扉
「ねぇ空月、まだ…起きてる…?」
言われた通り早く寝て、今晩は既に彼にしては十分眠った空月は、微かな声を聞き留めると、今まさに外に出ようと窓にかけていた足を静かに降ろした。そして扉に近付き、彼女に倣って声をひそめて返した。
「白百合…?私なら起きていますが…目が覚めてしまいましたか?」
どうせ応えが無いものと半ば諦めて投げ掛けた声に数秒で返答があったので少し驚く。夕方の父の言葉のせいで眠れなくて、父の部屋からは遠くて私の二つ隣の彼の部屋の前まで来てしまっていたのだった。音をたてずに滑り始めた扉をとっさに掴んだ。たいして力を入れずに動かされていた板は容易に止まった。彼は少しだけ力を強めて押し直したあと、遠慮がちに口を開く。
「あの…」
言われて我に返った。
「いや、これは、その……扉挟んで話したいな…なんて…」
おかしすぎる。そんなの彼を困らせるだけなのに。でも、どんな顔をして話せば良いのかわからないし、顔を見て話す勇気が無かったから。自分勝手すぎるよね、焦りと動揺がばくばくと音を鳴らす。部屋の中から布団を触る音と足音が聞こえた。確かに彼が呆れて寝てしまうのも仕方がない。なんだか独りぼっちになったみたいで、扉に背を向けてその場にしゃがみこむ。
とんとんとん…。後ろから音がした気がしてふり返ると、僅かに開いた扉の隙間から出たすらっとした指が床を叩いていた。驚いた。涙が滲んでいたのも忘れてその白い手を見つめる。
「……何?」
戸惑いがちな私に対し空月は普段通りに続ける。
「もう少し開けても?」
「良いけど…?」
よく分からずに、赤子の頭がやっと通れるくらいに扉の隙間を広げた。一度引いて再び出て来た手が掴んでいたのは薄く二つ折りにした布だった。
「まだ秋とは言えど夜は冷えますからお気を付けください」
両手で布を受け取ると、くるりと肩に巻く。
「ありがとう」
ほんのりと暖かい。さっきまで寝ていたはずの彼が使っていたのかも知れない。少しの沈黙が流れた。話しても良いということだろうか。空月は、急かしも尋ねもしない。
「あの…ね、今日、空月が部屋に戻った後、父上から話があったの。陽も凜も杏も雪も一緒に。それで、父上の言ったことが…、驚いて悲しくて眠れなくて。どうして良いのかわからなくて…。あなたにはほとんど関係なくて、私たちにはとっても大きな話。誰かに、話したくて。他の人は皆関係ありすぎるから、あなたしかいなくて…。ごめんなさい。話してても良い?聞いてくれなくても良いし、眠くなったら勝手に寝て良いから…」
「どうぞ」
彼は本当に短く返しただけだったけど、そのたった三文字で安心できた。それぐらい、暖かくて優しい声だった。
「あのね…」
あの低く冷えた声で淡々と紡がれた言葉が今も頭の中で響いている。
「陽、凜、杏、雪。君達に、暇を出す」