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月に咲く花  作者: 麗月
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私に背を向けて座った空月は、静かに彼の生きる世界のことを語ってくれた。彼の身体のこと、里のこと、術のこと、今回の用件のこと…。何か、おとぎ話でも聞いているみたいだった。それを聞いた後だと、これまでの彼の不思議な言動にも頷けた。


「こんなにお世話になったのに、騙していたようになってしまい、申し訳ございません」


彼はそう言って締めくくった。

「ううん、話してくれてありがとう」そう言えたら良かったけど、信じられないような話になんだか呆けてしまって、そのときの私はただ足元の砂浜を見つめていた。


少しの沈黙が流れたけれど、風や波の音、鳥の声で静寂にはならなかった。また空月が、今度は遠慮がちに口を開く。


「それから…、ここからは私の気持ちだけの話なのですが、私は…あなたといるととても温かくなるような気がするんです。海の民たちと比べれば人間は皆温かいのですが、白百合の場合はもっと…逆上せてしまいそうな気さえするんです。昨日の池でのことだって…。本当に申し訳ございませんでした。言い訳のようですが、あの行動は自分でも無意識のものでした。自分の行動が制御出来ないなんて初めてで…後から、驚くよりも恐ろしくなりました。そして、一刻も早くここを発とうと決めました。これ以上貴方といると、私はまた何をするか分かりません。それが何よりも怖くて。…自分勝手ですよね。そして困ったことに、この私を狂わせる物の正体が大体解ってしまいました。昨日貴方に…触れたとき、あの瞬間私は、確かに幸せだったんです。あのとき貴方を、とても綺麗だと思いました。どうしようもなく愛おしいと思いました。…私は、貴方とずっと一緒にいたいと思ってしまった。貴方の一番になりたいと思ってしまった。私には、人間と同じような感情はないかも知れません。それでも、答えはそれしか無い気がして…。きっと私は…、貴方と…こいびとに、なりたかったんです。……人間ではないのに」


最後だけは苦しそうに、でもずっと優しかったその声は、熱くじんわりと私の中に広がった。つまり…、空月が私のことを……?


「申し訳ございません。関係のないことまで話してしまいました。貸して頂いていた衣は此所に置いておきますね。有難うございました」


「待って!」


すぐに行ってしまおうとする空月を慌てて呼び止める。まだ言いたいことまとまってないのに…!


「隠していたこと、怒ってらっしゃいますか?」


岩の上を彼の側まで歩いて行って足を揃えた。逆光になってよく見えていなかったその姿を目の前にして、私は目を瞠った。


そこに立っていた空月は、見たこともない装束に身を包み、彼の黒だった髪はその中に一房だけだった青一色で、瞳は左右どちらもあの美しい青だった。彼を彩る青は、人より白いその肌によく似合っている。


振り返って初めてその姿を見た私はもちろん驚いたが、そのことに十分に動揺するほどの余裕はそのときの私には無かった。深く考えないことにしてもう一歩前に出る。


言葉なんて整えてられない。空月が一生懸命伝えてくれたみたいに、私もちゃんと届けなきゃ。


「急に空月が人間じゃないとか、術とか儀式とか、なんか姿変わってるし…、現実味なくて全然訳わかんないけど!でもっ…!私の見てきた空月は…、いつだって一生懸命で、気配りが上手で、皆に優しくて、いつもにこにこしてて、強くて、強がりで、自分のこと大事にしてくれなくて、甘えるのが苦手で、器用なようで不器用で、…私の一番になりたいって言ってくれた空月は…、嘘じゃないんでしょ?」


空月はどこか呆気に取られたように、黙って頷く。


「人間か人間じゃないかってだけの違いなら、私は別に…いいと思う。だってそれ聞いた今だって、やっぱりまだ空月と一緒にいたいって思うもん…!さっき別れるの寂しいって言ったけど、そんな可愛いんじゃないんだから…。ほんとは…、また来たときみたいにいっぱい喋って一緒に帰りたい。空月のこと、主さんに返したくない。もっとこっち見てほしい…!……ごめん、変なこと言って。こんなに…我が儘じゃなかったのに…」


