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月に咲く花  作者: 麗月
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気付いたこと

初めて人間の屋敷で過ごした時間(とき)は、本当に楽しかった。これほどまでに濃い日々などいつぶりだろうか。白百合たちの教えてくれる人間のものはどれも面白く、新しく知ることばかりだった。みんなで食べると美味しいこと、楽しむためだけの行動をすること、人間は暮らしの他にも私の持たない感情をいくつも持っていた。しかし、月を見れば美しいこと、鈴虫を聴けば心が安らぐこと、私と同じものもいくつもあった。


そうして関わる中で、白百合が私の素性などが気になっているのだろうと思われる節が時々あった。しかし彼女は、意図的に自分のことを話そうとしない私に対して痺れを切らすようなことはなく、私の胸には有難いという気持ちとともに申し訳ない思いが漂った。不便はあるが退屈とは程遠い生活。今もあの海で私の帰りを待ちながら海を守っていらっしゃる月夜様を思い、時々どうしようもない程の罪悪感が沸き上がる。それらで心が詰まる度、私は山での木の実集めや術の練習に(いそ)しんだ。


そうして必然、私が屋敷にいる時間は短くなっていった。


「今日から、昼には戻らないことに致しましたので、私の分の昼餉は省いていただけますか」


ある日ついにそう言ったとき、義父上(ちちうえ)は少し悲しそうな表情(かお)をした。それでも私は、術も完成していない手前、屋敷で楽しいことをしている訳にはいかなかった。良くしていただいているのに申し訳ございません…。


練習を重ね、術が完成に近付けば近付く程、体力の消耗は大きくなっていく。屋敷への丘を登る足は重く、酷く目が回るようになった。ふらふらした足取りのまま屋敷に戻って心配をかけてしまうのも嫌で、ましになるまでよく丘で休んでいた。突然体調が悪くなっている理由を尋ねられても答えられないので、人目を避けたかったのだ。しかしあるとき、休んでいるところをたまたま外に出て来た(はる)に見つかってしまった。


「空月さん…?」


近付いて来たのには気付いていたが、広い丘には咄嗟に隠れられるような場所は無かった。


「陽さん…」


陽は黙って近寄って来ると、目の前にしゃがんで私の顔をまじまじと見る。彼女はいつも穏やかな笑顔を湛えていて何かと身の回りのことを手伝ってくださるが、あまりきちんと会話をしたことはなく、私にとってはよくわからない人だった。やがて陽は私の顔から目を離すと、今度は隣にしゃがんで近いほうの腕で私の腰を抱え込むようにした。驚いて今度は私が彼女の顔を見つめる。


「いつまでもこんなところにいちゃ風邪が悪くなります。立てますか?」


「…はい」


その視線を受け止めて穏やかな笑顔を見せながら言う彼女に、戸惑いながらも頷く。すると彼女はその華奢に見える腕で私をしっかりと支えて立ち上がり、つられて私の腰も上がった。さっきまでふらふらと思い通りにならなかった身体だが、その安定した腕に助けられふらつく余地も無い。


「意外と力、あるでしょう?だから安心してください。()けませんから」


陽はそう言って私を屋敷まで導く。不自然に体力を消耗して「こんなところ」で休んでいた私に、彼女は何も尋ねてこなかった。橙になり始めた日が彼女の髪を狐色にして揺らす。屋敷の戸の前で私たちは立ち止まった。陽は戸を少し開けた隙間に頭だけを入れて中の様子を窺うようにすると、此方を振り返る。


「皆さん居間にいるようなので大丈夫ですよ」


何も訊かないどころか、なるべく知られたくない私に協力してくださる彼女に、私はむしろ不安になった。


「何も、お訊きにならないのですね」


素直な疑問を口にしてみたが、彼女はその穏やかな表情を欠片も崩さずに応える。


「空月さんは、何も知られたくないからあんなところにいらっしゃったんじゃないんですか?望まないことをわざわざ言わせるような趣味は私にはありませんよ」


その言葉は驚くほどすんなりと附に落ちた。その考えは私の持つそれと似たところがあったからかも知れない。海の民の大半は、人間と比べると良いにも悪いにも無関心だ。己の都合の変わらないところで何が起ころうと正直知ったところではない。ある日突然隣人が姿を消そうが深く気に留めない者のほうが多い。他の海の民よりもずっと長く生きて多くの生を見てきた私や月夜様は、そこまで極端に無関心ではないがおそらくそれに準ずる性格はあるだろう。それに、何か気になることがあったとしても、周りに合わせて、必要のないことならばわざわざ踏み込んだりはしない。陽とは話すこともなくただ見ていたが、彼女は進んで楽しいことをしたがることはなく一歩引いたところで様子を見ていて、必要があれば配慮や手助けをしていた。そして、過干渉はしない。驚くほど温かく優しくしてくれる白百合に義父上、人懐こい雪に、必要以上に関わってこないが言いたいことは言う杏、節度を持って親しげに接してくる凜、他の人と比べると陽の持つ性分は少し此方に近いような気がする。


「それでは、楽になったら居間にいらしてください。夕餉は急ぎませんから」


彼女は私を部屋に送り届けてゆっくり座らせると立ち上がった。


「本当に、有難うございます」


「いえ。それではお大事に」


静かに軽く礼をして私に背を向ける。そして去り際、陽は閉めかけた戸から顔を覗かせて目を眇めた。珍しくその顔の笑みは薄い。どこか不満そうな表情だ。


「そうだ。言い忘れてましたけど、無理は関心しませんよ」


これは…、叱られているのだろうか。すぐに言葉を返せずにいる私に彼女は再び顔を柔らかくした。


「咎めるつもりはありませんが心配はします。ほどほどにしてくださいね」


そうして見せたどこか困ったように目の細められた自然な表情は、いかにも人間らしく暖かかった。そして、その日以降も陽は何度も私を丘へ迎えに来てくださったのだった。


私は人間がどちらかというと好きだと思った。

諸事情で少し遅くなりました!

来てくださってありがとうございます(*_ _)

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