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暗闇の在処



「まさか、後藤君が……」


陽子の追及を受けた坂田は事態をようやく悟ったようで、「信じられない」という表情を浮かべている。


続いて事実を知った彼の顔に少しずつ生じた感情は、自身に向けられた理不尽な不幸を与えた者への怒りではなかった。



落胆、だった。



「は……はは……はぁ、そうか。そうかぁ……」


坂田は枯木に満ちた地面へと、うなだれるように座り込んだ。



「そうかぁ、後藤君が……」


この坂田の反応は陽子にとって意外な反応だった。

てっきり怒り出すか慌てるかのどちらかだろうと思っていた。

しかし目の前の坂田は風船が萎んだように小さくうなだれている。



「坂田さん……」


陽子は坂田にかけるべき言葉を探していた。


が、見つからない。


坂田にとって、後藤という存在は“相棒”といってもいいようなものだったろう。


暗い劇場で酒のつまみのように出されてショーをしていたときも、一気にテレビの華やかな世界のステージへ登ったときも。


そして、再び薄暗い巣穴へ戻ることになってからも。



文字通り一蓮托生の関係だったはずだ。


その後藤が、自分を命の危険に晒すようような罠を仕組んだ。


──どうして……。


という気持ちが今の坂田の中を駆け巡っているのだろう。


慰めるべき言葉が、見当たらない。


陽子自身からすれば、後藤に対して深い憎しみといえる感情が沸き起こってもいるのだ。


確かに、まだ後藤が犯人だと決めつけるのは早いのかもしれない。


しかし、事の原因となった疑惑が濃厚なものとなった今、早く憎しみの対象を見つけたい、この理不尽な暴力とそれに引き起こされた悲しみの代償を誰かに支払わせたいという感情があった。


