺でも倒せなかったスピナスレプタをお前が狩って帰ってきた時は『とんでもねえガキがやって来たもんだ』って感心したぐれぇだ。でもよ、その強さはあくまでこの小せえ村の中だけの話でしかねえんだ。軍隊でどうにかならなかった相手をたった一人の人間が、それもお前さんみたいに魔法も使えないハンデ持ちが勝てるわけがねえ」
俺の心に訴えかけるように。いや、真実彼は俺を心配しているからこそこれだけの熱を持って説得しようとしてくれているのだろう。
だが、それでもあの少女を切り捨てる踏ん切りがつかない。
また昔の、惨めな選択をした自分に戻ってしまうような気がして、切り捨てるという選択が出来ない。
むしろ、切り捨てるなら彼女だけじゃない。
俺も一緒にこの村から切り捨てられる覚悟だ。
「……いざとなったら、使います」
だから、いまここで皆に宣言しておく。
ただの村人としての自分を捨てる覚悟を示しておく。
「お前……それで良いのか。お前さんが村に来たときに話してくれた例の力の事だろ。欲しくもねえのに勝手に与えられて、人生滅茶苦茶にされた力だって嫌ってたじゃねえか。その力がありゃあ軍隊一つ潰せる奴にも対抗できるのかもしれんが、二度と使わねえって言ってたのに……お前さんが姫さんにそこまでしてやる義理は無いだろうが」
「義理とかそういうものじゃあないんですよ。ただ、2度も同じ負け方をしたくないと、そう思っただけなんで」
「……間違った選択になっても知らねえからな」
はあ、とため息をついてガライ爺さんは椅子にふんぞり返るような姿勢になった。俺を説得するのは完全に諦めたのだろう。
最初はやたらと喧嘩腰で面倒な事になるかと思ったが、案外すんなり収まった。思っていた以上に俺の事を心配してくれていた彼には少々申し訳ない気持ちもあるが。
「さてと、話はまとまったって事で良いのかね」
頃合いを見計らって、メディ婆さんがそう言って集まっていた全員の顔を見回した。
お姫様を村から追い出すことに賛成派が二人に、反対派が三人。
つまり、お姫様を村から追い出す話は無しになった。
「とりあえず、お姫様には好きなだけ村に居てもらうって事でいいのかしらねえ。もしかしたら案外村に馴染むかもしれないわよ」
「ンッフッフッフ。そうなったら面白いねえアリス。それに……そのまま平民として生きるってんならねえ」
ちらりとメディ婆さんの視線がこちらに向いた。
嫌な予感がする。
「ンフフフッ。ルヴィと姫さんでガキこさえるなんて事になったらもっと面白いじゃないのさ」
「……メディ婆さん、ちょっと下世話過ぎやしねえかな」
「フヘヘヘヘ」
いちおう小言で返してもまるでこたえた様子もなく愉快そうに笑うばかりである。味方になったり敵になったり忙しい婆さんで厄介極まりない。
「ルヴィと姫さんの子供か。村復興の足がかりになったりするかの?」
「ちょっ、なに村長まで食いついてんですか」
「まあ俺のも杞憂かもしれねえしな。ルヴィと姫さんの間にガキが出来るかって話すんのも面白そうだな」
「なっ、ガライ爺さんまで……!」
時には家族のように暖かく。
時には師のように厳しく。
時には驚くほど下世話に。
いつの間にやらアリス婆さんによりテーブルにはツマミになる煎り豆やら酒やらが並べられ、完全に俺が逃げることを許さない構図が出来上がっていた。
どうでも良いところで策士ぶりを発揮しないで頂きたい。
「んで、どうなのさ。姫さんとの感じは。懇ろになれそうな予感するか?」
「いやだから俺はそういうのはもう無くって……」
ジジババばかりのコガラ村。
酒が入った爺さん婆さん達を止めるものは最早どこにもいない。
たった一人の若い衆である俺は見事に捕まえられ、下世話な話で夜はふけていった。
【バゾルド】
ジャヤの大森林に生息している大型のドラゴン。空を飛ぶための羽をもたず、がっしりとした4本の足で素早く大地を駆け回る。雑食性ではあるが、基本的には植物しか食べないため近付かなければ安全。バゾルドのように羽を持たずに大地を駆け回るようなドラゴンの総称として地竜と呼ばれる事もある。