第2話 コガラの村の用心棒
その日も、いつものように狩りの準備から一日が始まった。
獣の皮をなめして作った簡素な鎧を身に着け、安物の鉄の剣を腰に下げる。背には簡単な作りの弓矢を背負い、続いて左腕に堅い木から削り出して作った木製の盾を括り付ける。魔法の効果が込められた紙の道具である『呪符』も何枚かポケットにねじ込んで。
最後に、簡単な応急処置に使うような、魔物の素材から作った薬が何種類か入った麻袋をベルトの部分に紐で括り付ければ準備は完了だ。
「あと、これも……っと」
背の低い木の棚の上に飾ってあった髪飾りを手に取り、自分の髪に括り付ける。小型のドラゴンの爪を磨いて作られた髪飾りだ。
このあたりには生息していない、ずっと東の地の竹林に棲んでいる小型のドラゴン『コダチサワギ』の艶々とした白い爪。
髪飾りは歩く度にゆらゆらと揺れ、カランコロンと柔らかい音色を響かせる。戦いにも、日々の仕事にもなんら関係のない装飾品であるこれを俺はいつも付けていた。
ずっと忘れることのできない大切な人に貰った、とても、とても大事なものだから。
「さて、と。そろそろ村の見回りに出るか」
住んでいるのは、グレイシャ大陸中央部の山奥にぽつんと出来た国にすら属していない辺鄙な村。村の周りは『ジャヤの大森林』と呼ばれる森に囲まれている。
悪く言えば何もない、良く言えば自然に溢れたこの『コガラの村』。
数年前にとある理由でこの村へと単身引っ越してきた小さな子供だった俺を、村の人々は暖かく迎え入れてくれた。
元々過疎の進む村で村人の大半が老人であり、若い男というわかりやすい働き手を求めていたという事もあったのだろう。しかし、そんな下心があったとしても訳アリでやって来た当時の自分にとってそんな村人達の温もりは何物にも代え難いものだった。
そんな村人たちへの恩を返すために、自分は用心棒兼狩人として村を魔物やたまにやってくる野盗から守りつつ、魔物を狩ることで村の食料の確保をしたり、薬の材料を集めて行商人に売って金を稼ぐ日々を送っている。
「そろそろ矢が尽きてきたな……自作のだと質が悪いから買い足しとかないと」
背負った矢筒の軽さにそんな独り言をこぼしながら家を出た。ドアを開ければ、降り注いでくる朝の陽射しに思わず目が細くなる。
本日も快晴なり。
「お、『ルヴィ』。今日はもう出るのかい」
家を出たところで丁度、村の中央広場の掃除をしていた村長のブル爺さんと目があった。箒で集められた枯れ葉の山が村の中心に作られた湧き水の噴水の脇に作られている。
「おはようございます村長。朝から精が出ますね」
「へっへっへ、まあな。村長なんて任されちまってんだから、村を綺麗にすんのも俺の役目よ。ま、旅人すらろくに寄り付かん辺鄙な村だがな」
「俺は好きですよ、この村。緑に囲まれた落ち着いた雰囲気が何処となく故郷に似てますし」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。へへ、今日もデカい獲物頼むぜ。まあジジババばっかでちっとも食いきれんがな、ブハハハ!」
「ははは。ま、期待しててくださいよ」
元気に笑う彼に別れを告げ、自分は村周辺の森へと向かうために門へと足を向けた。
村の門は巨大な丸木を組み合わせて作られたものであり、外側に向けてしか開かないようなつくりになっている。外部から襲撃に来る野盗や、人に害をなす『ゴブリン』や『ジャイアントワーム』などの魔物の侵入を妨害するための工夫だ。
とはいえ、そもそも村民が少なかったり国全体に対してこの村の存在自体がさして重要ではないために村を守る兵が送られてくることも無いため、この分厚い丸太の門と村を囲む壁が唯一にして最後の砦になってしまっているのが現状であるが。
「よっ……と」
門まで到着すると片手で門を押し開けて外に出た。ズズズと重い音を立てて開いた門を抜ければ、大きな街がある方へと続く細い街道と見渡す限りの森が広がった。
すうっと鼻から息を吸い込めば、爽やかな木々と風の香りが通り抜けていく。
「んー、久々に大物でも狙ってみるかなあ」
腕を伸ばして伸びをしながらそんな事を独りごちる。
なんとなく体の調子も良いし、そんな気分になったのだ。人と違って生まれつき魔法を使うことが出来ない身体とあって中々強い魔物を相手にするような事はしていなかったが、今日の体の調子なら行けそうな気がする。
