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よくある事だから指南書がある、とメイドがドヤ顔をする

作者: ふにねこ

短編枠に入れるのはどうかとも思ったけれど、前書きと後書きが二万字以内だったから短編に入れてみた。

お好きなメイドの顔を想像しながらお読みください。

「シェエラザード・アーカウミ!貴様との婚約を破棄するとこの場で宣言するっ!」


 舞踏会の会場に突如として響き渡った声に時間が止まった。

 名指しされた少女は深い深いため息をつき、思考の海に逃避した。

 彼女の脳裏にはドヤ顔をキメるメイドの顔が思い浮かんでいた。




『保護者不在の子供達だけのパーティーではお花畑の住人が姿を見せるのです』


 まるで妖精が現れるかのような口調でメイドは言った。

 自己陶酔の極みは有名舞台俳優も嫉妬するくらいに。

 利己的な言い分は沈黙の呪文となって。

 耳目を逸らすことは許さず。

 

『現実とは思えない茶番劇が始まるのです』 






 ここは貴族と優秀な平民が通う王立学園。

 今はサマーパーティーの最中で、その目的は社交の練習である。

 男子生徒はタキシードか騎士見習服、女子生徒はドレスが義務付けられている。

 ホストは生徒会役員、生徒は招待客、教師たちは賓客として参加。

 もちろん立ち振る舞いは教師たちにチェックされ、評価される。

 学校行事なので礼服が用意できない者にはレンタル制度もあった。






「アーカウミ侯爵令嬢、聞こえないのかっ!」

「さっさと前に出てこい!」

「敵前逃亡を許すわけにはいかないっ。連行されたくなければ自らの足で出てくるんだ!」


 三人の男子生徒の声に時が再び流れ出し、何事かと誰もが息を呑む。

 そして教師の何人かが目頭に手を当て深いため息をついていた。


「申し訳ありません。呼び出しを受けましたので、この場を失礼させていただきます」


 心配そうな顔をしている友人たちに優雅な笑みを浮かべたのはシェエラザードだった。

 背筋を伸ばし、憂鬱な己の心を蹴飛ばすように軽やかな足取りで前に出た。




 三段高く作られたひな壇の上にはこの国の第三王子、ゴーシュ・アンドンが鼻息荒くこちらを見降ろしていた。

 彼の斜め後ろには手を胸の前で祈るように握り、不安そうな顔でこちらを見下している可憐な少女、ノイ・キロネックス男爵令嬢がいた。

 一段下がり、王子の左右にはガーエル宰相の息子フーキヤ、クラーゲン教皇の息子のハッブが立ち、こちらを睨みつけている。

 そして敵前逃亡云々と怒鳴ったモーリモズ近衛隊長の息子、スグーロが仁王立ちでシェエラザードの一挙手一投足を見逃すまいとガン見していた。


 この事態を想定はしていたが、卒業パーティーだろうと思っていたので少し動揺はしている。

 ゴーシュ王子がノイ男爵令嬢と仲良くなり始めた時からシェエラザードはメイドに愚痴をこぼし、それを聞いたメイドが婚約破棄にまつわる騒動のあれこれをシェエラザードにレクチャーしていた。

 事前準備だけはばっちりだったので不安はなかった。

 自分たちがそうであったように、彼らも集まって相談しあったのだろうか。

 並びの配置は事前に相談したのだろうか、立ち位置やキメ台詞もそうなのかと考えると口元がニヨニヨとしてくる。


「シェエラザード・アーカウミ、ゴーシュ・アンドン様の浮気による婚約破棄、確かに承りました」


 臆する事なく堂々とシェエラザードは言い放った。


『先手必勝です、お嬢様。もし婚約破棄をつきつけられたら、向こうに非がある事を先に群衆に印象付けるのです。いいですね、お嬢様。悪役令嬢として断罪される前にこちらが主導権を握るのです』


 奇しくもメイドの言う通りになってしまった事に不満はあるが、指示通りに原因は王子側にあるのだと断言しておく。


「なっ、なんて図々しいっ!」


 反論されるとは思っていなかったのだろう。

 王子はあからさまにうろたえた。

 ついでに取り巻き達もうろたえた。


・泣いて許しを請う。

 (王子とノイによる寛大な慈悲で罪は許すが婚約は破棄)