正直なところ、陽子の心情にはそのような複雑な思いが漂っていた。



ふと、背後の茂みが鳴った。



「──!?」


驚いた二人がそちらを見ると、男が一人立っていた。




男は全身が赤黒く焼けただれ、ぼろきれのような衣服の残骸を身にまとっていた。


奥村だった。


奥村はこちらの二人に気がつくと、口を開けて何事かを言っている。


それは喉の奥からゴボゴボと泡立つような濁声であり、必死に何かを訴えようとしている気配は感じられるのだが、とても聞き取れない。



「オ、ゴ……グッ……」


それはもはや言葉では無かった。


山小屋で自分たちを襲ってきたあの奥村の執念に満ちた狂気はどこかに消えうせ、

呆けてしまったかのような無感情を目に宿していた。


急速に老けこんだ、とも見える。

それは髪が白くなったり──奥村の髪はすでにほとんど炎によって焼かれていたが──、肌が皺だらけになっているということではない。


奥村の全身を纏う生気というか、雰囲気のようなものが、とても三十代の人間には思えないほどに弱々しく、ある意味で病的な虚弱さを陽子に感じさせた。


山小屋で自分と宮木を襲った奥村とは別人のようになっていた。


その原因は薬物の効果が切れかけているのか、それとも肉体のダメージがたまりすぎたのか、

奥村の動作はもはや人間というよりも、壊れた機械人形のようにぎこちなかった。


あるいはB級ホラーに出てくるような“ゾンビ”を思わせた。


ゆっくりと、亡者のように手をさし伸ばし、何事か呻きながらこちらへ足を運んでくる。


奥村のその姿があまりにも異様で、陽子は思わず息を呑んだ。



「坂田さん! 逃げないと!」


「……」


「……坂田さん?」


突然の追跡者に対しての坂田の反応も、異様だった。


彼は陽子の促しに従わず、従わないばかりか、

はぁ、と深いため息をついたまま、視線を地に落とした。




「どうして、こうなるんだろなぁ……」


坂田は地面に向かって話しかけている。


「せっかく久しぶりにテレビに出演できたのになぁ」


彼は今にも泣き出しそうな顔で、呟いている。



「坂田さん! 何をしてるんですか!? 早く、早く逃げないと……ッ!」


陽子は接近してくる奥村と、地面を見つめたままの坂田を交互に見やり、

何度も坂田に逃げるよう促すが、彼はいっこうに腰を上げようとしない。


奥村の足音が近づいてくる。



「坂田さん!」


陽子のすぐ背後で細い枝が踏み砕かれる音がした。



「──ッ!?」


突如、森中の木々が振動するかのような、轟音が鳴り響いた。


陽子が振り返ると、奥村のぼろ雑巾のようになった巨体が、ゆっくりと崩れおちるように地面に倒れた。


奥村は最期に自身の身に何が起こったのか理解する間も無かっただろう。


だが、奥村は最期のその瞬間までこちらを睨んで執念を向けていた。




倒れた奥村の背後に、猟銃を持った男が立っていた。


陽子は、その男の姿を認めると目を見開いた。





「……後藤さん」


後藤は、まだ銃口から煙を立ち昇らせている猟銃を肩に担ぎ、

陽子と坂田を見やり、にっこりと笑った。


その銃は、半藤が持っていた物だった。



「大丈夫ですか、お二人とも」


「……」


「坂田さん、お怪我はありませんか。里見さん、あなたもよくご無事で」


陽子は自らの呼吸が荒くなっていくのを感じていた。



「うん? どうかしましたか?」


「……」



「大変な目に遭いましたね。でも、もう大丈夫です。

さあ、一緒に山を降りましょう。すぐに警察に連絡しなくては」


本来ならば聴く者に安心感を与えるだろう後藤の低音の声は、今の陽子には死神の囁きに聞こえた。


──後藤を問いただすべきか。


陽子がそう迷っているうちに、口火を切ったのは坂田だった。



「どうしてこんなことを? 後藤くん…」


後藤の動作がぴたりと止まる。



「はて? こんなこととは?」


後藤はまったく表情を変えることなく、笑顔で聞き返した。



「これを見てください、後藤さん」


陽子は意を決してポケットから錠剤を取り出し、後藤に向けて突きつけた。



「これを仕組んだのは、あなたですね」


「なんですか? それは」


そう言って、後藤は陽子の顔を見ずに猟銃に弾を込め始める。



「すべての元凶は、あなたですね」


「何を言っているのか私には……」


猟銃のスライドを引き、シェルを装填する。

ガシャン、という小気味のいい音を立てて再発射の準備を終え、後藤は銃を構えた。


相変わらず口元には笑みを絶やしていない。


が、その目は暗闇に落ち込んでいた。


「さて」


と後藤が話題を変えましょうとばかりに軽い口調で言った。



「最期に何か言いたいことは?」


そう言って後藤は陽子へ銃口を向けた。



「どうしてなんだ……?」


うなだれていた顔をあげて立ち上がったのは坂田だった。



「後藤くん、どうしてなんだ」


「どうして?」


驚いた様子で後藤が聞き返す。


「これはね、ラストチャンスなんですよ。坂田さん」


後藤が穏やかに言った。



「あなたのためなんです」


「僕のため……?」


「あなたが返り咲くためには、必要なことなんです」


「ど、どういうことだ」


「今さら、こんなありきたりな心霊モノの番組に出たところで、何になりますか。

次に繋がりますか」


「え……」


「だから」と後藤は唖然とする坂田に目をやり、大きく言い放った。


「こういうことですよ」


「驚天動地! 山中の洞窟で密かに行われた危険な薬物パーティ!」


後藤は両手を大げさに広げ、オペラでも歌い上げるかのように高らかに言った。


「撮影スタッフたちによる退廃的な狂宴。起きてしまった事件。

そしてそこに何も知らずに巻き込まれるものの、奇跡の生還を遂げるゲッティー坂田ッ!」


後藤はそう言い終わると一度大きく息を吸い込み、それを吐き出す。



「これが新聞や週刊誌の紙面を飾ります。するとどうなりますか」


「……」


坂田は沈黙する。



「あなたは返り咲ける」


「……」



「確かに、危険はあります。でも──」


後藤は満面の笑みを浮かべて、坂田へ悪魔の囁きのように語りかける。



「あなたは、再び、返り咲けるんです」


坂田がごくりと唾を飲み込んだ。


静寂があたりを包む。