久々に頂点捕食者の一角である、羽を持たない四つ足で大地を駆けるドラゴン『バゾルド』あたりに狙いをつけて、森の奥へと歩みを進めた。
森へと入ってからしばらく、魔物の行動の痕跡を探しながら注意深く散策を続けていた。既に小型の獣型の魔物である『ツノウサギ』一匹と鳥型の魔物である『ジュカイハト』二羽を仕留めて紐で括っている。
途中、小鬼の魔物であるゴブリンの小さな群れに遭遇したので村の安全のために全て剣で首を刎ねておいたが、ここ最近森のゴブリンの生息域が少しずつ森中央から村の近くへと移動してきているような気がする。
「森の中央って何かあったっけか……」
ぱっと思いつくものは特にない。
森は森である。強いて言うならばよくバゾルドと縄張り争いをしている大型の蛇の魔物『スピナスレプタ』の巣穴があるくらいか。
以前、運悪く遭遇してヤツを仕留めたことが一度だけあるが、あんな怪物に安物の剣一本で挑むなんて二度と御免被りたい想い出である。
まあ、そんな事はともかくとしてだ。
ゴブリンという魔物は魔物の中では比較的優れた知能を有している。群れをなし、道具を使い、作戦を組んで獲物を襲う。
当然その知能は自分たちが生き残るための工夫にも遺憾なく発揮され、彼ら(もしくは彼女ら)はわざわざバゾルドとスピナスレプタという突出して強い魔物の縄張りの境界線に巣を作り、強力な二種の魔物を睨み合せる構図を見事に作り出していた。
そのゴブリン達が、である。
強力な二種の魔物の睨み合いの構図を崩してまで住処を移動させる必要があったとでも言うのだろうか。
「なんか妙だな」
そういえば、森の中央ではなく更にその先。この広大な森を抜けた先には大国『グレディオン王国』があったな、なんて事を思い出した、その時だった。
―――クスクスクス
突然、子供の笑い声のような声が聞こえてきて、あたりを見回す。
まさかこんな森の中に子供が……?
だが、そもそも子供が居るという状況自体がありえない。
この辺りで人が住んでいる場所なんてコガラの村しか無いし、村長が言っていたように村民も老人ばかりで子供など一人もいない。
なにより何年もあの村で暮らしていた自分が、村に子供はおろか若い家族が住んでいない事をよく知っている。
「……気味が悪いな」
このあたりに生息しているという話は聞いたことがないが、まさか人語を解するような夢魔の類が出たのだろうかと警戒心を強くした時だった。
草藪の先に、白くふわふわとした小さなものが見えた。
「なんだ、あれ」
目を細めてじっとその白いふわふわを見つめる。
見たことのない魔物だ。
一瞬アルビノのツノウサギかとも思ったが、まるでその姿が違う。
白く汚れのない長毛の毛皮に4本の短い足。
森の薄暗がりてぼんやりと白く光る身体。
綿菓子のようにふんわりと広がった尻尾。
額で光を反射させて虹色にきらめく宝石。
自分が覚えている限りではあのような魔物は知っていない。
仮にも狩人をしているのだから当然魔物の知識は人並み以上にある自負はあったのだが、こんな身近に知らない魔物がまだ存在していたなんて驚いた。
「クスクス――」
その小さな魔物はこちらに気が付いたようで、視線をこちらに向けたまま子供の笑い声のような鳴き声をあげてふるふる身体を震わせる。
今も自分はツノウサギとジュカイハトの死骸を持っており、小型の魔物であれば近付きたくない捕食者の気配を漂わせているだろう。
だと言うのにその小さな獣はまるで警戒心すら持たない様子で寄ってくる。
「うわっ、なんだお前」
「クスクス、クスクス………」
宙に浮かぶその魔物は目の前までやってくると、いつもの鳴き声を上げながらくるくると周囲を廻り始めた。その行動に、ただ警戒心が薄いだけではない、ゴブリン達とはまた違った高い知性のようなものを感じた。
「……もしかして、俺に何かして欲しいのか?」
言葉が通じるとも限らないのに、恐る恐るそんな事を問い掛ける。
すると、くるくると周囲を廻り続けていた魔物はぴくりとその長い耳を立てて、鳴くのをやめて目の前までやってくると止まってこちらとじっと視線を合わせてきた。
まさか、言葉を理解している?
こんな小さな獣のような魔物が?