・己の罪を露わにされて激高する。

 (冷静な口調でフーキヤが論破し、弁舌で追い詰めて婚約破棄)


・己の罪を露わにされて悲嘆する。

 (ハッブが諭しつつ慈悲を持って婚約破棄で許しを与える)


・罪を認めず反論する。

 (フーキヤが罪状を羅列、ハッブが男爵令嬢の証言を代弁、ノイが補足、王子が断罪)


・罪を認めず攻撃してくる。

 (スグーロによる制圧、もしくは肉壁)


・ありえないと思うがまさかの気絶。

 (放置したままでノイへの嫌がらせをしたシェエラザードへの婚約破棄の正当性を生徒達に訴える王子。破棄宣言の後、スグーロがその辺にいる生徒へシェエラザードの保健室への運搬を強制)


 完璧な計画に彼らは祝杯をあげたのだが、すんなり了承しつつさりげなく反論されるという、彼らにとって想定外の事が起きたようだ。


「私という婚約者がありながら他の女性を愛してしまう事はあるでしょうし、真実の愛に目覚めてしまったのならば祝福して婚約解消もやぶさかではありません」


『あくまでも自分は理解ある女だという事を印象付けるのです。周りの印象をよくしておくのですよ』


 メイドの言った通りに、婚約者に執着してません、相手の幸せを願う度量のある女ですよアピール。


「ですが、適当な罪をでっちあげて私有責の婚約破棄をつきつけて慰謝料をふんだくり、口封じに国外追放か死罪でも目論んだのでしょうけれど、そうは行きませんわ」


 シェエラザードの発言に場内はざわりと揺らめいた。

 王子が婚約者以外の女生徒と仲良くしている姿を見たことがある者ほど彼女の発言はそうなのかと思った。


『婚約破棄後の断罪はお約束です。物語でも口封じに殺されてしまうのは定番なので、それを声を大にして逆にやりにくくさせればよいのです』


 本来ならばたかが王子にそこまでの裁量権はないが、保護者がいない、というのが問題なのだ。

 王子という権力を振りかざされた時に、それを止められる者がいない。

 教師は大人だが保護者ではなく、公務員なので王子の命令に逆らえる立場にはない。

 だからこそわざと追放や死刑を口にし、生徒たちの視線で怯ませようという作戦だ。


「そそそ、そんな恐ろしい事は考えておりませんっ、わ、私は、ただ嫌がらせをしたことを謝ってもらおうと思っただけですっ」


 プルプルと震えながら、勇気を振り絞りましたとばかりに声を上げるノイの姿は保護欲をそそる。


「政略結婚なのですよ。嫉妬するわけないじゃないですか。王子が誰を愛そうが正妻の座は揺るがないのに、なぜ貴女を虐める必要があるのか私にはさっぱりわかりませんわ」


 庇護欲を刺激するノイの様子を眺めていたら、したり顔のメイドが思い浮かんだ。


『政略結婚なのに、自分は被害者だと思い込んだり、相手に愛されていると思い込んだり、一人の男として愛されているなどと勘違いするのです』


「お前は王子妃の座が目当てなのだろう!だがノイが私の事を一人の男として愛してくれたのだっ。愛情のないお前と違ってな!」


 どや顔のメイドがほれ見ろと言わんばかりに頷いている姿が脳裏に浮かび、シェエラザードはイラっとした。

 思い込みと勘違いにどっぷり浸かっている王子はそのまま溺れて死ねばいい、と物騒な考えが頭をよぎる。


「婿入りなのに王子妃もないでしょうに」


 心底呆れたと言わんばかりのシェエラザードに聴衆は驚いた顔で王子を見た。

 婚約している事は知っていたが、婿入りだとは知らない者達が多かった。

 彼は第三王子で、王位継承権は第三位。

 学校の成績は優秀だが、それだけ。

 武においては試合には強いが実戦に弱く、外国語は話せるがコミュニケーションは今一つぱっとせず、王弟として王を補佐するには物足りず、特筆すべきものがない。

 王族として名を連ねるだけの価値よりも侯爵家に婿入りした方が価値があると判断された意味をゴーシュはわかっていなかった。

 それはノイも同じだった。


