白百合
「ただいま」
もうだいぶ薄くなった影を連れて戸口をくぐると父が駆け寄って来た。
「遅かったじゃないか。なかなか帰って来ないから心配で…ってそれはどうした!?」
私の着物に付いた血を見た父は顔を青くしている。
「ごめんなさい、傷だらけの人に偶然会って、気が付いたらこんな時間になってしまってて。支えたときに血が付いたみたい」
「ほら、だから心配し過ぎだと言ったんです」
話していると奥から侍女が二人笑いながら出て来た。侍女と言っても住み込みで家のことを手伝ってくれている家族のようなものだ。目の前で父と話している二人は姉妹で陽と凜、弟の杏と妹の雪を合わせた四人兄弟だ。歳は末っ子の雪が丁度私と同じくらいで、私としても彼女たちは兄弟のような存在になっている。そんな四人と父と私の六人で暮らしている屋敷はいつも賑やかだ。
「それで、その怪我した人はどうなったんだ。この村の者か?身寄りはあるのか?」
居間へ歩きながら父が問うので知っていることは全て伝えたが、ふと気付く。そういえばあの人の素性は全く知らないな。
「家族は…わからないけど、用事があってこの村に来たんだって。寝泊まりするところあるのかな」
「じゃあ屋敷に泊めて差し上げたらいかがですか」
どこかわくわくした様子の凜の提案に、驚きつつも少し考えてみる。彼がここにいるのを想像するのは難しい。
「それは良い。白百合、ぜひ明日連れてきなさい」
対して父は面倒見が良く、こういうのは大好きな質だ。
「…それ本気で言ってる?それに確かあの人足結構怪我してたからここまで歩かせるの酷かも」
言うと父は少し考えてからまた続ける。
「それじゃあこうしよう。私なら担ぐことくらい容易いが、いきなり行ってもその人に他に行き先が決まっていたら困るだろう。白百合が明日もう一度会って提案してみてほしい。それで此方に来たいけど動けないようなら帰って私と交代だ」
満足そうに言って、どうせまた様子を見に行くつもりだったんだろう、とさぞ当たり前かのように続けるので何か反論したくなってしまう。気になるし行くつもりだったけど。仕方がないので引き受けて自分の部屋に入る。
服に血が付いていたのを思い出して帯に手をかけた。彼はどうしているだろう。ざっと見たところ左目と足の傷は酷かったが、命を落とすことになりそうなものは無かった。だから死にはしないと判ってはいるが、稀に見る大怪我だったので心配になる。
変わった人だった。池に落ちた後、噎せながら初めて笑っている彼は第一印象よりだいぶ幼く見えて驚いたのを覚えている。もしかすると私といくらも歳は変わらないのかも知れない。
ふと窓を見る。最近は雲で隠れがちだった月がいつもより明るく見えた。