疑問はつのるが、それ以上に興味が湧いた。
まあ、わざわざ首を突っ込んだ自分の責任とも言うが。
「俺に何をして欲しいんだ? 教えてくれ。俺にできる範囲ならどうにかしてやる」
一応まだ仕事の途中ではあるのだが、わざわざ自分を頼りに来たのだろうこの小さな魔物を無下にも出来ず、腰を落として地面に片膝を付きながら問いかける。
魔物はしっかりとこちらの言葉を理解したようで、フリフリと尻尾をふると踵を返して森の何処かへとゆっくり飛び始めた。まるで『自分について来い』と言っているかのように、ときおり此方を振り返りながら。
「言ってみるか……待ってくれ、すぐ行く」
ざくざくと草藪を掻き分けながら、小さな魔物のあとを追い掛ける。
魔物は薄暗がりの中でぼんやりと光っている事と、宙に浮かんで移動している事もあってよく目立ち、追い掛けていくのは簡単だった。
どれくらい歩き続けただろうか。
少しだけ、森が開けたところで魔物はぴたりと止まり、あとを追い掛けるこちらをじっと見つめてきた。
「やっと目的地、か」
がさりと邪魔な若木を手で押し退けてそこへと行く。
すると――
「お前、この事を俺に……?」
「……クスクスクス」
思わず額を冷や汗が伝っていくのを感じる。
そこには、歳は16、7といったくらいの少女が気を失った状態で横たわっているではないか。しかも身に着けているものは高貴な身分の者が着るようなドレスであり、見るからに高価そうな装飾品の類も目立つ。
慌てて少女に駆け寄って脈と呼吸を確認したが、どちらも正常で命に別状は無いようだ。
ひとまず安心してほっと胸をなでおろしていると、白いふわふわとした魔物は音もなく地面に降りてきて少女を心配しているような様子でスリスリと頬擦りをした。
「なんでこんな森の奥地で……」
念の為、周囲から他の魔物が接近してきていないことを警戒しつつ思考する。
今、この小さな白い魔物に頬ずりされている少女。どう見たって高貴な産まれ、それも……
「付けている腕輪……グレディオン王家の紋章」
腕輪に刻まれているのは、翼を広げたドラゴンを象った紋章。
自分の記憶が正しければ、王家の紋章が刻まれたものを身に着けられる者は王家に連なる人物のみのはず。つまり、この少女はグレディオンの姫か、もしくは近い親族の公爵令嬢あたりか。
そのどちらだろうと、何故こんな森で、しかもたった一人で小さな魔物一匹しか連れずに気絶してしまっているのか。
ごくり、とつばを飲み込んだ。
ああこれ、間違いなく厄ネタだ。
関わったが最後、絶対にろくなことにならない。
「いや、元々俺の人生自体ろくなもんじゃなかったけどさ」
コガラの村に来てからは随分と平和な暮らしが続いていたものだから、思わずため息が溢れる。
だが、それで少女を見捨てられる状況でもないだろう。
俺自身、助けられる人を見捨てる選択を取れるような神経はしていない。
「なあ、お前、とりあえずコイツ村に連れて行って手当するけど……良いよな?」
「クス……キュウ」
柔らかな声色で魔物に向かってそう問い掛けると、少女に頬擦りしていた魔物はこちらを見上げてこくりと頷いた。
やはり、飛び抜けた知性を感じる。そう思った瞬間、その魔物は役目は済んだとばかりに光の粒子となって少女の首にかけられたネックレスの先、透明な宝石へと吸い込まれるようにして消えていってしまった。
これは驚いた。
ただの魔物では無いと思ってはいたが、宝石の中に住む魔物が存在していたとは。
「はは、珍しいもの見たな。っと、さて、俺も急いで村に戻らねえと」
気絶して倒れていた少女を横抱きにして立ち上がる。
そうして今度は森の中をコガラ村のある場所へと向けて歩き始めた。
【ツノウサギ】
ジャヤの大森林に生息している小型のウサギ型の魔物。草食で、低木の葉や雑草が主食。頭部からは白い一本角が生えており、擬態する為に苔緑色の毛皮をしている。ツノはオスのツノウサギ同士がメスを奪い合う際に使用し、よりツノが長いほうが勝者となってメスを手に入れられる。
【ジャイアントワーム】
ジャヤの大森林に生息しているイモムシ型の魔物。体長は1.4メートルほど。イモムシの状態で成体であり、地面を這い回ったり木に張り付いていたりする。肉食であり、自分より小さな相手は積極的に襲う。繁殖期になると殺した獣に卵を植え付け、苗床にして数を増やしていく。足が遅いため、よくゴブリンやフォレストウルフといった他の肉食の魔物の狩りの対象になっている。