「婿入りしなければ、ゴーシュ様は王子のままですね」


 親の教育が行き届いた貴族の子供達は息を呑み、婚約者のいない女生徒は騒然とした。

 姉妹のいる子息達は忙しく目を動かして嫁入り先の候補に目星を付ける。

 いつか物語のように王子様がと現実の見えない女生徒の目は肉食獣のそれとなって王子に向けられる。

 婿入りされては敵わないと猛禽類の眼差しで物色をする女生徒もいた。


「王子は私に愛されたかったのですか?」


 シェエラザードは驚いたように声を上げた。


「えっ」


 ゴーシュ王子が未確認生物を見るかのような目をシェエラザードに向けた。


「そんなわけがあるかっ!お前がわがままを言って私を婚約者に据えたのであろう!」


 メイドの予想通りでシェエラザードは鼻で笑った。


「王家の打診を忠臣たる我が侯爵家が断るとでも?」

「た、たとえ親が決めた婚約だとしても、ゴーシュ様を見て断る女などいないだろうっ」

「見て断る方はあまりいないと思いますが、知って断りたいと考える方はいらっしゃるかと思います。というよりフーキヤ様……王子の容姿になぜ貴方が自信をお持ちなのか理解不能です。フーキヤ様はゴーシュ王子の容姿が好きなのですね」


  シェエラザードは生温かい眼差しをフーキヤに向け、ここにフーキヤ男色疑惑が浮上した。


「人の好みは千差万別。不躾な事は何も口に致しませんわ」

「馬鹿な事を言うなっ、私が愛しているのはノイだけだっ」

「フーキヤ様っ……!」


 堂々と愛を宣言するフーキヤにうっとりした眼差しを向けるノイ。

 それに気が付いたゴーシュ王子の目に嫉妬の炎が宿り、ハッブが羨ましそうにフーキヤを見ていた。


 これなんていう茶番劇?


『傾国の美女と謳われるのは何故かわかりますか?高嶺の花は共有できますが、俺の女は共有できないからです。独占できる権利が結婚という制度である以上、一人の女を巡って争いが起きるなんて有りがちな話です。私のために争わないで状態は物語だからいいのです』


 多くの男性に恋焦がれたいと夢を見るのは勝手だが、現実でそれをやるのは無謀としかいいようがない。

 女は打算で共有を許せても、男は本能が強すぎて共有はできないのだから。

 男は何人でも女を孕ませることができるが、女はそれができない。


『逆ハーレムを望む女と結婚したら漏れなく浮気相手もついてくるなんて、男は考えられないんですよ。いつまで経っても男は純粋で馬鹿なのです』


 メイドに何があったのだろうか。

 語る彼女は自嘲気味に語っていた。

 ほんの少しだけ感慨深くなったシェエラザードは素朴な疑問をぶつけた。


「ノイ様は誰が好きなのですか?」


 ごくりと聴衆は固唾を呑んでノイに注目した。


「えっ、やだぁ、そんな大事な事、ここでは言えませんわ。そういうのは二人きりの時に言うものです」

「確かにそうですが、王子と心を通わせた女生徒を嫉妬して虐めたという濡れ衣をきせられた私としましては、事実確認をしておきませんと。さっき王子は一人の男として愛してくれた、と貴方の事をおっしゃってましたが」


 ノイの口元がひくりとひきつったのをシェエラザードは見逃さなかった。


『ああいった女はまず被害者を装うのが上手いのです。男は可愛らしい女性の涙をこらえた上目遣いのお願いに弱いのです』


 憎々し気に言い放ったメイドの事を思い出す。

 彼女に一体何があったのだろうか。


 あの時は聞く勇気がなかったが、今なら聞ける気がする。

 帰ったら聞いてみようと思いつつ、公衆の面前でなんて破廉恥な事を聞くの恥ずかしくって困るわ、という顔をしているノイに意識を戻す。


「思いが通じ合った男性に公衆の面前で告白されたのですよ。ここできっちり振って差し上げないと、未練となってしまいます。一人しか選べない以上、他の殿方の思いはバッサリと断ち切ってあげるのが情けというものでは?そう思いませんか、ズグーロ様」