しばらくの間聞こえた音は、森の木々が擦れ合う音だけだった。




「それにね」


後藤は再び口火を切る。



「正直ね、辛いんですよ。私も」


とても“悲しそうな”顔をして言った後藤の言葉に、坂田はふっと顔を後藤へ向けた。



「あなたがいるかぎり、あなたのマネージャーであり続けなければならない。

この苦労がわかりますか」


坂田が青ざめた顔で、再びうつむく。



「でも私たちは、長年連れ添ったパートナーです。夫婦のようなものです」


「だから」と、語調を強めて後藤が言い切った。



「一緒に山を降りましょう。その女を殺して」




それを聞いた陽子が息を呑んで後ろに下がる。



「そうすればあとは簡単です。ただ、生きて帰ればいいだけです」


ね? と同意を求めるように、後藤は坂田へ穏やかな笑顔を向けた。



陽子は何か武器になりそうなものが無いか、後藤に悟られないように周囲を探した。


しかしそのようなものは見当たらない。


相手は銃を持っている。

逃げたとしても後藤に背中を撃ち抜かれるだけだろう。


──どうすればいいの……。


陽子は取るべき行動を見失っていた。



そして、しばらくうつむいたまま震えていた坂田が、何かを決心したかのようにふと顔をあげた。


そして、ちらりと陽子の方を見た。



「坂田さん……」


陽子が坂田の目を見つつ、腰をかがめた。


「だめです、坂田さん……」


坂田は陽子の方を見つめている。

そして、ふう、とため息をついて、立ち上がった。




「どこに行くんです? 坂田さん」


後藤が、怪訝そうに顔をしかめて言った。


坂田は、陽子の方にではなく、立ち上がってそのまま後ろへあとずさっていった。


陽子はその坂田の姿を呆然と見詰めている。


うつむいたまま後ろへ歩いていく坂田の姿は、まるでくたびれ果てた老人のように小さく見えた。




そして、坂田はやがて立ち止まると、ぽつりとつぶやいた。





「もういやだ」


言い終えると、そのまま体を後ろへと倒した。


倒れた先に、地面は無かった。


崖だった。



「坂田さん!」


陽子が叫ぶ。

坂田の姿はそのまま崖の底へと消えて行き、木々の折れる音と草の擦れる音がして、

やがて大きく地面に衝突する音が聞こえた。



それが陽子が見たお笑い芸人ゲッティー坂田の最期の姿だった。




森に再び静寂が戻る。

鳥が鳴き声をあげていたが、陽子の意識には入らなかった。



「ちッ」


と後藤が舌打ちをした。


「やっぱりあんたは最期まであんただな」


そう言って後藤は坂田が落ちた崖を覗き込んだ。



「──今だッ!」


この隙を突いて、陽子が後藤に突進する。



「なに!? ……ぐぅッ」


その不意の衝撃を受けて、後藤の体はよろめき、転倒した。


危うく崖に身を落としそうになった後藤は、身を硬直させた。



そして陽子は倒れた後藤に目もくれず、全力で走り出していた。


脚が悲鳴をあげて痛みを訴えてきたが、歯を食いしばりそれを黙らせた。


走る。走る。走る。


──逃げなくては。早く。



生きたい。


この純粋な思いが、傷ついた陽子を走らせていた。


陽子の背後で発砲音が聞こえた。

するとほぼ同時に目の前の地面が大きくはじけた。



──追ってきている。


が、振り向いている暇はない。

とにかく、少しでも距離を離さなければ。


祈るような気持ちで、陽子は追跡者からの逃走を続けた。


雑多な草木の枝葉が幾度も顔を撫でる。

その度に両手でかき分けるようにして走り続ける。


もはや脚の痛みも額を伝う汗も気にならない。


陽子はとにかくひたすらに駆けまくった。



やがて、景色が変わった。

それは逃げる陽子をさらに惑わせるものだった。



「どうして……」


木々に遮られた視界へ徐々に見えてきたものは、洞窟だった。


無我夢中で走っていたというのに、まるで誘われるように、

気がつけばそのぽっかりと開けられた洞窟の入口を目の前にして立っていたのだ。



「いいんですか。ぼーっと立ってて」


背後の樹木の陰から、銃を構えた後藤が姿を現した。


額に汗を浮かべてはいるが、その表情からは余裕が見える。

やはり怪我を負った自分と後藤では、後藤の方が素早い。


森の木々が盾の役割を果たして、銃の命中率を下げている。

しかし、このままただ森を駆けているだけでは、やがてこちらの方が早く力尽きてしまうことは明白だった。


完全に相手のペースだった。



これ以上考えている暇はないと陽子は判断した。

意を決して、眼前に開いた暗闇への入口へと、自ら進んで駆け込むように走る。




洞窟の狭い入口を這うようにして進むと、奥から漏れ出してくるひんやりとした冷気が陽子の顔を撫でる。



「はぁ……はぁ……」


陽子の荒い吐息が、狭い洞窟の通路に反響する。



「洞窟の中なら……」


洞窟の中なら、暗闇と複雑な通路を利用し、

後藤の追跡を逃れて再び森へと逃げだせるかもしれない。


つまり、追っ手を“まける”。



そう考えた陽子の背後で大きな金属音がした。

振り返ると、洞窟の入口に設置された錆ついた鉄格子が閉じられていた。



「これね、鍵簡単に取れちゃったでしょ」


後藤がポケットから新たに南京錠を取り出し、それを鉄格子にはめた。



「今度のは絶対に外れないから、大丈夫ですよ」


そう言って、後藤は陽子へ笑顔を向けた。



「それもあなたが仕組んだんですか」


「まあ、しばらくその中で遊んでいてください。

やることがまだあるんでね、あとでまたお会いしましょう」



後藤は陽子に向って手を振り、背を向けて森の中へ消えていった。




陽子は後藤の姿が消えるのを待ってから、閉じられた鉄格子に手をあてた。


当初につけられていた物よりもずっと頑丈な南京錠がかけられていた。



「閉じ込められた……」


いくら動かそうとしても、鉄格子はびくともしなかった。


陽子は鉄格子の隙間から射しこむ夕焼けの光を、まるで囚人のように眺めていた。


その隙間からいくら手を伸ばしても、無駄だった。

ゆっくりと背後を振り返れば、そこには暗闇だけしか存在しなかった。



その暗闇の中にしか進路がないことを悟り、陽子は再び洞窟の中へと足を進めて行った。


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