勢いに任せて飛び出した言葉に、自分で驚いて下を向く。重いかな、嫌われたかな…。でも上から聞こえたのは嘆息とも笑みともとれる音だった。


上げた目線が彼の青いそれとぶつかる。彼は軽く伸ばしかけた腕を止め、それを拳にしてその青い装束に包まれた胸に当てた。そして少し眉を下げて微笑んだ。


「私だって信じられません。これまで主の御為のみを思って生きてきたような男が、たった一人の人間の少女にこんなにも心を奪われ、翻弄され、どうして良いのか判らなくなっている…」


「空月…」


それから空月は一度迷うように下を向き、ばっと上げた。


「あのっ…!先程白百合がおっしゃって下さった私に対してのお気持ちは、つまり……、私の想いはご迷惑ではなかったのでしょうか」


彼の白い頬が薄く紅に色づいて見える。緊張気味に見つめてくる目に、思わず目を逸らしてしまう。


「そういう…こと」


彼のほうをちらりと見ると、彼は軽く俯いて本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。嫌がられてる訳じゃないなら、ちゃんと言わなきゃね。


「さっき空月が、私と…恋人になりたかったって言ってくれたとき、本当に嬉しかったし、…私もきっと、そう思ってた。昨日のだって、びっくりしたし恥ずかしかったけど…嫌って訳じゃ…なかったんだから……」


なんとか目を逸らさず真っ直ぐに彼を見つめて言った。胸がばくばくとうるさい。それでも、目を大きくして軽く息を吸った彼の赤らんだ頬に両手を伸ばす。そのままぐっと顔を近付けた。


抵抗する隙なんて、あげない。____




ゆっくりと顔を戻した。


「だから…!あなたが私と恋人になることを、許しましょう」


彼は目をぱちくりさせている。


「本当…ですか?」


「嘘ついてどうするのよ。……これでおあいこね」


「おあいこ…?」


「空月だって急にしたんだから」


おあいことは言ったけど、昨日は頬にだったから、同じとは言えないかも知れない。空月は手の甲を自分の頬に当てた。随分と火照っている。


「一度…水を被っても良いでしょうか?」


けれど身体中が熱いのは私も同じだった。


「私だって出来るんならそうしたいんだから駄目。空月だけずるいもん」


「…はい」


お互いに照れてしまって話している間中逸らしがちだったのを、やっと目を合わせて笑った。ひとしきり笑って息を付く。


「あれ、そういえばあなた「恋人」って言葉知らないって…」


「義父上に教えていただきました」


「父上ぇ…」


そうしてまたくすくすと笑う。それからすっきりした気持ちで真っ直ぐに空月に向かった。


「やっぱり…行っちゃうの?」


「はい。白百合のお側に居たいのは山々なのですが、やはり主も私にとって思いの種類は違えど大切な存在です。これ以上あの方をお独りにし続ける訳には参りません」


空月がその人の為だけに帰ると思うとちょっと妬けるけど、相手の気持ちを基準に考えている辺りやっぱり空月らしい。


「主さんに仕えてるのって空月だけだったんだ?」


「あっ、いえ。従者の方はたくさんいらっしゃるので本当にお一人ではないのですが…。ただ、私を除く従者は何方も寿命が主と比べると遥かに短いので、主にとっては一時的にいるだけの、御心の開けない相手ばかりなのです」


「そう…なんだ。それじゃあ仕方ないね」


寿命という言葉にどきりとさせられた。彼が人間でないのなら、その持つ時間もまた違うのだろうか。でもそんなところにまでまだ踏み込むべきではないと決めて思考から追い出そうとする。


「お優しいですね」


上から降ってきた思ってもみなかった言葉に、図らずもその追い出しは成功した。


「へ?…空月と比べたらなんてことないでしょ」


せっかく冷めてきていた頬がまた少し熱を持ち始める。


「そうおっしゃいますが、先程貴方が私に対して並べられた人柄は、殆ど白百合のように思いましたよ」


「え…??」


さっきの自分を思い出して余計顔が熱くなる。


「お気付きになりませんでしたか?」


空月は楽し気に微笑む。なんだか急に恥ずかしくなった。


「気付くも何も絶対そんなことないから!」


つい語調がきつくなってしまったと思って焦ったが、空月は依然として楽しそうに余裕のある笑みを見せた。私だけ子どもみたいだ。


「そろそろお帰りにならないと夕飯に間に合わなくなってしまいますね」


やがて空月は太陽を振り返って言う。


「早いなぁ。気付かないふりしてくれたって良かったのに」


「昨日のことも御座います。また送って差し上げられないのにそんな無責任な真似は致し兼ねます」


彼は困ったように笑った。空月の後ろでは海が心なしか黄色くなった日できらきらと光っている。綺麗な景色に、人魚のような美しい彼を見ると、夢の中にいるような心地がする。ずっと、こうしていられたら良いのに。