 いきなり話を振られたズグーロは睨み返すという技に出た。

 単に対応できなかっただけなのだがシェエラザードには関係ない。


「貴方はゴーシュ王子とノイ様が結ばれるのを指を咥えて見ているだけですの?」


 挑発してみた。


「ノイ様を独占する権利を譲るのですか?戦わずに?私の質問にノイ様は答えなかった。つまり貴方にもチャンスはまだあるということです。皆様の前で、男らしく、メスを奪い合う雄の本能に従い、頂点に立ちたいと思わないのですか?これは千載一遇のチャンスです、これだけの大勢の人の前での宣言ならば、例え誰であろうとも覆すことは不可能なのです」


 言っている内容は意味不明だが、説得力のある言い方だった。

 ここでノイが王子以外の者を選んだとしても、大勢の前で宣言したノイの言葉を覆す事は地位をもってしても不可能。

 四人の中で一番地位が低いズグーロにとって、生徒たちが証人というのは大きな後ろ盾になる。

 ズグーロは熱い眼差しでノイを見上げた。


「シェエラザード侯爵令嬢、貴女は恥ずかしくないのですか?このような公な場所で人の心を暴くなど、人として恥ずべき行為ですよ」


 ハッブが怒りを抑えながらノイをかばうが、シェエラザードにはこれっぽっちも響かなかった。

 むしろ鼻で笑った。


「この場で好きな方を口にする。どこが恥ずかしいのか私にはわかりませんわ。公衆の面前で浮気を堂々と宣言されたあげくに婚約破棄という今の私より辱めを受けていると言いきれますの?」


 シェエラザードを辱めて貶めるためにわざわざ公衆の面前で婚約破棄という騒動を起こしたという自覚があるハッブは言葉に詰まった。


「私を罪人と言うのならば、動機のありようをはっきりさせるべきです。ゴーシュ王子がノイ様とお心を通じ合わせたとおっしゃられたのは独りよがりの妄想による妄言だったとハッブ様はおっしゃるのですね」

「えっ、いや、私はそんなつもりじゃ……」

「ではどんなつもりなのですか?ノイ様とゴーシュ王子が思い合っているから私が嫌がらせをしたとあなた方は言ったではありませんか」

「いや、私は……」

「今まで王子に片思いする女生徒に私は嫌がらせなどした事はありません。だからこそ、私に反省を促すと考えるのならばノイ様のお気持ちはこの話の最重要点ではないですか?」


