道化の主
「そろそろかな」
と、後藤は腰を上げた。
そして、きっちりと手入れの行き届いた紺色のスーツの袖をまくり、時計に目をやる。
そろそろ、いいはずだ。
ふあぁ、と欠伸を立てて、後藤は背を伸ばした。
そして手に持った煙草を地面に揉み消した。
立ち上がって山道を少し降ると、一台の車が見えた。
撮影スタッフたちが乗ってきた、ロケバスだった。
今朝、自分たちが利用した乗り物だった。
後藤はそれにゆっくりと近づいていく。
運転席には、ドライバーの初島が大口を開けていびきを立てて寝ているのが見えた。
こちらには気づいていない。
後藤はそれにずかずかと歩み寄ると、窓から初島の丸く脂ぎった顔を覗き込んだ。
「のんきに寝てやがる」
そう言って、開いた車の窓から初島へと手を伸ばした。
「起きろ、時間だぞ」
後藤は初島の肩を乱暴に叩いた。
すると「うん?」と言って初島は目を覚まし、
「ああ、そうか。もう時間か」
そう言って、目をこすった。
「さて、ひと仕事、するかぁ」
そう初島は後藤に向けて快活な笑みを見せた。
「見張りが寝ててどうするんだ」
後藤が初島の笑みに対して、そう毒づく。
「いや、ははは。ごめんよ。今朝早かったろ? もう歳だからねえ」
「冗談はほどほどにしろ。仕事はこれからだ。ちゃんと働いてもらうからな」
「あいよ。でも、終わったら、ちゃんと例のいつものやつ、頼むよ」
初島はそう言って、自身の腕に注射を打つ仕草をして見せた。
「わかってる。特上の物を用意する」
それを聞いた初島は「やっほぅ」と嬌声をあげて喜んだ。
「いまんとこ、うまくいってるんだろ?」
初島がニタニタ笑いながら後藤に問いかける。
「ああ、今のところはな。だが、油断はするなよ」
「今ごろ皆、喉もカラカラだろうなぁ」
「そうなるように、お前に頼んだんだ」
後藤が初島に依頼した事は二つ。
一つは一連の惨劇で生まれるであろう数多くの死体を“処理”すること。
そしてもう一つは、田辺が発注した飲料の数を改竄し、撮影隊を飲料不足にさせて“二人が現場を離れる口実を作る事”だった。
「まあ、ここまでは完璧だね、あとはお前さんが主役だよ。後藤ちゃん」
「わかってる。そろそろ終わりにするさ。予定通りにな」
後藤は普段周囲に見せている笑みを完全に消し、本来の顔を見せていた。
計画はこれから完結する。
障害と言うべき障害はない。
そうなるように段取りを組んできた。
後は予定通りに自らが向かうだけだ。
「さて、まだ生き残ってる人間は誰だろうな」
「もしかしたら、いなかったりしてな」
「まあ、いてもいなくても、大して変わらないさ」
初島はのっそりとした動作で車を降りた。
そして二人は森の中へと向かうと、それぞれが別の方角へ歩き出し始めた。