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回想から入ります
晴れた青空の下、にぎやかな声援に囲まれて、試合は中盤を迎えた。
一対一の同点で後半に突入し、両チームとも何とか流れを自分達のチームのものにしたい……そんな思いで、試合は白熱していた。
ボールを持ったのはチームのSF……エース・ストライカーだ。
敵チームに阻まれたSFからパスを受けようと、自分は敵チームの陣の隙をぬって前進していく。
予想通りパスが来る。ボールを受け止め、周りを見渡す。
相手チームの選手はSFに集中しており、パスを返すのは難しかった。
他のメンバーはまだ後方にいる。
前進か、後方パスか、ボールキープでとどまるか……。
一瞬ためらうが、ゴール前を守っていた敵DFが、自分に向ってくるのを感じて、そのままドリブルで前進する。
敵チームのガードを振り切り、SFがゴール前に上がってくる。
パスを送りたいが、DFがしつこく食い下がり、なかなかチャンスをつかめない。
後方にメンバーが近づいた気配を感じて、方向転換しようと身をよじる、が。
『……ぐえっ……』
胃のあたりに肘鉄を食らい、体勢を崩した。
敵DFの反則だった。
だが、ホイッスルは鳴らない。
審判には、肩を当てただけに見えたらしい。
『わざと……』
絞り出すように言うと、よろめいて、膝をついた。
胃液が逆流し、思わず嘔吐く。
ボールを蹴るDFの声が、小さく聞こえた。
『バーカ』
せせら笑うような声が耳に届き、ぼやける視界の中、怒りを込めて、ボールを見つめた、その刹那。
……目の前ではじけ飛ぶサッカーボール。
ボールの破裂音も、周囲に上がったはずの悲鳴も耳には届かない。
無音の中、朱を散らした、白黒のボールの破片が目に入り……。
「……!」
はっとして、がばっと身を起こした。
周囲を見回し、それが自分の布団の上だということに気づいて、俊は安堵の溜息を吐いた。
時計を見れば、まだ日付が変わる前だ。
床について、まだあまり時間は経っていない。
……しばらく、見なかったのに……。
もう、三年になる。
中学二年の時、サッカーの県大会で起きた、惨事。
木っ端みじんに破裂したサッカーボールと。
無数の切り傷で、血だらけになった、DFの少年。
幸い、軽傷ではあったけれど、一時試合は中断し、結局再試合になった。
かまいたちでボールが破裂し、『運悪く』そばにいた少年もケガをした。
『事故』として、決着がついた。
……だけど、俊は、知っている。
あれは、自分がやったことだ。
ボールと、それを持つ少年に向けた、思い。
激しい怒りと、憎しみを。
自分の中に、渦巻く感情の高ぶりに、俊自身が気を失うほどだった。
あの時、正彦が駆け寄ってこなかったら、そのまま自分を失っていたかもしれない。
『俊、落ち着け! 自分をしっかり持つんだ!』
あの時、自分は、何かをつぶやいていたと思う。
何か……怨嗟の言葉を。
『大丈夫だ。大丈夫……』
正彦の言葉に、徐々に気分が静まって、気が付いたら、DFの少年が担架に乗せられて運ばれて行くところだった。
『正彦……』
『腹、つらくないか? あいつ、ラフプレー多くて、結構有名なんだ。審判、もっとよく見てくれってんだ』
素知らぬ顔で、正彦は文句を言った。
『ごめん』
せっかくのチャンスを……大事な試合を……。
『ごめん……』
言葉足らずの俊に、親友のエースストライカーは、にっこり笑って答えた。
『大丈夫!』
……だが、結局再試合は、負けた。
俊は思うように体を動かせなかった。
夢中になってプレーしたら、また何か起こりそうで、試合に集中できなかった。
『大丈夫、また来年がある!』
そう、正彦は笑ったが、俊は、サッカー部を辞めた。
もう、何かに感情を高ぶらせるようなことは、しない。
そう、決めた。
……決めた、のに。
あの時。
美矢と珠美が、上級生に呼び出され、しかも男子生徒がいると聞いて、真っ先に思い出したのは。
初対面の時、不良たちに絡まれていた、あの光景。
腕を掴まれ、手で口をふさがれた、美矢の姿。
震えながら、それでも気丈にふるまって、ほっとしたら、ぽろぽろ泣いて。
気が付いたら、美術室を飛び出していた。
被服室に入ったら、呼び出した方は仲間割れしていて、事態は思ったほど深刻ではなくて、なのに。
美矢が叩かれそうになっているのを見て、俊は夢中で女生徒の腕を掴んで。
感情のままに、美矢を叩いてしまった。
最悪の事態は回避できていたはずなのに、わざわざ相手を怒らせるような態度を取る美矢を諌めたいという思いも確かにあった。
しかし、自分をこんなにも焦らせておいて、自ら災いを呼び込むような美矢に対する怒りも、あった。
もやもやした思いが胸に渦巻いて、気が付いたら叩いていた。
軽くとはいえ、痛かったろうに。
力を加減する程度の理性は残っていたのだろう、だが、俊は自分を止められなかった。
そして、きっと内心はおびえていたに違いない美矢に対して、慰めることもせず、きつい言葉を浴びせてしまった。
なんとか感情を抑え込んで、でも抑えきれず、あの始末だ。
あの時。
万が一、美矢たちが、危険な目にあっていたら、自分は手加減する理性すらなくしていただろう。
そして、暴れる感情のままに、行動していたら?
そう考えただけで、身震いする。
美矢が害されることに?
その結果、自分が起こすであろう、惨劇に?
答えは出ないまま、俊は、怯えた。
途方もない、感情の高ぶりに。
そして、うずくような、胸の痛みに。