 もはやノイが誰を好きで王子が誰が好きかなんてどうでもいい。

 この状況がなんだか楽しくなってきたシェエラザードはノリノリにハッブを追い詰める。


「それにハッブ様もノイ様がどなたにお心を寄せているのかは気になりましょう?」


 ハッブは沈黙した。

 ノイは焦っている。

 聴衆はワクワクしている。

 王子達は期待した目をノイに向けていた。


「ノイ様?」


 ノイの肩がビクンと揺れ動いた。

 視点が忙しく揺れ動き、赤くなったり青くなったりと忙しい。

 追い詰められた感が半端なかったのでシェエラザードは逃げ道を与えてあげようと親切心を起こした。


「ノイ様が一人に決められないというのならば仕方ありませんわ。みな魅力的な存在ですもの。選べるなら全員選びたいと思うのもわかりますわ」

「そ、そうですよね。どなたかを一人なんて、今はまだ無理です」


 ここぞとばかりにノイは大きく頷いた。

 選ぶ事ができないのと、選びたい、では意味合いが大きく変わる。

 今はまだ、も結局は現状維持という事だ。

 第三王子、宰相の息子、教皇の息子、近衛隊長の息子に愛を囁かれたままでいたい。


『被害者ぶる女の本音を誘導すればよいのです。第三者の男子生徒と女生徒は本音に触れればすぐにお嬢様の味方になります』


 冷めた視線がノイに向けられた事にシェエラザードは満足する。

 ゴーシュ王子の浮気をメイドに愚痴っただけなのに、彼女は親身になって色々なアドバイスをくれた。

 それが今まさに役立っている。

 ほんの少しだけ、給料を増やしてもいいかと考える。


「ノイ様はどなたにもお心を寄せていないのに……」


 シェエラザードは芝居がかった口調でゴーシュ王子を見上げた。


「ノイが私の事を一人の男として愛してくれたのだ、というのは妄言でしたのね」


 憐れむ視線にゴーシュ王子が怯んだ。

 愛されているという自信が粉々になり、今までの関係が覆されたショックに頭が働いていないようだ。


「お可哀そうに。権力のある男性に言い寄られては断る事もできなかったでしょう」


 同情してみた。


「わ、私……ゴーシュ様は王子様で、とても素敵で、でも断るなんてできなくて……」


『被害者ぶる女の恐ろしいところは、被害者のまま事態を有耶無耶にし、被害者のまま逃げ出し、最終的に怖くて逃げ出してしまってごめんなさいで許されようとするのです。話に齟齬があろうとも、その可愛さを武器に真実を叩き割り、零れ落ちそうな涙で味方を集め、被害者という名の盾で追及を防ぐのです』


 メイドの話す事が的確過ぎてもはや尊敬するしかない。

 そしてノイの強かさに戦慄する。

 一度たりとも彼女は誰か特定の人物を好きだと口にしていないのだ。

 彼女が口にしたのは嫌がらせをしたシェエラザードに謝って欲しいという願いだけ。

 言質を取らせない、というのは貴族社会を生き抜くためには必要なスキルだ。

 まともにやりあうにはノイという女生徒の事を知らなすぎると判断したシェエラザードは目下の問題を片付ける事にした。


「ゴーシュ王子。婚約破棄の件、王子有責で承ります。嫉妬からのいじめなど、そもそも婚約者が浮気しなければ起きませんわ」


 はなっから前提がおかしいのだ。


「真実の愛に目覚めるのは結構ですが、婚約を解消してフリーになってから愛を請う、というのが関係者に対する誠実な対応では?婚約者がいながら他の者を口説き、成功すれば婚約破棄、失敗すれば何食わぬ顔で婚約続行。それは真実の愛ではなく浮気というのです」


『真実の愛という言葉に惑わされてはいけません。あれは都合の良い言葉なのです。ロマンチストな方や恋物語が好きな方にとって、真実の愛という言葉は正義なのです。これに勝つには誠実な行動がカギなのです』


 ど正論に誰もが同意する。


「それとノイ様。私は虐めなどという不毛な事はいたしません」

「でも、確かに私は……」

「私はしておりませんし、取り巻きにもさせません。侯爵令嬢が誰にでもわかるいじめなど、外聞が悪いにもほどがあります」


 ノイは意味が分からないといった顔をしている。


「私は侯爵を継ぐのですよ。人を虐めた事のある侯爵夫人と人を虐めた事のある侯爵とでは世間的に天と地ほどの差があるのです」

「シェエラザード様が侯爵?」

「ただでさえ女の侯爵と侮られやすいのに、ましてや虐めなどという世間体の悪い事をして侯爵家の評判を落としてどうするのですか?我が家が立ち行かなくなるではありませんか」


 侯爵ともなれば中途半端なやり口は許されない。

 相手が恐れて言う事を聞く、拒絶を許さない、それだけの徹底した恐怖を周りに与えねば世間体の悪い侯爵家はやっていけない。

 さすがにそれは余計な面倒も多いので、当たり障りのない普通の女侯爵を目指したいところだ。


「でも私の事が目障りなのでは……」

「政略結婚なのですから愛人を持つ事に反対は致しません。むしろ余計な口出しをされたくないので愛人宅に入り浸っていて欲しいです。本当に目障りなら陛下にお願いして穏便に男爵家から平民に落としますけど何か?」