「また、来られる?」


「どうでしょう。今回こんなにも手こずってしまったので、主がすぐに放して下さるかどうか…。でも…」


「絶対また来ます!」

「絶対また来て!」


声が重なってまた笑った。空月も少し恥ずかしそうな嬉しそうな表情(かお)をした。しゃがんで空月が畳んで置いたらしい衣を拾う。


「はい、これは持って行って。次来るときに無いと困るでしょ」


空月が受け取ったのを、手を離さずに言った。


「次会う時には…恋人だから」


ゆっくりと手を離すと、彼はそれを両手で胸にしっかりと抱いて顔を上げる。


「ありがとうございます。…きっと、また」


名残惜しそうに一歩後ずさる彼に念を押す。


「きっとは駄目。絶対だからっ!」


「…はい」


そう応えて笑った空月の瞳から一筋の涙が零れた。次の瞬間空月はくるりと私に背を向けた。


「では。お世話になりました」


「…またね」


地を蹴って大きく跳ぶと、少し深くなった海に音も立てずに吸い込まれて行った。そのまますぅっと離れて行く。急に一人になって妙に寂しい。


「一回くらい、抱きしめて欲しいって言っても良かったかな」


海を見つめたまま一人で笑う。


突然風が吹いた。


「良いですよ」


さっき別れたはずの声がした気がした。


空耳…だよね?

顔を上げて辺りを見渡そうとしたとき、ふっと白い腕が視界に映った。軽く水飛沫がかかる。その腕が、腕の主が後ろから私を抱きしめた。腕はひんやりしているけど、その息は温かい。そっとその腕に触れた。


「お元気で」


穏やかな優しい声に心が安らぐ。


「そっちこそ」


また風が吹いてその手が離れて行く。急いで振り向いたけれど、地面が濡れているだけで、その姿は無かった。鮮やかな蒼色が視界の隅で揺れて海を見ると、随分と遠くを何かが動いているのが見えた。水面が光ってはっきりは見えなかったけど、少しだけ傾き始めた日を不自然に反射する、足ではない滑らかに動くそれは綺麗な青色に見えた。


「やっぱり人魚なんじゃない」


ぽつりと呟く。これも聞こえているのだろうか。


そよそよと風が吹き、濡れてしまった衣が冷たく感じる。けれどもそれは確かに空月が戻って来てくれてた証であって、夢じゃなかったんだって幸せが込み上げる。


ふと、目の前を蝶が掠めた。思わずそれを目で追って、日の光に軽く目を細める。海で蝶なんて…。するとその蝶は私の後ろから下から来るようにどんどんやって来て群れになって天に舞って行く。蝶が何処からやって来るのか気になったけど、一秒でも目を離すことが出来ない程その群れは美しかった。何色って訳でもない透明に近いそれらは染められるがままに空の色になってきらきらと光っていた。


「綺麗…」


瞬きをしたら消えてしまうような気さえして、ただじっと見ていた。とても長く感じたその時間は本当は数秒の出来事だったと思う。蝶たちは海のほうに自由に羽ばたいて光に溶けるように消えていった。


何だったんだろう…。少しの間ぼうっとしていた。


「あっ」


突然声を上げて目を凝らした。空月のこと、見えなくなるまで見送ろうと思っていたのに、蝶に気を取られているうちにすっかりわからなくなってしまっていた。思わず目線を落としてふと気が付く。


もう乾いてる。


結構濡れてたのはずの衣がこんな数分で自然に乾く訳がない。昨日もそうだった。雨で散々濡れていたのに空月と話している短い間ですっかり乾いてしまっていたのだ。あのときはただ不思議に思っていたけど、今なら考えるまでもない。確かさっき、水操れるって言ってたよね。無意識に笑みがこぼれる。


「粋なことしちゃって」


昨日はこっそりと、今日は寂しい別れを綺麗に飾って…。今思えばさっきの蝶はどう見ても水だったのにどうして気が付かなかったんだろう。すっかり魅入ってしまった所為だろうか。


ゆっくりと息を吐きながら空を仰いだ。


「帰ろ」


全て吐ききって海と日に背を向けると、長い長い家路についた。


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