 これもまた政略結婚の現実の一つだ。

 領地経営に口出しされるくらいなら、金に影響のない範囲で愛人や趣味に没頭してほしいと考える仕事人間は少なからずいる。


「そんな……寂しいじゃないですか」

「愛のない政略結婚ならその方が平和だと思いますけど……こればかりは考え方の違いですね。これでも最初は歩み寄ろうとしたのですが、何も返してくれない相手に時間をかけるほど暇人ではないので」


 むっとした顔でゴーシュ王子が言い返そうとするが、心当たりがあったのか気まずそうに視線をそらした。


「し、しかし陛下がそれを許すはずがないっ」


 フーキヤが陛下の名を出すのは大袈裟だと騒いだ。

 シェエラザードは深いため息をついた。


「陛下が望まれた婚姻ですよ。それを反故にする時点で陛下に対する不敬、もしくは反逆にあたるのでは?」


 王が侯爵家に息子の婿入りをお願いした。

 その事実を改めて突き付けられ、ゴーシュ王子達の顔から血の気が引いた。

 王の取り決めを覆すにはそれなりの理由と対応が必要だ。

 この場合、王子は王に相談すべきだった。

 相談も根回しもせずに勝手に王の取り決めを破棄しようとした、という事実を初めて認識したといっていいだろう。


「ど、どういう事なんですか?」


 震え上がるゴーシュ王子に不安を覚えたノイはフーキヤに尋ねた。


「えっ、あ、その……」

「息子のために整えた婚姻をぶち壊した元凶を、陛下はどう思われるかしら」


 言葉に詰まるフーキヤの代わりにシェエラザードが答えると、ノイの顔色がどんどん悪くなっていった。


「この件が陛下のお耳に入ったら、貴女が選べる道は三つね」

「み、三つ?」

「修道院か平民、男爵家へ王子の婿入り」

「なんですって!」

「なんだとっ!」


 ゴーシュ王子とノイの声が重なった。


「あ、平民になればフーキヤ様やハッブ様、ズグーロ様にも結婚できる可能性は出てきますね」


 ノイの目に希望の光が宿る。


「もちろんその場合、フーキヤ様達は貴族籍から抜かれるでしょうけど」


 ノイの目から光が失せ、フーキヤたちが焦ったようにシェエラザードを見た。


「なぜ我々が平民などにっ」

「息子の婚姻をダメにした元凶と結婚した人を陛下はどう思うかしら。家族の方たちはどう考えるかしら。私なら貴族籍を抜いて放逐ですわ。後継者なんていかようにもできますもの」


 彼らの脳裏に弟が、従兄弟の顔が次々と浮かんでは消えていく。


『逆恨みを避けるためには徹底的に現実を叩きこむことです。己の行動が何を引き起こしたか、それを突きつけるのです。逆恨みをされて殺されないためにも、後顧の憂いは徹底的に払うのです』


 自分の命がかかわってくるのだから、なりふり構っていられない。

 虎の威を借りる狐のごとく、陛下のご威光を前面に押し出し、陛下へ忖度した家族がどのような結論を出すのかを想像させた。

 これで彼らは陛下の不興を恐れた家族に見放されたと思ってくれるだろう。


『あくまでもお嬢様は被害者なのです。婚約者に浮気された、婚約者を奪われただけの被害者という立場なのです』


 真面目な顔で言いつのるメイドの顔を思い出しながら、なんだか納得いかない気持ちを押し込めつつ周りの反応を確かめる。

 概ねシェエラザードには同情的だ。


『いいですか、お嬢様。最後まで気を抜いてはいけません。健気なお嬢様を見て支えたいと殿方に思わせるのです。王子に浮気されて婚約が解消されてもなお、お嬢様は数多の次男三男にとっては優良物件なのですからね』


 余計な一言が多いが、メイドの言っていた事に今のところ間違いはない。

 だからシェエラザードはここにきて傷心の令嬢の仮面をかぶった。

 ここからはバラ色の未来に向けて失敗は許されない。


「ゴーシュ様、今までありがとうございました。縁は切れてしまいましたが、これからの……ご活躍を陰ながらお祈りしております」


 王子の未来など一片たりとも考えていなかったので妙な間が空いてしまったが、なんとか恰好はつけた。

 頭を深々と下げた美しいお辞儀を王子に見せると、ゆっくりと回れ右をする。

 注目している人たちに向かってすまなそうな顔をしつつ口を開いた。


「私的な事でお騒がせを致しましたが、宴はこれからでございます。この宴によき出会いがある事を願っております」


 誰もが見惚れる美しいお辞儀をし、聖女のように慈愛に満ち溢れた笑みを張り付けて顔を上げる。

 こちらに注目していた音楽隊の指揮者に目を合わせ、さりげなく踊れる曲をリクエストした。

 察しのよい指揮者はすぐにタクトを振り上げる。


「どうか私と踊っていただけませんか?」


 ドキッとしたが、自分への申し込みではなかった事にシェエラザードはがっかりし、申し込まれた女生徒達にリア充爆ぜろと心の中で捨て台詞を言い放ち、それでも平然とした顔で羨ましい気持ちを蹴り飛ばしながら主催者の元へ向かった。


 生徒会の面々が気まずそうな顔で立っていた。

 シェエラザードが来ることは想像できていたのだろう。

 こちらも来たくて来たわけではないが、ちゃんと詫びなければ失点が付いてしまう。

 王子のしでかしたことには目をつぶったくせに今はこちらを見て立ち居振る舞いについての評価をつけている。


「せっかくのパーティーに水を差したこと、深くお詫び申し上げます」


 たとえ自分が悪くなくても、被害者だとしても、騒がせてしまった事には変わりない。


「貴女のせいではない。お気になさらず、パーティーを楽しんでください」


 生徒会長の無慈悲な言葉に退出不可能だと知り、泣きたくなった。

 本当に泣いてもいいよね、と思ったのは生徒会長の後ろにいる四人の役員たちの小声が丸聞こえだったことだ。


「お前、誘えよ」

「えっ、やだよ、目立つじゃん。お前が行けよ」

「俺には婚約者が」

「俺には片思いの子が」

「俺には誘いたい子が」

「順番待ちなんで横入りはちょっと」


 生徒会長の顔が引きつった。

 壁の華を一輪も残さずにダンスに送り込むやり手婆のような所業も主催者の仕事だ。

 このままでは踊る相手のいないシェエラザードの評価がマイナスになってしまうのは明らかで、生徒会にも騒ぎを収めることができなかった上に帰らせたとあってはマイナス評価がついてしまうだろう。


「………………よろしければ、踊りませんか?」


 ダンスも評価の一部だから最低一曲は踊らなくてはならない。

 明らかにお情けの申し込みだ。

 何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、シェエラザードは差し出された手をとった。


『婚約破棄の騒動の後、前からお嬢様の事が好きでした、という展開があるかもしれません。ご油断めされぬように、淑女たれ、ですよ』 


 そんな甘い展開をほんのちょっとだけ期待していたが、現実の厳しさに打ちのめされた。

 ゴシップに目を輝かせる平民の主婦を思わせるメイドのにやけた顔を思い出し、心の中で頬を左右に引っ張る想像をしつつ両手を広げて生徒会長とのダンスに挑んだ。


「今日は……そのう……私とのダンスを楽しんでください」


 慰めの言葉が上手く出てこなかったのだろう。

 けれど、気遣ってくれる気持ちが嬉しくてシェエラザードは笑みをこぼした。

 よく見れば生徒会長は整った顔立ちをしている。

 どちらかと言えば冷たい印象を与えるが、シェエラザードの笑みに釣られたのかふわりと笑みを浮かべた瞬間に華やかな印象に変わる。

 黄色い悲鳴が聞こえたような気がしたが、ダンスの採点ばかり気にしていたシェエラザードは気が付いていない。

 ダンスの間は終始無言だったがむしろありがたかった。

 初めて踊ったわりにはうまく踊れた気がして、少し気分が上向いた。

 踊り終えた生徒会長の頬が微かに赤いのを見上げながら、一仕事終えた気になった。


「ありがとうございました」


 踊って少し気が晴れたシェエラザードは心配しながら待っていてくれた友達の輪に戻ると、おしゃべりに花を咲かせて最後まで参加していた。

 心行くまで愚痴や不満をぶちまけ、綺麗にストレスを発散させる事ができてご満悦だ。


「お嬢様、お迎えに上がりました」


 鼻息も荒いメイドがそこにいた。


「どうでした?やっぱり婚約破棄、されちゃいましたか?」


 期待に目を輝かせるメイドとともに歩き出す。 


「ええ、貴女の予想通りにね」

「そうでしょうとも」


 得意気なメイドに案内されて自家用の馬車に向かう。


「それにしても、ことごとく貴女の言っていた通りで驚いたわ。おかげで助かったけれど……あなた、どうしてあんなに詳しかったの?」

「もちろんお嬢様のために勉強しましたので」

「マウイ、教科書は貴女の好きな恋愛小説かしら?」


 恋愛小説一択の読書傾向を知っているシェエラザードの言葉にマウイと呼ばれたメイドは首を振った。


「いいえ。実は侯爵家の図書室にそういった事態に備えた本がございまして」

「備えた?侯爵家が婚約破棄をされるなんて然う然うないでしょう」


 馬車の前に到着した二人は向かい合った。


「いいえ、お嬢様。よくある事です。だからこそ指南書があるのでございますよ、お嬢様」


 マウイはここ一番のドヤ顔を浮かべた。


「でもね、マウイ。壁の華対策の一環でダンスに誘われたけれど、殿方は誰も私に寄ってこなかったわよ」


 そう言ってシェエラザードは御者が開けてくれた馬車に乗り込んだ。

 続いて乗り込んだマウイは鼻で笑う。


「高嶺の花のお嬢様。馬鹿王子のせいで少々、自己評価が低いようです」

「誰も摘み取ろうとは思わない?」

「逆です。摘み取れる可能性が出たからこそ、明日からお見合いの話がてんこもりでございますよ」


 がたんと揺れて走り出した馬車に、生徒会長と踊ったダンスを思い出した。


「指南書の出番がない事を祈るわ」

「婚約破棄の後には良縁が舞い込むと相場が決まっております」

「……王子達はどうなると思う?」

「そうですね、全校生徒の前でやらかしたので、婚約破棄は間違いないでしょう。それと、今期の成績はきっと王族の消したい記録になるかと」


 授業の一環であるパーティーで失態を起こせばマイナス評価がつくのは当たり前。

 全校生徒を巻き込む騒ぎを起こせば、それはもう取り返しのつかない点数になること間違いない。


「学年が別になるといいのだけれど」

「おそらくですが、王子は留学か病気で休学なされるでしょう」

「あら、なぜ?」

「王族が留年など、外聞が悪いではないですか」


 なるほど、と思いながらシェエラザードはマウイを見た。

 何でも答えてくれるメイドのマウイはいったい何者なのだろうか。


「ねぇマウイ。私、幸せな結婚ができるかしら」

「お任せください。お嬢様のために、新たな指南書を読み込んでおきますね」

「そんな指南書、あるのかしら?」

「よくある事だからこそ、指南書があるのです」


 マウイは今日何度目かのドヤ顔を披露した。





誤字脱字のご指摘、ありがとうございます。

気にせず読んでくれる方々もありがとうございます

感想は受け付けておりますが、ヘタレなので返事ができません。

誤字脱字は直しますが、本文の修正はしません。

ドヤ顔のメイドを想像しながらよい一日をお過ごしください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何があったメイドw とても面白かったです。 [気になる点] 役員の台詞 必要だからこそ盛り込まれたであろうあの不快な台詞、 意図が理解出来ずもやもやもやんとしております
[良い点] 面白かったです、指南書メイドの続編が読みたいです
[良い点] 「メイドのマウイはいったい何者」とあるから、出身が分からない、ふと現れた元悪役令嬢あるいはゲームか何かをプレイした現代からの転生者って事なんだろうなぁと思います。 指南書=元悪役令嬢(ゲー…
2022/10/15 15:13 冥土のお供にメイドさん
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